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この回は人によっては若干グロテスクと感じる表現があるかもしれません。お気をつけてください。
キリがいいところまでとなると長くなったので、少し中途なところで切っています。
移動に関してはグーグルマップ先生に依頼しました。
ちょっとだけこの世界とは違う結果の出た現在がかいまみえると思います。
午前九時。ぼけっとしながらコーヒーをすすっているとリデル嬢からあと一時間程度で迎えに来ると電話があった。
ぼくは再就職先の有力候補でもあると思い、学会用のちょっといいスーツを取り出した。伸びた髪を撫で付けているとチャイムがなり、鍵が開けられた。
廊下を歩く音が聞こえて、慌ててリビングにゆくと電話の主がベランダに向かい外を眺めていた。
「おはようございます。昨日はよく眠ることができましたか?」
「リデルさん。いくらなんでも勝手に鍵を手に入れないでください。あと断りもなく開けるのはたいへん危険ですよ。主にぼくが。」
「日本でなければしません。鍵は彼女が持っていたものです。お返ししようと持ってきました。」
目の前にぶら下がった鍵には元彼女がつけていたキャラクターもののキーホルダーが揺れていた。かわいいかもしれないとその時には思ったが、いま見るとないなという感想しか浮かばなかった。
「ありがとうございます。」
「ではゆきましょう。」
玄関に出ると、他の階の奥さんがたが目を合わせずに会釈して中に入っていった。
学生時代からの成書や紙の資料が入りきらないためにファミリー向けのマンションに単身で住んでいるのはぼくくらいで、周囲との交流はないものの、この間の一件以来、なんとなく避けられているような気にもなる。
道路には、まるで零戦のようなモスグリーンの車体に黄色いラインが入ったトレイランフ レヴァン 1600GTが止められていた。リデル嬢は運転席側のドアを開けて乗り込んだ。そして助手席のドアを内側から開けた。
「どうぞ。」
「失礼します。」
低い位置にある黒革のバケットシートに腰を下ろして、シートベルトを装着すると、野太い排気音が響き、ゆっくりと車が動き出した。
「いいですね。こちらでは販売していないですよね。並行輸入ですか?」
レヴァンという名の通り、豊田=レイルランド社が出している主力車種のカローラルを基にして若者向けにそこそこの性能で少しおしゃれなスポーツカーとして売り出している車だ。
しかしイギリス版のボディはトレイランフブランドの常であるミケラッティのデザインだ。このカロッツェリアの特徴である、艶やかで曲線的なクーペに仕上げられている。
性能はほぼ一緒で同じ会社で競合しても仕方がないということなのか、日本では販売していないが、軽い車オタクのぼくとしては好ましいデザインだと思っている。
「日本で働くことが決まった時に持ってきました。」
「まあ、アメリコやEUなんかと違って関税や車検といった面倒なことはないでしょうけど、輸送費はかかったでしょう?」
「経費で落ちました。」
「うらやましい。」
彼女は環状線から高速道路に乗った。大学時代にカローラル版のレヴァンの中古車に乗っていたことがあったが、その車よりも高速での安定性が高い。
「どこに向かうんですか?」
「厚木の空軍基地に向かいます。そこから車ごと空軍のC-2輸送機でブライズ・ノートン基地まで行き、そこから施設に向かいます。」
「えっ? えっ? あ、あの?」
「ざっくりと飛行時間は十二、三時間を見積もっています。もちろん食事や毛布もありますよ。連合艦隊(GF)の演習が同盟国と合同で大西洋であるそうなので、それに便乗することも考えたんですが、のんびりにもほどがあるって、上司に怒られちゃいました。うまくすればGFご自慢の戦艦、長門や武蔵にも乗れたかもしれないのに。」
「そりゃそうでしょう。何ヶ月かかると思うんですか?」
「そうですよねぇ。あっ、輸送機は軍の荷物なんかがメインなので、やっぱりこっちも便乗ですね。」
ぼくは大きくため息をついた。
「飛行機は苦手ですか? 今ならなんとか船便に変えてもらえますよ。」
