紫陽花~Last summer Ⅱ ~
「う~ん、まだ腰が痛い」
胸を張り背筋を伸ばす……が、治らない。しかし、まぁ……。
見上げた空は夏らしい青空が広がっていて、何度でも背伸びをしたくなる陽気だった。初デートにはちょうどいいか。
まぁ体の調子はいまいちだけど……。もう一度背を伸ばして、腰の痛さにやはり思う。
「しかし、まだかな~……リュアナは……」
もう何度めか、体を伸ばす。しかし、やっぱり何度やってもこの胸のざわつきは収まることはなかった。
わかっている。俺が浮わついた気持ちで彼女を待ちわびていることを。しかし、けして今日の目的を忘れたわけではない。そう、俺は紫陽花の木について調査しなければならないのだ。
と言うのも昨夜の会議の結果。何をするにもまず情報が必要であるということが明確に挙げられたのだ。そして、その方法としてあげられたのが、少人数に分かれて紫陽花の木について情報集めるというものだった。セリアさんが気を利かせてくれたおかげもあって、今日は俺はリュアナと二人きりで商店街を聞き込み調査という、いわゆるデートを…………ん? 普通、デートというのは商店街でするものなのだろうか……。
うーん……と少し考えたが、大切な人となら場所など関係ないという考えにたどり着き、デートということで落ち着いた。
「それにしても、リュアナ遅いような……」
商店街の入り口に待っててといわれてから、すでに三十分は過ぎている。そろそろ何かしらのアピールがあってもいいはずなんだが……おかしい。
この商店街は旅館からそう遠く離れてはいなかった。十分、歩いてこれる距離だ。だから、交通事故が起これば音や人のざわつきでわかるはずだし、もし誘拐があったとしても力を使うことで俺に知らせることができるはずだ。しかし、だからこそ、俺はこの状況の中で何の連絡もないことに不安を募らせていた。
(リュアナ……)
思わずこぼれた想いが力を使ってしまう。やっぱり、一度戻って──。
「そんな悲しい声で私を呼んでいったいどうしたのかな?」
一番聞きたかった声に俺は振り返る。
南国の花を彩ったワンピースに少し大きな麦わら帽子。ノースリーブのワンピースから伸びた白い手足、揺れる白い髪──。
「リュアナ!」
間違いないと思った時にはすでに俺は駆けていて、俺よりも少し身長が小さい体を強引に抱き寄せていた。
「想真くん……?」
衝撃でリュアナの麦わら帽子がひらりと落ちる。しかし、そんなこと今はどうでもよかった。この温もりが事実ならそれでよかった。
「……そ、想真くん。ちょっと、苦しいかな……。心配をかけたのは、その……悪かったと思うけど……」
気づいていたのかよ。
「──なら、もう少し強めてもいいよな」
「ちょっと、想真くん……っ!?」
驚く様子のリュアナを今まで以上に強く抱き締める。
「痛い痛い痛い! 想真くん痛いよぉ~!」
今にもポロリと泣きそうになるリュアナを見て、仕方ないなと抱き締める力を緩めた。
「本気で心配したんだからな……」
「うぅぅ……でも、そうだよね。心配かけちゃたよね。ごめんね、ちょっと準備に手間どっちゃって」
てへへ、と俺を見上げて微笑を浮かべたリュアナはぎゅっと抱き締めて密着するように頬を擦り寄せた。
「でも、そっかぁ……こんな私でも心配してくれたんだ。私はとってもしあわせ者だな~」
まったく、なに人の胸で呟いてんだか……。本当、心配する身のことをわかって言っているのだろうか?
「そんなのわかっていて言ってるに決まっているでしょ?」
とわざとらしくきつい上目使いで俺を見るリュアナ。俺は急いで目をそらせた。
「本当……誰かさんが嫌ってほどに無茶しちゃうんだから。心配したって全然足りないし、もう水族館の時なんて勝手に逝っちゃうのなら私もここで心中しようって覚悟してたんだから」
恐ろしいことを言うリュアナだが、あの観覧車のリュアナの泣き顔を見れば、今の言葉は嘘には聞こえない。
「……あの時は悪かった。本当にごめん」
「本当、君には心中するほど心配させられたんだからね」
プリプリと怒るリュアナを宥めるように髪を撫でる。
「ああ、今回のでそれがよーくわかった。だからさ、これからは遅くなりそうなら、連絡の一つでも寄越してくれないか、じゃないと俺さ……」
「うん、わかってる。そうしないと想真くんが心配で死んじゃうもんね」
そうだな、と笑いながらリュアナから体を離すと、タイミングを見計らったようにおじさんが落ちていた麦わら帽子をリュアナに渡した。
「いや、若いっていいもんだな~。見ていたおじさん達までつい熱くなっちまったよ。こりゃおまけいっぱいしてやらんと、ほら、兄ちゃんもお嬢ちゃんもこっちだ」
しまった、つい熱く。待てよ、今、おじさんは達って言ったか? いや、言ったよな!
