3話「明かされる真実」
暫くセフィアと遊んでいたら、母親とカナンが屋敷の奥から出てきた。何を話していたか聞くべきではないだろう、黙って二人が近づいてくるのを待つ。心なしか心臓が脈立っている。
「セフィア、ちょっとお買い物に行かないかい?」
カナンがセフィアに優しく呼びかける。その笑顔に裏打ちされた意図が俺の鼓動を早める。
「ほんとー!? じゃあ、あれ買って! あの、丸くておっきくて甘いの!」
「りんごね。いいわよ」
「わーい! ママ、早くいこ!」
セフィアは買い物と言う単語に胸を躍らせて無邪気にはしゃぐ。その姿が本来あるべき5歳児の姿だと頭では分かっているが、どうも抵抗がある。
カナンはセフィアを引きつれ、せっせと外出の身支度をする。セフィアを外へ出すための口実であることは、カナンが元から何の準備をしていなかったことから明白だ。
「それじゃあ、言ってくるわ。ユルのことは任せたわよ、サラ」
「いってくるー!」
数分後、カナンはセフィアの手を握ってドアの前で小さく手を振る。セフィアも元気よく手を振る。
カナンの任せた、という言葉は「俺の身に起きている現象の説明を任せた」ということだろう。サラは笑顔で「わかってる」と答える。
そのやりとりの奥に、言い様の無い不穏な物があったが、上手く言葉にすることが出来ない。それでも今から重大な宣告を受けることは理解している。
--俺の中の[何者か]は、今にも俺に語りかけてきそうだ。俺の事をばらすな、黙っていろ、と言っている気がする。
しかし、あくまで気は気でしかない。水槽で飼われる魚のように、[何者か]は悠々自適に俺の中を泳いでいて、たまに餌をねだってくる。そんな感覚だ。尤も、飼われているのは俺の方かもしれないが。
「じゃあ、ユル。ちょっといい?」
母親の仏のような柔らかい表情には、どこか物哀しげな雰囲気があった。
俺は「うん」とあどけなく答え、母親に近づく。
「ユル、生まれたときのことは覚えてる?」
母親は屈んで目線を俺と揃える。
「覚えてない」
あたりまえだ。どんなに記憶力がいい人でも生まれたときなんか覚えているはずが無い。いや、俺ならありえると思われてるのか。
母親は安堵したのか、ほっと息を吐く。
「それもそうよね。私ったら子供に何てこと聞いてるのかしら。今のは忘れてね」
「うん」
「じゃあ、生まれたときの話をするわ。少しつらい話になるけど、ユルなら受け止められると思うから、聞いて」
母親の目つきが少し変わる。大事な話をしたいという意志が伝わってくる。
「ローゲブングル暦1500年、今から5年と少し前。私は天からユルを授かったわ。それを聞いてユルのパパ、私の旦那のガロも王都から飛んで帰ってきて、今まで見たことが無いような顔で喜んでくれたわ。あの人ったら、まだ生まれて無いのに俺とお前の子はどこだーっ、て騒いでたわ。」
母親は自嘲気味に笑う。父親の話をする時、母親は良く笑う。
--父親。たびたび母親の話に出てくるが、俺は話したことも会ったことも無い。いや、少なくとも俺が幼児の頃は屋敷にいたのだろうが、まったく覚えていない。気が付いたらカナンがいて、セフィアがいて、母親がいた。俺からしたら、父親などこの町で暮らしている赤の他人以下だ。
名前はガロと言うらしい。ガロ・メディア。この俺、ユル・メディアの父親だ。母親もメディアの姓を受け継いでサラ・メディアとなっている。
セフィアの父親も姿を見たことが無いが、俺の父親以上に話に出てこない。憶測に過ぎないが、恐らくもう死んでいるのだろう。母親がガロの話しをするたびにカナンはどこか物哀しげな表情になり、母親はそれを察してガロの話題を控えるようになっていった。
以前盗み聞いた母親の話によると父親はローゲブングル王国の騎士団に仕えていて、それなりに上の立場らしい。こんな大きな屋敷を持てるくらいだから、納得はいく。しかし、だからと言って帰って来ない理由にはならないのでは? と思うが、これも理由があることは知っている。
「でも、幸せは長く続かなかった。一緒に付いていたお医者さんが言ったの。もうお腹の子は死んでいるって」
「どういうこと? --むぐ」
堪らず聞き返す。過去を思い出したのか、母親は俺を抱きしめる。
「あの人も一生懸命ユルを救う方法を探したけど、結局ユルを助ける方法は見つからなかった」
「お母さん……? 僕は、どうなったの?」
「ユル、あなたは生まれたとき、既に死んでいたの」
「え?」
--ええと、つまり、俺は死んでいて、今の俺は……
--え? 理解が追いつかない。俺は死んでいた? じゃあ今いる俺はなんなんだ? これも[何者か]が関係しているのか?
