5話「人形--裁縫」
意識が戻ると、視界は暗闇で覆われていた。その中でジッパーの隙間から僅かに光が漏れている。
どうやら俺はキサラギが背負っていたナップザックの中に閉じ込められているようだ。子供一人すっぽり入るその袋は、俺を入れるためだけに持って来ていたのだろう。成る程、傍から見たら荷物を入れているようにしか見えない。
逆に言うと、母親まで連れ去る手段は持っていた様に見えなかった。なら、連れ去られているのは俺だけだろう。なら。母親は無事だろう。一先ず胸を撫で下ろす。焦っては駄目だ、慎重に行こう。
流石に無いとは思うが、もう二人の言うアジトに着いていたら俺がどんな能力を使えても手遅れだろう。俺の能力はまだよく知らないが、キサラギとブルームに勝っている気がしない。そもそも能力についてあまり理解していない。
キサラギが俺の足を動けなくしたとき振った杖から魔方陣が出ていたが、ブルームがラッパを吹く時は魔方陣は発生していなかったが、あれは能力以外考えられない。しかし、取り合えず言える事は「普通に痛みは感じ、怪我もする」と言うことだ。恐らく身体能力を向上させる能力も存在するのだろうが、二人が使っているかは分からない。
《なら、不意を突けば能力で二人を殺せるんじゃないか?》
「おいキサラギ、ここら辺は花多すぎねぇか? 足が痒くてしょうがねぇ」
「そんなこと僕に言われましても……えと、これはクレスコの花ですね。繁殖力の高さと粘り気が強い葉が特徴で、接着剤にも使われるんですよ。冬は地中で根を張って、丁度この時期に一斉に花を咲かせるらしいです。確かに葉が足にべたべたと当たるかもしれませんが、花はとても綺麗ですよ。ほら、こんなにいい景色じゃありませんか」
「そんな事聞いてねぇよ。お前の能力ならこのべた付く感触を消せるんじゃないのか? って聞いてんだよ」
クレスコの花が咲き乱れていると言うことは、屋敷地近くの野原だろう。どうやらそこまで時間は経っていないようだ。
屋敷の庭の外に広がり桃色のフレスコの花が咲き乱れるこの野原は、様々な動植物の憩いの場となっている。フレスコの葉はブルームが言っている通りネバネバしているが、人形作りには欠かせない物だった。--てかキサラギは妙に詳しいな。いかん、こいつらは極悪非道の人攫いだと言うのに親近感が沸いてしまった。
「しかし、こんな餓鬼一人で本当に革命のチャンスになるのかねぇ?」
「さあ、リーダーの考えはリーダーにしか分かりませんから。でもリーダーに従っていれば僕達の理想は叶うでしょう」
--リーダー? もしかしてこいつらただの人攫いじゃないのか? よく考えれば能力を使ったり、カナンのいない隙を狙ったり、やけに手が込んでいる。
このまま話しを聞いているのもいいと思ったが、俺が起きているのがばれたら面倒だ。場所も良いしここで能力を使おう。
[何者か]は能力を発動させれば補助すると言った。ともかく、能力を発動させないことには始まらない。
[何者か]は俺が裁縫道具を練成したと言っていた。つまり、俺の能力は「物体練成」なのか。
--いや、違う気がする。練成自体が能力ではなく、固有の能力のオプションで物体練成をするのだろう。[何者か]め、能力の情報が少なすぎる。
とは言え泣き言言っても始まらない。あの時と同じように、欲しい物を望めば出てくれるはずだ。この場合なんだ? 真っ先に思い浮かんだのは剣だが、俺が剣を使っても鞘を抜けるかどうかすら怪しい。却下。
なら銃だ。うん、銃ならナップザック越しにキサラギを殺し、ブルームがラッパを構える前に殺せる。
「銃よ、出ろ!」心の中で叫ぶ。練成の方法は分からないが過去に成功した限りこれでいい筈だ。
--何もでない。
何でだよ! 裁縫道具の時はそれで良かったじゃないか。何が違うんだ……。
「そういえばブルーム、この前受けた音楽隊のオーディションの結果はどうだったんですか?」
「お、お前、なんでそのこと知ってんだよ!?」
「作戦前だって言うのにあれだけそわそわしていたんで、ちょっと探ったら分かっちゃいました。まあ、それから数日後、急に上機嫌になってたので結果は言わなくても分かりますが」
「じゃあ何で聞いたんだよ! 絶対他の奴らには言うなよ! 言ったら殺す!」
「はは、勿論ですよ」
そう言えばブルームの能力はラッパを吹くだけなのか? 勿論それ自体で脅威だけど、何故ラッパを使う? もし音を響かせる的な能力なら、メガホンみたいな奴の方が良いに決まっている。
