18:「私たちとしては、愚かで可哀想な人間たちに、きちんと気づいてもらうための猶予を与えたつもりなんだけど」
「う……」
硬いようで、アスファルトほどではない。でも寝転ぶには痛い、そんな地面の感触。それを全身で感じ取りながら、私は目を覚ました。
「さゆみ……よかった、目が覚めて」
「……ロゼ」
隣には大人の姿をしたロゼも寝転んでいた。よかった。見知らぬ場所で一人になるほど、怖いことはない。そう考えると、だいぶ落ち着いてきた。
「ここは?」
「……天界よ」
「え……?」
確かに、見たことのある場所ではない。現実のような、夢の中のような、どっちとも言いがたい景色が目の前に広がっている。ここがロゼとリュールのふるさとなのか。
「さゆみも鏡で見せられたから、覚えてると思うけど。さゆみが天使になってる」
「やっぱり、飾りじゃなかったんだ」
「さゆみの匂いが、天使っぽいのに変わったのよ。だから天使化してるのは間違いない。あくまで天使『っぽく』なっただけで、本当に天使になったわけじゃないと思うけど」
ぽく、というところを強調して、ロゼが言った。ピティエが放ったあの謎の光線が、私を仮初めの天使にしたということか。……というところまで考えて、私はふと、自分がすんなりと現状を受け入れていることに気づいた。
「なんか、自分が怖い」
「仕方ないんじゃない? 天使が二人来て、悪魔も目の当たりにして、他の天使にもいっぱい会って。それ全部受け入れてる時点で、だいぶアレだから」
「ロゼにアレとか言われたくないなあ」
「なにおーっ⁉︎」
ロゼがぷんすか怒ってみせたが、すぐに再び真面目な顔に戻った。
「……でも、おかしい」
「なにが」
「普通は人間が天使と同じ扱いになって、天界で呼吸ができるなんてありえないのよ。天使が人間界に降りるのだって、天界にちゃんと許可取って、人間を媒介しないといけないのに」
そもそも、とさらに深刻な顔をしてロゼが話を続ける。
「クールもピティエも、誰か人間を媒介しているようには見えなかった。少なくとも、近しい人間の匂いはしなかった。しかもどんな理由であれ、悪魔と同盟を結んで人間にケンカを売るなんて、天界が許すとは思えないし」
「人間を経由しないで人間界に降りてくる、ってことはできるの?」
「知らない。やり方知ってれば、とっくの昔にやってる」
それもそうか。人間を経由すれば姿もその人間がイメージしたものになるし、天使としての力も思うようにふるえない。ただ、思うようにふるえてしまうとまずいのだ。
「6位のピティエと、7位のクール。あいつらが出てきた以上、フードゥルの言う通り、”神”四人のしわざと見て間違いなさそうね。そいつらをぶちのめさないと、リュールは助けられない」
「……交渉、とかは」
「無理よ。さゆみも見たでしょ、クールとかピティエのあの傲慢な感じ。話し合いなんて通じる相手じゃないわよ」
そんな傲慢な態度も含めて”神”ということか。リュールやフードゥルの方が例外だというのは、事実なのだろう。
「話し合いが通じない……とまで言われる筋合いはないんじゃなあい?」
目の前が光に包まれる。目を閉じても透過してくるような、刺激の強い光だった。
「ピティエ……!」
「あらありがとう、管理官さん。私の名前、覚えてくれたのね」
まただ。天使の笑みと表現するにふさわしい、柔らかな笑顔。目元も笑っているのに、その笑顔を向けられた私は恐怖さえ感じた。
「何をいまさら。リュールを何の前触れもなく連れ去った時点で、話し合いなんて通じないでしょうが」
「何の前触れもなく、ってわけじゃないわ。私たちとしては、愚かで可哀想な人間たちに、きちんと気づいてもらうための猶予を与えたつもりなんだけど」
「猶予って……どこまで人間をバカに」
「あなただってバカにしているじゃない、ロゼリア。まさか、そこの管理官さんに毒されて、考え方が変わったのかしら?」
「……っ」
ロゼが悔しそうに唇を噛む。私はロゼたちが来たばかりの頃を思い出した。リュールはそうでもなかったけど、ロゼは人間をバカにした発言が多かった。最近は少なくなったけれど。
「あなたもよく分かったでしょう、ロゼリア。人間がいかに愚かな存在か。人間を管理する者――力で絶対的に負けてしまう相手や、天敵がいないから、このザマになってしまう。人間を適切に管理し、決められた枠の外にはみ出た者を抹消する。可哀想な人間たちは、こうでもしないとまともに生きられないのよ」
「あんた……何言ってるか分かってんの」
ロゼにとって、そう返すのがやっとだったようだ。私も黙るしかない。話の規模が大きすぎて、理解が追いつかない。
「……分かっているか、って? そりゃもちろん。分かっていなければ、こんな話なんてしないでしょ? まあ、少しお話ししすぎた気もするけれど」
それだけ話を聞いても、まだ見えてこない。ピティエはじめ一部の”神”たち、いや天使の一部が、人間を下に見ているということは分かった。でも、リュールを連れ去った目的は?人間を管理するって、どうやって?
「……そこで、です。交渉をしましょう」
「交渉? ふざけ……」
「ロゼリア、あなたの力を貸してください。あなたの力があれば、人間を救う手はずは整います」
「力を貸す?」
「セリュールにはすでに協力を取りつけました。あとはロゼリア、あなただけです」
「……いい加減にしなさいよ」
ロゼが詠唱を飛ばしてつららを作り出し、まっすぐピティエに向けて放った。が、ピティエはほとんど動作らしい動作をすることもなく、攻撃をかわしてみせた。
「落ち着きなさい、ロゼリア。あなたが力を貸してくれさえすれば、セリュールの身柄は解放すると言っているんです。どう? 悪くない取引でしょ?」
「……リュールが無事だっていう保証は?」
「それは私の知ることじゃないわ。ただ、生きて返すことは約束する」
「それで交渉できるとでも? そんなのスタートラインにも立ってないわよ。交渉するからには、リュールを連れ去った当時と何も変わらないまま返してもらわないと」
「じゃ、決裂ですね」
あっさりとピティエは言った。今日のおかずは豚肉のしょうが焼きだよ。それくらい軽い調子だった。
「残念ながら、セリュールを完全な状態で返すのは不可能だから。そこは覚悟してもらえると思ってたんだけど」
「調子乗ってんじゃないわよ。……リュールに何をしたの」
「あらあら。別に傷をつけるつもりはないのよ。外から見た傷はね」
それはリュールの心に傷をつけるようなことはする、ということを意味している。そんなことをひょうひょうと言ってのけるピティエを目の前にして、私の中にふつふつと怒りが込み上げた。ロゼも全く同じらしかった。
「……そんなことさせない。リュールを守るのは、あたしの使命よ」
「ロゼリア、本気なの? それは私たちの序列を理解した上での発言かしら?」
わざとらしく両手を広げて首をかしげるピティエ。だが、ロゼは顔色一つ変えない。
「本気よ。序列なんて関係ない。能力で決まっただけの序列なんて、誰かを助ける時には意味ないのよ」
 




