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桜13〝***

 とん、とん──とん、と不規則に刻まれる包丁の音。

 キッチンには二人の後ろ姿があった。

 危なっかしく包丁を持って真剣な表情をしている小さな女の子。そして、その女の子が持つ包丁を一緒に握るように手を添えて優しく教えているお姉さんのような女の子。

 並んだ二人の姿を見上げていると、二人が姉妹に見えてしまってしょうがない。

 しばらく経つとキッチンからはいい匂いが漂ってくる。

 この匂いだとカレーだろうか?

 なにを作るのかは教えてはくれなかったので、予想になってしまうが匂いから察するにたぶんカレーだろう。それにしても、リュアナと一緒だと、黒ゴケしか作れなかった舞にもちゃんとしたものが作られるのか……。

 そう思って見ていたのだがリュアナの様子がおかしい。

 何度も何度も俺のほうチラチラと見てくる。これは何かあったということだろうか?


 「どうかしたのか?」

 「いや、たいしたことは無いんだけどね……。ちょっと辛くしすぎたかな〜と思って……」


 鍋の中には案の定、カレーだった。しかし、いつもインスタントや家で見るカレーとは色が赤くなって、匂いも確かに刺激的な匂いになっていた。


 「確かに辛そうだけど、これぐらいならリュアナが言う通りたいしたことはないんじゃないのか? それよりもだ」


 リュアナの隣でカレーをゆっくりと真剣な眼差しで混ぜている舞。俺はその舞の頭を撫でる。


 「よく出来たな舞。偉いぞー……」

 「えへへ、想真にぃに誉められた」


 嬉しそうに喜ぶ舞は、ほんと、リュアナそっくりだ。


 「ほんと、想真くんって舞ちゃんに甘いよね〜」

 「そうか……?」

 「うんうん。もうベッタリって感じで、ちょっと妬いちゃうな〜」


 それを聞いた舞が俺の腕をとって、まるでリュアナに見せつけるように抱きついた。


 「俺は別にそんなつもりは特に無いんだけどな……?」

 「あははっ、その姿で言っても説明力にかけるよ、想真くん」

 「まあ、そうだな……」


 舞を適当に腕から払って、カレーをさらに入れていく。

 匂いも良くて食欲をそそられる。あの焦げた朝ごはんとはまったく比べ物にならないものだった。


 「さて、食べるか」


 舞もリュアナも各々のカレーを持ってテーブルを囲んだ。


 「それじゃあ頂きます」


 手を合わせて、お先に一口頂く。

 ジャガイモや人参がちゃんと煮込まれていて柔らかく、味もしっかりとついていて美味しい。ご飯とも相性バッチリだ。


 「美味しいよ! 舞!」

 「うん、本当だね。私もとっても美味しいよ!」

 「嬉しい……嬉しいよ、そんなに喜んでくれて!」


 少し上から目線の舞は甘えている時とは違い、心から嬉しそうにしている気がする。


 「舞、お前も自分で作ったカレー食べてって、からっ!? お、お茶、お茶〜〜〜〜!!!」


 急に来たこの口が腫れてしまいそうな辛さは辛さを通り越して、もはや痛みでしかなかった。

 俺は急いでコップのお茶を飲み、辛さを抑えようとしたがおさまらず口を開けていた。


 「まさかの時間差!? あっ、私にもきたぁ〜〜〜〜!!!!」


 俺の後を追うように後から来た辛さにリュアナは涙目になりながらもお茶の入ったコップを手に取ったのだが、


 「あっ……」


 辛さに耐えるあまり、手が滑ってコップを落としてしまった。

 もちろん中にはお茶が入っていたわけで、コップの中のお茶は降り注ぐようにしてリュアナの服を濡らした。


 「…………」


 溢れたお茶は薄着の部屋着を透かし、リュアナの体にへばりつくと、アイドルとまで言われたそのボディラインを顕にさせていた。

 なんというか、この姿は超エロい。

 リュアナの涙目が俺を見据えて震えている。この場合、怒りなのか、悲しいなのか、何なのかは分からないがその姿について考えないように…………なんて、無理だ! あんな姿を見て無心でいられるわけない。理性を保っているだけマシというものだ。


