紫陽花10
「あはは……嘘でしょ……」
さすがのこの仕打ちには呆れてしゃがれた声が出てしまう。
まさか、俺もこんな目に遭うなんて……。
『いい気味です』とプンプンしながらそっぽを向く梅雨の姿が目に浮かぶ。
悪かったなぁ……。
あの時、助けていればこんなことにはなってなかったのかもしれないし、もしかしたら、夢のハッピーエンドもあったのかもしれない。まあ、あってないようなものだろうけど……。
「ほら、嘘じゃないから。さっ、想真くん。次はこれを着てみて」
「あ、はい……。あの、セリアさん。これはただ、セリアさんと静華さんが着せたいものを」
「グチグチとうるさいぞ。男なら文句を言わずに言うことを聞け。わかったか?」
「……はい」
まさに亭主関白と言う言葉と裏腹の現代。この先、女性がちゃぶ台、いやテーブルをひっくり返すことがあるのだろうか?
……静華さんならやりそうだな……。つい、かっとなったときとか……。嫌だな……いろいろと。
そんな時代は来ないように願いながら、俺は言われた通りに試着室の扉を閉めて、もらった服に着替え始める。
梅雨がリュアナと詩織に連れていかれた後、俺は待っていた歩となぜかついてきていたセリアさんと静華さんと合流した。
二人がついてきた理由については、『もちろん、想真くんの服選びよ。そして、リュアナを想真くんのかっこよさでメロメロにするの』という表面状の理由により、俺のファッションショーが決行されている。
一見して聞くと、とてもありがたい話のように思えるが……。
「あはは、ねぇ見てよ静華、歩くん。想真くんがテレビでよく写ってるオタクの人みたい」
「ほんとだな。くくっ……似合っているぞ……」
「俺もよく似合ってると思うぞ……ぷぷっ」
……これを着させたのお前らだからな。
込み上げる怒りを抑えながら、冷静に対応する。
「そうですかー? でも、そろそろ、決めに行けるような服装を選んで欲しいんですけど……」
「う~ん、そうね~……」
そう言いながらがさごそと服を選ぶ。いや、そこにちゃんとした服はないから……。
服選びを始めた頃から、こう言ったやり取りをもう数回行っている。
いつになったら俺は解放されるのか……。
結局、解放されたのは日が傾き始めた頃だった。
~*****~
「で、なんでお前は見ていただけなんだよ……」
「俺もちゃんとこんな格好をしただろ?」
ほらほらと歩はコスプレをした自分の写真をスマホで見せてくる。
「たしかにしてたけどなぁ~……はぁ~、もういいよ……」
そんな些細な言い合いをする元気もない。
楽しそうに話すセリアさんと静華さんを背に、とぼとぼと合流地点の最初の場所へと戻って来ると、向こう側からリュアナと静華さんがやって来た。
「あ、セリア姉。ちょうど同じぐらいになったね」
「そうね。では、お互いに発表しましょうか」
「そうだね」
「まずは私からね。こっちに来て想真くん」
「あ、はいはい……」
セリアさんに呼ばれて、歩み寄る。
「見なさい、リュアナ。この想真くんを!」
言われてリュアナが上から下までまじまじと俺を見た。
じー……。
その視線に俺は必死に耐える。なんかこうして変に緊張するんだよな……。
うんともすんとも言わないリュアナは、最後に『なるほど』と締め括った。
「黒のジャケットと白のシャツ、紺のチェックのパンツ。うん、普通だね」
よしっ! 普通だって言われた。
ここまで、変なものを着せられていた俺からすれば、その言葉は一番嬉しい言葉だ。
「そうよねぇ……。私的には、もう少し派手でもよかったかなとは思うんだけど……」
「まあ、確かにもう少し派手でもよかったかもしれないけど、そこは本人が納得するかどうかだよ」
「リュアナの言う通りだ」
俺は頭を縦に降り、賛同する。
「そうね。それで、リュアナ達はどうなったの?」
「こうなったよ。梅雨ちゃん来て」
詩織の後ろに隠れていたのか、ひょこっと姿を表した。
「えへへ、どうかな? 結構、自信があるんだけど」
自信を持って胸を張るリュアナ。その言葉の通り、俺たちは梅雨を見て『おぉー!』と声をあげた。
最初に見たあの幽霊のような印象は今の梅雨からは想像できないほどに激変していた。
「髪を切ったのか」
「うん、さすがに前髪は長すぎて、それでせっかくだからと後ろ髪を少しウェーブにしてみました」
「どう、でしょうか……?」
不安げに髪をさする梅雨。その心配そうな表情は姉妹である舞とそっくりだ。
「大丈夫、似合ってるよ」
嬉しそうに笑顔を溢す梅雨。しかし、たくさん着せ変えられたのだろう、少し疲れたが見えた。
「そして、このワンピースどうかな?」
真っ白なワンピース。大きく肩が出たり、丈は少し短かったりとひやっと感じる部分もあるが、女の子らしく、フリルやリボンが綺麗装飾されていた。
「まだまだ、靴も見て」
青色の紫陽花が付いた白いサンダルは見ていてとても動きやすそうだ。
それにしても……。
「結構、値が張ったんじゃないのか?」
「うーん、そうだね……。それで、もう1つ買いたかった物が買えなくなっちゃって……梅雨ちゃんが髪を気にしているのもそのせいかな」
髪飾り……とかだろうか?
