20:「天使化して、能力まで持って……そんなことしたら、人間に戻れなくなるかもしれない」
太陽の紋章。
東南アジアのどこかの遺跡に刻まれていてもおかしくないような、厳かさと豪華さ、奇妙さを集めて、ごちゃ混ぜにして練り上げたような模様。その場の誰もが驚きを隠せないでいた。
「それ……まさか……!」
紋章にまともに当たって弾き飛ばされ、数度地面をバウンドして叩きつけられたピティエが、顔面から血を流しながら私をにらみつける。
「さゆみ……!」
ロゼの呼び声に、私はとっさに反応した。ロゼから何かしらのメッセージを受け取ったわけでもないし、私自身がそうしようと思ったわけでもない。だが気がつけば、私はピティエに向かって火炎放射を撃ち、追い打ちをかけていた。
「クッソ……よりによって、『当たり』の天使かよ……!」
服が焦げ、あちこちから血を流したピティエが、うつぶせでこちらを見ながら吐き捨てた。他人を見下したあの感じは、もうピティエの瞳に宿っていなかった。
「……セリュールは用済みになるまで渡さない。あんたも、次で殺す」
その言葉とともに、灰色の煙を残してピティエが姿を消した。分が悪くなったと判断し、一旦撤収したらしかった。
「ロゼ……!」
ピティエの気配がなくなったのをロゼも感じたのか、ゆっくりと起き上がった。何とか腕で身体を支えるロゼを、私が抱えるようにして支え上げた。
「あんた……本物の天使みたいじゃない……」
「……やっぱり、そういうことでいいの?」
「あれで人間ですとは言えないでしょ……」
肩の辺りに自然と力が入る。それでいて、どこかふわりと浮いてしまうような身軽さを感じた。
「人間から天使化したら、能力なんて持てないものだと思うんだけど……あてが外れたわね」
「でもロゼを助けられたから、よかった」
「それは……ありがと。助かったわ」
けど、とロゼが付け加える。一瞬照れ隠しのように頬を赤らめてから、慌てた調子で真面目くさった顔に戻った。
「天使化して、能力まで持って……そんなことしたら、人間に戻れなくなるかもしれない」
「え……うそ」
「そもそも天使化した人間なんて聞いたことないし、どういう仕組みで天使化してるのかも分かんない。だけど、それなりな能力を持っちゃった時点で、ただの人間に戻るのは厳しくなったと思う」
整理がつかない。言っていることは理解できるが、どこか腑に落ちない。そんなにたくさんのことは言われていないはずなのに。
「……ただ、まだ諦める時じゃないと思う。普通は人間を媒介せずに天使が人間界に降りることはできないし、逆に人間を天使化して天界に行けるようにすることも、簡単にはできないはず。絶対何か、あたしたちの知らない仕組みがある」
「リュールが捕まってるのとか、ロゼが捕まりそうになってるのとかも、その仕組みのせいなのかな」
「絶対そうとは言えないけど、あたしもそんな気がする……リュールのならともかく、あたしの能力がそんな陰謀やら何やらにどう使えるのか、分からないけど」
「……使えるさ。ロゼの能力は、俺たちの計画に大いに役に立つ。核になっていると言ってもいい」
その場にいないはずの、男の声がした。そしてそれは聞き覚えのあるものだった。
「クール……!」
「突然出てきてびっくり、みたいな顔をするなよ。そろそろ出てきてほしい、って思ったのはそっちの方だろ?」
「……どういうことよ」
私の支えから離れて、ロゼが何とか自力で立ち上がる。それから、クールの言葉の真意を問うた。
「俺の能力はまあ、平たく言えば他人の心を読むってところだ。聞いたことがあるだろ? 22位のヴォロンテ。あいつと似てはいる。が、”神”である俺とは決定的な違いがある」
クールが暗い青色の髪をかき上げて、ふん、と鼻を鳴らす。相変わらずの傲慢な口調だった。その言葉の次にどんなことをしてくるのかと、私は警戒する。背中に汗が流れるのを感じた。
「ヴォロンテのはせいぜい相手の心を読む程度にとどまる。だけど他人の心が読めたところで、どうしようもないだろ? せいぜい少し楽しいくらいだ。それに対して、俺は他人の心を読んだ上で、自分の都合のいいように他人の心情や行動を改ざんできる。結局のところ、ピティエを倒したばかりで傷を負っていて、次の”神”には出てきてほしくないというお前たちの気持ちを逆手に取って、俺が出てくるようにねじ曲げてやったというわけだ」
と思ったけど、とクールが付け加えた。まだ話を続ける気らしい。
「思った以上にピティエがやってくれたみたいだな」
クールがパチン、と指を鳴らした。クールの隣にさっき姿をくらませたはずの、血を流したピティエが瞬間移動のように現れた。
「……!」
「おい、ピティエ。やりすぎじゃねえか。なあ」
「クール……!」
「この状態で俺がうっかりロゼを殺しでもしたら、俺は死にかけのところに追い打ちをかけた卑劣な野郎ってことになる。そんなの許されねえよなあ?」
突然のことに戸惑ったままのピティエのお腹を、クールが容赦なく蹴り飛ばした。
「がっ……!」
「しかもまだ33位でとどまってるロゼに負けるなんて。俺は同じ”神”を名乗る存在として恥ずかしいよ」
「あなた……こんなことして……私は、6位なのに……」
「33位に負けた6位は、果たして本当に6位と定義していいのか? まあ正確には33位そのものに負けたわけではないが、見た感じはせいぜいロゼと同程度だったな。なあ、元天使管理官?」
クールが私を見てにやり、と笑った。今の私は人間ではない。ロゼやリュールと同じ、天使だ。同じ土俵に立っているという事実が、ここまで脅威に感じられることなどあるのだろうか。
「クール……!」
「心配するな。いくら33位に負けた雑魚といっても、すぐに殺しはしないさ。利用価値がまだあるかどうか分からない奴を殺せば、後々の不利益になるかもしれない」
そう吐き捨てて、もう一度クールがピティエを蹴った。その衝撃でピティエが地面を何度か転がり、ぐったりして意識を手放した。
「……というわけだ。あいにく俺は弱い者いじめが嫌いなんだ。大人しく逃げておけ、今後のためにもな」
「今後のため……?」
私が尋ねると、ふっ、とクールが笑った。そんなことも分からないのか、という目で私たちを見る。
「仮にそんなボロボロの状態でお前たちが俺に勝ったとして、あとの二人、特に2位に勝てることは絶対にない。”元”6位のピティエがお前たちに負けてしまった以上、俺が絶対に負けないという保証はないからな」
ピティエとは違う。クールは傲慢なことばかり言っているが、油断はしていない。相手に隙を見せているようで、その実全く油断していないキャラが、実際は一番厄介だ――そんな、何かの漫画で読んだようなセリフが頭をよぎる。
「……逃げるわよ」
ロゼが短く吐き捨てた。私がロゼと肩を組むと、すぐに私たちの身体が薄くなり、見えなくなっていった。
「ああ、そうだ。確かロゼの両親は、天使の能力に詳しいんだったな。今回俺たちが何をしようとしているのか、お前の両親ならば分かっているはずだ。聞いておくといい。できれば話を聞いて絶望し、諦めてくれた方が、こちらも無駄な時間を過ごさなくて済むからありがたいんだが」
いやに耳にこびりつくクールの言葉を聞き終わったくらいのタイミングで、内臓ごとふわりと浮き上がるような感覚が襲ってきた。私は目をつぶり、その感覚に身を任せた。
 




