紫陽花12
ざぁー、ざぁー。
小豆の入ったペットボトルを揺らしたような音が途切れることなく続いて、時々、海鳥が鳴いていた。
こんな音、間違いなく日高町では聞くことができない。
さぁー、っと湿り気が混じる夏風が吹き、そして運ばれて来るように潮の香りが鼻孔をくすぐった。
これもここじゃないと匂えない香りだ。
青が澄み渡っていた空と海は、赤く色づき始め、防波堤に座る俺達も赤く照らされていた。
「……とても、綺麗だな」
「そうだろーそうだろー」
視界一面に映し出されるその多色溢れる景色は、美しかった。
どうやら俺はこの風景が真っ白に見えるほど心は凍っていなかったようだ。
「おっ、来ましたね~」
歩は夕日とは別の場所に顔を向けていた。
「いったい誰が来たんだ…………」
何気無く訊ねた言葉は、驚きと戸惑いで沈むように消えていく。
仕方ないだろ、だって歩の視線の先には彼女がいたんだから。
「そそ……想真くん!?」
「な、なんでリュアナが、あっ!?」
逃げようとしたのか反射的に足を引くと、そこにはなにもなく防波堤から転げ落ちそうになる。
「おっと、危ない危ない」
歩の差しのべられた手を取り、なんとかバランスを持ち直す。
「ちょっと……! セリア姉、なんで想真くんがここにいるの?」
責めるリュアナの後から知らぬ顔をしたセリアさんが階段をのぼってくる。
「偶然よ、偶然。それよりほら、あそこに座りましょ。今は夕日が綺麗だわ~」
セリアさんはすてすてとリュアナを追い抜かし、指差していた場所に堤防の外に足を放り出して座った。しかし、セリアさんが選んだ場所は…………。
「ってなんで想真くんの近くに座っちゃうのっ!?」
そう、セリアさんは俺と一人分空けた隣に座ってしまったのだ。
これでは、複雑な関係にあるリュアナが気になってしまう。でも、ここでじろじろ見たら……。
思わず、リュアナが次に言いそうな言葉を想像し、体を震わせた。
「ちょっとリュアナ。想真くん想真くんって言って、リュアナは想真くんとの関係を断ち切ったんじゃなかったの? 今は赤の他人のようなものでしょ、ほらっ」
「そ、それは~……」
なんとも言えない微妙な表情を浮かべたリュアナはセリアさんの隣に座った。もちろん俺とは反対の所にだ。
「おい、歩。もしかして、お前……」
「さてさてなんのことやら。それより、向こうも言っていたけど、今のリュアナちゃんは赤の他人のようなものだし、それに、今日は俺に付き合って来てるんだから、ちゃんと俺と話をしてくれよな」
そう言われると、やはり俺もなんとも言えない。
「わあー!」
「ずごいわね~」
大きな夕日が沈む迫力にリュアナが声を上げる。その白い髪は緋色にそ──。
その姿は、歩のむすっとした顔によって遮られた。
「だ~か~ら、リュアナちゃんじゃなくて俺を見て、話してくれ!」
我が儘な子供のように言う歩だが、今は歩との散歩であって、リュアナは確かに関係無い。
「悪いな、視線がつい……」
「まったく、そんなに気になるのかよ……。なら、リュアナちゃんのこと、どう思っているんだよ?」
なっ!?
「そっ、そんなの本人の居るところで言えるわけ……」
「言ったろう。今日は俺に付き合ってもらってるって、だから、今ここは俺とお前の空間なんだよ。そこに誰が居ようとなにしようと関係ないだろ」
「たしかにそうかもしれないが…………」
「言いづらいなら、夕日を見て話せよ。なんのためのこの景色だ。もったいないだろ?」
にやにやと笑う歩。こいつ、結構考えてやがる。
もしかしたら、仲直りさせるために歩がリュアナを呼んだんじゃないかと予想はしていたが、たぶんそれは合っている。しかもこの状況、歩は自然に俺の気持ちをリュアナに伝えられるように機会まで作っていたのだ。
悪知恵が良すぎるだろ……。
さすがにここまでされて、拒否するわけにはいかない。
「……わかったよ。それで、リュアナのことをどう思っているかだったよな」
「ああ……」
夕日を見て、リュアナを思い浮かべる。感じるがままに言葉におこしていく。
「俺は好きだよ……リュアナのことが……」
その時、リュアナがどんな顔をしたのかわからない。だけど構わない。これは俺と歩との話だ。
「そうか……」
「ああ、だから……だからこそ、嫌われたとき凄く……胸が苦しかった。本当に死んだのかと思うほど、この世界の色が抜け落ちたんだ」
本当に何も感じれなくなった。今、思えばどれだけリュアナに支えられていたのかよくわかる。
「だから……ちゃんと謝って、また一からでもいい、仲直りがしたい。だって俺はまだリュアナのことが好きなんだ、俺にはリュアナが必要なんだよ」
告白のようにも感じられたが、顔が赤くなるような恥ずかしさはなく、溜め込んでいたものを吐き出してしまったような清々しい気持ちだった。
「そうか……」
歩は受け止めたように軽く相槌を打ってくれた。
そう、俺はそうなんだ。
声に出したことで自分の思いに自覚し、その想いが固まっていく。
「私は……私は……」
苦しそうに胸を押さえるリュアナ。
「もう我慢しなくてもいいわよ。今日は全部聞いて上げるから、すべて吐き出して」
「うん」
こくりとその小さな頭が揺れると、夕日に向かって胸の内を思いを吐き出し始める。
「私は悪いことをした。梅雨ちゃんに嫉妬して想真くんに酷いことを言った。言ってしまった! 謝っても許してもらえないのかもしれない、でも、私は今すぐにでも謝りたい! だって私も想真くんが大好きだから!」
そう叫んだリュアナの頬には洪水の川のように涙があふれていた。
「よく頑張ったわね」
優しくセリアさんが抱き寄せる。リュアナもセリアさんに体を寄せていたが、とんとんと何かの合図のようにリュアナの背中を叩いた。そして、それを見計らったように……。
「さてっ……と」
おもむろに立ち上がる歩。
「おい、歩……」
「ああ……それじゃあ俺帰るから、あとは好きなようにどぞ」
「どぞ、じゃねぇー!」
そそくさと逃げていく歩。
最後の最後であとは丸投げかよっ!
