2:「まったく、口の悪い妹は厄介ですね」
「ロゼリア=アークエンジェルよ。覚えときなさい」
「セリュール=セラフィムです。……その、ロゼが不届き者でごめんなさい」
そのまま天使管理官、とやらの話を聞いてもよかったのだが、さすがに名前も知らない女の子二人と同居するのはどうかと思ったので、まず名前を聞くことにした。偉そうな方がロゼリアで、大人しい方がセリュールというらしい。
「ん。じゃあ、何て呼べばいい?」
「こっちはロゼって呼ばないと怒り出すので、そうしてあげてください。わたしは……何でもいいんですけど」
「じゃあ、リュールでいい?」
「はい……ありがとうございます」
リュールは顔をすこし赤らめて、嬉しそうにした。めちゃくちゃかわいい。変態みたいな発言だけど、やっぱりかわいい。
「……っていうか、怒り出すってなに」
「だってパパもママもずっとそう呼んでくれたもん。人間風情にそう呼ばせてあげるってこと、感謝しなさい?」
「ロゼ。人間に偉そうにしないって、散々言ったでしょ。おしおきするよ」
「はっ……! それはどうかご勘弁をっ」
リュールがおしおき、の四文字をちらつかせると、急にロゼがおとなしくなった。どうやらロゼは偉そうにしつつ、力関係ではリュールの方が上らしい。
「上月紗弓です。よろしく」
「紗弓さん、でいいですか?」
「……うん、まあ」
私も続けて名乗る。下の名前にさん付けされるのは初めてだったので、少し戸惑った。これが妹を持つということか。血はつながってないけど。
「では紗弓さん。ざっくりした説明はわたしの方からします。生意気なロゼはしばらく黙らせておきますので、ご安心ください」
「だれが生意気よ! どうせ人間なんて、能力の一つも使えやしないんでしょ。ただの役立たずの集まりじゃない。そんなのに丁寧にしゃべってやる必要なんか……」
「……ロゼ。次悪口言ったらおしおきだからね」
「は……はっ! 了解であります!」
ロゼの顔が心なしか、青ざめていた。間違いない。リュールの方が圧倒的に、力関係が上なのだ。
「……ふう。まったく、口の悪い妹は厄介ですね。紗弓さんもそう思いませんか?」
「え? ま、まあ」
さっきまで妹がほしかった、とか考えていたのを、知っているような口ぶりだった。私は戸惑いつつ、リュールの話を聞く。
「ご覧の通り――分からなくても、いずれお分かりになると思いますが、わたしたちは天使です」
「ほうほう」
「天使が人間界に干渉することは、まずありません。それどころか、天界から出ることもほとんどありません」
「まあ、そっか」
天使がそうしょっちゅう来られても困る。そもそも本物の天使なんて、まさかいるとは思わなかった。
「……天使がここにやって来るとすれば、それは悪魔関連の事件があった時です。今回も、悪魔が異常に増えていることによる出動です」
「悪魔」
「そうです。悪魔と天使が対立している、というのは分かりやすいでしょう。悪魔は通常、人間には見えません。心の中の迷いとして潜んでいます」
「あの……悪魔の誘いってやつ?」
「そうです。悪魔がいなくなってしまうと、それはそれで困ります。時に人間には、欲に流された結果の判断も大事だと考えます。でも増えすぎても困るんです。大きすぎる欲望、野望が一国を滅ぼした例はいくつもあります」
天使だから悪魔の暴挙は絶対許さないのか、と思ったら違うらしい。意外と寛容。
「……で、悪魔を減らすためにやって来たと」
「そうなります。ただ、天使は一人では人間界には降りられないんです」
「そうなの?」
天使といえばすごい存在。人間には理解できないような力を持っている。そんな天使が一人で降りられないとか言われると、ちょっとイメージが崩れる。
「さゆみ。今、天使が弱いとか思ったでしょ。逆よ。力が強すぎて、人間を依り代にしないと、人間界全体に影響が出る。だから仕方なくさゆみに憑依してあげてるのよ」
リュールが話をやめたのを見計らって、むすっとした声でロゼが口を出した。一瞬だけリュールがロゼをにらんだが、今度のロゼはひるまなかった。
「……ロゼの言ったことはだいたい合ってますけど、最後は違います。天使は憑依する人間を選べます。もちろん、人間側にも適性があるので、誰でもというわけにはいかないんですけど」
「それって、わざわざ私を選んだってこと?」
「そうです。ロゼはほとんど迷いなく、紗弓さんを選んでました」
「ちっ……違うわよ! そ、そんなわけないでしょ」
絶対そんなわけあるやつだ。けど、リュールの言い方なら、適性のある人間は他にもいるはずだ。どうしてわざわざ私なのだろうか。……ということをリュールに尋ねると、
「今回の悪魔の増加は異常なんです。わたしたちの他にもたくさん天使がここに降りてきて、選ばれた方たちに憑依しています。なのでご安心ください。紗弓さんが通っている大学にも何人か、対象者がいると思います」
「それは安心していいとこなのかな」
「一人じゃないというところに、少し安心しませんか? 紗弓さん、ちょっと」
リュールが縫い目の一つも見当たらない服のすそを気にしつつ立ち上がり、私の耳元まで近づいてささやいた。
「……正直、ロゼだけで来られてたら将来が不安になってたでしょう?」
「ちょっと。思いっきり聞こえてるわよ」
「あら。そう?」
「ささやいた割にめちゃくちゃ大きい声だった」
「そうかなー、紗弓さんだけに聞こえるように頑張ったんだけどなー」
「白々しいわよ」
ロゼがより一層むすっとした顔になった。対するからかった当事者のリュールは、少し楽しそうだった。
「本当は二人の天使が憑依してるなんて人、まずいないと思います。それだけロゼが天界でも厄介者扱いされている証拠ととらえるか、紗弓さんのことを天界が考えてくれたととらえるかは、紗弓さんにお任せしますが」
「……それどっちもあたしがダメって言ってるんじゃない?」
「うん」
ちょっとやりすぎじゃないかと思うほど、リュールはロゼを次から次へとからかう。今度はさすがのロゼも我慢ならなかったらしく、
「よーしよしよし。そこまで言うならあたしの実力、見せてやるわ。ひっくり返る準備を入念にすることね」
「……ということなので紗弓さん、少し付き合っていただけませんか。たぶん、すぐ終わりますので」
「うん……」
私の返事を確認もせず、ロゼが外に飛び出し、走っていってしまった。そしてあまり考えることなく返事をしてから、私はここまで全部リュールの思惑通りなんだな、とようやく気づいた。思惑というと大げさだが、要は説明の一環としてロゼを利用した、というわけだ。こんなに小さいのに、よくそこまで考えられるものだ。
「あ、そうそう。紗弓さん」
「はい?」
「もしかすると、わたしたちが元々幼い、この姿に見合った年齢だと思っておられるかもしれませんが、実際は違います。天使は憑依して人間界に降りてきた時に、その人がイメージする姿になるんです。天界での私たちの外見は、おおよそ二十代の成人女性に相当します」
つまり妹がほしい、という私の願望は、天使のイメージに影響するほどダダ漏れだったというわけだ。……待てよ?
「それってつまり……ロゼもあんなのだけど、実際は私より年上ってこと?」
何か、気づいてはいけないことに気づいてしまった気がする。