2話「過去とは」
4歳→5歳に微修正
セフィアは俺が二人の母親に事実を打ち明けている間、何の話をしているか分からなそうでできょとんとしていた。俺の母親が泣いたところでセフィアは「ユルママ、何で泣いてるの? と不思議そうに顔を眺めてたくらいだ。
--それが普通だ。4、5歳の思考能力なんか無いに等しい。ようやく自立性を持ち始め、自分から散歩したいと言ったり、物の片付けを始める時期だ。
俺は自分が同年代と比べて発達が早いことを理解している。しかし、世紀に数人は俺みたいな奴が生まれることも文献を読み通して知っている。世の中の偉人は幼い頃から業績を立てているものも多い。俺も偉人になれる才能を持って生まれたもんだと思っている。
家では数学の書を読み、解した。母親には「そんなの見てもつまらないでしょ?」と単純な絵本を薦められるが、それは今の俺には幼稚すぎて、説話染みた絵本の内容より本の材質に目が言っていた。なんとなくだが、物の分析のようなことが好きだ。
本の内容は、なんとなく覚えている。
この世界には「能力者」と言う人がいて、昔々悪い王様の政治に苦しんでいた民衆を救うため、「能力者」数十人が立ち上がった。「能力者」は苦節の果て王様を討ち取り、今後悪さをする者が表れても対処できるよう「能力者」が政治を担い、民衆は幸せになった。そんな単純なストーリー。
言ってしまえば、穴だらけだ。その正義の「能力者」が収めている内はいいが、後に悪い「能力者」が国を治めてしまったらそれはもう誰も逆らえないのではないか?
しかし、この世界に「能力者」がいるのは事実のようだ。現にこの町にいた。その事を知ったのは5歳前半の時、つい3ヶ月前。
母親の買い物の付き添いで町に出かけていた時、丁度公園の前を通りかかった。なんとなく公園で遊んでいる子供を眺めていたら、母親に「ユルも遊んでくる?」と聞かれた。俺は拒否したが遊んでいた女の子がこっちにやって来て「遊ぼ!」と無邪気に声を掛けられたもので、引くに引けず了承した。その後母親は「ちょっとお買い物してくる」と言って俺の元から離れた。
男3、女2の男女混合パーティ、歳は全員俺と同じくらいか高いくらいで、一番高くて6歳だった。最初は一番体格の良い(太っているとも言う)男がリーダーかと思ったが、リーダーは6歳の細身の奴だった。その時は年功序列って奴かと思ったが、そうではなかった。
暫くはセフィアと過ごす日々で培った子供なりの動きで気を消費しながら、鬼ごっこなどをして遊んだ。俺は運動は全く出来ないので、最年少の女の子に捕まる始末だ。断言する、手は抜いていない。
すると女の子の一人が段差に躓いて、膝から血を流した。リーダー以外はおろおろとしていただけだったが、リーダーはその女の子に「大丈夫?」と優しく声を掛け、出血部に手を当てた。その行動は大した物だとは思ったが、それじゃあ絶対に痛いだろと眺めていたら、リーダーの手から複雑な線が幾つも絡み合っている、不思議な円が空中に出現した。所謂魔方陣という奴だった。手のひらサイズの小さな円だったので近くにいた俺達以外には見えていなかったと思う。
俺は仰天して腰を抜かしたが、周りは既に経験があるのかリーダーの方に近寄り、安堵していた。リーダーがぶつぶつと何か呟いたと思ったら、女の子の傷はみるみると治っていった。
口を開けていた俺にリーダーは「驚いたかな? でもこのことは大人には言わないで欲しいな」と言った。俺は無言で頷いたが、俺ぐらいの歳ならついつい言ってしまいそうなものだが、その辺他の子供は守れているのだろうか。なんて思っていたら母親が帰ってきて俺を引き戻した。
母親は「楽しかった?」と聞いてきたので、俺は「うん」と答えた。正確には、面白いものが見れて楽しかったと言おうか、鬼ごっこは苦痛だった。
そういえばそいつの名前を聞くのを忘れてた。まあこの町にいる限りいつかは会える。
