金木犀~Last autumn Ⅱ~
平日の金曜日。白のシャツにチェックの上着というシンプルな私服で駅前にあるバス停の椅子に腰を下ろしていた。
眩しいぐらいに輝く太陽に今日はいいデート日和だと思った。
「待たせちゃった?」
聞き慣れたリュアナの声が小鳥のさえずりのように舞い込んできた。
「いや、待ってない……と思う」
「もう、そこは『いま来たところだよ』って言うところだよ?」
「いや、だって……」
座っている状態でいま来たところといっても明らかに嘘だとわかってしまうだろう。
「もうっ! つべこべ言わずに行くよ。ほら」
「そう引っ張るな。ちゃんと歩くから」
そう言って改札口を目指し俺達は歩き出す。
昨日の文化祭。一番盛り上がるはずだった後夜祭は、落葉から教えてもらった真実を整理する時間でつぶしてしまった。また、一緒に寄り添ってくれていたリュアナも参加することができなかった。
青春の一ページとも言える後夜祭を満喫できなかった俺達は、その青春を取り戻しにデートへと来ていた。
「ほんと、そんなこと気にしなくていいのに……。想真くんは、もっと自分に時間をとらないとダメだよ」
電車に乗り込み、向かいの席へと座ったリュアナが呆れ半分、心配そうな表情を浮かべ言った。
「そんなこと言われても、あのまま家に引きこもっていたら、根暗になりそうだったんだよ」
それともリュアナは俺が根暗になったほうがよかったのか? という質問に対して、よくないよ! と即答した。
そのリュアナの怒った顔に笑いながら、心のとこかで感じているぎこちなさを吐露する。
「それに香さんがお母さんじゃないとわかってから、どうも距離感が掴めなくて……」
真実を教えてもらってから後、偽りの母であった香さんは、俺の家に帰ってはいたもののまともに会話をしていない。
「そうだよね……」
仕方のないことだった。たった一日でその関係を崩されることはあっても、たった一日でその関係を築きあげることは不可能なのだから。
今はただ、母としての香さんではなく香さん本人との関係をゆっくりと作り上げていくしか他なかった。
こればっかりは時間が解決してくれると話題を早急に切り上げで楽しいデートの話題にすり替える。
「それにしても、行き先はあの水族館でよかったのか?」
あの水族館というのは俺とリュアナが初めてデートに行った白海水族館だった。
「うん。あの時は、私も後半めちゃくちゃにしたからね……」
懐かしいな……と春の終わりを思い出す。
「回想しちゃダメーっ!」
まさに回想シーンに入ろうとしていた俺はリュアナの声に立ち止まった。
「思い返すぐらいいいだろ?」
そういえば、あれは……。
「思い返すのもダメーっ!」
またもや、リュアナの声に過去へと歩き始めた足を止める。
「言い換え禁止! 記憶をたどるのも、思い出すのもダメだからね」
要注意人物でも見つけたようにきつく睨み付けるリュアナ。リュアナの中ではあれは黒歴史となっているのだろうか?
確かに当時は大変だったが、今となってはあの初々しいさがとてもかわいい。うん、かわいい。
「想真くん……」
「ん? 俺は思い出を見直しているだけだぞ?」
「それは思い出してるってことでしょ! ダメだよ……」
「どうしてわかった?」
「顔がにやついてる」
ああ、ほんとだ。
「俺に怪我をさせて落ち込むリュアナが初々しいくてかわいかったからな。ま、仕方がないだろ」
思い出したくないことを思い出してしまったのか顔を真っ赤にして俯くリュアナ。
「今度は絶対しないもん……」
「別にしてもいいよ。今度はもう少しはやく機嫌も治せるだろうし、またあのかわいいリュアナが見れるなら大歓迎だ」
「……っ! この変態! ドS! 卑猥!」
罵倒するともにポコポコと殴り付けてくるリュアナ。痛くも痒くもなければ、むしろかわいいと思ってしまったが、周囲からの目が痛かった。
~*****~
さてはともあれ、水族館に到着。
以前と外見は代わり映えはしないものの、中はどうなっているのかと興味が沸いてくる。
「今日は前よりもずっと人が少ないね」
キョロキョロと辺りを見渡すリュアナ。
「まぁ、今日は平日だし、あの時はオープン当初だったからな」
