1-1 姉
久しぶりに風呂に入った。
体にしみ込んだ油はなかなか落ちず、シャンプーを五回、体を五回洗う羽目になるとは。
というか、そこまでしないと落ちないこの体の汚れもどうかしている。相当の日数、風呂に入っていないと言うことだ。
もう最後に入った日すら忘れてしまった。風呂って毎日入るものじゃなかったっけ?
脱衣所で着替えを済ませ、自室に戻る。そのためには玄関とリビングの扉がある廊下を通り、階段を上らなければならなかった。
誰にも会わないことを祈ったが、それはダメだったみたいだ。謎の人物が玄関にいた。ヒールを履こうとしている。
誰だ。
おそらく家族の誰かだろう。
彼女は訝しむ僕の気配を感じたのか、振り返ってこちらに気付く。
「恭平、ご飯は?」
顔を見てようやく、それが誰なのかわかった。
姉の皐月だ。いつぶりだろう。
彼女は高校まで黒かった髪を大学生になると茶髪に染めた。メイクもするようになり、それなりに綺麗だ。背は低いが、スラリと伸びた背筋は育ちの良さが伺える。小顔で、垢ぬけてはいるが、純粋さを兼ね備えたルックスは男子にそれなりの人気があるらしく、姉はモテまくりの人生を送ってきた。本人はそんな意識もない。
人生の勝ち組を体現したような存在。それが僕にとっての姉である。彼女は僕よりも背が低いが、どこか大きく見えるのは、僕がまだ子供だからだろう。
今日は編み込みアレンジしたハーフアップに髪をセットしている。服装も出かける用で、清楚かつオシャレにまとめていた。これから合コンかなにかに向かうのだろう。すっかり大学生になっている。去年まで高校生だったとは思えない。まるで別人だ。
「まさか、アンタ、お姉ちゃんのこと忘れたわけじゃないよね?」
ご名答。思い出すのに時間がかかっってしまった。
無言は彼女に答えを与えた。呆れ顔になりながら、ため息をつく。
「お姉ちゃんさ、あんまりこういうこと言いたくないんだけどさ、いつまでも部屋に籠ってるからそんなことになるんだよ。少しは学校行ったら?」
ごもっとも。だが、学校には行っている。大学生の姉は知らないと思うが、午後からは登校している……こともあった。
「お姉ちゃんには関係ないだろ」
思った以上にきつい言葉をぶつけてしまった。
「どうしてそんなこと言うの?」
些か感受性の高い姉は、少しのことで涙を流してしまう。今も涙目だ。
「ごめん。言い過ぎた」
「お姉ちゃんも変なこと言ってごめん。恭平にも事情あるもんね」
姉は玄関の扉に手を掛ける。
「出かけるの?」
「うん。今日は帰らないかも」
「そうなんだ」
「……恭平」
「ん?」
「偶にはパパとママと柚子と一緒にご飯食べてあげて。みんな恭平のこと心配してたから。それに今日は恭平の好きなカニクリームコロッケだよ」
姉はそれだけ言って玄関を出て行った。
薄暗い玄関とは対照的にリビングは明るいようで、ドアの薄いガラスの部分から光が漏れている。
僕は光に向かって歩み出す。