1
懲りもせず、発作的に「義体って完成している前提の作品があるけど、どうやって出来たかはほとんど無いよね!?」と思って連載をはじめてみました。
もう一つの作品「おいしい水」に関しては活動報告の方で言い訳を書いています。。。
新橋。ガード下。中高年サラリーマンの楽園。
金曜日の午後七時を回り、夕方からの小雨が地面を濡らし、水溜りには英語や日本語の混じった看板が反射していた。明日を考えないですむこの日は多くの背広姿の仕事を終えたサラリーマンやOLが気勢をあげていた。
そんな中、職も婚約者も失ったぼくは安いここのパブで一人、ビールを煽るくらいしかすることがなかった。
すずめの涙ほどの退職金が出たのと国立の研究所という、一見ホワイトそうで実はとんでもなくブラックな職場だったので、使うあてのない給料は生活に必要最低限の諸経費を差っ引いた額が貯金通帳に並び、ささやかな生活であれば、とりあえずしばらくは生活に困らないだろう。
とはいえ仕事柄、「やめてください。」、「はいそうですか。」と言ってすぐに再就職先が見つかるようなものでもない。
困ったもんだ。困ったもんだ。と言ってもはじまらない。とりあえずはとなりの金髪の女性との会話を楽しんで浮世の憂さでも晴らそうか。
初めてあった彼女は西の首都訛りの日本語を話していた。
八十年近く前、第二次世界大戦でファシズムと戦うために行われた大英帝国と大日本帝国の大合併後、日本人も田舎のよほどの年寄りでない限り、英語くらいを使えるようにはなっている。第二国語として幼稚園から習う英語は基本クィーンズ・イングリッシュで、まあ使える人はとても綺麗な言葉で、西の国土に行くといいところの人と勘違いされるそうだ。
だけど、ぼくも含めてたいていの人は訛りが強く、英国の人の中には嫌な顔をする人もいる。ジャポングリッシュとかニッポングリッシュとか揶揄されるそうだ。
こっちは訛りが強い日本語でもぜんぜん構わないのだけど、相変わらずプライドの高いことだ。
「そう、とても人のためになる研究だったのね。」
「結果がでればね。でも、見切りをつけられたよ。」
「それは残念だったわね。」
肩をすくめて、ハーフパイントのグラスをあおろうとして空だったことを思い出した。
ぼくはここで出すロンドンのラガーより赤い一つ星のラガーの方が好みだが、残念ながらこの店では置いていなかった。
どうしようかと迷っていると彼女が声をかけてきた。
「河岸をかえませんか?」
ずいぶんと粋な言い回しを知っていると思ったが、一人で飲む理由もない。ついてゆくことにした。
ぐるぐると歩き回り、石造りのビルディングの地下にあるバーに入った。六人も座ればいっぱいのカウンターの向こう側に若い日本人の娘が微笑んでいた。
彼女はジントニックをぼくはラガーを頼んだ。カウンターの女性は頷いた。
「それで機械化された身体というのはどうして難しいの?」
「いま作られているような義手、義足はまったく問題がないですよ。義手と生体を神経接続しても問題がないと思います。まあ、できればの話ですけど。」
「できないのですか?」
「開発中ですよ。末梢神経からの接続と脳から直接接続とふた通りがあります。皮膚から筋肉の電流を拾って、それで動かす方はもう実用化していますが、なにぶん高価なわりに調整が難しいですので、もう少し洗練が必要だと思います。」
「じゃあ、何が問題なのですか?」
「そうですね。一番わかりやすいと思うのは、元からの手や指のように細かい力の配分を行いながら繊細な動きをすることですね。」
「それはなんとなくわかるますね。手は細かいですもの。」
「そうですね。肩周りから指先までの関節の動きの種類と量、それぞれの力、コーディネーション。まるでフットボールやラグビーのようにチームが有機的に結びついて結果を導き出さなくてはいけない。このために必要なジョイント、モーター、力の伝達に必要なワイヤーを違和感がないくらいのサイズと重さにしつつ、納得ができる反応速度に収めるのは至難の技なんですよ。」
彼女はため息をついて首を横に振った。
「アメリコ合衆国での実験では表皮筋電図をつけた手で鍵を開ける動作をしてもらったところ、見事に全ての人が違った筋の活動を行なっていたそうです。それだけの多様性を引き受けるようなシステムを構築が必要ですし、ふつうは動けばいいと思っているけど、動かすためには知覚が必要なんです。」
「知覚? 感覚?」
「感覚はセンソリー、知覚はパーセプション。例えば、そう、このグラスなんかを見て。」
ぼくはバーテンダーの女性が差し出したハーフパイントグラスを指差した。
ところでここはバーといっていいのだろうか? それともガールズバーなんだろうか?