--そうか、絵本の勇者と同じか。能力は道具から派生するんだ。俺は練成の能力で裁縫道具を練成したんじゃなくて、裁縫道具の能力で練成を起こしたんだ。
でも、俺の能力は裁縫だけじゃない。裁縫は手段だ。手段として裁縫道具を練成した。
よし、出来る。俺、ユル・メディアは今日が能力者としての始まりの日だ。
「でも、良かったんですか? 今回みたいに遠くの地の行動になったら音楽隊の活動できないじゃないですか」
ナップザックの外から声が聞こえる。中性的で透き通った声の、キサラギ。
「実は、リーダーにはオーディションを受ける前から話しを通してあるんだ。反対されると思ったら、むしろ受かれって言われたよ。何でもこれからの作戦で公衆に顔が広い人物がいればやりやすくなるってさ」
言い方まで棘がある、ブルーム。今はやけに優しいな。
「へえ、それは大役ですね。でもそれじゃあいずれ皆にばれるんじゃないですか?」
「一応音楽隊に入ったって事は隠してくれるらしいから、そこは何とかなると思う。全く、リーダーの温情には感謝してもし切れないぜ」
お前らは、許さない。
「そうですね、本当にリーダーは僕達の救いの存在です。僕だって何度リーダーに助けられたことか……」
「そうだな。--キサラギ、そろそろ野原を出るぞ。ちっ、二度とこんな気色悪い道踏みたくないぜなぁキサラギ。
やってみれば後は一瞬だった。
「--キサラギ?」
ブルームはキサラギに応答を求めるも、返事は返ってこない。
「もう手遅れだよ、ブルームさん」
「なっ……!?」
恐らくブルームは驚愕しただろう。なんせついさっきまで談話していたパートナーが串刺しになってるんだからな。
「そして次は、お前の番だ」
俺は30センチあるリッパーを突きつけて、そう言った。返り血に染まって、噎せ返る様なひどい匂いも、赤黒い鮮血も気にならない。
全ては屋敷を、家族を守るため。
裁縫道具は手段、目的は人形作り。
俺の能力は「人形師」、そう確信があった。
掌で人形を縫うための「針」をイメージした。出来る限り強く、鮮明に。
そしたら、魔方陣が現れた。文字通り掌サイズの、小さな円。しかし、これほど無い快感に似た達成感に包まれた。これで、やれると思った。縫い針が魔方陣から出てきたのだから。
しかし針は従来の大き通り、これでは首筋をさせたとしても一撃では殺せない。ここで[何者か]の言葉を思い出す。
能力を発動すれば補助すると。俺はそれを信じた。
そこから先は単純だ。計画通りナップザックの裏からキサラギを縫い針で刺した。
[何者か]の補助の効果は絶大だった。しきり針は巨大化し、キサラギに刺さる直前には、針の先端と反対側からナップザックを突き破る大きさとなっていた。要は俺より大きい。
キサラギは背面から心臓を突かれ、一瞬で動かなくなった。それを確認してリッパーを練成した。裁縫道具で最も人を傷つけるのに適した形状をしている物、それはリッパー。太さは変わらないが、極端に長い。俺の半身ほどあるリッパーを右手に持っても自然と重さは感じなかった。
そしてナップザックから飛び出し、今に至る。
「お前、楽に死ねると思うなよ」
流石に慌てふためいて何もしないとは思っていなかったが、ブルームは異常なほど早く落ち着きを取り戻した。
胸元に両手をあてがい、上に向ける。すると両手の上に魔方陣が現れ、魔方陣からラッパが現れる。
「死ねっ!」
「ちっ!」
勿論その隙を見逃すわけが無い。即座にブルームに詰め寄り、リッパーを心臓目掛けて振るう。ブルームは大きく仰け反ってリッパーを回避し、後退する。惜しい。
ラッパは練成されてしまったわけだが、この至近距離なら暢気に吹いている間にリッパーが届く。俺の勝利だ。直線を描いてブルームの懐に入る。
「馬鹿が、ラッパは吹くだけの道具だと思ってんのか?」
「何?」
ブルームは慌てるまでも無く俺を俯瞰していた。懐に入ったのは早計だったか? 考えるより先にリッパーをブルームの胸元に進める。
ガキン! と鈍い金属音が響き渡った。リッパーとラッパがぶつかった音だ。俺は突き出しの衝撃で前によろける。流石に体格差は埋めようが無い。
重心を崩した俺とブルームが交差する。ブルームは俺を見下す冷酷な瞳で、既にラッパを構えている。ブルームの動きを止められる道具……。
「縫い糸!」
右手を力の限り後ろに伸ばし、うねりを付けて前に突き出す。右手に発生させた魔方陣から糸が勢いよく発射され、ブルームのラッパに絡みつき、ブルームとラッパを引き剥がす。
ヴァアアアアアアアアアアアアアア!
