desire 3
前書きって何を書くか悩みます。
物語は読んでもらいたいので、そこに触れたくはないのですが、変なポリシーが邪魔をしてきます…。
猛くんの過去が少しずつ見えてきます。
desire 3
プシューー。
バスのエアーが抜ける音でハッと猛は我にかえる。
猛「すみません!降ります!!」
先程の出来事が、あまりに奇妙で恐ろしくて、なのにどこか満たされていて、思考や五感の機能が一瞬だけ止まってしまっていた。
非日常的な事象が起きると人は本当に動けなくなるらしい。金縛りのように、起こっていることを認識出来ても脳から信号が体に届かず思考も行動も停止する。危うく乗り過ごす所だった。
猛「3度目。そう、3度目だよ。」
さっき彼女が囁いた言葉。
1年に1度だけ訪れる場所、喧騒慌ただしい街からかなり離れ、静寂で鳥の囀や風に靡く森林の木の音が寂しさを奏でる場所にある大きな霊園。割と大きい規模なので、陽が落ちかけてる時間帯でも多くの人が故人の面影に会いにやってきている。少し肌寒くなってきたが、心は何故か不思議な暖かさに守られているような気がしていた。
今年で3度目。猛の少ない人生の中で大切にしたいと初めて思った人とその母親はそこで永久の眠りについている。毎年の必ずこの日にと決めている。もう猛の心の中でなくなりかけてる愛を完全に忘れないように。受け止めなければいけない現実と頭のどこかで想い続けている彼女への気持ちを、猛がそうなる日まで心に刻む為に。
猛「お母さん。今年も来ました。俺が来てもなんの意味もないし、弔いにもならないんですけど、寄らないわけにもいかないので…仕事は相変わらずです。きっとお母さんなら、もっと色々やって、失敗して、いい大人になってね。なんて言うんでしょうね。」
とある人のお墓の前でそういうと、バス停から霊園の途中にある花屋で購入した花束を墓石にそっと置き、両手を合わせ冥福を祈る。猛の両親は猛が小さい時に交通事故で亡くなっている。猛のことを理解し、我が子のように接してくれた人への恩。感謝と祈りを毎年伝えている。
そして1番会いたかったのは、その隣で眠る人。
猛「美夜。久しぶり。今年もちゃんと来たよ…。」
新村美夜。猛の最愛の恋人であり、将来を誓い合うはずだった、運命の、というには青臭いが、運命の人。実は幼なじみだった2人。猛の家庭の事情により小学校に上がる前に猛が引っ越したので、関係はそこまで親しい中ではなかった。猛が高校2年の時、先輩の大学の文化祭に行った時に再開した。猛は一目見た瞬間に彼女だと分かり、彼女もまたすぐに猛だと知り、そこから連絡を取り合うようになり、時間があれば会ってなんてことない話をして笑いあっていた。
猛の2つ年上で物事を色々な角度から見ては猛とその感覚を共有していた。猛にとっては美夜が見ている幻想的な世の中を知りたくてたまらなかった。不思議な魅力を持つ女性で彼女のことを知れば、自分もこの世界のことが好きになれるかもしれない。
最初はそんな出来心みたいな気持ちだったが、次第に美夜の方から、2人でいる時間を大切にしたい。そうしたらきっと私は貴方を、貴方は私を大切に出来ると思わない?とずっと一緒にいたいこと告白された。
猛は高校卒業後に就職し、2人の未来の為に働いていた。美夜も学業に励み、お互いの未来を築こうと必死だった。だが、猛が20歳、美夜が22歳の年。美夜は自らその命を絶った。死因は大量出血による失血死。リストカット、それもカッターやハサミな幼稚なものではなく、包丁。確実に命を絶つ為に選んだ刃物。彼女は尊き命を自らの手で殺した。美夜の母親もその後、美夜の後を追うように病に倒れて亡くなった。
一度に大切な人を2人も無くした悲しみ、苦しみ、孤独感、喪失感は猛の人間性の根本を捻じ曲げてしまうほどの衝撃を猛に与えた。猛が虚無の中に生きる理由は2人の存在消滅が原因だった。それでも毎年、ここには必ず来る、2人の存在が無くなっても、2人と過した過去は無くならないからである。
猛「25歳だな。今年も同じプレゼントになるけど、たくさん。たくさん買ってきたよ。美夜の大好きな花束。なんの花が好きだったのか多すぎて覚えきれなかったんだけど、百合と薔薇。この2つは特別なんだよな。これだけは覚えてるんだ。」