まあ、これだけ全身を揃えると足りなくなってくるか……。
「下着類とかも買ったし、他にも色々と……」
「ん? どうして生活用品なんかを……?」
──想真くんは舞ちゃんの私生活で大変な目にあった記憶を忘れたの?
なぜ、力を? と思ったが舞に関する話は確かにこっちの方がいい。
(忘れていません。電子レンジの使い方を知らなかったり、お風呂すらも知らなかったり、色々と無知で大変でしたよ)
──でしょ? 梅雨ちゃんも同じみたいでなかなか溶け込みそうにないから、少し面倒を見ようかなと思ってるの。もちろん、本人にも聞いてみるけど。
(なるほど、それで、か……)
──うん、例え面倒は見れなくても女の子として最低限のことは教えてあげないといけないと。
セリアさんや静華さんに服を見られておどおどしている梅雨。
「理由は何となくわかった。それで、1つ足りないんだよな?」
梅雨に聞くと、遠慮がちにコクりと小さくうなずいた。
「なら、それは俺が買ってやるから。なにがほしいんだ?」
「えっ、でも……」
「そう畏まるなよ。これはお前を見捨てた罪滅ぼしも含んでいるんだからさ」
「そ、それじゃあ……」
~*****~
「ありがとうございました」
レジを過ぎ、俺は財布の中を虚しく見ていた。
たかが髪飾りと高を括っていた……。ああ、諭吉さん……。
「よくやったな……想真。今のお前は格好いいぞ」
「そうだぞ想真くん。今の君はとても男らしい」
歩と静華さんに肩を叩かれ励まされる。
「まったく、見栄を張るからこういうことになるのよ」
腕を組む小宵はあきれたという様子で俺を見ていた。
「男には見栄を張らないといけない時だってあるんだよ~」
そう泣き真似をする俺を小宵は『本当に、バカね……』と心底あきれた声で言っていた。
小宵の言う通り、俺はバカなのかもしれない。しかし……。
「想真お兄さん、これ買ってくれてありがとう」
さっきほど買った紫陽花を模様したバレッタを横髪に着けて、梅雨が嬉しそうに手を添えている。
そうこの姿を見れるだけでも、俺はその価値が充分にあったと思えた。
「そっか、それはよかった。大事にしろよ」
「うん!」
~*****~
帰りのバスに乗り込むと、おじさんがこの島と紫陽花の木の関係について話してくれた。
おじさん曰く、いつ植えられたのかわからないそうだが、一般的な紫陽花とは違い、紫陽花の木は大きな大木に成長し、そこに住む住人達は何かしらの不思議な力が働いていると考え、祀ったそうだ。
そして、その不思議な力を立証するかのように、この島に雨がよく降るようになった。
お陰さまで作物はよく育ち、干ばつ被害が起こったことがないとのこと。
「そんなことが、あったんですねぇ~」
セリアさんが眠たそうに対応した。バスのなかは半数以上が爆睡で、隣に座る梅雨は言うまでもなく、俺の肩にもたれてすーすーと寝息を立てていた。
俺もそろそろ限界だな……。
丸一日、着せ替え人形にさせられていたせいか自然と目が閉じていく。
もう、目が半分しか開かない……。