「落ち着いてユル。ユルは紛れもなくユルよ。それだけは信じて」
あまりの事実に卒倒しそうになっていた俺を、母親が腕の中で抑える。心を落ち着かせる母の匂いと、物理的ではない、心を暖める温もりを感じた。
「そう、ユルは死んでいた。けど、生き返ったの」
驚きすぎて言葉が出ない。いや、そうでなければ今俺が生きている事実が成り立たないから、そうでなければ困るのだけど。
「僕が、生き返った?」
「そう、その光景には恐怖もあったけど、それ以上に嬉しかった。神様、ユルを生き返らせてくれてありがとうって、心の底から思ったわ。でも、神様は良くも悪くも平等で、ユルを生き返らせた代償を与えたの」
代償。
もう、想像は出来る。
「ユルは他の子と同じようにすくすくと育って、3歳になる頃には普通の子以上に発達していたわ。--そう、ユルも分かっていると思うけど、体じゃなくて、心が」
心臓を銛で突かれた気分だ。思えば数学の本とか読んでたし、見抜かれているのも当然か。セフィアに接する態度からも薄々大人びた雰囲気と言うか、知性の違いが漏れていたのだろう。
何だか自分の事を大分高く見積もってしまっている気がするが、それはもう元からそういう性格なのだろう。あるいは[何者か]の仕業かもしれない。いやそうに違いない(反語)。
「そのことをあの人--パパは調べて、あることが分かったの。ユルの中には大量殺人事件を起こしたアドバルド国の能力者の魂が入っていることが分かったの」
「殺--人!?」
取り乱す俺を母親は抱きしめ、何度も「大丈夫」と声を掛ける。
「ユル、大丈夫。あなたの中にそんな化け物がいたとしても、ユルが何かをしたわけじゃないから。誰がなんて言ってもユルはママとパパの子だから、安心して」
「う、うん。わかった」
大丈夫という言葉の重さをなんとなく噛み締めて、頷く。その仕草を見て母親は話を続ける。
俺は、母親の口から語られる真実をしっかりと受け止めた。
「それじゃあユル、もう聞きたいことは無い?」
「うん……」
俺は元気なく答える。気もそぞろと言った方が正しいか。
「そう、じゃあママは家事があるから、ユルは自由にしててね」
俺に告げるべきことを告げて気が落ち着いたのか、母親はいつもの家事に取り掛かった。
だだっ広い屋敷に雑巾を掛け、家族の衣服を庭に吊るす。その動作は大分手馴れていて、無駄が無い。春の穏やかで乾燥した気候は洗濯物を早く乾かしてくれるだろう。
俺は自室に戻り、ベッドに転がった。乾いていない自作の人形を尻目に、母親から言われたことを一つ一つ反芻する。
アドバルド国とは三大大陸の一つで、熱帯で乾燥している地域が多いのが特徴だと地理の本で見たことある。
ちなみに俺が今住んでいる場所は三大大陸の一つ、ルピタニア大陸と言う大陸で、ローゲブングル王が統治するローゲブングル王国を中心としている。俺達が住む屋敷はローゲブングルのおよそ200キロ東、シザス町にある。俺はシザス町から離れたことは無いが、母親とカナンの会話などからこの町がそこまで裕福でないことはなんとなく理解している。
不思議なことにアドバルド大陸の覇権国家はアドバルド国なのに、ルピタニア大陸の覇権国家はルピタニア国ではなく、ローゲブングル王国なのだ。ルピタニア国と言う国は存在しないらしい。そのことについてカナンに尋ねたことはあるが、「そんなの知らないし、知ってもどうでもいいわ」と軽く流された。実際俺もどうでも良いが、子供の疑問になんでも答えてやるのが大人ってモンじゃないのか。
--俺は元々死んで生まれるはずだった。それを、何らかの要因で母親の胎内にいた俺に[何者か]が取り憑いて、俺を生き返らせたと言うのが父親の見解だと母親は言った。どうやって[何者か]の正体を探ったかを尋ねたら、「パパの知り合いにアドバルドに詳しい人がいる」と言っていた。流石は王国の上流と言ったところか。
父親が屋敷に帰って来ない理由は、知っている。カナンはそのことに触れないようにしているが、母親がたまにうっかり口を滑らす。
今、ルピタニア大陸とアドバルド大陸、正確にはローゲブングル王国とアドバルド国は戦争中らしい。父親もその戦争に参加し、アドバルド大陸にいるらしい。
その事を聞いたとき[何者か]との関連性を疑ったが、よくよく聞くと戦争が始まったのは俺が2歳くらいの時らしい。その頃から父親が出兵していたのなら、俺が父親を覚えていないのも当然である。
[何者か]の正体を知ったところで俺自身が何か変わるわけではない。母親はこう言った。