そもそも外で遊ぶのはあまり好きじゃない。庭でセフィアに追い掛け回された日には、自分の体力のなさを恨む。でも庭の花を眺めるのは好きで、それを感づいた母親にスコップとチューリップの球根を渡され、一緒に埋めた。母親はカナンとは違った変なところで鋭い。
俺は極力それを悟られないよう道化のように無知を気取っていたが、カナンは俺が数学を理解していることに気づいているようで、俺の部屋に中等部の数学書が置いてあった。俺はカナンに数学じゃなくて物理が良いと言うと、呆れながらも買ってきてくれた。カナンは俺から見ても知識人というか、一般人とは違う雰囲気を漂わせる。俺の正体に気づいたのも優れた知識と判断力によるものだろう。
もしかしたらこんな異質な俺の監視役なのでは? とすら思ったが、俺を本当の息子のように育てる態度を見る限りその線は薄い。
しかし、薄々この発達した知能は[何者か]に与えられた物だと自覚している。[何者か]はいつも俺に何かを訴えているように感じるが、俺はそれを聞き取ることが出来ない。それでも日に日に[何者か]の主張が大きくなっているように感じる。裁縫道具も、ふとした思いで「欲しい」って願ったら部屋に置いてあった。もしかしたら母親かカナンがくれた物かと思ったが、二人とも俺が人形を作りたいなんて知る由も無い。知っているのは、俺と俺の中の[何者か]だけだった。
「ユル、体に異常は無い? もしかして、2年前の……いや、それは早すぎるかしら」
俺の両肩を掴んでいるお母さんは掴んだ手から震えているのが分かる。それでも落ち着きを与える茶色の瞳は真っ直ぐ俺を向いている。
「お母さん、2年前って?」
「それは--いや、なんでもない。忘れて。ユル、ユルの中にはユルしかいないの。お願い、そう思って」
「サラ、悲観しても始まんないよ。事実から目を逸らしちゃだめだ」
カナンのフォローも、効果が無い。
「それは分かってるけど、またあの時見たいな事がって思うと……」
母親は今にも気を失いそうなほど弱々しくなっているが、それでも俺を掴んで話さない。
俺の中の[何者か]。それは二人の母親は既に知っているところを見ると、過去に[何者か]は俺の体から出ようとしたみたいだ。今尚この体に居座り続けているところを見ると、その時は脱出に失敗したようだ。
「しょうがないねぇ。ユル、もう一回はっきりと言って。この裁縫道具はどうやって手に入れたの?」
カナンはもう一度俺と対峙した。俺も隠す必要を感じないので、もう一度言う。
「[何者か]がくれた」
そう言うとカナンは手を額にあて苦悶の表情になる。お母さんも涙を堪えることが出来ない。セフィアだけは訳が分からないようできょろきょろと俺たち3人を見比べるように顔を振っている。流石に不穏な雰囲気は感じ取ったのか、戸惑いの表情が浮かんでいる。
「ユル、そいつは本来いてはいけない物なの。わかるでしょ?」
「でも、変な事はしないよ」
もう[何者か]の存在を全員が認めている。やはり過去に前例があったのだろう。
「するの。とにかく、どうしよう。あの人が早く帰ってきてくれればいいのだけど……」
母親はどことなく窓を眺める。そこには変わらない野原が広がるばかりで、人気は無い。
あの人とは、父親の事だろう。俺の記憶では一度も会ったことが無い。戦争に狩り出されたまま、帰ってきていない。死亡報告も来ていない為、未だ戦地で戦っているのだろう。
この屋敷は住宅街とは離れた場所にあるため、基本的に人はいない。人が来るのは俺とセフィアの顔が見たいと言う母親達の知人くらいだ。
--父親。その響きに何とも言えぬ苛立ちを感じる。
物心付いたときにはこの屋敷には俺、母親のサラ、同い年のセフィア、セフィアの母親のカナンが住んでいた。物心と言っても、[何者か]のせいで(お陰で)3歳後半には自我を感じていた。
