19:「メリットがあるとかないとかの話じゃない。リュールを助けるために必要だっていうなら、あたしは”神”だろうと何だろうとぶちのめさなきゃいけない」
ロゼがかつてないほどの威力で能力を操る。私はリュールの言葉を思い出した。お腹いっぱいで、眠くなくて、機嫌のいい時しかまともな威力が出ない。でも今は少なくとも、お腹が空いてるとか機嫌がいいとか、そんなことを言っている場合じゃない。
「無駄よ」
「うるさい!」
空気中の水分を集めては固めて武器にして、ピティエに放つ。それらの工程を連続的にやっているせいで、私にも分かるほど空気が乾いていた。緊迫した雰囲気も相まって、鼻の奥、喉が痛くなってくる。
ロゼの攻撃は全く当たらなかった。ロゼが外しているのではない。確実に当たる位置、角度、速さでロゼが攻撃を加えているはずなのに、気がつけばピティエは別の場所に移動していて、無傷を保っている。ひらひらと風に舞う金髪が、よりピティエの余裕を演出していた。
「ロゼリア、これはあなたのためを思っての忠告なのよ? あなたの能力は空気中の水分を集めて圧縮して、攻撃力を持つ武器に変えるもの。水分を集められる大気の範囲も制限があるし、大気中の水分を消費しきれば、次は自分の体内から取り出すことになる。このまま続けて、あなたにとってとてもメリットがあるとは思えないわ」
「……っ!」
「どう? 今からでも遅くない。交渉の余地はあるのよ。まあリュールの件に関して、私たちの予定を変えるつもりはないけど」
「……メリットがあるとかないとかの話じゃない。リュールを助けるために必要だっていうなら、あたしは”神”だろうと何だろうとぶちのめさなきゃいけない。あんたみたいな、ひらひら避けてばっかのザコ”神”で手こずってる場合じゃないのよ」
ぱしんっ、という音が響いたように錯覚するほど、その瞬間空気が凍りついた。余裕のあるへらへらした笑みを浮かべていたピティエが、顔色を変えた。
「……言うじゃない」
ピティエの声が一段低くなった。ずっと瞳の奥底に眠っていた冷たさが、前面に押し出された。次に私が瞬きをした後、ピティエは片手でロゼの首をつかみ上げ、今にも絞め殺そうとしていた。
「ロゼ……!」
「いい、ロゼリア? あなたが見ていたのは、私の能力の一端でしかない。残念ながら今この瞬間、あなたの命は終わるけれど。一つだけためになる忠告をしておくわ。他人を一つの側面だけで判断しないことね」
「ぐっ……!」
ピティエに手加減する様子は見えない。ロゼの首にかけられた手にはこれでもかというほどの力がかかっている。ピティエの手だけで支えられ、宙に浮いたロゼの身体。その顔は苦痛に歪んでいた。
「ロゼ・フォルテ……!」
絞り出すような声の、ロゼの詠唱。至近距離で氷塊が生成されて、ピティエの脇腹に刺さる。しかしピティエの反応も早い。すぐさまロゼの身体を放り投げ、ロゼと距離を取った。さすがに命中したらしく、ピティエの脇腹は少し血でにじんでいた。
「少し興奮しすぎたわ……”同一化”を起こされることが、完全に計算から外れていた」
「今ので大した痛手じゃないなんて……」
「思い上がりもほどほどにしておくことね。セリュールがそばにいないあなたには、もはや何の力もない」
「……っ!」
ロゼにいつもの威勢がない。相手は旧友のリュールではない。いかにリュールより序列が下といっても、圧倒的な力を誇る”神”。その力の正体は、いまだに分からないが。
「……いえ、今のは少し違うわね。あなたの能力には、まだ何とか利用価値があるから。あなたがあまりにも生意気だから、どうやって殺そうか考えあぐねていたけれど。殺さずに生け捕りにしろって、お達しが来ていたのをすっかり忘れていたわ」
「お達し……はん、2位の奴の命令ってことね」
ピティエは答えない。代わりに不敵な笑みを浮かべて続けた。
「あるいは能力だけ奪い取って、終わりにしてもいいのだけれど。さすがにそんな都合のいい手段はないから」
「ならあたしも能力を奪われるとか、そんなことを気にせずにあんたを倒せるってことね。そろそろあんたにも能力見せてもらわないと、つまんないしね」
「あら」
ピティエがにまっ、と笑った。こちらを見下し、心底バカにしたような笑顔。まだ分かっていないのか、と表情が伝えてくる。
「あなたには私が、ひらひらと攻撃をかわしているようにしか見えないかもしれないけれど。これはれっきとした、私の能力よ」
「……!」
「私に憐れみの感情を抱かれたひとは、私に二度と攻撃を加えられなくなる。殺すことはおろか、グーで軽く殴ることさえ許されない。わざわざ人間界に降りて、意味のない悪魔退治をすることになって可哀想……私にそう思われた時点で、あなたが勝てる確率はゼロなのよ」
「……その意味ない悪魔退治をすることになったのは、誰のせいだと思ってんのよ」
「さあ? 悪魔どうこうの話は、私がやっていたわけじゃないもの。私、自分に関係ないことには興味ないし」
ピティエがロゼに思い切り近づいて、お腹を殴った。されるがままに倒れ込むロゼを、愉快なものを見る目でピティエが見下ろした。
「終わりよ。気絶するための方法だけは、選ばせてあげるわ」
「……っ」
今度こそ、ロゼは立ち上がれない。何とかピティエの方を見上げて、にらみつけるので精一杯なようだった。
「……やめましょうか。その顔を見れば見るほど、柄にもなく苛立つもの」
「ピ……ティエ……!」
ピティエが一度腕を後ろに引いた。その手先に得体の知れない力が集まっているのが分かった。どういう効果を及ぼすのかは想像できないが、それがロゼに命中したらもう終わりだということは、明らかだった。
「ロゼ……!!」
頭で考えるというステップをすっ飛ばす。私は本能で、ロゼをかばうべくピティエとロゼの間に飛び込んだ。ロゼの代わりに私に当たったとして、無傷の私だって大丈夫でいられる保証はどこにもないのに。
「……なッ」
目の前の景色が突然変貌して、ピティエは拍子抜けした声を上げる。しかしピティエの手は止まらない。アニメでよく見るような衝撃波が、ピティエの手から射出されるのを目の端で捉えた。
ガギンッ。
鉄の塊にカナヅチを打ちつけたような、重たい金属音がその場に響いた。私の身体にも、その音に伴って衝撃が伝わる。だが思っていたよりずっと軽いものだった。私は何が起きたのか、反射的につぶっていた目を開けて確かめる。それができるということ自体が、ピティエの目論見が外れたことを示していた。
「……なッ」
さっきと同じ声を、ピティエが上げる。その一声には驚きや焦りがより強く反映されていた。
私とピティエの間に、赤い紋章が浮き出ていた。装飾が多い、しかし太陽をかたどっていることはその場の誰の目にも明らかだった。その紋章がピティエの攻撃を、いやピティエの身体自体を弾き飛ばしていた。その場にいた天使でそんな芸当ができるのは、ピティエでもロゼでもない。
「え……?」
「さゆみ……あんた……!」
ロゼの少し手前に倒れ込んだ私は、自分の手の平を見る。そこには火が宿っていた。私がいよいよ天使になってしまったと、証明するかのように。