しかし、引き剥がす寸前で間に合わず爆音が野原に轟く。
「うあああああああああっ!」
俺は衝撃波に弾き飛ばされた。もう失う鼓膜は無いが、高いところから落ちて腹を打ち付けたような痛みが俺を襲う。堪らず地面をのた打ち回り、咆哮に近い叫び声を上げる。そうしなければ痛みで頭が飛んでしまいそうだ。
揺らぐ視界で地面を見ると、周りのクレスコの花はブルームを中心に円状に散っていた。クレスコの花を根元から飛ばす程の衝撃波、強すぎる。
不思議にも痛みは直ぐに収まった。[何者か]が何かしているのだろう。恐らく痛みだけ感じなくなっているのだろう。しかし、あれを何度も受けていては痛みを感じずとも俺の体が壊されてしまう。恐らく、後一回だけでアウトだ。
耳に手を当てると、生暖かい液体が流れるのを感じた。そして耳に当てた掌を見ると、べっとりと血が付いていた。確かに痛みは感じていない。しかし、傷は負わないわけではない。
ブルームとラッパは引き剥がされ、トリガー部分を破壊して野原に捨て落ちた。
「ったく餓鬼が、やっぱり能力者だったのかよ。まあそんなもん今更どうでもいい。俺達は、特にキサラギはお前を殺すつもりはこれっぽっちも無かったのによ、お前はキサラギを殺してしまった訳だ。リーダーには殺すなって命令されてるわけだが、それじゃあ俺の気が収まらねぇ」
ブルームはラッパを新たに練成し、地面に仰向けになる俺にゆっくりと近づいてくる。
「死ねぇぇぇぇ!」
ラッパを振り上げ、俺の顔面目掛け振り下ろしてくる。俺は紙一重で顔をずらし回避に成功する。今ので俺の体が動くことがばれたが、大した問題じゃない。問題はどうやってあのラッパを吹かせないようにするかだ。さっきみたいに糸で引き上げてもまた練成されるため、根本的解決にならない。
「ちっ、かわされたか。お前の能力は針やら糸やら……裁縫師って言ったところか。歳の割には随分な威力だが、俺には敵わないな。キサラギの敵、取らせて貰うぜ」
話が違うぞ[何者か]、俺達の敵じゃないんじゃなかったのか。
ブルームは再度ラッパを振り上げる。能力を使わないでラッパを鈍器のように扱うのは、俺がキサラギにやったように物理的に殺すためかもしれない。
しかし、今はそんな事どうでもいい。ブルームは愚かにも態々俺に近づいてくれた。距離が近いなら、俺の方が有利だ。
「縫い糸!」
糸を二本練成し、一本はブルームの腕に絡み付く。吹く動作には対応できなかったが、叩く動作には対応できる。糸はブルームの前腕にめり込んで糸鋸のように肉に喰らい付く。もう一本はブルームの足元に絡みつき、動きを封じる。
「餓鬼ぃ! まだ抵抗するか!」
「黙れ、縫い針!」
糸がブルームの足に絡まっているのを確認したら、縫い針を3本練成し、ブルームの顔目掛け力の限り投げる。縫い針は足元に一本、両脇にそれぞれ一本飛んで行った。
さらにリッパーを練成する。これは先の二つより若干練成に時間が掛かる事を、キサラギのリュックサックの中にいたときに知っている。
「どうだ!?」
「はっ、それしかできねぇのか?」
「何?」
ブルームは手の動きを抑制されながらも、ラッパのトリガーに手を掛ける。しかし糸は[何者か]によって強化され、相当な強度を持つ。口元までラッパを動かす事は出来ないだろう。
「詰めが甘いぜ餓鬼ぃ!」
「ほざけ!」
リッパーの練成が終わったので、ブルームを刺すため駆け出す。これで終わりだ。
「突き刺す音(ツー・ショトーセン=ムズィーク)!」
ギィィィィィィィィィン!
