紫陽花1
四季の木から漏れた木漏れ日に目が覚めた。いや、実際は違うのかも知れない。
舞がいなくなってから数週間、梅雨が開けた7月は後半にさしかかっている……のにも関わらず、四季の木は紫陽花を咲かせていた。
まったく、いつ見ても不思議な光景だ。
ぼんやりと四季の木を見上げていると、またうとうとと眠気が襲ってくる。
もう少し寝るか……。
「終業式にいなくて心配してたのに、まさかサボってお昼寝してたなんて、ちょっと心外だな~」
重たくなっていた瞼を持ち上げると、制服姿のリュアナが俺を見下ろしていた。
「それは、悪かったな……」
「うんん、大丈夫。きっと私が心配性なだけ。それにきっと想真くんは来なかった方がよかったと思うし……」
そう言いながらリュアナは俺の隣に腰を下ろした。
「なんかね……。この前、行ったデートが今になってバレたみたいで、今日は質問攻めにあっちゃったの。それで、想真くんを殺すって人達が必死に校内を探しまわってて……って聞いてる、想真くん?」
「ちゃんと聞いてるぞ……」
「その割りには想真くん。さっきから夢現な感じがするんだけど? なんか、ボーッとしてる感じ」
「そう、かな……」
「そうだよ~……」
優しい風が吹いてくる。風は波のように吹いては止みを繰り返して、まるで揺りかごのような気持ちよさに包まれる。
「嫌な夢でも見たの……?」
リュアナが呟いた声色は以外にも真剣なものだった。
その時、リュアナはどんな表情をしていたのだろうか? 四季の木の根を枕に寝転がっていた俺には隣に座るリュアナの表情を伺うことはできない。ただ、その後ろ姿はそこはかとなく儚げに感じた。
「まあな……」
「そうなんだ……。ねえ、それってどんな──うんん、やっぱりいい」
リュアナの髪がゆっくりと左右に振れた。
「それを聞くのは野暮だと思うし、それに、せっかく気持ちいいに雰囲気を壊すなんて勿体無い。今はこうして感じて風を感じて……」
「おっ、おい、リュアナ!?」
リュアナがごろんと寝転がり、俺の腕に抱きついた。
「癒してあげることが一番だからね……」
いたずらっ子の様にニヤリと微笑むリュアナ。
悔しいが、その姿と表情に思わずドキリとしてしまう。
「おっ、おいおい、もしこんなところ誰かに見られたら……」
「見たぞ~想真。それに証拠として、ほら」
からかう歩に促されたようにカシャッと詩織が持っていたスマホがなった。
「いいできいいでき。これ、みんなにばらまいたら始業式はどうなっちゃうんだろね……ふふふ」
「昼間っから不潔よっ! 想真!」
なぜ俺だけ?
というか昼間っからこの三人組に見られた。それどころか写真までとられた。これはマジで先がヤバイぞ……。
「この責任は半分以上がリュアナだからって……」
「すぅ~すぅ~、あはは駄目だよぉ想真くん、そこはダ~メ……もう、ダメって言ってるのにぃ……」
……おいおい、まさか寝てるのか? あのちょっとした時間で? しかも、さらっと寝言でとんでもないこと言ってるし……。これじゃあ……。
リュアナの寝顔から、あの三人の中でこういったことに一番敏感なやつへとスライドさせていく。
「そ・う・ま・くーん♪」
鬼の形相とはまさにことのことであり、笑顔を浮かべたその目には汚物を見るような死線が向けられる。
「ひっ!? ちょーっと落ち着け小宵。俺はなにもしてない、なにもしてないぞ」
「わたし的にそれは困るんだけどな~」
なんで詩織が困るんだよ!