どこかワクワクした表情で尋ねてきたが、ぼくは首を横にふった。とぼけたような大きな話をしているが肝心なことは何も話してくれていない。
「色々と質問したいことや言いたいことはありますが、尋ねられたくないんだなって思いました。」
「ごめんなさい。前にも言いましたが、あなたがはっきりと意思表示というか契約書にサインをされない限り、今の私の権限では言える内容は限られますし、推測されてしまっても困りますので。」
ちっともすまないと思ってなさそうな感じの淡白さで答えた彼女の横顔は運転に集中しているように見えた。これ以上、仕事がらみの話はしないほうがいいと判断して、違う話題を必死に探した。
「なんで大和の名前は出てこなかったんですか?」
「あれ、知らないんですか? 大和はいまドックにいますよ。それにしてもうちの国は物持ちがいいですよね。一九四一年に就役した旗艦が今でも現役ですからね。」
「使えるかどうかはわかりませんが、沖にあの二つが並んで浮かんでいたら、戦う気をなくしそうですよね。」
「ですよね。あとはセレモニーには引っ張りだこだそうですよ。かっこいいですよ。合衆国の艦隊旗艦の無粋な揚陸指揮艦なんかよりもずっといいです。」
「戦艦が好きみたいですね。」
「私の個人情報を探ろうとしているんですか?」
「別に。ちょっと不思議だったので。」
「いいえ。私の個人情報くらいならいいですよ。むかしから機械が好きだったんですよ。特に日本製はいいですね。蒸気機関車も飛行機も船もとても力強いデザインで。自動車は本当はイタリアものが好きなんですが、壊れやすいのはちょっと。ですからずっとトレイランフばっかり乗っていますよ。」
「こっちの血が流れているからとか?」
「そう見えます?」
「なんとなく。どこか日本の血が流れているような繊細な作りをしているというか、ちょっと子どもっぽい顔とか。あとちょっとおたくっぽい感じの人との関わり合いかたとか。」
「ひどいですね。あながち間違いじゃないから、腹立たしいですね。」
「当たりですか?」
「何分の一かは入っていると思いますよ。母方の方は詳しいわけじゃないですが。でも、珍しくはないんじゃないですか?」
「でしょうね。」
気がつけばあっという間に二子玉川を越えていた。もう少しですよとのリデル嬢の言葉に頷いて、ぼくはいつ戻ってこれるんだろうかと考えていた。冷蔵庫の中身の処分には是非、リデル嬢も手伝って欲しいものだ。
ほとんどの人が一生乗る機会のないような軍用の輸送機に乗せられたが、リデル嬢の車の中にいたほうが体には良かったかもしれない。
ようやっと目的地について、地面に降り立つとめまいがした。
「動かない地面って素敵だ。あととても静かだ。」
「早く行きますよ。」
西の国土は相変わらずだった。
低いなだらかな丘の道をリデル嬢のトレイランフ レヴァンが疾走する。彼女はロンドンとは逆の方向を目指していた。
「いじっている?」
「すこしだけ。保安のために少し重くなってしまいましたから、その分適切なだけ力を出すようにしています。」
「控えめな言い方ですね。で、どこにむかっているんですか?」
「とりあえず、ウェールズを目指します。」
ぼくは頷いて彼女の運転に身を任せた。
北海道や九州でもあったが、ウェールズの炭鉱ストライキや争議は暴力的な手法が特に目立つものだった。結果的には炭鉱夫は自分たちの首を占めるようになってしまったのかもしれない。
今では寂れた炭鉱町のさらに奥、人が入ることがなくなった廃坑の前にぼくとリデル嬢は立っていた。
「この奥に事務所があるのよ。」
「なんとまあ。」
廃坑を管理するための小さな事務所に入ると無精髭の生えたヨレヨレの事務員がいた。机の上にはジンの空ボトルと汚れた小さなグラスが一つ転がっているだけだった。
「みたことのねぇお嬢ちゃんだな。」
「どうやら脳までアルコール漬けになってしまったようですね。お客さんを連れてきました。研究所におります。」
「ああ。」
男性の事務員は乱暴な勢いで椅子を引き、奥の部屋へと向かった。彼は手に鍵束を持ち、表に出た。リデル嬢も続いたのでぼくも慌てて後を追った。
れんが造りの人気のない大きな鉱業所の鍵を開けると、彼はブレーカーを上げて照明をつけた。ところどころ切れた蛍光管が照らす長い廊下を進むと炭鉱に入るためのトロッコステーションに着いた。
