紫陽花~epilogue~
俺が次に目を開くと、そこには不思議そうに覗き込む梅雨の顔があった。寝起きでおぼろげな意識の中、俺はずっと梅雨の目を見ていた。深い青色、まるでサファイアのような瞳に引き込まれるような感覚を覚えた。
俺は一旦、その引き込むような瞳から逃げるように目を閉じ、改めて梅雨を見た。梅雨は笑顔を浮かべていて、なんだか嬉しそうだ。
「おはよう、梅雨」
「うん、おはよう想真お兄さん。でも、今はもうお昼だね」
梅雨は今の時間を示しているであろう太陽を、手をかざしながら見上げると、梅雨の顔で隠れていた日光が容赦なく顔に降り注いだ。
「うわっ、眩しいなぁ……」
あまりの眩しさに俺も梅雨のように目を覆い、体を起こした。どうやら、昼まで寝ていたようだ。梅雨の雨でも生きていたスマホの画面で現在の時刻を確認した。
「それにしても、雨が降っていないせいか妙に蒸し暑なぁ~。まあ、7月の夏なんだし暑くなり始めてもおかしくはないんだけど」
「そうだね。今年の夏は私の雨がもうないから、とっても暑くなりそう」
「そりゃ、悪いことしたな」
ちょっとした冗談のつもりで言ったが、こればっかりは梅雨の主観なので判断はつかない。ただ、俺がしたことに後悔はなかった。
「全然悪くないよ。むしろ、嬉しいんだよ。この島にもこんな夏が来ることが。雨で出来なかったこともいっぱいできるようにもなると思うし、私と一緒に遊んでくれる子供たちも今まで以上に多くなるし、それにほら私幸せだから……ね」
梅雨なりに励まそうとしているのだろう。別に落ち込んでいるわけではないが、梅雨にそう言われて、その笑顔を見れて、俺は雨を晴らすことができて心からよかったと思えた。
「ありがとな」
「それを言うのは私の方だよ」
砂埃をはらいながら立ち上がり、さてととこれからのことを考えた。
「そっか……それじゃあまあ、怒られに帰るとしますか」
「うん……? 何で怒られるの? もしかして想真お兄さん悪いことした?」
「悪いことしたな、俺も梅雨も」
「ふぇっ!? わ、私もなの……?」
その驚く梅雨に思わず舞を思い出し、俺は笑った。
「まぁ、そういうことだ。二人仲良く怒られましょうよ」
「嫌だよぉ~」
帰りたくなさそうに言う梅雨だがその足取りは軽かった。まるで体についた重たい泥を雨で洗い流したかのように。
~*****~
俺と梅雨が旅館に帰ってくると、俺だけが正座させられていた。みんなそれぞれの座り方で俺を事情聴衆をするように取り囲んでいる。梅雨は一人おいてけぼりを食らったようにおろおろとしていた。
……なんでだろう、とても悪いことした気がする。
「気がするじゃなくてしたんです!!!」
バンっと俺とリュアナを挟む机は音をたてた。声を張り上げたのはもちろん先陣を切るリュアナだ。その迫力は義姉に勝るとも劣らない。
(……ココロ……心、読んでるよ)
「今はどうでもいい!」
二度目の鈍く乾いた音が鳴った。あまりの気迫に思わず「すいません」と口から出た。
「ねぇ、どうしてこんなに帰ってくるのが遅かったの? わたし、心配で心配で……夜も眠れなかったんだよ? それなのにどうしてこんなに遅くなっちゃったの?」
その言葉が嘘じゃないと、リュアナは涙をこぼし始めた。その姿を見てると、俺がどれだけ迷惑と心配をみんなにかけていたのかを染み染みと感じ、安心して昼まで寝ていた俺が馬鹿馬鹿しく思えた。
「……ごめん、リュアナ。それにみんなも。俺のせいでこんなにもみんなに心配や迷惑をかけて。本当にごめん」
そうして、俺は素直に頭を下げた。
「昨日、ちゃんと言ったはずなのに、まったく想真は」
全く理解できてないと歩は呆れ気味に言った。
「……ごめん。梅雨が泣いてるってことを考えるといてもたってもいられなかったんだ」
「知ってるよ、それが俺の友である想真だからな。でも、なんか納得がいかないだよなぁー。だいたい、想真はあの時も勝手に一人で飛び出していきやがって身勝手なんだよ、お前は」