「でもでも、リュアナちゃんがちょっとエッチな夢を見てるってことは……想真くんも想像させるようなエッチなことをしたってことでしょ?」
詩織の含みのある笑顔。それにつられるように小宵が死線を強めていた。
「そ・う・ま・くーん♪」
小宵がピョンと飛びはねるように一歩前に近づくと、四季の木で休んでいた鳥達がピーピー言いながら逃げ出した。
「それは詭弁だ。言いがかりだ! 俺は一切そういうことをしていない。それにこれはリュアナ添い寝してきただけで……」
「それで?」
小宵は話を聞いてくれながら、なぜか一歩づつ距離を縮めていた。
「そっ、それで急にリュアナが癒してくれ、るふぅっ……」
ふんっと可愛らしく気合いの入った声と同時に、俺の溝に小さな拳がクリーンヒットする。
為す術もなく、上体だけ起こしていた俺はその場に横になるように倒れた。
い、一応意識だけは保てたようだ……。
「容赦ねぇな、小宵は……」
「当たり前でしょ」
「小宵ちゃんだもんね~。その割りに歩くんには甘えてるんだから薄情なものだよね~」
「あ、甘えてなんてないんだから!」
「うそうそ、小宵ちゃんはいっつも歩くんに甘えてたよー」
「もー、詩織のバカー!」
顔を赤くした小宵は詩織を追って開けた広場に走っていく。
ほ、本当に騒がしいなこいつら。
小宵に殴られたお腹の痛みも引いてきて、やっとの思いで上半身を起き上がらせる。
「それで……、なんでお前ら来たんだよ……」
「二人っきりにしてほしかったのか?」
「ちがうっ! ……ただ、目的を聞きたかっただけだ」
「そうか? 凄い嫌そうな言い方だったからそう思ったんだけど……。まあいいや、想真はこないだのセリアさんの話は覚えているか?」
「ああ、修学旅行の下見のやつだろ?」
「そうそう」
いつだったか忘れてしまったが、あるお昼休みにセリアさんから1週間の旅行に行かないか? というお誘いを受けたのだ。校長であるアウラさんも同行するようで、表向きは修学旅行の下見ということだそうだ。
ちなみに場所は小笠原諸島に所属する小さな島、天音島というところだった。
「それで?」
「必要な物を買いにいくから、想真を誘いに来た」
「そうは言っても、必要な物は充分間に合ってるぞ?」
旅行は明後日なので、必要な物はもう確認して鞄にしまっている。
「もう、わかってないな~想真は。俺も必要なものは足りてるよ」
「なら別に──」
「必要な物を買いに行くのは小宵達だ。まだわからないのか? 水着だよ、水着……」
「はぁ?」
なに言ってんだ、こいつ?
「あからさまに、なに言ってんだって顔をするなよ」
「するだろ普通」
「本当にわかってないな~。考えてみろよ」
「嫌だ」
「そうは言わずに……。ほら、女の子達が試着室で水着に着替えるんだ」
そりゃ、試着室だからな。
「それで水着姿で現れる。なあ想真、水が有れば水着の理屈は成り立よな? それはいたって当然のことのはずだ。濡れた服で水遊びなんて、絵柄的にはいいが、遊ぶには重すぎて思いっきり遊べない。だから、水を吸って重くはならない水着は水遊びにはもってこいだ。うんうん」
なにをこいつは熱弁しているんだ……。
「しかし、しかしだぞ想真。水がない場所で露出度の高いただの布切れ。それを纏っている女の子にお前はエロさは感じないか?」
「少しは感じるかもしれないが、そんな目で見ようとするお前が気持ち悪い。そして、それを熱弁できるお前も気持ち悪いよ……。よくもまあ、小宵が許可してくれたな」
「ああ、それは……」
「水着勝負をするからよ。私と詩織とリュアナで」
帰ってきた小宵は平然とそう答える。小宵の背後には息を荒げた詩織が待機していた。
一体、どこまで走ってきたんだ? いや、今はそれよりも。
「水着勝負って?」
「誰が一番似合っているかを競いあうんだよ~」
「それで、負けた人が全員の水着をお支払よ」
「詩織……。お前とってこのゲームは過酷だな」
「大丈夫。勝てば問題ないんだよ」
そう意気込む詩織だが、このメンバーでとなると勝つことはそうそう簡単なものじゃないだろう。
「それで、歩にはもう許可はとっているんだけど、想真、あんた審査員として出てほしいのよ」
「は~なるほど~」
これで歩がついていける理由に納得できた。
このまま風を感じているのもありだが、風はいつでも感じられるだろう。
「わかった……。行くよ」
「よし決定ね」
「それじゃあ……ね。想真くん」
「ああ……」
詩織の視線は隣に眠っているリュアナをさしていた。