辺りを見渡すと、俺達は商店街のモニュメントのように人の目に囲まれていた。
「えっ、ちょっ、あの……」
「ちょっと待ってくれよ、おっちゃん!」
戸惑う俺達の背中をグイグイと押して商店街へと案内していくおっちゃん。
それからと言うもの、俺達は商店街の格好の餌食となるのだった。
~*****~
ここは、天音島唯一の図書館。といっても見受けられる人数は少ない。しかし、その割に資料はなかなかの量だった。
「関係ありそうな本と新聞を集めたけど、こんなものでいいかしら?」
「大まかにはそんなもんだな。さっそく、作業に取りかかろうぜ」
適当な席を見つけ、紫陽花の木に関連した本と新聞をテーブルに置いた。今日の任務は、図書館での紫陽花の木についての資料集めだ。面倒ではあるが、友人の頼みを無下にするわけにはいかない。
「ねぇ、ちょっと待って歩、少しは…………いや、やっぱりなんでもないわ」
小宵はいいかけた言葉を飲み込むと、手当たり次第に本をぺらぺらとめくった。俺も小宵を見習うようにして本に目を通していく。が、チラチラと見てくる小宵が目障りでなかなか内容が入ってこない。
「なにかあるなら、話ぐらいは聞くけど?」
「あっ、あるわけないでしょ……ばか……」
わざとらしく視線を本へと向ける小宵。本当、わかりやすいな。
「ホントにそうか……?」
「そうよ」
わざと深く聞く俺にぶっきらぼうに返す小宵。真面目に本を読む姿に俺もそんな暇はなかったと思い起こされ、本を手に取ってぺらぺらとめくる。重要そうな要点を見つけてはその文章に目を通していく……のだが、やはり小宵がチラチラと俺を見ている。やはり二人っきりだと、意識してしまうものなのだろう。
はぁー、まったくセリアさんもいい迷惑だよな。そういうことは想真だけに気を回せばいいものを……。
と言うのも昨日の会議、組分けはセリアさんが一人で決めてしまい、結果、今ここにいるのは俺と小宵の二人しかいなかったからだ。
この人選は、特定の人物の気持ちを汲み取ればよかったのかもしれないが、仕事として考えるならこの人選は間違っている。
「はぁ~、わかった。休憩にしよう小宵」
ばたんと本を閉じて、小宵を誘う。ちなみに、さっき小宵がいいかけた言葉はこれだ。なるべく話をそらすべく、時間を作らないようにしてきたが、これでは仕方がない。しかし、小宵はやっぱり──。
「はっ、はぁ? さっき読み始めたばっかりでしょ? もう集中力がなくなったなんて、本当にバカね歩は」
と、いつも通り、本当の自分を隠すようにツンデレが炸裂した。
「そうか、なら仕方ないな。一人で行くさ」
鞄から財布を引き抜き図書館の出入り口に足を向けると、急にシャツを引っ張られた。見ると、小宵が俯きながらなにかぶつぶつと言っている。
「……私も……たい。……疲れたから…………」
素だな。今日は一段とツンが強い分、デレが増して小宵が本心を吐露する。
素直だ。いつも、これぐらい素直だったらどれだけましな女の子か……。
「おまえって本当にバカだな……」
「うっ………」
こういった軽い悪口も、今の小宵にはダイレクトアタックに等しく、言い返してはこなかった。
それから俺達は少し休憩をとって、いざ戻って本を開くと、小宵の視線が以前に増して回数が増えていた。
~*****~
先日、舗装したばかりの石畳の先。紫陽花の木を見上げている少年を私は見つけてしまった。少年も私の気配に気づき振り返る。
いるはずがない。しかし、振り向いたその顔には間違いなかった。
「……騒次……?」
名前を呼ばれた少年は笑顔を浮かべた。あの人のことだ、どうせ私の驚いた顔に笑っているのだろう。上手く誤魔化せなかったこの顔に。
「なぜ若竹騒次がここにいる!」
後から階段を登ってきた静華が、そのまま駆けていきそうな勢いで飛び出した。私は慌てて今にも騒次を襲い掛かろうとする静華の手を取る。
「放せ、セリア。奴を捕まえなければまた逃げるぞ!」
「逃げないわ! 用件をいい終えるまでは。ねぇ、そうでしょ?」
紫陽花の木の下には相変わらずの笑顔を浮かべる騒次に問いかける。
「うん、そうだね」
その返事を聞いて、静華はなんとか踏みとどまった。
「久しぶりだね。セリアさん、静華さん。それに奥にいるのは、詩織さんと例の梅雨ちゃんかな?」
どうやら、詩織ちゃん達も登りきったようだ。
「どうして梅雨ちゃんのことを?」
先程の騒次の言葉で一番疑問に思ったのはそこだった。
「頼まれたんだ、君のお母さんにね」
「えっ……?」
騒次の回答に思わず、口を開けてしまう。
母が? でも、どうしてそんなことを?