心地いい揺れに意識が溶けていき、気が付けば俺は夢の中にいた。
~*****~
神秘的なあの紫陽花の木がある高台。
相合い傘をした若い男女のカップルが楽しそうに談笑しながら階段を上がってやってきた。
「マサトさ~、知ってるぅ~。ここ、有名なパワースポットなんだってぇ~」
「知ってるにきまってるだろ。二人で決めたんだから」
「あ、そっかぁ~」
なんだこの都会にいるようなカップルは? 言い方が悪いが、見ていて胸糞悪い。
第三者視点で見ている俺の夢は自分の夢と疑いたくなるような、まさに悪夢に等しい夢だった。
人がいないとはいえ、外だということを忘れて、いちゃいちゃする二人。見ていて気持ち悪い。
がさごそ、がさごそとひまわり畑がざわめいた。梅雨だ。
経験をしている人には何の驚きもないことだが、そのカップルは旅行で来ていたようで、近づいてくるその不気味なざわめきにおびえた声を上げていた。
「わっ、なにっ!? なんなのあれっ!? 近づいてくる、近づいてくるわ! ねえ逃げましょ! 逃げましょうよ……」
「あ、ああ、そうだ……そうだな……」
しかし、男はその正体を本能的に見たいのか、なかなか動こうとしない。
「ねぇ! どうして動かないのよ! 早く行きましょう!」
男の腕を引っ張る女。男は目を奪われながらも、しぶしぶ踵を返そうとした時だった。
「あっそぼー!」
見た目と裏腹に元気な声を出す少女。梅雨が向日葵林からその姿を現した。
「──っ!」
まるでこの世のものをじゃない何かを見たように、女は目を見開き、声を失ったように口をパクパクさせた。そして女は一歩、また一歩と後ずさりしていく。
(だめだっ! それ以上行くと……)
しかし、俺がどれだけ叫んだところでどうにかなるはずもなく、女の体は宙を舞っていた。
男はとっさに手を伸ばしたが、女はすでに階段を転げ落ちていった後だった。
女が落ちていった先をただ茫然と見ていた男は一瞬遅れて現実味を帯びてきたのか、男はその女の名前を叫び泣き崩れ始めた。
その男が泣き叫んでどれぐらいたっただろうか、叫び声を止め、呻く泣き声しか聞こえなくなった頃、男は呟いたのだ。
『あいつを殺してやる……』と……。
男はゆらりゆらりと足もとをふらつかせながら立ちあがり、梅雨をめがけ歩いていく。
(これは……ヤバイ)
男の姿を見て危険な状態であることを直感的に悟っていた。
男の姿。それは殺気に溢れ、梅雨よりも酷く復讐に取り付かれた醜い悪霊のようだった。
(頼む、逃げてくれ……じゃないと本当に……)
殺される。
異常とまで言えるあの男を見れば誰もがそう思うだろう。
そして、本来、人ならば逃げるたり、怯えたり、なにかしらのアクションは起こすはずだ。しかし、梅雨はただその場で立ったまま動こうとはしなかった。
一歩、また一歩と歩くごとに男と梅雨の距離が減っていく。
(なんで、なんで逃げないんだ!)
いくら叫ぼうが梅雨は動かない。足や手が震えているにもかかわらず、梅雨はまるで当然というようにその場から動こうとしなかった。
馬鹿が! あの大馬鹿野郎がっ!
