金木犀1
最後のひとかけらを口に放り込み、俺は制服の袖に腕を通した。
あの楽しかった夏休みも終わり、再び学生生活の幕が上がった。当初慣れなかった生活リズムも二日も経った今ではそのリズムは戻ってきている。
相変わらずと言ってもいいほど、あの気のおけない仲間たちは夏バテにも負けず元気にやっている。
ただ、一人は除いては……。
夏休みの終盤戦。八月三十一日。
俺と歩が夏休みの宿題に追われる頃、ついにその時は来てしまった。
「そろそろ、お別れ……」
すこし元気がない梅雨の声を聞くと、胸を締め付けられるような息苦しさに襲われた。
梅雨とはこの夏休みを一緒に過ごせただけで十分恵まれていた。けれど、別れとなるとやはり悲しいものだった。
梅雨との別れは来たときと同様、四季の木のもとで行われた。もちろん、見送りは四季の木の力を知っている俺とリュアナだけだ。
そして、日付が変わる10分前。23時50分。紫陽花の花を咲かせた四季の木が光を帯び始め、白雲公園一帯に光が広がり始めた。
時が止まったような幻想的な光景に感情的になったリュアナは涙を拭うことなく締め付めつけるように梅雨を抱き締めた。
俺には前科があるため、ここで引き離すなんてことは出来なかった。ただ、それでも話ぐらいはさせてもらおうとリュアナと交渉をし、強すぎる抱擁は緩和された。
そして、言われたあの言葉。
『想真お兄さんって、人に手を伸ばすことは得意だけど自分から手を伸ばすことはとても苦手なんだよね……。きっと舞ちゃんも言ってるとは思うけど、想真お兄さんが私に手を差し伸べてくれたように、想真お兄さんが困っていたら必ずみんな手を差し伸べてくれる。だから、想真お兄さんは手を伸ばして』
その言葉に舞に言われたことを思い返し、「ああ……」とちょっと呆れた顔をすると、梅雨が俺よりも呆れた笑顔でこう助言してくれた。
『と私が言っても、想真お兄さんは手を伸ばせないだろうから、ここでひとつアドバイス』
『手を伸ばさなくてもいい、声に出さなくてもいい、想真お兄さんはただ友達を信じ、助けを求めて。その想いは必ず伝わり、必ず助けてくれる。だから想真お兄さん、みんなを信じて……』
その後、梅雨は、まるで花が枯れて風化していくように光となって消えていった。きっと次に会えるのは来年の夏だろうと、紫陽花の花を失った四季の木を見上げて思った。
その翌日、激励会というどこか意味を履き違えたパーティーが行われ、多いに盛り上がった。お陰様、梅雨との別れの辛さも大分まぎらわすことができた。
今ではもう悲しかった別れも、楽しかった梅雨との思い出の一部として、今日も清々しい気持ちで一日を過ごすことが出来る。
うぅーんっと背伸びをして、鞄を持って、今日もまたなにかあるんじゃないかと思いを馳せながら玄関の扉を開ける。
「さて、今日も一日、頑張りますか」
~*****~
「ふぁ~、おはよー想真」
「もうちょっと、しゃっきりしなさいよ。しゃっきり!」
玄関を出ると、歩と小宵が俺を待っていた。朝の夫婦漫才のように、歩のだらしない態度に小宵が背中を叩いて背筋を伸ばしていた。
「ああ、おはよう。今日は小宵も一緒なのか……」
「想真は私が一緒だとなにか問題があるのかしら?」
「いや、全然問題ない。たださ……」
夏休みの後半から気になっていることを口にする。
「お前らって付き合ってるのか?」
実際、今日の登校のように夏休みの後半ぐらいから小宵が歩と共に行動していることが多くなっている。なので、そういう関係になっていても不思議には思わなかった。
けれど、
「なななな何を言ってるのよ! そんなわけないじゃない!」
「そうそう、そんなわけ──ぐはっ、やめろ! こんな朝っぱらから馬乗りで殴るじゃない! おい、食べたもの出しちゃうじゃないか! ほら、スカートだって、あ、パンチラ──」
「───っ!!!!」
ただ、この様子を見ているかぎり、付き合っているというよりもいつも通りの二人に見えて、新しい関係になったとは思えなかった。
朝のひと騒ぎで五分遅れた普段通りの登校。桜坂の木々は緑から黄色へと早くも色を変化させ始めている。
秋。
様々な意味合いを持つこの季節だが、歩を見ていると今年の秋は睡眠の秋が適当だろうと思ってしまう。
「ほんと、眠たそうだな」
「昨日、寝させてくれなかったんだよ。こいつのせいでな……ふぁ~」