「本当、悪い。出来るだけ堪えようとは思ってるんだけど……」
どうしても我慢ができないかった。できるだけ自重しようと思っていても体は勝手に動き出してしまうのだ。これが俺の性なのかもしれない。
「まあまあ、これが想真くんなんだから、歩くんもなんとか丸く納めてあげて」
「そう言われてもなぁ」
詩織に言われうーんと悩むように考え込む歩。そんな中、小宵が小さな手で机を叩いた。
「わたしも納得がいかないわ。ここまで手伝わせておいて、最後は一人で片づけるなんて納得がいかないわ」
「それだ!」
小宵の意見に歩が指を鳴らす。こういうときに限って、この二人の意見が合んだよなぁ……。
「一人で最後、美味しいところを全部持っていかれたことが気に入らないんだ!」
「……そ、それは本当にごめんって、悪かったよ」
「いーや、謝って許されると思うなよ! セリアさん、ジャッジを!」
急に振られたセリアさんはことの次第を読んでいたようにすぐに対応した。
「わかりました。今回、想真くんが集団行動を無視してすべてを一人で片付けてしまったことについて、判決としては想真くんに罰を与えたいと思います。そして、その内容とは……」
その内容とは……とセリアさんが焦らすようにためる。もしくは、罰を考えている時間だろう。その時間がなんにせよ、注目されているセリアさんが下した判決は──。
「リュアナと一緒に花火を買ってきてね」
──って、
「「えっ!?」」
罰の内容に思わず驚いてしまったが俺とリュアナ以外は特に驚いたようすはない。つまりは、みんなは元からそういうつもりで考えていたようだ。
「ほらほら、はやく二人でラブラブデートに行ってきなよぉ~。私達は砂浜で待ってるからさ。たしか、商店街にある玩具屋さんに置いてあったはずだから……それじゃあ、想真くん、リュアナちゃん、いってらっしゃい」
何かを言う暇もなく俺とリュアナは詩織に背中を押され部屋の外へと放り出されていた。
「なんで、こうなったんだ」
「それは、私が一番聞きたいよ」
唖然としながらも不機嫌そうに言うリュアナ。まぁ、なにもしていないリュアナが買い出しに行かされるんだから、そりゃ不機嫌にもなるか……。
しかし、一方で俺にとっては都合がよかった。もちろん、リュアナが不機嫌になることではなくて二人きりになれると言う意味で。一番、迷惑と心配をかけたリュアナにはもう一度ちゃんと謝りたかった。
「まあ、いいんじゃないか? 俺もちょうどリュアナと二人きりっで話したいことがあったし……」
「うーん……そうだね。想真くんにはいっぱい今日のお詫びを貰わなくちゃいけないし」
「おいおい」
「それぐらい、いいでしょ? どれだけ彼女に心配かけたと思ってるの?」
リュアナはちょっと怒ったような顔をすると俺の腕を抱き締め、肩を寄せた。触れた肩から感じる小さな震え、俺はリュアナのその手を握り、肩を寄せ合った。リュアナは少し驚いたような表情を浮かべ見上げてきたが、俺は無視して前を向いていた。
「……ま、そうだな。ここは彼女に心配かけた彼氏の甲斐性だな」
俺とリュアナは笑いながら、日が傾いた道を歩いた。
~*****~
花火を買った俺たちは砂浜で花火を満喫した。
先に来ていた女性陣は浴衣に着替えており、好みの花火を取ると夜の浜辺を彩った。普段は感じられない浴衣が醸し出す落ち着きに新鮮味を感じ眺めていたが、選んだ花火の種類に個性が表れて、結局なんにも変わっていないことに笑えた。
空には歩が打ち上げた打ち上げ花火が次々と花を咲かせた。点火した打ち上げ花火を歩が倒し暴発……なんてこともあったがそれもいい思い出だ。
天音島最終日。