しゃがんで彼女のお墓にたくさんの大きな花束を添そえ、目を閉じ、彼女のことを想いながら両手を静かに合わせる。音を立てずに、安らかに眠る人の幸せであろう時間を邪魔しないように。自分が愛した唯一の人。どうして俺は彼女を止められなかったんだ。後悔、悲哀、絶望、自責、苦悩、無限に溢れ出る負の感情をその両手から漏らさないように、必死に心の中にしまい込む。
???「やっぱり来たんだね。フフッ、綺麗な花束。百合と薔薇、無垢な花と愛の花。とてもロマンチック。私も好きなの。
...?、フフッ、君のその両手に隠してる心の中に何をしまい込んでいるの?後悔??そうよね…だって気づきかけていたんだものね。止められなかった。でも予兆はあった。そうでしょう?」
その女性は美夜と同じ声。容姿は違えど美夜と話している感覚。どこの誰かも分からない女が、何故最愛の人の声で、俺に向かって知ったような口を聞いてくるんだと。会ったこともなければ、この事知る人間はこの世にいないはずなのに、猛は苛立ち始めていた。
猛「なんで貴女は美夜と同じ声なんだ。というか貴女は何者なんだ。まるで俺のことを全て知っているような口ぶりだな?貴女に俺の何がわかるって言うんだ。それとさっきは奇妙な体験をありがとう。知らない女に抱き締められることに、初めて恐怖したよ。」
苛立ちを剥き出しにして、嫌味なように背中越しに怒り篭もった声で彼女に向かって話しかける。
すっと立ち上がり、後ろを振り返るとやはり、先程の女性が俺の背後に立っていた。猛は彼女をよく観察する。
赤みがかった黒目。底知れない不気味な視線を猛に真っ直ぐ向けている。黒い深緑の艶やかな髪の毛。雪のように白い肌。薄紅色の魅惑的な唇。少し大きめの紺色フレアワンピース越しでもわかる、華奢で魅力的なボディライン。
下心を言うなら、男なら絶対に食いつくような美貌。それでいて儚い可憐さもあり、全てがこの世の物とは思えない。何もかもが完成されている。猛はさっきのバスの中に、彼女が乗ってきた時の事を鮮明に思い出した。誰も気づかない。誰も振り返らない。見向きもしない。何故なんだ。と思うのと同時に、嫌な予感を感じていた。
猛「貴女は誰なんだ。なんで美夜の...俺の大切な人の声なんだ。俺のことをよく知ってますと言わんばかりにズケズケと話してきやがって。分かったようなことを言うんじゃねぇよ。俺は貴女を知らない。知らない人間にあれこれ言われて我慢出来るほど俺は気が長くない。誰なんだ、貴女は。」
???「乱暴な口調ね。この声は誰かに似ているの?あぁ、さっき口に出していたの聞こえたわ。美夜、ちゃんだったかしら?そう、私は美夜ちゃんっていう子と同じような声をしているのね。大切な人、なのね?」
猛「余計なおしゃべりはしたくない。貴女は何者だ。というか何故俺に付き纏うんだ。さっきのバスの中も明らかにおかしかった。誰も貴女を見向きも振り向きもしなかった。別に貴女のことなんてどうでもいいし、褒めるつもりじゃないがこんな綺麗な人が乗ってきたなら絶対に目移りするだろ。」
???「どうでもいいなんて酷いこと言うのね…...でも綺麗って言われるのは嬉しい。さぁ、何故かしらね。よく見てなかっただけなんじゃないかしら?私は別に誰の目に止まろうとそうじゃなかろうと、あまり気にしないもの。いつもそうだけど?」
猛「質問に答えるだけでいい。別に貴女のことを知りたくて聞いてるんじゃないんで、貴女は何者で、何故俺に付き纏うのか。普通なら誰しも思う。気味が悪い。不気味だと。自覚ないならないでいいが、こっちからしたら非常に迷惑なんだよ。」
???「相手のことを知ろうとしない人は嫌われるわよ。それに乱暴な口調はやめて...これでも一応女なの。気味が悪いなんて言われて傷つかない女性はいないわよ?
......まぁいいわ。私の事は好きに呼んで貰っていい。名前なんて固有名称、あってもなくても困らないわ。でもそれが無くて君が不安になるのなら好きに呼んで。」
猛「めんどくせぇ。自分の名前くらい自分で名乗ったらどうだ。俺が不安になるから?別に名前がないくらいで不安になんかならねぇよ。何故俺に付き纏う。もうそれだけ聞ければ十分だ。日も落ちたし帰りたい。」
???「そう......なんか悲しいような気がする......。付き纏ってるわけじゃないのよ。何故かしら?...ウフフ、じゃあ捻くれ者の君に私からも質問していい?