数人しか並んでいないチケット売り場に並ぶ。前回は日にちが空いていたが、今日は急遽なのでチケットはここで購入だ。
「えいっ!」
ちょっとした勇気を振り絞るような掛け声と共に手を握られる。
「もう、結構経つんだし、そこまで勇気はいらないだろう?」
ちっちっち、と教鞭に例えた指が左右に振れる。
「初心忘れるべからずだよ」
初心ねぇ……と思いながらもリュアナが喜んでいるならそれでよしなんだろう。
その後、チケットを売り場で接客をしていた女性は俺達に有無を言わさず笑顔でペアチケットを売ったのだった。
~*****~
水族館に入るとそこは海だった。
出迎えたトンネルのようになっている水槽は、まるで海の中に自分達がいるようで気持ち良さそうに泳いでいる魚たちがすぐ隣にいるようだった。
「綺麗だし、おっきいねぇ~」
俺達の上を泳いでいくエイを見ながらリュアナはそう呟いた。
「大きいな。リュアナと同じぐらいありそうだ」
「もう、そんなにちっちゃくないよー。むしろ、小宵ちゃんと同じぐらいだと思うよ」
「おいおい、小宵がいたら怒られるぞ」
「あははっ、大丈夫だよー、今日は二人っきりだから」
だといいのだが……あいつらなら尾行していてもおかしくはない。
まぁ、それを知るのはどうせ後のことだし今はいいか。
「次はあそこにいくか」
「え? どこ?」
「思いでの場所だよ」
俺がリュアナをつれてきた場所、それは以前リュアナがはしゃぎすぎて問題を起こしたところだった。
「なんでここに連れてくるかなー」
「それだけ、印象が強かったんだよ。ほーら、ジンベイだぞ」
優雅に泳ぐジンベイザメが横を通りすぎていく。
「もーう、そんな言い方して、絶対はしゃがないんだから」
プイッと顔を逸らすリュアナだが、ガラスに張り付いて口を大きく開けるその姿は、内心すごくはしゃいでいるかのように見えた。
「あ、ほら見て、あそこにイルカが」
「あ、ほんとだ」
「ねっ、行こっ」
さあさあ早くと急かすように手を引くリュアナ。言おうと思っていたが、ちゃんとはしゃいでいるようだ。
それからというものリュアナはいつものリュアナだった。
~*****~
水族館を終えてた俺達は、近くにあるショッピングモールのフードコートで歩き疲れた足を休めた。
「おいしいか?」
様々な色が混ざったアイスを頬張るリュアナ。
「おいしいよ。想真くんも、ほら、あーん」
アイスを乗せたスプーンが俺の口元に向けられる。
色合いが食欲をそそらないが、物は試しだ。
「あー、ん」
食べた瞬間、なんだかわからない様々なフルーツの味が口に広がった。
なんの味なのかが想像できなかったが、ほどよい甘さがフルーツの味を引き立たせ、見た目のわりにおいしかった。
「うん、おいしいな」
「でしょう」とリュアナはもう一口食べた。
「それで次はどうする?」
「あ、それだったら、私、行きたいところがあるの」
どこだろうと思いながらリュアナに連れられ歩いていると、モールの一番端にあるアクセサリー店で足が止まった。
「アクセサリー?」
ちょっとだけ懐が心配になったが、リュアナはこう言いながら店に入った。
「別に私のじゃないんだ」
「ん? じゃあ誰にあげるんだ?」
「落葉ちゃんのためだよ」
落葉のためと聞いてもピントが合わず首をかしげた。
「落葉ちゃんってもうじき帰っちゃうでしょ? その思い出の品として」
「なるほど」
落葉のため、思い出の品として、と言われればばこちらも真剣に選ぶ必要があるだろう。
「わかった。俺も手伝うよ」
「ありがと。期待してるよ、想真くんセンス良いから」
そんな期待プレッシャーにしかならないんだけど。
「あ、でも、落葉が帰るとき、あいつは持っていけないだろ? どうするつもりなんだ?」
「それなら、白崎さんに持っていってもらうよ。落葉ちゃんが帰るのに合わせて実家に一度戻るみたいだったから」
「そっか、それなら安心だな」
そう言って、俺は物色し始める。
アクセサリーといっても色々あった。ネックレスから指輪だったり、ピン止め、ブローチなどもあった。
「どういう系統のものを探してるんだ?」
と、リュアナに聞く。すると、リュアナは「これ」と言った。