「うわぁぁぁっ!!」
ブルーはラッパのトリガーを引くと、ラッパから斬撃のような鋭い音が発生した。
すぐさま後退し、何とか衝撃波から逃れる事が出来た。音の種類が違うからか、体を打ち付けるような痛みを発生させるほどの衝撃を持つ音の範囲は少ないようだ。
先程受けた爆音を面の攻撃とするなら、これは点の攻撃だろう。ブルームを見ると、ラッパの口から目に見える程圧縮された衝撃波が斬撃となって、自身の腕と足にめり込んだ糸を正確に千切った。ブルームの腕は縫い糸により腕と足に肉が見える程の切り傷が出来たものの、動かす分には全く問題ないだろう。
「ちっ、勘の良い餓鬼め、次は確実に仕留める」
しかし、ラッパのトリガーを弾くだけでも音を出せるのか。体勢を整えられてしまった今、もう迂闊に近づく事は出来ない。
「縫い針!」
急いで縫い針を一本練成し、牽制としてブルームの顔に投げる。[何者か]の強化が間に合わず小さいままだ。ブルームは首を傾けてひらりと避けるが、その隙に距離を取ることが出来た。
互いの距離は4メートル、俺はこの距離では糸以外の能力は届かない。一方ブルームは広範囲に響くラッパを持っている。痛みは直ぐに収まるが、受けた傷は治らない。これ以上爆音を受けるのは危険だ。あの斬撃はブルームの腕と足に食い込んで肉を露出させる程硬い縫い糸が簡単に切られた所を見ると、俺の体を引き裂く程度の威力は持っているかもしれない。
「餓鬼、お前の攻撃はそれで終わりか? まったく、こんな等級が2級あるかないかの餓鬼にキサラギが、なぁ……」
ブルームはラッパの口を下に向ける。その様子を訝しがる間もなく、ブルームがやろうとしていることに気が付いた。
--斬撃だ!
「突き刺す音(ツー・ショトーセン=ムズィーク)!」
ギィィィィィィィィィン!
ブルームはラッパのトリガーを引き、先程の斬撃を俺目掛け放つ。
地面に転がってその斬撃を避けると、一瞬で俺が立っていた地面が掘削され、クレスコの花が根こそぎ抜けた。ラッパから俺のいた位置に一本の線が地面に出来ていた。それは巨大なナイフで地面に切れ込みを入れたようだった。
「終わりだ」
その間にブルームは俺との距離を詰めていた。既にラッパを口元に当てているブルームは、さながら黙示録のラッパ吹きである。
縫い糸を出そうにも、ラッパを吹く動作は止めれない。リッパーは練成までタイムラグが他の道具より大きく、間に合わない。かといって縫い針では、覚悟極まったブルームが仰け反る気がしない。
万事休すか……あの爆音をもう一度俺の体はもう限界が来るだろうと、息切れ一つしないながらも感覚で分かる。
[何者か]め、俺が生きていたら必ず問い詰めてやる。
「おいアンタ、アタシの大事な親友の息子に何してんだ?」
野原の向こう、薄暗い林の中から聞こえた、ラッパとそう変わらないくらい大きな声。ブルームはほんの一瞬だけ声の発生源の方向に目を移した。そして目を見開いた。
放任主義のサラと違っていつも口うるさくあれこれ言ってくる、うっとおしい人物。
俺の本性にいち早く感づいた、鋭い目を持ち知識豊かな人物。
一般人とは一線を画す能力者、ブルームとキサラギが恐れた人物。
「カナン……」
「来やがったか、カナン・スウィフト!」
ブルームはラッパを口から離し、野原と林の境界線で仁王立ちするカナンに高らかに叫んだ。
「おい、これ以上近づくか、能力を使うそぶりを見せたらこの餓鬼を殺すぞ!」
いつのまにかラッパの口を下に向けている。原理は分からないがその向きだと正面に斬撃が飛ぶようだ。
人質に取られてしまった。しかし、ブルームは明らかに冷静さを欠いている。今なら不意打ちを仕掛けられ--
突如俺の右肩、ブルームがいた方向を突風が過ぎた。
遅れて右を見ると、視界を埋め尽くす巨大な「船」が飛んでいた。鋼鉄を身に纏い、砲台を取り付けてある、砂漠の一枚岩のような船がブルームを引き飛ばした。ブルームは血を吐きながら俺の視界に入りきらない程の距離まで野原を転がり続けた。
「黙りな! 家族を傷つけようって奴はこのアタシが許さないよ!」
カナンは今まで感じたことの無い殺気を纏ってそう宣言した。不用意に近づいたものは蟻ですら弾け飛びそうだ。
たぶん遠すぎてブルームには聞こえてないだろう。もしくは意識を失っているに違いない。
脅威は過ぎた。救世主が恐怖の世界に終わりを告げた。