何故、君は私に気づけると思う?」
猛「何が聞きたい。まさか俺だけが貴女に気づいていると?俺だけが貴女の存在を認識していると??ハハハ!笑わせるなよ、そんなことあるわけっ!!」
最後まで言いかける前に、彼女が言葉を遮った。
???「嘘よ。」
猛「は?」
???「君は嘘をついている。目の前に得体のしれない存在がいて虚勢を張ってるだけ。本当はこわいんでしょう?どんなに乱暴な言葉で威嚇しても、私に他のことを話す余裕を与えないように高圧的に質問をして、攻撃的な自分を取り繕ってもダメ。私には分かっちゃうのよ。
ウフフ、おかしいわよねぇ?だって君だけ気づいて、他の人間は私を見向きもしない。奇妙。気味が悪い。名状し難い存在が目の前にいる一種の恐怖。何が言いたいか、捻くれ者の君なら分かるわよね?」
そう言うと彼女はクスクスと嘲笑う。
猛「まさか俺だけに見えている。そう言いたいのか?...バカにするのも大概にしろよ!!ふざけんな!!そんなことあるわけねぇだろ!!!」
???「クスクス、なら...周りをご覧なさい?」
彼女は両手を広げてそう言う。
猛「はぁ?何言って...」
猛は絶句した。陽は完全に落ちているが、ここは大きな霊園でこの時間でも来る人は来る。お墓参りに来ていた数人の目線は[猛]を見ていた。しかも普通の人を見る目じゃない。おかしな人を見る恐れるような目線。
あの人誰と話しているの?
いきなり叫ぶからびっくりしたわ…
ねぇ、ママ!あのお兄ちゃん1人で話してるよ!
こ、コラ!そんなこと言ったらダメでしょう。
その状況を猛は自分の目で、耳で確かめてしまった。本当は嫌な予感がしていた。認めたくなかった。可能性でしかない。現実でそんなことが起こり得るはずがない、だが確証に変わってしまった。
猛「本当...なのか...?」
???「えぇ、本当よ。私は君にしか見えてない。包み隠さず言うなら、私は君だけに見て欲しいの。私はそういう女なのよ。君が1番嫌悪感を抱く人種。フフッ、悪気はないのよ。本心なの。」
猛「嘘だ...騙されないぞ。手品か何かだろ...俺にしか見えない...?そんな子供騙しな嘘も大概にしろ。」
猛は自分の虚勢が剥がされていくのを感じる。
???「何処までも現実逃避。ねぇ、いつまでそんなことをしているの?もう...なら本当の確証にしてあげる。」
今日の夕方、倉庫で聞いた台詞。意図が分からない妙な言い回し。そして彼女は大きく息を吸い込んで、
???「キャーーーーーーー!!!!!!」
断末魔。確実にこの周囲の人間の耳に聴こえる音量。妙に冷静になりかけていた猛は彼女が何をしたかったのかすぐに察し辺りを見回す。
猛「誰も...気づいて、ない?...嘘だろ、なんなんだよ。貴女は何者なんだよ...」
???「だから言ったじゃない。私は君だけに見て欲しい欲深い女。ねぇ、いい加減認めなさいよ。」
そう言うと、彼女はその細い指を俺の頬に触れさせる。暖かくて冷たい。安心するのに震えてしまう。言葉にできない。
猛「...さ、触るな。」
???「私の手は暖かい?」
猛「触るな...そ、その手を離せ。」
???「君は冷たいわ。この冷たさはそうね、例えて言うなら、絶望。行き場を無くし、深くて寒い夜に閉じ込められて、凍えそうになってる仔犬。ウフフッ、滑稽ね。」
猛「離せっていってんだろぉ!!!?」
そう言って猛は彼女の手を払った。
猛にしか見えない。要は存在しないはずの存在の手を猛は払うことができた。しかも感触もあった。それがつまりどういうことを意味しているのか、恐怖に怯えていても、猛は意味不明な現実を更に確かなものにしてしまった。
???「痛いじゃない...」
猛「あ、貴女が手を退けないからだ。...!?」
猛は驚愕した。何故なら猛の手が当たった彼女の腕の部分から、おびただしい程の赤い液体が地面に流れていた。血。それも尋常ではない量の血。たかが手を払ったぐらいでの出血、ありえない。
普通じゃない。彼女の足元には目も当てられない程の赤い液溜まりが出来ていた。痛々しく出血部を手で抑えていたが、血は止まらない。
ピチャ、彼女は出血のせいかふらついてしまい、両膝を着いてしまう。
???「酷いこと...するの、ね。」
猛「あ、あぁっ、っ...」
???「ハァハァ...フフッ、ウフフッ、でも嫌いじゃないの。」
猛「な、何が、?は、はぁ?」
???「痛み。っ。嫌いじゃないのよ。ウフフッ、狂ってる?狂ってるわ。...ハァ、狂ってるのよ。ウフ、ウフフッ...」
猛「はぁ、う、ぁ...うぁぁぁぁあああああ!!!!」
猛は走った。底知れない恐怖。得体の知れない不気味さ。狂った感覚破綻者。人間としての耐えうる限界以上の恐怖に猛は叫んで走った。
???「痛い。痛いわ。ウフフッ、でもまた届かなかった。.........ねぇ、猛、いつまでそっちにいるの??」
彼女は血溜まりの中に両膝をついて虚空を見上げながらそう呟く。誰にも気づかれない真紅のカーペットの上で、誰にも聞こえない声で喜びと悲しみの想いを。