人を勘違いさせるような言い方に、やはり付き合ってるのではないかと疑いをもってしまう。
「それで明日は一緒に学校に行ってやるからって条件で寝させてもらった」
「そうなのか?」
「ふん、歩があの程度で音をあげるから悪いのよ」
これまた、小宵の説明を聞いても話は繋がっている。
「なあ、やっぱりお前らって──」
「おーい、想真くーん」
聞き慣れた声に呼ばれ俺は顔を向けた。ここ最近ではいつも通り、桜坂の木下でリュアナが手を振って待っていた。
「悪いリュアナ。ちょっと遅れた」
「うんん、このぐらい大丈夫だよ。それより、小宵ちゃんまで一緒になって何を話してたの?」
「ああ、小宵と歩の猥談だ」
「ちょっ、ちょっと待ちなさいよ! 私も歩もそんな話してないでしょ!」
なんだ、やっぱり違ったのか。少しがっかりした。しかし、これは二人の含みをもった言い方に問題がある。ここは今後のためにもちゃんとお灸を据えてやるべきだ。
そう思った俺は揺らぐ火に油を注ぐ。
「でもさ、『昨日、寝かせてくれなかった』とか『あの程度で音をあげるから』とか言われるとやっぱり考えるだろ。普通は」
「ちっ、違うそれは──」
顔が炎のように赤く燃え上がる小宵は必死に否定しようとするが、第三者からの目は、
「あ、朝から二人はエッチなんだね~……」
と顔を赤くしてそっぽを向いた。紛れもなく、俺と同じように誤解している。
「ほら、お前らの言い方が悪いんだよ」
「わ、わかったわよ……」
まだ顔の火照った小宵はもじもじとしながら謝った。しかし歩はというとなにか満足げな様子で小宵が赤面するのを面白がっていた。
「お前はわざと勘違いさせるような言い方をしただろ?」
「あ、ばれたか?」
「長い付き合いだからな」
「それもそうだな」
長い付き合い、歩とはいつから友達だったのだろうか? 夢で見たあの歩は小学生以前だといっていたが、俺は中学の時に出会ったと覚えている。
どちらが正しいのかわからないが、一度聞いて確かめる必要があった。
~*****~
教室へ入ると、席に座っていた詩織が待ってましたとばかりやって来る。
「ねぇねぇ、みんなはもう聞いた? 転校生が来るかもしれないって話」
「転校生……?」
小説やマンガではよくあることだが、まさかそういう言葉がこの学校で聞けるとは思わなかった。まあ、あんな人が校長なのでそんなことぐらい起きてもおかしくはない。
「そういや、来る途中そんなこと言ってたな」
「誰が言ってたのよ、そんな話」
「いや、登校中の女の子達が楽しそうに話してたんだよ。今日、俺たちのクラスに転校生が来るかもってな。まぁ、朝から女子トークに聞き耳立ててた俺からしたら残念だったけどな」
全くこいつは女の子のことしか頭にないのか……。呆れながら歩の話を聞いていると、詩織が自慢げにその大きな胸を張った。ほんと、はち切れそうなそれは舞や梅雨のそれと比べ物にならない。
「実はそれね、私が流した噂なのだよ。すごいでしょ~。リツイート率はなんと500リツイートを越えちゃったんだよ~! すごいでしょ~」
「わっ、ほんとだ! すごいよ、詩織ちゃん!」
確かに、リュアナのスマホを覗くとそこには『転校生の噂』の呟きが載っていた。
マジでリツイートが500を達している。あり得ない、この学校全校生徒を集めても400人ぐらいだったはずだ……。
「でも、どうやって転校生が来るって思ったの?」
「それは簡単だよ~。ほら、あの席。一席増えてるでしょ?」
詩織の指さす方を見ると、確かに教室の空いていた一角に席がひとつ増えていた。
「え? あ、ほんとだ……。みんないないから気づかなかったよ」
「俺もいま気付いた。よくわかったな」
「えへへ、これでも毎朝この光景を一番に見てるからね~、なめちゃいけないよ~」
自慢げな表情をする詩織。「でも、それだけじゃないんだろ?」とニヤリとした笑顔を浮かべる歩が尋ねた。
「ふふふっ、さすが歩くん。その通りなんだよね~。実は職員室に鍵を取りに行った時に先生が話ってるのを耳にしたの……それでね、これは転校生だなって確信までいったの」
「なるほど、それじゃこれは噂じゃなくて結構有力な情報なんだな」
さすがは詩織。リツイートがここまで大きくなったのも伊達ではない。
「うんうん。でも、転校生がどんな子なのかは言ってなかったからわからないなぁ~」
「男の子かな、女の子かな……」
