1話「二人の母親」
初投稿なので至らぬ点があると思いますが、感想等残していただけるとありがたいです<(_ _)>
--[何者か]が心に住んでいる。
そんな気がし始めたのは、5歳の半ば辺りからだった。--そう、15歳じゃなく5歳だ。
初めは自身の幼さもあって[何者か]は存在しない虚構の物と断定し、意識を向けることはなかった。しかし、[何者か]の存在を認めた瞬間、俺の世界は白面の床に虹色のペンキをひっくり返したような感覚に襲われ、別の物になった。
本来その歳で得るはずの無い視野の広さと理性を持ち、達観と言うよりは虚無感に近い人生への理解を示した。
--これは俺が「何者か」の正体を知るための、長い長い物語。人形を操る俺の、冒険譚。
「ユルー、起きてるー?」
屋敷の二階、木で出来た棚つきの机で「作業」をしている俺に、セフィアは幼く陽気な声で俺の名を呼ぶ。そしてどたどたと階段を飛ぶようにして上ってくる。
「あ、起きてた。ユル、起きてるなら返事してよー。ほら、下降りて! ユルのお母さんが朝ごはん出来たって言ってるから!」
セフィアは俺の部屋にずかずかと入ってきて、俺の体を引っ張ろうとする。
「ちょっと待ってセフィア。今いいとこだから」
「え、いいとこって? --ってユル、お人形さんじゃん! かわいーい! ちょっと見して!」
セフィアは作りかけの人形を見るとそっちに興味が行き、俺の体を押しのけて人形を持ち上げる。齧り付くように全身を眺め、べたべたと触る態度に俺は憤りを覚えた。
「おい、勝手に触んなよ! 折角ここまで作ったんだから、壊れたらどうするんだ!」
「え? これユルが作ったの? すごーい!」
俺は露骨に触れることを嫌がるが、セフィアは構わず人形を触り続ける。綿を敷き詰めた胴体は白の絹で覆われ、同じく絹で覆われた頭部は茶色の糸で縫われた目と口で笑顔を作っている。
首と胴体の接合部はまだ縫い終えていない。未完成のもろい人形が「もう限界」と悲鳴を上げ、目から涙を流している様が俺にはわかる。
「だから人形を返せっ!」
俺は人形に手を伸ばすも、セフィアにひょいと避けられる。
「もしかしてユル、恥ずかしいの? 大丈夫、セフィアはユルがお人形さん大好きって知ってるから」
「それとこれは関係なぁぁぁい!」
--ぽろっ
頭がもげた。セフィアの手を離れた頭は、地面に落ちた後もにっこりと変わらない笑顔を浮かべて俺とセフィアを眺めていた。
「きゃあああぁぁぁぁぁぁ! お人形さん死んじゃったぁぁ!!」
セフィアは俺の部屋を揺らす程の悲鳴を上げた。うるさい。
「返せっ!」
腰を抜かしたセフィアから人形の胴体をひったくり、転がった頭も回収して机に置く。
一呼吸置いて、俺は机に置いたままの針を手に取り、針の穴に糸を通す。1回目は格好つけてすっと入れようとしたら見事にすかしたので、2回目は唾をつけて慎重に通した。
頭と胴体を左手で押さえ、右手で縫う。何回も練習し、実践してきた行為だ。針はするすると布を通っていく。
ふぅ、と一息ついたところで応急処置は終わった。首の皮一枚繋がった、とは若干使い方が違うがそんなもんだ。接合部を縫い終わって全体を眺めるため持ち上げたら、笑顔の人形と目が合った。
「直してくれてありがとう」と言っているように感じたので、俺も「どういたしまして」と心の中で呟いて、丁寧に机に戻す。
「ユル、お人形さんどうなっちゃったの? 死んじゃったの?」
セフィアが起き上がり、俺の肩を掴んで揺さぶる。人形の首が取れたショックで半泣きである。
「うるさいな、セフィアが転がってる間に直しちゃったよ」
「え、直したの? ユルすごーい!」
セフィアは純粋に俺の事を褒めているようだが、何故だか無性に腹が立つ。
「とにかく! このことはお母さんには言わないでくれ! 特にセフィアの方!」
俺は自分とセフィアの唇に人差し指を当てる。お母さんが静かにしろと言う時と、内緒にしててねと言う時は、決まってこのポーズをする。それが伝染したようだ。
・・
「どうして? お母さんたちもお人形さん見たら喜ぶよ? あの不真面目なユルががんばったーって」