「だから、もう皆の求めるユルを演じなくていいよ。ママは本当のユルと話がしたいな」
本当の俺、か。
その言葉で5年間築き上げてきた俺と言う人物が否定されたような気がした。しかし、ずっと抱えていた胸に渦巻く黒い塊が晴れるような気もした。返答に困り、「うん……」と曖昧な声を出したら、母親は哀しみのこもった薄い笑顔を浮かべていた。
あえて尋ねなかったが、カナンはどうしてこの屋敷にいるのだろうか。もしかしたら[何者か]が関係しているかもしれない。むしろその可能性のほうが高いか。しかし、一度部屋に戻ってしまった手前もう一度聞きに行くのはなんだか恥ずかしい。カナンが戻ってきたら直接本人に聞いてしまおう。元から俺の事を子供と思っていないからか、カナンと接するときの俺の方が自然体でいられる。(なお、ここで言う子供は家族の親--子供の関係ではなく、大人--子供の関係である。カナンは俺の事を実の息子のように扱っていることは明白である)
それでも未だに俺の本当の感情を見せたことは無い。歳不相応の何処か冷めている俺の本性を知られると、俺と言う存在が消えて[何者か]が俺と成り代わってしまう気がしてならない。
だから俺は必死に取り繕った。装った。俺が俺であるために、[俺]を演じた。本当の俺が[何者か]に作られた物であることを認めたくなかった。
母親は本当の俺と話がしたいと言った。だが、本当の俺がそれを拒んでいる。言ってしまえば、怖い。本当の俺が拒否されてしまうことが、[何者か]に作られた俺が認められることが。
--駄目だ、よく無い方向に考えてしまう。一端この問題はおいて置こう。
そうだ、また人形を作ろう。何か物を作っている間は気分を紛らわせられる。
そう思ってベッドから立ち上がると、作業スペースに首を刺されている人形が目に入った。しまった、これでは人形作りの準備も出来ない。
溜息をついて人形を見る。セフィアが「ユンナ」と名前を付けたこの人形は、セフィアにプレゼントされる。セフィアの喜ぶ顔が容易く目に浮かぶ。
上質な金の絹の髪に、荒くも柔らかい布の肌、ボタン状のばってん印の目、均等の取れていない手足のバランス。よく出来た物とは言い辛いが、ずっと眺めていられた。
ああ、急に手放すのが惜しくなってきた。俺の処女作「ユンナ」はセフィアの手に渡ってしまうのか……。
なんて冗談を思いながら人形を固定したバランスが崩れない程度に持ち上げ、一端釘から抜いた。次はどんな人形を作ろうか、次は趣向を変えて人形以外もありか? なんて考えるためだ。
丁度その時、下の階から物音が聞こえた。ガラスではない何かが割れるような、ゴムが膨張して破裂するときに出す、精神を驚かす音に近かった。音源は遠いらしく、破裂音が響いたと言う感想ぐらいしか浮かばない。
「あれ? もしかしてもう帰って来た? 何かあったのかしら」
母親の独り言が聞こえた。恐らく買い物に出かけたカナンとセフィアが帰ってきたのだろう。
確かに早いな。この屋敷は商店街とは結構離れた場所にあるから往復だけで40分は掛かるはずなのに、30分位しか経っていない。
「おかえりなさい、どうしたの?」
母親がドアを開けたようだ。
「ちょっと、あなた達誰!? もしかして……きゃああぁぁぁぁぁっ!!」
直後、母親の悲鳴が聞こえた。同時に、バオォォンと鼓膜が破れそうな程の轟音が屋敷に響いた。反射的に手で耳を塞ぐが、濁流で河川敷が決壊するように、轟音はミリに満たない指の隙間から鼓膜に攻め入る。
只なら事態事が起きている。それは分かっている。しかし、恐怖で体が動かない。
俺はここで隠れているのが正解だろうか、それとも母親を助けに言った方が良いか、わからない。いや、助けに行っても五歳の俺に何が出来る。かといってこのまま何もしないで母親に何かあったらどうする? こうしている今も母親は危ないのではないか?
やばい、何かしなければ。しかし、どうすれば……
『早……助……行け……い……』
呆然と立ち尽くす俺にどこからか声が聞こえた。はっきりとしておらず、ノイズだらけだった。
しかし、俺はその言葉に付き従うように部屋を飛び出して、轟音の発生源へ向おうと思った。
今にして思えば、それは[何者か]の声だ。
このとき俺は、あまりに焦っていたから手に人形ユンナを持っていることに気づかなかった。
その無意識な行動は、既に[何者か]の影響にあったのだろう。
ノミのように部屋を飛び出し、隼のように階段を駆け下りた。一刻も早く、母親を助けるために。