期待で楽しそうにそわそわし始めるリュアナ。
「女の子じゃないか?」
考えなしに口に出すときつく睨まれ、ふんっとそっぽを向かれてしまった。
「私はうるさくなければ誰でもいいわ……」
「俺はもちろん女の子がいいけれど、うるさいやつもいいな~。体育祭や文化祭が盛り上がりそうだ」
「歩、それ私に対する嫌がらせかしら?」
「うん」
清々しいほど笑顔を浮かべる歩。もちろん、小宵は殴るために駆け出した。
「待ちなさい! 歩! 今日こそは一発殴らせて貰うわ」
「ふっ! はっ! ほっ! そんなんじゃ、まだまだ俺には届かないぜ!」
華麗に小宵と机を避けて逃げる歩。ああ、いつも通りの日常だ。
こうして、俺達は帰ってきた日常を楽しみながら朝礼までの時間を潰したのだった。
~*****~
「それじゃ入ってきていいぞ」
このクラスの担任である奥野先生の掛け声で教室の扉が開いた。
入ってきた『転校生』は、まだ真新しい制服のスカートをなびかせ、跳ねるように教壇にのぼった。
「初めまして! 私は白崎 落葉と言います! どうぞ、よろしくねっ☆」
「うおぉぉ~!!!」
まるで敬礼のようなポーズととどめのウィンクで、ハートを撃ち抜かれた野郎どもは熱狂的な声を上げた。※もちろん、歩も含まれています。
教壇に立った白崎 落葉という少女は、美人ではあるものの、舞や梅雨に通ずるあどけなさが残り、明るく見えるその性格からまるでアイドルのようだ。事実、教壇はすでにステージの舞台の様になって観客が騒いでいる。
「ねぇ? 想真くん」
つんつんと後ろの席に座っていたリュアナに背中をつつかれた。その声で、なんとなく言いたいことがわかる。
覚悟を決めながら振り返ると、案の定、機嫌が悪そうなリュアナがいた。
「想真くん、浮気しちゃ、めっ……だからね」
真剣で鋭く研いだ目。しかし、その瞳は、捨てられることを恐れ、不安に思う心で揺らいでいた。
誰がこんな子を置いて違う女の元に行けるだろうか? 少なくとも俺には無理だ。
「ああ、約束でも何でもするさ。だから、俺を──」
信じてくれ、そう言おうとして横やりが入った。
「なるほど~君が想真くんだね」
「え?」
オレンジ色のような髪。独特なまったりとした柑橘系の甘い香り。この香りは一体なんの花の香りだっただろうか? 思い出そうとして、気が付いた。
教壇の上にいた少女は今、俺の目の前にいた。そして、今まさに大事な約束事をしようとしていた少女は失望したような目で俺を見ている。
「えーと……」
(あ、ヤバい、この状況は修羅場だ……)
問題のこの二人に加え、このクラスの全員が俺を注目して見ていた。
マジョリティーが殺意の視線、軽蔑の視線を向けてきている。マイノリティーが憐みの視線だろうか? なんにせよ、ここは慎重に言葉を選ばなければならない。
「落葉さんだったよね?」
自己紹介の名前を必死に思い出しながら言うと、クラスがざわめいた。早くも俺は失言してしまったのだろうか? 少しあたふたしながら辺りを見回すと、「これだから……」とみんなに呆れ顔で見られた。
「想真くんは、下の名前で呼んでくれるんだね……」
そこでやっとクラスがざわめいた理由が分かった。初対面で下の名前を呼ぶのは親しすぎる、のか……。しかし、これは俺の性分みたいなものなので少しは目をつむってほしいところだ。
「嫌だったら、苗字で呼ばしてもらうけど?」
「うんん、いいのいいの。私、いつも落葉ちゃんって呼ばれてるから。さっきはちょっとびっくりしただけなの、あっ、みんなもそう呼んでくれて構わないから」
落葉がクラスに呼びかけるとすでに返事が返ってきていた。馴染んでるな~と感心しながら俺に話しかけた理由を尋ねた。
「それで、俺に何か用かな?」
「えーと……この後、ちょっといいかな。ここじゃ、ちょっと……」
「「えっ……」」
その意味深長な発言に俺と同時にリュアナも驚く。当然だ。初対面でありながら、二人で会おうと言われているのだから。
「ここじゃ言えないことなのか?」
周りに聞こえないぐらいの声で聞くと、こくりと頷いた。
「なら──」
「白崎、そろそろ座りなさい」
奥野先生の注意をうけ、落葉はそのまま去ろうとした。
「ちょっ──」
「それじゃあ、今度はバイト先でね☆」
「えっ……」
一人おいて行かれたような感覚に包まれた。
俺はポカンとしながら、オレンジの髪に包まれた落葉の後姿を見送った。