奇妙な家族関係である事は判然である。
これには、互いのいない父親が関係しているのだろう。もしかしたら、俺にも関係しているかもしれない。しかし、そのことを知る術は無い。
「サラ、これ以上の話は子供たちの前では止めようか。ユル、あんた理解してるだろ?」
「へ? 何が?」
カナンの鋭い眼差しに俺はとぼけて返すが、もう俺の正体はばれているだろう。[何者か]を中に持つ、化け物のような俺が。
「--まあいい。セフィア、ユル、二人で遊んでな」
カナンはそう言って母親と共に屋敷の奥に閉じこもった。たぶん暫く出てこないだろう。
「はーい。……ねえユル、なんでサラお母さん泣いてたの?」
セフィアの純粋すぎる疑問に答えることは出来なかった。
この屋敷には人形が沢山ある。半分俺たち子供に買い与えた物ではあるが、半分は母親の趣味である。カナンは屋敷が人形に埋もれていくのをみて「この家を人形屋敷にするつもりか」と苦言を呈していた。しかし、家族に人形を嫌う物はいない。
男が人形好きと言うのは傍から見れば変なのかもしれないが、そもそもこの家族は女3の男1だ。そんなんだから俺は女の趣味にどっぷりはまってしまう訳だ。俺が人形を好きなのは、その為だと自分に言い聞かせる。セフィアはそんな俺を小馬鹿にしてくるが、逆に俺が男っぽい遊びをしていたらそれはそれで小馬鹿にしてきそうだ。
まあ、男っぽい遊びをしようにも、前述した家族構成の通り男物はかなり少ない。前に無断で父親の部屋を訪れたことがあるが、シンプルな簡単な物理学を理解した程度の俺では読み解くのが困難な科学の蔵書がずらりと並んでいるぐらいで、仕事用と思われる机の上はがらんとしていた。流石に王国の書類は持ち出せないのだろう。
余談だが部屋から出たところをカナンに見つかり説教されたのは言うまでも無い。その時何か見たかとしきりに聞かれたが、今にして思えば父親の部屋に俺に隠したい情報があったのかもしれない。こんな広い屋敷に4人住まわせられる稼ぎなら、王国ではそれなりの立場なのかもしれない。それこそ[何者か]を知ってるような--
--それだ! 頭の中に電流が走った。
母親は父親がいれば、と言っていた。それは精神的な支えとかではなく、[何者か]を静める方法を持っているのでは? 一度は読めなかった父親の日記だが、[何者か]に知識を貰っている今なら読めるのでは? と色々な考えが頭の中を交差する。
「ちょっとあなた、聞いてますの?」
人形に小突かれたことで俺ははっとする。
「あ、ごめん。聞いてなかった」
「もぉー、ユルは年上のお母さん役なんだよ。ちゃんとやってよー」
セフィアが不満そうに髪の長い人形を揺さぶる。そうだった、今はセフィアと人形ごっこをしていた。屋敷の居間で行わる、年相応の可愛らしい遊び。
こんな俺だが、不思議にも人形ごっこは抵抗なく出来る。羞恥心は既に持っているが、人形ごっこに関しては恥ずかしさは感じない。
「わかったわかった。よし、話はどこまでだっけ?」
「だから、年上のお母さんが年下のお母さんとお茶会するとこ。ほらほらあなた、紅茶の味はいかがで?」
父親がいない我が家の人形ごっこは、変わりに母親が二人いる。
「うん、十分おいしいぞ。おまえが入れてくれただけはあるな」
「やだー、あなたったら大胆! でもそこに浮気相手が出てきた! (声色を変えて)あらあなた、その子は誰ですの?」
急にどろどろしてきた。
「こ、これはだな、おほん、仕事先の知り合いでな……」
「あら、仕事先の知り合いなんて、あの夜はあんなにしてくださったのに……。(声色を変えて)まあなんてこと! あなた、離婚よ!」
なんでそんなこと5歳児が知ってんだよ。
「待つんだ! 逆に考えてみろ! いつから一人しか愛していけないと錯覚していた!?」
「まあ! (声色を変えて)なんてこと! 素敵! 抱いて!」