「えっ……セリアねぇ………待ってよ」
歩が逃げたことでリュアナたちの方にも変化があったようで……。
「ごめんねリュアナ~。この後の準備をしなくちゃならないの」
「ちょっと……ま、って……まってよ~!」
このままじゃ気まずさの境地に立たされると感じ取ったリュアナは必死に手を伸ばす。しかし、セリアさんは無情にも早足で去っていった。
リュアナの手はぺたりとコンクリートの地面に落ちて、首を折る。
さてこれからどうするか。そう思うものの、内心は決心を終えていた。
「リュアナ……」
「想真くん、ごめんなさい。本当にごめんなさい……」
ぽつぽつとコンクリートに黒く点を作る涙。
「謝らなくていいよ。俺も、悪かったよ」
「……想真くんこそ、謝ることなんてないよ」
顔を少し上げるリュアナ。そのいまにも散ってしまいそうな儚げな表情にその脆さと愛しさを感じながら震えた手を差し伸べる。
「じゃあお互い様ということで」
「……うん」
リュアナの手が恐る恐る俺の手に乗る。その瞬間、俺はリュアナの手を強く握り──。
「──えっ!?」
か細いリュアナの手をひいてその体を抱きしめた。
華奢なその体とは思えないほど温かさが溢れ出ていた。
「ごめん、ちょっと乱暴なことをした」
「そうだね、ちょっと手首が痛いかも。でも許すよ。わたし、今すごく幸せだから……」
「ありがとう」
「でも、手が痛くて抱きしめられないから、その分、想真くんが抱きしめてほしいかな」
いたずらっぽく笑い声が漏れるリュアナ。仕方ないな~。
「わかったよ」
「今、仕方ないな~って思ったでしょ? でも、そう思いながらも嬉しそう、わっ!?」
口止めの意味も込めながら、約束通りギュッと抱き締めてやる。ぬくもりがより一段と近くに感じ、リュアナの鼓動を感じ、それに合わせるように呼吸が同調する。
何度かリュアナを抱き締めたことはあったがここまで落ち着いたことはなかっただろう。それだけ、俺たちの時間はゆったりと進んでいた。
しかし、どれほど俺たちの時間がゆっくりと進もうと日は日の時間で知らず知らずのうちに沈み、空は紺に染まっていた。
もう、そろそろ頃合いかな。
「なあ、リュアナ」
「……う~ん?」
まどろみにすっかりやられてしまったリュアナ。ここで完全に落ちてしまう前にはっきりさせておかなければ後々後悔するはめになる。
「俺はさ」
「うん……」
ドキドキと鼓動が早くなる。さっきはこんなにも緊張しなかったのにな。
高鳴る鼓動を押さえつけながら、素直に思い浮かぶ言葉を口にする。
「俺は、リュアナのことが好きだ。だから、俺と付き合ってほしい」
「うん、私も」
「えっ!?」
いくらなんでも早くないか!? まさに即答だった。それは考える余地もないというような…………。
驚く俺からリュアナはそっと離れると、大輪が咲いたような笑みを浮かべて──。
「私も、大好きだよ」
それだけを言うと、リュアナは走って飛び込んでくる。慌てて受け止めるとその勢いのまま軽いキスをされた。
「ずるい…………」
不意打ちと誤魔化しが入ったリュアナのキスに思わずそう呟いた。
「じゃあ……もう一度だけ…………」
仕方なさそうにそう言うと、少し照れた様子でリュアナが見上げてくる。そして、そっと目を閉じ、キスを求めた。
近くで見ると、まつげがとても長い。あっ、今ピクピクした。また、そのねだる表情がまた堪らなく可愛い、この表情ずっと見ていても飽きないな。
写真でも撮ってやろうかと思っていると、うっすらと瞼が開き半目で俺を見た。
「おーそーいー」
「あはは、つい可愛くてな……」
「む~」
リュアナは嬉しいのか、怒っているのか、そんな感情が入り交じった表情を浮かべていた。そんな様子を見て俺も少しは余裕が出てきた。
「リュアナ……」
「うん……」
答えるように顔を上げて目を伏せるリュアナ。俺はそんな儚げな少女に顔を近づけ、キスをした。
ただ触れ合うだけのキス、そんな児戯のようなキスだが、気持ちだけは誰にも負けてないつもりだった。それが伝わったかどうかは…………。
「ちゃんと伝わっているよ」
一応、伝わっているらしい。それが俺の力のせいなのか、それともリュアナの観察によるものなのかはさだかではないが、それでも、俺の気持ちは伝わっていたようだ。
「帰ろう」
「うん」
無意識で手の温もりを分かち合いながら沈んだ太陽を後にした。




