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置き去りの心(1)

<1>


 新学期の始業式が始まろうとするのに、表参道女子高等学校は、まだ冬休み気分が抜けない生徒たちでざわめいていた。


 聡史は、いつも下車する銀座線の青山一丁目を過ぎ、今日は次の駅の表参道で下車して、この女子高へ来ていた。

 結局のところ、聡史は流されることにしたのだ。


 ――きっと時が解決してくれるだろう。


 昨日の小沢からの不当な人事に対して、聡史が出した結論は、いわばの思考の放棄であった。


<2>


 表参道女子高等学校の職員室では、校長の高松秀治が教職員に対して、月並みに聡史を紹介した後、新学期を新しく迎えるにあたり長々と挨拶を始めていた。


「……昨年までの高菜先生が産休に入ったため、今学期から、我が校の校医をこちらの野依聡史先生が担う事になりました。そもそも、我が表参道女子高等学校は、大正12年設立以来、『由緒ある日本女子の育成』を理念に、日本を代表するような様々な女子生徒を育成し社会に輩出してきました。その分、我が校は社会からの期待も大きいのであります。そんな中に、我が校の校医として、こちらの野依先生が来て頂ける事は、我が校としても非常に名誉なことであります。なぜならば、こちらの野依先生は、かの名門南青山医科大学の胸部心臓外科の臨床医としてご活躍……」


 どうして、どこの校長も長々と挨拶したがるんだろうかと、少々呆れていた聡史の耳に、横に並んでいたジャージ姿の教職員から、耳を疑うような呟きが聞こえてきた。


「……何が由緒ある健全な日本女子の育成やねん、あほちゃうか」


 ジャージ姿の男――この学校の体育の教師を勤めている赤城英二アカギエイジは、小柄な聡史が子供に見えるくらい、背が高くがっちりした体型の男だった。しかも、赤城の言葉が関西弁のせいもあって、このお嬢様学校に並んでいる教職員たちとは違い、どこか異質な雰囲気を放っていた。


「……なぁ先生、あんたは医者やから関係ないかも知れへんけど、校長なんてもんはなぁ、なんやかんや言うて、あいつらの事なんて全然考えてへんねや」


 赤城は、校長の長々と繰り広げられる挨拶には全く耳を貸さず、横にいる聡史に話しかけてきた。


「校長が考えてる事ゆうたら、この学校に対する社会からの評価だけや。そやから、あいつらがどんなに悪い事してても、臭いもんにはフタをして隠すんや……」


「…………」


「あいつらがどう生きてゆくんかなんて、校長をはじめここの教師連中にはどうだってええ……。大切なんはPTAや教育委員会からどんだけ自分らが信頼されるかだけや。だからあいつらの心はどんどん置き去りにされてゆく。それが今の教育システムや」


 赤城の話に、聡史は大学病院の教授やそれに媚びる医局の医師たちとをたぶらせた。

 患者の命より、自分たちの出世しか考えない教授や医師たち。

 そして、生徒の事より、社会の体裁を優先する学校の教師たち。


「……なぁ、そんな風に育てられたあいつらは、どうなると思う?」


「…………」


「化け物になんねや……」


 赤城は、校長をただひたすら睨み続けたまま、横にいる聡史に話し続けた。


「野放しにして育てられたあいつらは、いつの間にか、何が正しくて何が悪いかなんか善悪が分からへん、モラルもくそもない化け物になんねや!!」


「……!!」


「ええか先生、今時の女子高生ってなぁ……、あんたが思ってる以上残酷でしたたかで、ホンマに化け物みたいなヤツばかりやから、注意せなあかんで」


「はっ、はぁ……!」


 人間なんて所詮自分勝手な生き物である事を、大学病院で目の当たりにしてきた聡史は、どこか人間というものに対して冷めていた。しかし、おおよそ自分とは全く正反対に、『善』と『悪』について熱く語る、赤城の熱気に押されてしまい、聡史は思わずすっとんきょうな返事をしてしまう。


「そこッ、 赤城先生、野依先生! ちゃんと静かに私の話を聞くように」


 聡史のまぬけな返事が校長に聞こえてしまったのだろう、校長はヒステリックに聡史と赤城に注意をした。


 聡史たちが注意を受け、長々としゃべり続ける校長の話が一旦止まった時だった。

 まるでタイミングを見計らったかのように、職員室の扉が勢いよく開けられ、威勢のいい声とともに一人の女性が入ってきた。


「遅くなってすいませーん!」


 その女性は、いきなり校長に頭を下げたかと思うと、額から流れる汗をぶっきらぼうに手で弾きながら、何事もなかったように、教職員たちの列に入りだした。


「み……みみみ、水野先生ッ!  新学期早々遅刻とは何事ですかァ! あ、あああ……あなたは、きょきょ教師としての自覚をちゃんと持ってるですか――ッ!」


 校長の高松は、禿あがった頭を茹でダコのように赤くして、ますますヒステリックに怒りだした。


 しかし、その水野と呼ばれる教師は、全く反省の色などなく、むしろ校長を小馬鹿にしたような口調で、「反省してまーす!」と額に右手を当て敬礼するだけだった。


 ――熱苦しい体育教師の次は、全く教師っぽくない軽いノリの女か……。

 

 聡史は少し呆れながら、その女の顔を眺めていた。すると、何故かその女は、急に満面の笑顔で聡史に近づいてきた。


「あぁ――っ、のっちゃん〜! なんでこんな所にいんの!? のっちゃん医者になったんじゃなかったっけ……?」


「……えっ!?」


 聡史が少し怪訝そうな顔をしていると、その女は笑いながら、聡史の肩をぽんぽん叩いてとても嬉しそうに話しだした。


「もぉっ、やだぁ……のっちゃん、忘れたの? ほらっ、前橋一高で一緒に陸上やってた水野真美よ」


「……あっ、あの水野か?」


 なんと、その女は、群馬県前橋市の公立高校出身の聡史が、高校時代に所属していた陸上部で、同じ短距離を走っていたチームメイトだった。


 そして、その水野という女は、陸上部時代からどこか姉御肌で、友達を作るのが苦手でよく孤立していた聡史を、いつも部活の輪の中に入れたりして、聡史とは同じ歳だったにも関わらず、不器用な聡史の面倒をよくみていた女だったのだ。


「……ひ、久しぶり」


 昔を思い出した聡史は、なんだか照れくさくなり、ぶっきらぼうに再会の挨拶をする。


「うわぁー! 変わってないね、のっちゃんのその暗さ。『ひ、久しぶり』ってナニよ、そのぶっきらぼうな挨拶は! あんたは高倉健かっつーのよ。久しぶりに逢ったんだからもっとテンション上げて喜んでよ!」


「…………」


 水野は、まるで高校時代にタイムスリップしたかのように、姉御気取りで、だまりこくる聡史の頬をつねったり、叩いたりしてからかい始めた。


「みみ……水野先生! 何度も言ってるように、ここは学校で、あなたは教師なんですよ! いい加減に『教師』としての自覚を持ちなさい!」


 気がつけば、聡史との再会に喜びを隠せない水野に対し、校長のヒステリックは益々激しさを増していた。


 しかし、聡史はというと、校長に怒られる水野を見て思わず噴出してしまう。高校の時もいつもすぐ調子に乗りすぎては、教師たちに怒られていた水野の姿を思い出し、なんだか可笑しくなったのだ。

 ただ、社会というものの中で、自分と同じように生きてきて、あの頃と変わらぬままの明るさを持っている水野が、聡史にとっては少し羨ましくもあった。



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