バーのつくりは重厚で、あまりウィスキーを好まないぼくでも知っている高級なボトルが並んでいる。椅子もカウンターもいかにも高級だ。
一人だけいるバーテンダーの彼女は長い黒髪に真っ赤なリップが白いかんばせに映えている。大人びた赤いサテンシャツのボタンは際どいところまで開き、みっちりと詰まった磁器のような白い胸の谷間に惹きつけられそうだ。
「で、グラスがどうしました?」
「ああ、ごめんね。グラスは滑らかなガラスで表面にはびっしりと水滴がついている。中のラガーはまだ飲まれていないのでいっぱいだ。」
「たぶん重いわね。」
「そうだね。でもグラスは割れやすいよ。」
「そっと持たなくちゃ。」
「でも、水滴がついているから滑りやすい。」
鼻にしわを寄せた金髪の君はついでに唇を尖らせた。
ぼくは苦笑して見せた。
「いじわるしたわけじゃないですよ。見ただけでもこれだけの情報をぼくたちは得ています。でもこれはあくまで見ただけの予想なんだ。実際の重さやグラスの肌触りは実際に触れて、持たなくてはわからない。」
「でも、私たちはたいてい失敗しないわ。」
アルコールが回りはじめて来たようで、ぼくらはどんどんフランクに話しをするようになった
「たいていね。でもそれは小さい頃からいろんな大きさや種類のものをつかんできた経験から精密な予想ができるからだよ。でも失敗することがある。だからつかんで、その大きさ、重さ、冷たさ、肌理を総合的に判断するんだ。それが触れたときの知覚。」
「それは機械ではできないんですか?」
「今の義手でもある程度はわかるよ。つかんだ時に義手と体をつないでいる部分に伝わる重みを人は無自覚的に判断して、つかむ部分の力を加減していているんだ。」
「無自覚? 無意識ではなくて?」
「無意識は自分でもわからない心の奥のこと。無自覚は何かする時に自分が自覚しないで行う情報処理のこと。」
「そうなんですか。ではなんで、その知覚が更に必要なんですか?」
「情報が足りない。これが足りなくても多くても何かをするには難しいものだよ。特に指先を使うものはそうだね。人工触覚は圧電圧を使ったものがありますが、全てを組み合わせたものというのはまだない。」
「作れますか?」
「作れなくはないですが、再生医療の進歩の方が早いね。」
「でも再生医療にも色々とハードルがあるとか?」
「詳しいね。がん化する細胞があったり、免疫抑制のための薬の投与が必要な場合があったりとここいらの問題をクリアする必要がありますね。あと自身の細胞での再生医療の場合、予測していなかった染色体や遺伝子の問題があるかもしれないね。」
「否定的?」
金髪の君は、多分ぼくと同じくらいの年齢だと思うが、少女のようにコテンと首をかしげる様子にぼくは軽くときめいた。きっと不義を働いた元彼女のショックのためだろう。
「そんなことはありません。この問題をクリアにして、自動車の生産工場並の大きさの工場を作ることができれば人一人分の再生が可能かもしれませんね。」
「誰がそこまで投資できるのでしょう?」
「難しいと思いますよ。生命倫理の問題もありますしね。」
ずらずらとライン生産のように腕や足、臓器が生産される様子など、ぼくには生理的嫌悪感以外浮かばない。
しかしそこまでして作らないとコストと需要のマッチングがとれないだろう。
世界中で必要性はある。病気や事故は無くならないし、戦争がなくなる日など来る気配すらない。
でも人工的に作られた生体部品を各個人の免疫やサイズ、肌の色などに合わせてオーダーメイドで作るのならば、どれだけのコストが必要となるのだろうか想像がつかない。
それが世界中でコンビニエンスストアにゆくような感覚で買うことができる日なんてのも想像ができない。
そして、これらができることで、より安易に戦争を考える人が出てきてしまう可能性だってある。
「デザインド・チルドレン(設計された子ども達)?」
「頭のサーキットがショートしてしまった人が提案した計画ですね。」
老化を病気ととらえるようなスクリューなポジティブさを持つ人がいるように、自分のこどもをペットの品評会に出す感覚で美しく賢く、強くすることが国力の発展につながるとぶち上げた合衆国のおっさんが提案した計画で実はクラウドファンディングで結構な評価を得ているとのこと。
何かの拍子にネットでおっさんの写真を見たことがあったが、日焼けした肌はシミどころか、シワもない。碧眼の銀髪で顎が割れているマッシブな見た目三十代前半の素敵な笑顔の八十歳だった。
どのくらい手を入れているんだろうと疑問を持ったが、自分の体なのだから好きにすればいいと思う。
でも、遺伝子のデザイニングだけで優秀な人ができるほど甘くはない。ダメだった子どもはどうするのか?
