四季の始まり4
「──ふぅ~……」
ベッドの上に体を転がし、未だぬぐいきれないことをまた考え始めた。
お風呂から上がりにもかかわらず、こうしてまた考えてしまうのはやはり今日の出来事があまりに唐突で衝撃的であったからだろう。
朝霧 リュアナ。
たったその一人の女の子が、今まで波のたたなかった平穏な水平線を破ったのだ。力を持っている。ただ、それだけのことで。 波は俺にとって記憶をもう一度繰り返すきっかけになった。
だから、考えてしまう。もしかしたら、あの時の美羽ちゃんはこうなることを知っていたかもしれない、と。
だからあの時、こうなることを知っていて美羽ちゃんは言ったのじゃないだろうか?
確かめようはなかった。もう、美羽ちゃんはこの世界にはいないのだから。
「は〜……寝るか」
まだ胸のうちにわだかまる霧を払えぬまま電気を消して布団に入る。そして、いつしか眠気に襲われ、夢の世界へと落ちていった。
~*****~
4月10日、俺が12歳の時だった。
「お母さん、今からどこに行こうとしているの?」
母に連れられて歩く桜道。こうして母について来たものの、その行き先は知らず、数分経って我慢ができなくなった俺はそう質問した。
「もうすぐ着くはずなんだけど、瀬良さんっていう人の大きなお家に行こうとしているのよ」
大きなお家ってどれぐらい大きいのだろうか、なんてこと考えながら母についていく。
「……よし、ここね」
着いた家は、俺が想像していた大きさより、はるかに越えていて、玄関の門の先には広い庭が広がっていた。
あまりの大きさに胸に心配が積み重なって苦しくなって、俺は母に聞く。
「……ねえ、本当にここなの? ものすごく大きな家なんだけど……」
「ええ、大丈夫よ。ここであっているわ」
微笑む母は何のためらいもなく、大きな門の端に付いていたインターフォンに手を伸ばした。心配だった俺はつい母の手を取ってしまう。
母はインターフォンに向かって自分の名前を伝えると、若い家政婦さんが来て門を開けてくれる。中に入ると、オレンジ色のブロックで出来た大きな道が続いて、見えていた庭がさらに横幅を広めて、まるで公園の中にいるんじゃないかと錯覚しそうになった。
正面には大きな城がある。あまりの大きさに俺は見とれて足を止めてしまっていた。はっ、と我に返ると母に置いていかれそうになって走って追いついた。
「お城、すこぐデカイね」
そう言うとクスクスと母に笑われた。
「……そうよね~。それにこのお城の中は部屋がいっぱいあるから、きっと外見よりももっと広く感じるわよ」
そう言って微笑む母はどことなく硬さ感じた。本の少しだけれど普段よりもおさえた感じだ。
家に入ると、家政婦さんに案内され一つの部屋へと通された。
落ち着いた部屋。しかし、どれも高級感があってソファに座ることさえに少し抵抗していた。
少しして、応接間のドアが開き若い男の人がやって来た。
「ようこそ、私の家へ。香さん、想真くん」
「お久しぶりです。星真さん」
俺はどうしたらいいかわからず、ただ頭を下げる。
席について二人の話を聞いていると、この男の人はこの家の主人で母とは昔馴染みのようだった。しかし、その割に母は懐かしむ様子を見せず、険しい表情でいろいろと質問していた。
不思議に思ったが俺にはその理由はわからない。話の内容もほとんどさっぱりだった。ただ、母は誰かを探しているようで──。
応接間の扉が少し開き、そこから覗きこんでいる女の子に俺は気づいた。見た目は同じぐらいの年の女の子だ。
「…………」
女の子も俺の視線に気づいたのか、にこやかな笑顔で俺を軽く手招きしていた。
「……こっちこっち」
小さな声で呼んでいる女の子。興味が湧いて俺は会いに行くことにした。
俺は母と星真さんに許可を貰い、女の子に会いに廊下へと出る。廊下に出るとさっきの女の子が立っていてニコニコと笑っていた。
身長は小さく、茶色いショートカットの髪がさらさらと動き、元気な女の子なんだなと第一印象はそう思った。
「ねぇ、あなたの名前は?」
手を後ろで組んで少し体を倒しながら、上目遣いで少女は名前を訊いた。
「俺は四季 想真だけど、君は?」
「私は瀬良 美羽、ねぇ一緒に遊びましょう。退屈してたところなの」
「えっ? う、うん、いいよ」
いきなりのことで驚きながらも俺がそう答えると、女の子は嬉しそうにぴょんぴょんと跳び跳ねた。
「さあ、行きましょ!」
「どこへ?」
「私の部屋だよ」
美羽ちゃんは嬉しそうな表情を浮かべると手を掴み、部屋につれていかれたのだった。