「おーい、リュアナ。水着買いに行くんだろ? 早く起きろ~置いていくぞ~」
「うぅ~ん、想真、くん……」
声をかけて少し揺すってやると、リュアナは目を擦りながら上体を起こす。寝起きで幼い表情になったリュアナはなんとも可愛かった。おまけに葉っぱが一つ髪に引っ掛かっている。
「ほら、髪に葉っぱがついてるぞ。今日、小宵達と水着勝負するんだろ? こんなので本当に大丈夫なのかよ……?」
「きっと大丈夫だよ~。想真くんの前で負けはしないよ」
髪をボサボサにしながら、髪についた葉っぱを取ろうと必死に健闘するリュアナ。強気なのはいいが、これだと心配だ。
とれた? と頭を向けてくるので、ひょいっと絡まった葉を取ってやる。
「あはは、ありがとう。想真くん。ついでに跳ねた髪の毛を整えてぇ……なんて……」
その時、リュアナの時が止まった。
「リュアナ?」
気になって声を掛けると……。
「なっ、なななななんでっ! なんで詩織ちゃん達がいるの!? みんな、先に行ってるって話じゃ……」
「ごめんねリュアナちゃん。ちょっと様子がおかしかったから後をつけて見に来てみたんだけど、どうやらお邪魔だったみたいだね♪」
てへっ、と詩織はわざとらしい仕草をするのだが、なぜだか違和感がない。
「もっ、もしかして、そ、そのさっきのも……見てたの……?」
「もしかしなくても、ちゃんと見させてもらったわよ……ねぇ?」
呆れた様子の小宵が歩に確認をとる。
「ああ、ちゃんと動画として……」
「お願い! 消して、歩くん! お願いだから……」
恥ずかしさで真っ赤になっているリュアナの瞳からは小さな水玉がこぼれ落ちそうになっている。
「どうすっかな……」
歩は渋々と言った顔を見せながら、スマホの動画消去画面をタップ……する前に小宵がある提案をした。
「待って歩。これはリュアナの失態であって消す必要なんて無いわ」
「そんな~、ひどいよ~小宵ちゃん」
いや、本人が嫌がっている以上消す必要はあるだろう。
「リュアナ、勝負よ。もし今日の水着勝負で私達に勝つことが出来れば、この動画を消すと約束するわ。どうかしら?」
それを聞いたリュアナは口をキュッと結ぶと目の端に付いていた涙を拭き取り立ち上がった。
そして、慣れた手つきでサイドの髪を三つ編みにすると、くるくると巻いて一輪の綺麗な白い花を作り上げた。仕上げとばかりに、ポケットから取り出した二枚の花びらが付いたヘアピンで髪を留める。
あれ? あのヘアピンって……。
「小宵ちゃん……その勝負受けて立つわ! 私を本気にさせたことを後悔させてやる」
いつもの優しいリュアナではない。今のリュアナは背中から熱意が溢れ出て勝負に燃えていた。
「ふふ、言ってくれるじゃないの。それでこそリュアナだわ」
バチバチバチを視線の弾け合わせる両者。
「それで、お前は入らなくていいのか?」
隣に腰を下ろしていた詩織に訊ねる。
「私はいいよ~。楽しかったらそれでいいわけだし」
「だとしても、あの二人が結構本気なんだったら水着も本気なんだろうし、負ければ数万払わされることになると思うんだが、それでも大丈夫なのか?」
「そ、そうだね。それはやっぱり困るし、私も負けない」
二人に負けじと詩織も闘志の視線を衝突させる。
「なかなか、いい感じになってきたが、時間も押してることだしそろそろいくぞ~」
歩の掛け声で睨み合っていた女の子達は停戦のように視線を切ってそれぞれ歩きだす。
おっと、リュアナに逃げられる前に聞かなければいけないことが……。
「リュアナちょっと待った。そのヘアピンって……」
「あっ、うん、そうだよ。これは舞ちゃんのヘアピン。舞ちゃんとお別れしたときにね、舞ちゃんが預かっておいてって渡してくれたの」
「そうか……」
舞がリュアナに託したのなら、俺はなにも言うことはない。それに俺が持っているよりも、こうしてリュアナが持って使ってくれた方が喜んでくれるだろう。
「想真くん、似合ってないかな?」
「え? いやっ、そうじゃ……」
真剣な表情をしてたから、そう思ってしまったのか……?
「悪い。変な心配させた。そういうつもりは一切ないから、安心しろ。十分似合ってるよ」
「うん、ありがとう想真くん」
リュアナの満面の笑み。その笑顔は眩しくまたとても可愛かった。
「今の笑顔で見惚れているぐらいじゃ、想真はこの先たぶん耐えられないな。きっとサングラスが必要だ」
「だな」
歩にとんとんと胸を叩かれ、俺も歩きだす。
途中で気づいたことだが俺の胸ポケットにはちゃんとサングラスが掛かっていた。