帰りの飛行機が出る夕暮れまで俺たちは海で遊んだ。とはいっても、梅雨とリュアナが海でおぼれたことで金槌だということが判明し、そこからは砂浜で城を作ったり、バレーボールをしたりとほぼ陸で遊んでいた。海では遊んでいないがそれでも俺達は十分に海を感じることができた。
そして、夕方。俺はひとり梅雨を呼び出した。理由はちょっとした提案をするためだった。だというのに梅雨はあからさまに不自然な態度で頬を赤く染めていた。
「……なぁ、梅雨。これからお前に告白するわけじゃないからな」
「えー……」
あらぬ誤解をきっぱりと否定すると、梅雨は本当に残念そうにうなだれた。いったい誰に吹き込まれたのやら。犯人を考えればきりがない。
「俺にはリュアナがいるし、お前もまだ立ち直ってないだろ?」
「うわっ、それをいうんだ想真お兄さんは……」
むっ、と睨むように見上げてくる梅雨。しかし、すぐにその表情は溶けた。
「私が失恋で悲しんでいるかは別として、想真お兄さんが私だけを呼び出したのはどうして?」
「ひとつ、提案があるんだ。これは昨日、リュアナと話していたことなんだだけど……」
昨日、リュアナと二人、花火をしていた時のことだ。
「あーあ、もう梅雨ちゃんともお別れなんだね……」
線香花火が落ちて、しんみりとなった雰囲気にリュアナは物悲しそうにつぶやいた。
「……そうだな。今年はもう会えないとなるとやっぱり寂しいな」
梅雨は紫陽花の木が咲いている夏にしか出てこられないため、来年の夏になるまでもう会うことはできないだろう。
「まだ夏は始まったばかりなのにねぇ~」
「だな」
ここで過ごした夏がいくら充実していても、夏休みをあと一か月残している俺たちにとってまだ夏は始まったばかりだ。
「梅雨ちゃんには天音島のこといっぱい教えてもらったし、今度は私が案内してあげたいなぁ~。水族館とか遊園地とか連れて行ったらどんな表情するだろう……」
頬を緩ませ、梅雨の驚く表情を想像するリュアナ。それが出来たらどれだけ楽しいだろうか。
「あーあ、梅雨ちゃんが私たちのところへ来ないかなぁー」
戯言のようなリュアナの発言に俺は思いついた。ただこれを実行するにはいろいろと問題があったので、こうして今、一番知っているであろう本人に相談していたのだ。
「うん、それは可能と思うよ。でも、それと同じように想真お兄さんが心配していることは起こるかもしれない」
「確率で言うとどれぐらいだ?」
「……半分くらい」
「そうか」
顔を落とす梅雨の表情を見れば、やはり無理は出来そうもなかった。
「残念だけど、それじゃ……」
止めておくか。そう言おうとした。しかし、その瞬間、梅雨は顔をあげて俺を見た。
「想真お兄さん、私はそれでも行きたい! どんな問題があってもこの方法で行けるなら、私はやるよ」
でも……、そう否定的な意見が口から出そうになって途中で止めた。梅雨の目がその意思の強さを訴えていたからだ。それだけわかれば俺からはもう何も言うことはなかった。
「私は想真お兄さんたちと一緒にいたいの」
「ああ……」
梅雨が強くそれを望むのなら、その願いはすべての障害を振り切って叶うだろう。それにもし問題が起きたとしても、どれも一度は経験していることだ。大丈夫、なんとかなる。
「わかった。梅雨がそこまで言うのなら、やろう」
「うん!」
俺達は今日から二日後に決行することを予定して、みんなのいる元へと戻ったのだった。
~*****~
「わたし、絶対に来るからぁ……来年も絶対に来るからぁ!」
「う、うん」
それぞれ梅雨との別れの挨拶もほどほどに終わり、一番最後のリュアナは空港で大号泣するほどの泣きっぷりだった。あの内容を知ってここまで泣けるとなると、さすがに梅雨じゃなくても引いてしまうだろう。
「……リュアナ、さすがに別れの挨拶だからってそんなに抱き締めたら梅雨が窒息死するだろ。離れなさい」
寂しいのはわかるけどと慰めてやりながら、リュアナの胸に押し潰されている梅雨を救助した。
「いいなぁ~梅雨ちゃんは。俺もリュアナちゃんの胸に沈みたい!」