 「そ、想真くん! 私に、私にお茶を!!!」


 リュアナから出た大きな声に俺はビクッ反応してしまう。どうやらリュアナの口の中はまだ火事のようで今の状態よりも優先するべきことらしい。

 俺は急いで舞のお茶をひったくり、涙目で必死に辛さに耐えているリュアナに渡す。

 リュアナはお茶を受け取るとごくごくと飲み干していく。


 「大丈夫、リュアナねぇ?」


 心配そうにリュアナを見る舞はとても落ち込んでいるように見えた。


 「だっ、大丈夫、大丈夫。舞ちゃん、私は平気だよ」

 「だけど……」


 そう呟いてうつむく舞。

 自分のせいでこうなってしまった。なんて考えて、自分に非があるとでも思って落ち込んでいるのだろう。実際はこんな些細なことなのに。


 「それじゃあ舞ちゃんには、一緒にお風呂に入ってもらおうかな〜。私、服とかビショビショで気持ち悪くて、それでどうかな?」


 へばりついた服を摘みながらそう言うリュアナ。  

 なかなかいい提案だ。直視しづらいリュアナの服装も変えられるし、舞の気分転換にもなる。一石二鳥だ。


 「それ、でも……」

 「行って来いよ。リュアナがせっかく誘ってくれているんだから、後のことは俺がやっとくからさ」

 「……えっ、でも……。うん……わかったよ……」


 なんとか聞いてくれたものの舞はかなり落ち込んでいる。頼むとリュアナに目配せをするが、どうしてもリュアナの下着が目に入ってしまい目を逸らす。


 「想真くんのエッチ……」


 そうリュアナが小声でいてクスクスと笑った。


 「どうしたの、リュアナねぇ」

 「うんん、何でもないよ。行こうねー」


 舞を誘導するように、押して出て行く。

 やれやれと思いながら内心、安心していた。

 リュアナのあの姿は刺激が強すぎた。今でも思い出すだけで心臓の鼓動が速くなってしまう。

 ガタっと扉が少し開いて、俺は落ち着こうと遅くなっていた鼓動が一気に速まる。

 見るとそこには顔を少し覗かせるようにしたリュアナがいた。


 「ごめん想真くん、忘れてたんだけど……。私達を覗いたりしたら、その時は殺しちゃうから、そのつもりでね」

 「ははは……」


 俺が力なく笑うと、リュアナは笑って少し開けていた扉を閉める。

 ドアの半透明なガラスに映る黒い影が消えて今度こそ、ちゃんと行ってくれたようだ。

 高鳴る心を落ち着かせて、リュアナが座っていた席に移動する。

 濡れたところを拭くためだ。べつに変な気持ちがあっての行動ではない。


 「はぁ〜、ほんと辛いよ……」


〜*****〜


 暖かいぬくもりで安らぎを与えてくれるはずの湯船の中。私と向き合うように舞ちゃんは入っていた。この寮の湯船は大きくて、舞ちゃんと入ってもぜんぜん狭くはなかった。

 ただ、俯く舞ちゃんを見ていると、どうしても、この湯船が冷たくて狭い空間のように感じてしまって、心を締め付けられるような感覚に陥ってしまう。

 それは、本当に舞ちゃんの心が冷えているようで、私は私の気持ちに抑えきれなくなった。


 「りュ、リュアナねぇ?」


 急に抱きしめられて驚いた様子を見せる舞ちゃんが少し顔を上げて私を見る。


 「舞ちゃんにそんな顔は似合わないよ」


 抱きしめていた舞ちゃんの華奢な体は とても冷たくて、まるで抱きしめている私が冷やされているようだった。


 「舞ちゃんにはいつも笑っていてほしい。今日みたいに想真くんに料理を作ってあげたい、うまくなりたいって素直な気持ちで挑戦する舞ちゃんでいてほしい」

 「だけど、私、今日……」


 俯く舞ちゃんは失敗して、不安そうに見えて、でも、だからこそ私は言わなくちゃならない。


 「舞ちゃん。たとえ今日みたいに失敗してしまっても、私も想真くんも絶対にその失敗を咎めたりなんかしないよ。だから、舞ちゃんはそこで挫けないで、真っ直ぐに何度も何度も挑戦して。舞ちゃんは必ず私がサポートするから……ね?」

 「うん…………そうだね」


 小さく頷いた舞ちゃんに暖かさが戻ってくる。そして、その表情も明るいものへと変わっていた。


 「舞ちゃん……」

 「ありがとう、リュアナねぇ。私としたことが大切なことを忘れていたよ。まったく、私がこれから教えないといけないことだって言うのに私が忘れちゃうなんて、私ダメだね」

 「えっ?」


 舞ちゃんは一体誰に教えるつもりなんだろう。


 「ううん、何でもないよリュアナねぇ。もう、温まったし、想真にぃが寝ちゃう前に上がろう」

 「う、うん……そうだね……」


 気になることはあったけど、でもこれで少しは元気になってくれたならそれでいいっか。

 そして、私と舞ちゃんは湯船からあがった。




 一通り、マットの水気を取ることに成功した俺は、残ったカレーと戦いを繰り広げていた。辛さはお茶でカバーして、なんとか食べていく。うん、美味しい。

 ここまで強い辛さでなければ、ものすごく美味しいのだが……。


 「辛い……痛い……」


 舞は単に料理ベタというわけでは無くて、ただやり方や使い方がわからないといったところでこうなっている気がする。それなら、料理器具の使い方や調節でなんとかできるかもしれない。