外が暗くなり、帰り際に美羽ちゃんはまた来てねと寂しそうな顔をして言った。そんな顔を見たくないなと思った俺はその日から毎日と言っていいほど、俺は美羽ちゃんと一緒に遊ぶために屋敷へ通うようになっていた。
そんな、ある日のことだった。
「ねぇ、想真くん。わたしね、外の世界を見てみたい」
「え?」
美羽ちゃんは、性格とは裏腹に体が弱く、病気になることが多かったので外で遊ぶことはあまりなかった。だから、こうして誘われたのはとても嬉しかったが、やっぱり美羽ちゃんの体を心配した。
「ダメだよ美羽ちゃん、君はまたすぐに病気になっちゃうから」
「でも見たいよ、どうにかならない?」
いつもとは違ってなかなか諦めようとしない美羽ちゃんに、仕方ないかなとやれるだけのことはやってみようと考えた。
「……わかったよ。出来るだけのことはやってみる。でも、いったいなにをすればいいんだろう?」
「それなら、私のお父さんに言ってくれないかな? お父さんなら許してくれそうだし」
「うーん……わかったよ。行ってみるよ……」
「やったー、ありがとう想真くん」
美羽ちゃんは手を取って喜んでいたが、正直、美羽ちゃんのお父さんと話さないといけないという不安で押し潰されそうだった。
行ってらっしゃい、と言う言葉を背にドアから出ると、ちょうど目の前に最初に案内してくれた家政婦さんが掃除をしていた。
「あのっ! 美羽ちゃんのお父さんと話しをしたいのですがどこにいますか?」
「旦那様ですか? それなら、この時間は書斎にいると思いますよ」
「あのしょさいってどこにあるのですか?」
「書斎は、ここから近いのでついて来て下さい」
俺は家政婦さんを見失わないように必死について行った。
「……ここです。少々お待ち下さい」
家政婦さんはそう言うと書斎の中へ入って行った。
独りぽつんと立っている俺はとても緊張して今にも倒れてしまいそうで、大丈夫、大丈夫と自分に言い聞かせてなんとか緊張感を紛らわそうとしていた。
小さな話し声だが中から声が聞こえてくる。
「旦那様、想真様が話したいと申されております」
「部屋の中に入れてあげてください」
「かしこまりました」
家政婦は書斎から出てくると俺に中に入るように指示をした。
書斎の中に入ると、奥に少し長い机と椅子があり、そこに美羽ちゃんのお父さんが座っていた。
「よく来てくれたね。それで話って何かな?」
「えーと……美羽ちゃんが外に出たいって言っているので、少しでいいだけでもいいので俺達を外に出させてくれませんか?」
俺のお願いに美羽ちゃんのお父さんは腕を組ながらうーんと唸っていた。
「それは美羽が外に出たいって言ったんだね」
「はい……」
「うん、それじゃあ、少しの間だけなら外へ出てもいいよ。そのかわり、危険なことをしてはダメだからね」
「わかりました。ありがとうございます」
「いやいや、お礼を言うならこちらの方さ。君が来てから美羽はいつもニコニコしていて病気の方も回復傾向にある。これは君のお陰だ。ありがとう」
「いえいえ、私はただ美羽ちゃんと遊びたくて来てるだけで……」
「それでもいいんだ、一緒にいてくれれば……。すまないね、引き留めてしまった。これからも美羽のことをよろしく頼むよ想真くん」
「はい!」
俺はまだ緊張で高まっている鼓動を押さえながら部屋を出た。
廊下に出ると、俺は元来た道を辿って美羽ちゃんのいる部屋に戻った。
「ただいまー」
部屋へ入ると同時に美羽ちゃんが駆け寄ってくる。
「どうだった……?」
美羽ちゃんが普段あまり出さない不安そうな声でそう聞いた。だから、俺は笑顔で答えてあげた。
「うん。ちょっとだけならいいって」
その言葉を聞いた瞬間、美羽の顔がパッと笑顔になる。
「嘘じゃないよね?」
「嘘じゃないよ」
美羽ちゃんは喜びでクルクルと一回転して、ぱっとちょうど俺の前で止まった。
「ねえ想真くん、何処に行こうか?」
「僕ね、美羽ちゃんと行きたいとこあるよ」
「えっ、どこどこ?」
「それはね、白雲公園!」
「……白雲……公園?」
聞き覚えがないのか美羽ちゃんは首を傾げていたが、この辺では白雲公園は有名な場所だ。
白雲公園は、日高高校へ続く桜並木の坂を少し上って曲がった所にあって見晴らしがよく、町が一望することが出来た。そしてもう一つ、この公園には名物がある。それは、四季によって咲く花が変わる不思議な木があることだ。その木は町全体に根を張り巡らせているらしく、町の人はこの町の守り神と崇めている人もいた。
「──うん。この近くにあって、高い場所にあるから町を一望出来るんだ」