「なら、この海にたっぷりと重し付けて沈ませてあげましょうか?」
「いや、それならセリアさんの母なる海に沈めさせてくれ」
真面目な顔でなに言ってんだよ……。
「ふふっ、やっぱり想真お兄さん達と一緒にいると楽しいね」
「そうか?」
「うん……だから、必ず行くよ」
「ああ、待ってる」
遠くの方でアウラさんが俺達を呼ぶ声がした。そろそろ時間が来たようだ。
「そろそろ、行かなくちゃな……」
「梅雨ちゃ~ん」
ぎゅっ、と最後の最後のハグをするリュアナ。このままだといつまで経っても別れることが出来ないだろうな、そう判断した俺は少し意地悪なことを言った。
「リュアナ、このままだとひとり置いて帰ることになるけど、リュアナが帰ってきた時、俺が浮気していても文句は言うなよ。俺をほったらかしたリュアナが悪いんだからな」
「浮気」
リュアナは真剣な声色で呟くと、やっと梅雨から離れた。
「梅雨ちゃんごめんね。想真くんをちゃんと見張ってないと浮気されちゃうから、私帰らないと行けない」
「うんうん、わかってるよリュアナお姉さん。私もすぐにそっちに行くから待っててね」
「……あ、そっか。梅雨ちゃんもこっちに来るんだったね」
今、思い出したのか。
「うん、そうだよ。だからお願い、私を待っててね」
「もちろんだよー。梅雨ちゃんこそ、こっちにきたらいーっぱい色んなことを教えてあげるから楽しみに待っててね」
「うん!」
ここの島に来て一番の返事をして、満面の笑みを浮かべた。この笑顔を見ると不安だったことを忘れられる。必ず来ると信じることができた。
「さて、行くか」
「うん、そうだね。またね、梅雨ちゃん」
「うん、またね。想真お兄さん、リュアナお姉さん」
「ああ、またな」
次に会うときはきっと俺達の町だ。それまで、俺達も色々と準備をしておこう。そう、楽しい夏休みはまだ始まったばかりなのだから。
~*****~
あれから二日後が経ち、俺とリュアナは白雲公園にある四季の木を前に梅雨を待っていた。
日は沈み、遊んでいた子供たちは家に帰り、すっかり誰もいなくなってしまう。人がいない公園はしんとした雰囲気を纏い、不思議と背筋が張り詰めた。
そして、待っていたそれがついに起こり始めた。
いつぞやの桜のように紫陽花の花々が光を纏い、輝き満ちた。
梅雨の転送が始まったのだ。
紫陽花の木とこの四季の木を通じて梅雨を俺達の町へ呼び出す。まるでテレポートのようなこの現象は、以前、舞という少女が俺達の町へとやって来た方法と全く同じ方法だった。舞の姉である梅雨ならば、それと同じことができるのではないか、そう推測した俺は梅雨に相談したのだ。
もちろん、デメリットはあった。記憶を失うというデメリットだ。しかし、それをわかっていても梅雨は来たいと言った。だから、今日、それは実行され、梅雨は梅雨のままで俺達の町に来るのだ。
大きな紫陽花の花束から光輝く一筋の雫が地面へと落ちる。弾け散るはずのその雫は、まるで水面に落ちたように──。
そこで俺が気がついた。地面に波紋を立てていたのは小さな片足だったのだ。やがて、もう片方の素足が地面に着き、二つ目の波紋がたった。
「──よっと」
すこしバランスを崩しながらもなんとか着地したその少女は聞き覚えのあるその声を漏らした。
「ようこそ、梅雨」
「二日ぶりだね、梅雨ちゃん」
青い髪に紫陽花のバレッタを着けた少女が梅雨であると確信して俺達は出迎えた。
少女は笑顔を浮かべてこう言った。
「想真お兄さん、リュアナお姉さん。私は来たよ、みんながいるこの町に」
なにも変わらない、例年通りの夏が始まった。でも、そのなかにも忘れられないような日常が待っていることを俺達は知っている。
俺達の夏はまだ始まったばかりなのだ。あの充実した島の夏の続きはここからまた始めよう。
忘れることのできないこの夏をここからまた始めるのだ。