よしんば望み通りでも子どもたちは親の愛情を疑うには十分だ。
「あれはちょび髭でもつければいいと思うんですけど、全身はともかく、体の一部だけ、人並外れた力を持つとどうなると思いますか?」
「まるで、最近上映したハリウッドの映画みたいですね。」
「日本のサイファイや漫画でもありますけど、力学的な面をあまり考慮していないことでは一緒ですね。
ハリウッドスターのような人がトラックを片手で持ち上げるのは絵になりますが、その動作を支えるために機械や強化した生体部分との接合部への負担や生身の胴体や足にどのくらいの負荷がかかっているのかということです。腕全部が強化されたものだったら肩からもげてしまいますし、もし大丈夫でも体は多分ぺしゃんこになってますね。」
「言われてみれば、そうですね。では全身を強化する?」
「パワードスーツの方がお得ですし、もうありますし。」
「何か、ロマンがありませんね。」
「そうですね。でも人の命が救われたという結果があって、その過程がロマンティックならまだしもロマンを求めて人の命を救おうと思うのならば、その人は何かが欠落していると思います。」
「それには同意ですね。で、どうすることがいいと思いますか?」
ぼくは飲みきったグラスをバーメイドに送り、日本果実酒社のブレンデッド・ウィスキーの水割りを頼んだ。
ほどなく、細く白い指がグラスを運んできた。左の薬指には指輪はなかった。ぼくは黄昏色の中身を口に含んだ。
「状態と本人の希望とどこまでしてもいいかのすり合わせですね。…ああ、あとは社会の許容範囲です。」
「とても日本らしい答えですね。」
「そうですね。アングロ・サクソンの方は割り切り方がユニークですけどね。」
「かも、ですね。」
「現在ある範囲での補体技術で納得するのならば、それでいいでしょう。それでは難しく、できる範囲で人体に近い体が欲しいの望むのなら、いくつかの技術を組み合わせます。
ですが、人類としての限界をはるかに超えた能力を欲するのならば、人を使う必要性はないでしょう。
その方がこころ穏やかな老後を迎えますし、どの宗派の神様にも顔を合わせたとしても恥じることはないと思います。」
「面白い答えですね。」
金髪の君はジャケットの内ポケットから何かを取り出した。手を入れた時に柔らかく形を変えた彼女の乳房に目を取られていたが、その間に彼女は銀色の名刺入れから角の丸い名刺を一枚取り出した。
「アリス? アリス・リデル?」
彼女は少し恥ずかしげに頬を染め、頷いた。
あまりにあからさまな名前だったが、万分の一ほどの真実かもしれない。一応うなずいてポケットにしまったが、ちらりと見た名刺の裏にも彼女の所属はなく、空名刺というやつだった。
ぼくもと思ったが、名刺は全て上役に返してしまった。困ったぼくはバーメイドに目を向けると彼女は微笑んでボールペンを貸してくれた。ぼくは少し考え、彼女の名刺の裏に名前と携帯電話の番号を書いた。
「これをお返ししますので、違うのをいただいてもいいですか?」
「もちろん。では、またお会いしましょう。」
彼女はぼくに新しい名刺を渡し、番号を書いた電話を受け取った。