美羽の豪邸は、桜並木の坂の近くにあるので、行くのには時間があまりかからない。
「いいね、そこに行こっ!」
美羽ちゃんは、俺の話しを聞いて行ってみたくなったのかすぐに決めてしまった。
「うん!」
~*****~
夕暮れの桜並木の坂を二人で登ぼった。
それは俺にとって久しぶりのことのように感じた。だけど、体が弱い美羽ちゃんにはとても苦しい場所だった。
「大丈夫? 美羽ちゃん」
「はぁ……はぁ……ちょっと、大丈夫じゃ、ないかも……はぁ……」
荒い息遣い。やっぱりこの坂は美羽ちゃんには堪えるようで一歩一歩が遅くなる。
「ちょっと、休憩しょうか?」
「……うん…………お願い……」
桜並木の一つ桜の幹に体を預け休憩した。
「想真くん、この坂すごいねー」
「うん、そうだね……。でも、この坂を登りきればとてもいい景色が見れるよ」
「その景色を早く見たいなー。祖のためにはもう一踏ん張りしなきゃ」
「うん。でも、しんどくないようにゆっくり行こうよ」
「うん。そうだね」
そう言ってはまた登り始める。
登っては休み、登っては休みを何度か繰り返し、やっと白雲公園の看板が見えてきた。ここからは、上り道ではなく平坦な道が続くので、坂道はここで終わりだ。
「──ふう~……やっと登れたね」
「ははは、そうだね。やっと登り切れたね」
坂を登り切ると白雲公園までは目と鼻のさきだった。
「公園までは、あと少しだから頑張って!」
「うん、頑張るね」
柔らかなそうな力こぶを作って、笑って見せた。
それから、ほんの数歩歩くと、
「やったー。着いたよ美羽ちゃん」
「そうだね、うわー凄い! とても綺麗だよ」
そこにはちょうど夕日が町に沈んでいく光景が描かれていた。桜が舞い散る夕焼けの白雲公園。美羽ちゃんは柵まで行って身が乗り出してしまうくらい柵に近づいた。
「ねっ、綺麗でしょ?」
「うん……綺麗過ぎて言葉が出ないよ……」
二人は夕日が落ちる寸前まで一言も喋らなかった。だけど、その寸前で美羽ちゃんは話し始めた。
「想真君にはこんなに綺麗な景色を貰ったのだから、お返ししなくちゃね」
「えっ、お返し?」
夕日の景色から目を離して美羽ちゃんへと視線を移す。
「うん、お返し。特別に想真くんには私の秘密を教えてあげる」
微笑みながら返す笑みは落ち着いた笑み。はしゃいでいる時とはまったく違う笑みだ。
「美羽ちゃんの秘密?」
「うん、あのね私にはある力を持っているんだよ」
「ある力……?」
「うん。だけど、その力は魔法かも知れないし能力なのかも知れない、まだなにもわからないものなんだけどね」
その話を素直に受けり、つい自分もはしゃいでいた。
「凄いよ! 美羽ちゃん」
「そんなに凄いことじゃないよ、だって私が出来る力はは未来を見ることだけだもん、それも自分のことについてだし、時間だって……そんなに遠くのことは解らないし……」
「それでも、凄いよ!」
「そ、そうかな?」
顔を少し赤くした美羽ちゃんは恥ずかしいのか目線をきらめいた町へと向けた。
ふぅーと美羽ちゃんは一息ついて何かを決心したように顔を引き締めなおすと、急に体の向きを変えて俺の目を見た。そして──。
「あのね、約束してほしいことがあるの……」
風が強く吹き、四季によって変わる木の桜の花びらがさっきより多く散って僕たちを優しく包み込む。空は沈んだ日に焼かれて夕焼けだった。
「うん、なに?」
「……これからね……きっと怖いことが起こる……」
初めてだった、美羽ちゃんが怯えた表情は。まるで見ている自分も不安になりそうなぐらいだった。
「だから……だからね。その時はお願い。私を守って……想真くん」
こんな掠れた声で助けを求められ、俺は単純に助けたいと思った。色々なことを頭をよぎったけど、やっぱりそれは俺にとって絶対であり、最優先事項だった。
「……うん、わかった、わかったよ。どんなことがあっても君を必ず守る。約束するよ」
その言葉を言った後は少し恥ずかしいかったが、聞いた美羽ちゃんは安心したようにいつも顔に戻っていたのでどうでもよかった。
「ありがとう想真くん。私は君が未来を変えてくれると信じてるよ……」
そう言って、また目線をきらめいた町に戻した。
日はもう沈み、空は黒く染まっていく、しかしその中で町は輝きを放ち常に光を保っている。
「そろそろ、戻ろっか……」
暗くなったことをきっかけに俺は美羽ちゃんにそう言った。
「うん、そうだね」
美羽ちゃんは頷くと笑顔を咲かせていた。そして、その笑顔は俺が美羽を家まで送り届けるまで枯れることはなかった……。