思い当たる節を思い返すと、一つだけ該当する答えが浮かび上がった。
まさか! あのバスのことを……っ!? もし、騒次に伝えられているとしたら……ああ、もう顔から火が出そう。
「あの人は一体、誰ですか?」
「あの人はね~、セリアさんの想い人だよ~」
「そうなの? なるほど、道理で……」
ごほん、と咳払い。
「それで、なにかわかったことはありますか?」
「まぁ、それなりに……ね」
騒次くんの最後のねは私ではなく梅雨ちゃんを見て言っていた。確信に近い情報を持っていると踏んでいいようだ。
「私達も色々と調べているので教えてはくれませんか?」
「もちろん、伝えるつもりだよ。でも、これは……」
騒次くんが言い渋る。珍しく迷っているのだろうか?
「ごめんね。結局、セリアさんが教えることになるだろうけど、今は二人にさせてくれないかな?」
ふ、二人っきりって!?
「ちょっと待て、そこでなぜ二人っきりさせ──」
「どうぞどうぞ、私達は下でゆっくりしときますので、ごゆっくりー」
「────」
「ちょっと詩織ちゃん!?」
一番近くにいた静華の手を取ろうと手を伸ばしたときには既にその姿は消えていた……。
静華が詩織ちゃんに連れていかれてしまった。つまり、今は騒次くんと二人っきり……。わわわ、どうしたら……。
「それでセリアさんには聞いてほしいんだ。それから、ちょっと考えてほしい」
な、何を!? も、もしかして………。
「梅雨ちゃんの過去を……」
で、ですよね~、はぁーよかった。でも、もしこれで告白されていたら……私、どうしちゃってたんだろう………………………。
「…………さん」
……えーと、あれ? 私、何をしてたんだっけ?
「セリアさん!」
「えっ?」
そっ、騒次!? しかもこんな至近距離にっ!
「ちょっと待って今はっ──えっ?」
──あれ、地面がない。私もしかして……。
気がつけば、ゆらりと倒れていくような浮遊感に襲われて……。ああ、倒れ……。
「セリアっ!」
騒次の声が聞こえて、慌てた騒次の顔が見えた。私は………………。
──バシャン、と、水溜まりが激しく飛沫をあげた。
「……………」
一部始終をこの目で見ていたはずなのに、この状況に説明がつかなかった。
「………うぅっ」
ただ今は……この額に彼の温もりを感じて涙を流すことしか出来なかった。止めることなんて出来なかったし、しなかった。こんな泣き崩れた表情を彼に見せるのは恥ずかしいし、悔しい。でも、それ以上に嬉しかった。こうして彼に抱かれて頭を撫でられていることに私は喜びを感じていた。生きていたからこそ、感じることのできた喜びだ。
だから、私は泣き続けた。この喜びを噛み締めるために。
~*****~
「こういうことだったんだ……」
しばらくして落ち着いた私の下敷きになっていた騒次が呟いた。
「なに……が……?」
「梅雨ちゃんの黒歴史だよ……。セリアさんは知らないかも知れないけど、昔、梅雨ちゃんは人を驚かしまって、人を落としてしまったことがあるんだ」
「……知ってるわ、バスのおじさんから聞いたの。梅雨ちゃんに驚いた観光客がひょっこり足を滑らせて事故になってるって」
「そっか、それじゃあセリアさんはどうして梅雨ちゃんが飛び出して来ていたのかは知ってる?」
「それは、梅雨ちゃんが好奇心が旺盛で……って違うの?」
騒次の笑い顔に私は問いただした。
「それもひとつの理由だとは思うけど、実はそれよりも大きな理由があるんだよ♪」
「大きな……理由?」
まるで何かの内緒話をするように本当に楽しそうに言う騒次。
まったくこの話のどこに楽しいところがあるというのだろうか?
「うん、そうだよ。そしてその理由はね、まるで紫陽花のように雨のなかを待ち続ける梅雨ちゃんの一途な想いが理由なんだ」
微笑む騒次はそれから、また、梅雨ちゃんの過去を話始めた。驚くことにそれはまだ、この場所が雨が止まなくなる前の話だった。