セフィアは一転の曇りの無い純粋な瞳で疑問をぶつける。そんな目をされると反論に困る。
「不真面目は余計だ。えーとだな、ほら、勝手に裁縫道具を買ったとか、夜更かししてるとかで怒られるから……」
要は恥ずかしいだけなのだが、それを言うことすら恥ずかしい。あと、普段沢山怒られているからって怒られるのが良い訳じゃない。
さらに言うなら、俺はセフィアに一つ嘘を付いた。
「へぇー、いつも怒られてばっかなのに怒られたくないんだ?」
なんだか墓穴を掘った気がする。セフィアはにまにまと俺を眺める。
野郎、楽しんでやがるな。
「だからそれとこれは……とにかく、内緒にしといてくれよ」
「えー、どおしよぉー」
「頼む! 朝ごはん少し分けてあげるから!」
「わーい! いいよ!」
あっさり了承してくれた。単純な奴である。
「じゃあ、一階に行こうよ。朝ごはん冷めちゃうしさ」
セフィアに呼びかけながら部屋から出ようとしたら、壁にぶつかった。
可笑しいな、後ろは向いていたけどちゃんとドアは見ていたはずなんだけどな。
何故かセフィアは俺の事を笑うでもなく「あ」と一言漏らして俺を指差した。
いや、正確には俺の後ろの壁。もっと正確には俺がぶつかった、手首を鳴らして俺を見下ろす人物を指していた。
「やけに降りてくるのが遅いと思ったら……どういうことか説明してもらおうじゃないか」
「カ、カナン姉さん……」
「お母さん……」
よりにもよって、一番ばれてはいけない人にばれてしまった。出来る限り声量を抑えた声からは隠し切れない怒号が漏れている。震え上がる俺とセフィアとは対照的に、机上の人形は変わらない笑顔で天井を見上げていた。
「全く、あたしらに隠れて一丁前に人形作りとはねえ」
セフィアのお母さん、カナンは食卓の椅子に座り、足を組んで腕を背もたれに回す。
「まあいいじゃない、ユルが自分からやろうとするなんて滅多にないんだから」
俺のお母さん、サラの手でレタスと目玉焼きが乗ってある焼きあがったパンが食卓に並べられる。
「サラ、ユルは勝手に裁縫道具を買ったのよ。もう少し厳しくしてもいいんじゃない?」
「カナンは厳しすぎるの! もう少し子供たちの自由を考えていいと思うけど」
「あのねぇ、そんなんじゃユルはいつか言うこと聞かない駄々っ子になっちゃうわ」
俺は「ふん」と口を尖らせる。こうなるからばれたくなかったのだとセフィアに目を向けるが、香ばしい匂いを放つ朝ごはんに全意識を向けているセフィアは俺の視線に気づくことはなかった。
親の目の届くところで育てたいセフィアの母親、カナン。
子供たちの意思のまま育っていかせたい俺の母親、サラ。
二人の母親は度々教育方針の違いでもめている。しかし仲が悪いわけではないので喧嘩という程でもない。
穏やかで内向的な我が母サラは、俺たちの事を慈愛の女神のように見守ってくれる。例えば俺が川に落ちてずぶ濡れで帰ってきたときは風邪引いてない? と心配しながらタオルを用意した。俺が町のいじめっこに絡まれてぼこされて帰ってきた日には、何も言わずに抱きしめてくれた。
セフィアの母カナンは対照的に行動的で男勝りな部分があり、この家に父親がいない分父親の役割を果たしている。俺が川に落ちたときは尻を引っぱたいて反省させ、ぼこぼこになって帰ってきた日には理由を聞いて、俺の話をきくやいなやいじめっ子の家まで訪ねて和解を求めた。その時既にいじめっ子は大分丸まっていたが、いじめっ子の親が反発してきた。けれど、カナンの毅然とした態度に親子共々萎縮してしまった。それ以来俺はいじめられていない。
ちなみに俺がいじめっ子に絡まれた理由はそもそもセフィアがいじめっ子に狙われていて、セフィアを助けるために自らを投げ打ったからだ。恐らく勝手に俺から挑んだ物だったらカナンは俺の尻を引っぱたいていただろう。
二人は性格や考え方に違いはあれど、俺とセフィアを愛していることは変わらない。だから俺は安心して二人の口論を聞いてられる。
--よし、とりあえず朝ごはんは食べてしまおう。セフィアとの交渉はカナンにばれたことで有耶無耶にしてしまおう。
「待て、ユルは今日の朝ごはん抜き!」