今すぐにでもあの男を殴って、梅雨を庇ってやりたい。だけど、今の俺にはそれは叶わないことだった。
台風のような大雨が降る紫陽花の木の周辺。
そこでは、仰向けに倒れる少女に馬乗りなった男が強く握りしめた拳を降り下ろし、鈍い音を奏でられていた。
その音は何度も、何度も、響く。
まるで永遠ように続く音楽のよう。
俺は最後まで見届けることに耐えることはできなかった。
場面が幾度と変わり、似たようなことが何度も起きた。
何度も何度も、危ない目に合わされるとわかっていながらも、梅雨は一度も逃げなかった。
ああ、こいつは本当に大馬鹿だ……。
俺はその光景を唇を噛み締めながら見ていた。
悲しみより、怒りが強かった。悔しさが強かった。
もし、これが現実の肉体だったのならば、俺の唇は噛みきっていたことだろう。
それほどまでに俺は怒り、なにもしてやれなかった自分を悔やんだのだった。
~*****~
夢は覚め、俺は潤む瞳で、すやすやと体を預けて眠る梅雨を見た。
本当に何度見たからわからない。悪夢のような夢。
しかし、これは夢であって現実で無かったわけじゃない。
これはすべて梅雨の記憶なのだ。
「──梅雨……」
その小さな肩を包み込むように抱き寄せる。
こんなものを見せられたら、リュアナじゃないが我慢などできるはずもない。
「想真、お兄さん……?」
ポツリと溢すように梅雨が呟いた。
「……ごめん。起こしたな」
「うん。でも、どうしてお兄さんは泣いているの?」
そう指摘されてはじめて気づく。だが、それも仕方がないことだ。
「……あんなものを見せて置きながら、それはないだろ」
本当に何もなかったように答える梅雨に可笑しくなってつい苦笑いを浮かべる。
「想真お兄さんは見ちゃったんだね……私の記憶を……」
「ああ……見させてもらった」
「なら、わかったでしょ? 私は、本当は悪い子なんだよ……」
「いや、梅雨はいい子だよ。いい子すぎて大馬鹿野郎だと思ってしまうほどにな……」
「……私のせいで、人が死んだんだよ。それもいっぱいの人が……。もしかしたら、リュアナお姉ちゃんだって…………殺してしまうところだったんだよ? そんなことをする人がいい子なわけないよ……!」
苦しそうに顔を歪ませ、涙を浮かべる梅雨に俺は、
「…………本当にそうだと思うか?」
と聞き返した。
黙り混む梅雨。これ以上は胸が痛くて言えないような様子だった。
「これは俺だけが思っていることかも知れないけど、もし本当に梅雨が悪い子だって言うのなら、怒りが収まるまで殴られ続けるなんてことは絶対にあり得ないだろ。ましてや自分から罰を受けにいこうとする悪い子なんて、この世界のどこにいるんだよ?」
「ここに……いるよ」
「………………お前はなぁ~」
「いてっ……!」
抱き締めた頭を軽く握った拳で小突く。
まったく、つまらないことで人の揚げ足をとりやがって……。
「普通はいないんだよ。それにお前のあれは、人を殺した責任とか罪だとか思って動かなかったんだろ?」
「……うん」
「そんなものを感じている時点で、お前はもう悪い子じゃない、いい子なんだよ」
「………………」
諦めて認めたのか、梅雨はなにも言い返してはこなかった。
「だけど、梅雨はいい子だが大馬鹿野郎だ」
本来、そんなことを負い目に気する必要はなかった。
「あれはお前のせいなんかじゃない」
ただ、自分の身を案じてくれればそれでよかったんだ。
「次は必ず逃げてくれ。俺はもう、梅雨が傷つく姿なんて見たくないからさ……」
梅雨は静かに聞いていた。しかし返事はしない。
「わかったなら返事をしてくれ」
これだけは絶対に約束させなければいけない。もう、梅雨が一人で傷つかないためにも……。
「…………うん。わかった………」
唐突に、小さなその言葉は滴が落ちるように呟かれた。
「でも、代わりにお願い。私が辛くなったり悲しくなったりしたら、こうしてぎゅってして…………」
後ろを見上げるように顔をあげる梅雨はとても愛らしかった。
「ああ……わかった。辛くなった時はいつでもしてやる。だから、ちゃんと逃げるんだぞ、必ず助けに行ってやるから」
「うん……わかった。ありがとう、想真お兄さん……」
「ん。それじゃあ到着にはまだ早いから、もう少し休め。なにも心配しないでいいからな……」
「うん……ありがとう」
落ち着いた様子の梅雨は、こくりと頷くと、すぅーすぅーとまた寝息を立て始める。
どうか今だけでも、幸せな心地よい夢を見てくれ……。
俺は小さな梅雨の強く抱き締め、切にそう願うのだった。