ぼくらが席に着くと事務員が運転席に座った。
「飲酒されていたのでは?」
「心配か? 酔いどれのしょぼくれた事務員しかいないようなところに何かあると思うような偏執的な奴がいるか?」
「なるほどね。」
あれは見せかけということにしているわけですか。トロッコも坑内も定期的に使われているのか、整備されているようだった。どうやら、目指す先はこの廃坑の奥にあるようだった。
「男の子のロマンだなぁと感じますが、現実的にはどれだけの意味があるのかと疑問が浮かびますね。」
「ここは出張所のようなものでして、まあ、必要性があるのでこれだけの手間をかけています。
「そうなんですね。」
随分と降りたような気がする。トロッコが止まり、ぼくたちは舗装された通路の奥を進んだ。いくつかの扉を通ると坑道はいつしか巨大なトンネルのようにコンクリートで固められた空間となっていた。そこにはかまぼこ型の建物があり、ぼくは招き入れられた。
「歓迎します。」
室内にいた肘当てのついたツイードジャケットを羽織った年配のスコットランド系の男性が手を差し伸ばした。ぼくは彼の手を握った。彼の名前はムーンさんという。
「見学をさせていただけるとのことですが。」
「ええ。」
LEDの照明が眩しい室内は彼と数名のスタッフが働いているようだった。気がつくとここまで連れてきてくれた事務員はいなかった。建物の中に入ることはできないとのことだった。所長らしき先ほどの男性はぼくとリデル嬢を連れて施設内を案内してくれた。
窓がない圧迫感はあったが、一つ一つの部屋は余裕がある作りで調度品も落ち着いた感じで気持ちよかった。
「こちらが、研究施設になります。……施設というより寄宿舎なのかもしれませんね。」
「はい?」
思わず日本語で返事をしてしまったが、彼は理解したようにかすかに微笑み、ドアを開けた。
何かのオペレーションルームのように横に細長い部屋の壁一面はガラス張りになっていた。三人ほどの所員と思われる人たちは並んだモニターを見ながら、時折タイピングをしているようだった。
ガラスの奥は五つの鉄かステンレス、チタン……? ともかく金属製の円筒形のものが並んでいた。サイズはドラム缶ほどの直径から何かのドキュメンタリーで見た深海探査艇ほどの大きさまで。二人の女性が機械のチェックをしていた。
「あれ?」
なぜ深海探査艇を連想したのだろうかと我ながら不思議だった。ともかく、それらはいくつもの太さのチューブやケーブルで様々な機械に繋がれていた。その中には見たことのある機械もあった。
「あの、繋がっているのって人工臓器の機器じゃありませんか?」
「ええ。」
右手で口を押さえた。突飛な思いつきが質問をためらわせた。まさか、そんなことはないだろう。だが、このような秘密基地のようなところでの研究だなんてどのようなことをしているのだろうか。いくつか候補は思いついたが、半分以上は不愉快極まりないものだった。
「ひと、ですか?」
「……推定年齢十代の子どもたちです。性別は、覚えている子もいましたが、二人ほど不明です。」
「何かの病気でしょうか? 例えば感染症とか。」
沈黙が返ってきた。
男性の代わりにリデル嬢が重い口を開いた。
「数年前に安保理が採決した武力行使容認決議に伴う制裁がとある国へ行われました。私たちの軍も参加しました。その際に先行部隊が発見した資料に基づいて偵察を出したところ、彼らが発見されました。派遣された軍でも理解ができなかったと思われますが、とてもひどいコンデションだったそうです。」
「そんな……」
「紛争の中心地に近く、いつ襲撃されるかわからなかったため、現地では生命維持困難と判断されました。一番近いと判断された本土の基地まで極秘に搬送され、そこで治療と生命の維持に努めながら対応を協議し、ここに彼らの居場所を作ることに決めたんだそうです。」
「戦争や何らかの事故でしょうか?」
「本人たちからは違うと聞きました。」
「コミュニケーションが取れたのですか!?」
「ええ。彼らは知的には何の問題もありません。年相応です。今もモニターを通じて勉強をしたり、教育係と会話を楽しんでいます。」
世界が揺らぐ。そんな感覚が本当にあるとは知らなかった。