「ん?」
質問と答えに齟齬を感じた俺はリュアナに近寄った。
「これ、だよ」
自分でも驚いているような動揺した顔でひとつのペンダントを見つめていた。
金木犀をモチーフにしたペンダント。
黄色い小さな花が束を作り、真ん中にある琥珀のような石を取り囲んでいた。
「確かに似合うかもしれないし、これじゃないとダメって気持ちになるな」
「想真くんも?」
リュアナがペンダントを気にしながら俯かせた顔をあげた。
「もしかしたら、落葉がそう思わしているのかもしれないな。俺の力を利用して、これがいいって気持ちを送りつけてきているとか」
ん? 冗談で言ってたつもりなんだが、口に出してみると以外と
『そうかもしれない』
俺とリュアナの声が重なり、ぷっと吹き出した。
「どうして想真くんが言うの?」
「自分で言ってて本気でそう思えたからだよ。それより、これ買っちゃおうぜ。半分だすからさ」
「え? いいの?」
「もちろん。本当はこのぐらい全部払ってあげたいぐらいだけど、それじゃあ意味ないだろう」
「うん。これは私たちからの思い出の品だからね。ありがとう、想真くん」
「どういたしまして」
落葉へのペンダントを買い、モールを出るとすでに日が傾き始めていた。
「もうそろそろ、最後にしないとな」
ここから家まで遠い訳ではない。けれど、暗くなるのも早いこの時期は、リュアナに危険な道を通ってほしくはなかった。
「そうだね。じゃあ、やっぱり最後は」
「観覧車だな!」
「観覧車だね!」
俺達は向き合ながら笑った。
久しぶりに見るあの景色はどれだけ綺麗になったのだろう、そう思う期待と、もうすぐ終わってしまう物寂しさに心を浸らせながら、観覧車へと乗り込んだ。
「綺麗だね……」
リュアナが呟いた。
水族館で魚を目にした時とは違った落ち着いた言い方にしんみりとしてしまう。
雲ひとつ無い緋色の空。
その景色はまるで今の自分の心情を表しているようで、俺は「そうだな」としか言えなかった。
「ねぇ、想真くんは何を不安に感じてるの?」
俺の表情か、はたまた力を使って心を見たのか、リュアナはそんなことを聞いてきた。
「雲ひとつ無いことに、かな……」
忘れていたすべてのことを思い出した、今。それはもう快晴のごとく、晴れやかな空だった。
けれど、そのあまりにも清々しい天気に不安に思ってしまうのだ。
以前よりも強い雨が降る予兆ではないかと。
事実、それはもうぽつりぽつりとだが始まっていた。
「リュアナ、俺は真実が信じられないまま、現実が崩れていくのが怖いよ……」
俺の心が言う。
それはリュアナの前でしか出せない俺の弱さだった。
「これから何をして、どうすればいいのかわからないんだ」
まるで、それはコンパスの指針のように、様々な磁場によって狂わされていた。
行き先も方向もわからない。ただ、時間だけが過ぎて、現実は進んでいく。
「そう、だよね……」
どこか遠い目をして、リュアナは言う。そして、俺を見てこう語りかけた。
「私もね。両親が亡くなったって聞いた時、これからどうしたらいいんたろうって不安に思ったことがあるの」
「え?」
「戻るべき場所がなくなってどうしようもなかったんだよ?」
あのリュアナが? と言う顔をしてしまったせいか「そりゃあ、不安にもなるよ~」とちょっと拗ねたような顔になる。
「でもね。そんな時、私のそばにはセリア姉が居てくれた。泣いていた私を優しくあやしてくれたんだよ。ただ、それだけ。それだけなんだけどね、なにも変わらない、私の居場所がここにあるんだって気持ちになって、安心したの。すこしだけ前向きになることができたの」
「だから……」そっとリュアナがその細い腕で俺を抱き寄せる。
「セリア姉みたいに上手くはできないかもしれないけど、想真くんには私がついているから、大丈夫だよ」
背中を擦るそのリズムが、無音の世界に響くその声が、冷えきった心に染み渡るその温もりが、俺の不安の捌け口となって、嗚咽と涙があふれ出た。
快晴だった空に雨が降る。
やまない雨もなければ、曇らない晴れもない。
ごく普通の天気の動き。
だけど、それを今、俺は取り戻した気がした。