「えぇー! カナン姉さん、流石に酷くない!? お母さんも何とか言ってよ!」
カナンの手厳しい言葉に、俺はサラに救いを求める。
俺はカナンのことをカナン姉さんと言うが、気がついたらそう呼んでいたわけではない。ある日カナン叔母さんと呼んだところ、鬼の形相を見せたのでそれ以来カナン姉さんと呼んでいる。正直言ってカナンの年齢は叔母さんに分類されると思うが、本人にはそうはいかないらしい。
「そうねぇ、悪い事したのは事実だから、そうしましょうか」
期待を裏切られた。唯一の味方がいなくなってしまった。
「あ、じゃあセフィアが食べていい?」
「食べきれる分ならね」
「あー、僕のごはーん!」
俺の悲痛な叫びも空しく、セフィアはトーストに齧り付いた。野郎、自分の分より先に俺のに手を出すとは。
何はともあれ、セフィアの目論見は図らずとも達成されてしまった。無念。
俺の朝食が皆の胃袋に納まっていくのを身を焦がす思いで見届けた後、二人の母親による尋問が始まった。と言っても大半はカナンの所行で、実の母親は遠巻きにその様子を眺めているだけだけど。
「で、まずはどこから裁縫道具を買う金を持ち出したか聞かせてもらおうじゃない」
カナンは食卓の椅子に座ったままの俺に詰め寄る。
「それは、その……」
しどろもどろになる俺に、カナンは追従を止めない。
「黙ってたって何も解決しないよ。素直に金庫から取ったっていいなさい」
「取ってない」
この家は屋敷と言われる通り、周囲の家とは一線を画す広さで、噴水のある庭まで付いている。そんな家だから、金庫の中には庶民なら一生暮らしていける程度の金は入っている。
だけど、俺は家の金を使ってはいない。
「本当かい? その場限りの嘘は返って後が辛いだけだよ」
「本当」
カナンは俺の目を覗き込む。カナンの銀の瞳孔とやや釣り上がった目尻が俺の瞳に移る。同時に豊穣な二つの巨峰も目に映るが、俺は子供なのでそう言ったものに興味は無い。
「ふぅん。だったらどこから裁縫道具を入手したって言うんだ。まさか天から降ってきたわけでも無いし。もしかして知らないおじさんに声掛けれられた? それともその辺に落ちてたとか?」
カナンは俺と一端距離を置き、顎に手を当てる。実は正解に近い物がその中にある。
「--れた」
「ん、何だって? 聞こえないよ?」
カンナは俺の口元に耳を当てる。意を決してもう一度はっきりと言う。
「僕が、くれた」
「は?」
カナンは何言ってんだと言わんばかりの表情である。奥にいる俺の母親も眉を動かし、心配そうな目つきになる。
もう一度だけ言う。
「僕の中にいる[何者か]に欲しいって言ったら、くれた」
俺がそう告白すると、カナンと母親は蒼白になった。
それでも直ぐに母親が駆け出して俺に抱きついた。そして泣き出した。
「ユル、ユルしかいないんだから」
生まれて始めてみるかも知れない母親の泣き顔に、俺は生まれて初めて心を痛めた。
時間がゆっくりと進むほど穏やかな春。庭の花々は若々しく芽吹き、常緑樹は空を青く彩る。生命が潤いを増し、善人も悪人も等しく暖かな陽光を受ける、そんな季節。
未だ5歳半の俺は、その陽気な季節を既に噛み締めることが出来ていた。
俺は[何者]かを飼っている事を自覚している。一度も話したことは無いが、気がついたら当然のように存在していた。俺はその[何者か]にある種の愛着を持っていた。
いじめっこにぼこられた日、俺は気絶しそうになりながら俺の中の何者かに助けを求めた。[何者か]はなんの気まぐれかそれに応じて、ちょっとだけ姿を出した。それからセフィアに起こされるまで気を失っていたから[何者か]が何をしたかは知らないけど、後日カナンと訪問したときはしおらしくなっていただけだったから、暴れはしなかったのだろう。俺の外に干渉するだけの力は持っていなかったからだ。
推測だが何者かは俺の体から出てこれない。[何者か]自体は必死に外に出ようとしているが、何かに阻まれている。そんな感じがする。
今にして思えばこの日が全ての始まりだった。間もなく[何者か]の存在を認知し、俺を突き動かす決定的な出来事が間もなく起こる。その時はまだそんなことを知る由も無かった。