「こうして、家族三人仲良く暮らしましたとさー。おしまいおしまい」
「ぱちぱちぱちぱち」
うん、ひでぇや。
俺が人形ごっこを好きなのは、良くも悪くもキャラを媒介として素を演じれるからかもしれない。普段から無知を演じている俺には、本当の自分を見失う前にこういう素を演じれる物が必要なのだと思う。
「あ、そうだ! ユルお人形作ってたじゃん! あれ見せて!」
セフィアは人形ごっこに満足した後に、手をパンと叩いて俺に迫る。
「いいよ。でも朝みたいに壊さないでね」
「う、わかってるよ!」
実際あの人形は未完成だし、仕上げるには丁度いい。俺の初めての人形作り、完遂させなければ。
父親の日記は隙を見て読もう。たぶん今はそのときでは無い。
裁縫道具はカナンに出所を尋ねられたものの、没収はされていなかった。
今にして思えば、セフィアなら大丈夫かと軽い気持ちで人形を見せたことが失敗だった。セフィアが部屋に入ってきた時点で裁縫道具はともかく、人形は隠しておくべきだった。まあそんなことは後の祭りだが。
俺とセフィアは二階に上がり、
「わぁー、やっぱり凄い。こんなのをユルが作ったなんて信じられないなー」
セフィアは俺の人形を興味心身に見回す。言いつけ通り人形には触れていない。
人形はほとんど出来ている。サンプルは大量にあったので、見よう見まねで作ったに過ぎないが、初めてにしては良く出来ていると思う。
針に糸を通し、布をかけ、綿を詰める。綿を詰めたら入り口を縫う。不思議と何をどうしたらいいかは分かっていた。[何者か]がそう言った知識を与えてくれたのかもしれない。
後は、髪の毛を付けるだけ。 頭頂部にクレスコの葉をすりつぶしたものを使う。クレスコの葉はこの屋敷の付近の野原で幾らでも取れる。
クレスコの葉を塗った頭頂部に作っておいた髪の毛の塊、言わばカツラを乗せる。接着が終わるまで人形を宙に固定しておこうと、机の棚から裁縫道具の中で一番長い、10センチほどの針を伸ばして、そこに人形の胸を差し込む。惨い行為だが、完成のために我慢してもらおう。
剥げていた人形に上品な金色の髪が加わったことにより、人形に魂が宿ったように感じた。今までと同じ変わらない笑みが、少し奥深くなった様に感じた。
両腕の長さも合わず、目も対称じゃない。拙い出来だが、それでも達成感があった。元々興味本位で始めた事だが、物を作る行為自体が俺には至福の時間に感じられた。
俺が「完成だ」と言うと、セフィアは「すごーい」とひたすら拍手していた。人形も少し深まった笑顔で完成を喜んでいる気がした。
「ねぇユル、このお人形さん名前無いの?」
「名前かー、そういえば決めてなかったな」
「じゃあさ、ユンナってどう?」
「ユンナ? どうして?」
「えへへー、あたしに妹が出来たら付けようって思ってた名前。このお人形さん、妹みたいにする!」
特に名前にはこだわっていなかったし、セフィアが望むならそれでいいだろう。しかし、
「僕はあげるなんて一言もいってないよ!」
「え、ざんねーん! ユルのけちんぼ! 人形好き!」
「うるさいな、人形好きは関係ないだろ!」
少し逡巡した挙句、あることを思い出した。
--そういえば、セフィアの誕生日は3日後だった。
初めて作った人形を手放すのは惜しいけど、その時にプレゼントするのもいいな。なんだかこの人形はセフィアにあげたくなった。うん、そうしよう。
「とにかく。これは僕が作ったんだから僕のものだから。--えーと、そう! 三日後。乾くのに三日かかるから、それまでは絶対僕の物だから!」
我ながら苦しい理論だが、五歳のセフィアには十分な理由だ。
まあ、俺も五歳なんだけどな。
--ああ、たぶん皆疑問に思っているから言っておこう。
この物語は、武器も魔法も存在する立派な異世界ファンタジーだ。
って、誰に言ってるんだが。心の中で苦笑すると、[何者か]は笑っているような気がした。