 帰ったら、一通りこと教えてみるか……。

 そんなこと思いつつ、お茶を啜すすっていると、バタンと急に廊下に続く扉が開いた。


 「なっ……!?」


 俺が驚いたのは急に扉が開いたからではない。そこにバスタオルを巻いただけの舞がいたからだ。

 久しぶりに見る舞のバスタオル姿に俺は懐かしく、前回のことを思い出しながら、嫌な予感を感じていた。

 舞は黙ったまま、小走りで俺の方に駆けてくる。そして、俺と舞の距離があと数歩ぐらいになった時だ。舞は俺に向かって飛び込んできた。

 はらりとバスタオルは舞の行動についていけなくなったのか、舞の体から離れていく。肌色の部分が多くなっていく。

 しかし、そう思った時にはドスンと、重くないはずの小さな体に俺は押し倒されていた。 

 俺はわけもわからず押し倒した舞を見て、思わず息を呑み、無意識に回そうとした手を引き止めた。

 全裸だ……。布も何も着ていない、本当の全裸だ。抱きついているおかげで胸は見えていないが全裸だ。

 俺は変な妄想に走ってしまう前に首の力を抜いて天井を見上げた。

 一体、何があったんだ? どうしてもこんなことになっているんだ。

 そうやって理由のことを考えて無理矢理にでも意識を逸らそうとした。それなのに、


 「人の温かさって本当にいろいろなものを教えてくれるし、思い出させてもくれるよね」


 ふいに俺の体からの舞が離れる気配がすると、視界に舞の顔が現れて見下ろしてきた。

 垂れてくるまだ乾ききっていない薄い桜色の髪。そこから匂う甘い匂いは、俺の意識を舞へと集中させ、頭は舞のことでいっぱいになっていた。


 「ど、どうして……」


 こぼれ出たような言葉は意識して出たものではなく、無意識のものだ。その証拠に俺は何を舞に言ったのか、よくわからなくなっている。


 「さっき、リュアナねぇに抱きしめられて想真にぃの温かさが恋しくなちゃったんだよ」

 「い、いや、だからって……!?」


 掠れ気味の声を俺が漏らすと、舞はしょうがないよとでも言うようになぜか甘ったるい顔を見せた。


 「想真にぃの温かさを体全身で感じたかったんだよ。でもね、私はそれ以上にもっと感じたいと思ってしまった。だから──」


 舞の顔が大きくなり近づいてきていることがわかる。

 ダメだ。この場の雰囲気に流されては絶対ダメだ。どうすれば、どうすればいい!


 「ごめんね、想真にぃ……」


 そんな声が聞こえて、俺ははっとする。

 目の前、少し動けば当たってしまいそうな近さに舞が今にも泣きそうな顔で俺を見て止まっていることに気づいた。


 「さっき私が言ったこと、あれは嘘だったんだ……。本当は、私の温かさで想真にぃを安心して欲しかった……一人じゃないよってわかって欲しかった……」

 「…………」

 「でも、私は気づいてしまったんだ。わかちゃったんだ……。私は、私が言ったことは、嘘じゃないんだって、むしろこれが本当の気持ちなんだってことを……。本当はこうしてしまったらもう、元の関係には戻れないことぐらいわかっているのに、ずっとこのままの関係がいいと思っているのに、それなのに、私の気持ちは、止まってくれない……止まってくれないんだよっ! 私、苦しいよ……。本当、私どうしたらいいの……? 教えてよ想真にぃ、あの時みたいに……」


 ポツポツと、俺の顔には涙の雨が落ちて来ていた。

 舞は積もりに積もった思いや感情を子供のように吐き出して泣いているんだ。

 そう思うと、俺に考える余裕がうまれる。

 相変わらず、引き込むようなあの甘い匂いは、まだ漂い続いているが、舞がこぼす涙が俺を冷静にしてくれていた。

 あの時みたいに──。

 舞はそう言ったけど、舞の話を冷静に受け止めて、今回は俺が答えてはいけないのだと思った。

 あの時の舞と今の舞は全くの別人なのだ。

 あの時の舞は何も無い自分をどうすればいいのかを俺に訊ねてきた。

 今の舞は感情や理性からの苦しみをどうすればいいのか聞いてきた。

 舞と触れ合った時間はまだ少ししか経っていないはずなのに、あの時の舞とは全く逆の質問をする舞にここまで変ったんだと思うと、ついクスッと笑ってしまう。

 大雨だった舞の涙は少し小雨になって、舞の瞳は不思議そうに俺をうっすらと見ていた。


 「ごめん、舞。苦しんでいるのに笑ったりなんかして。今の舞を見てたら、初めてあった日に比べて随分変わった気がして、つい笑ってしまったんだ。本当にごめん。でも、舞がこうやって、自分の気持ちや理性に迷って、苦しんでいるところを見て思ったよ。あの時とはもう違うんだって。人らしい自分を持った舞になったんだって。だからさ、俺はその質問に答えられない。その答えは俺じゃなく、舞が自分で決めて進まなければならないことだから」


 俺が一通りのことを言い終えると、舞がまだ嗚咽おえつが残る声で口を開いた。


 「想真にぃは、ひどいよね……」

 「それは……ごめん……」


 自分でも本当に酷いと思う。助けを求めているのに、こんなに近くで苦しんでいるのに、手を伸ばさず助けようとしないのだから。


 「前は……前は無理矢理にでも、私を生かそうと必死に……必死にいろんな答え、言ってくれたのに……今度は私から教えてって言っても、なに一つ教えてくれないんだから…………ほんと、ひどいよ……」


 ポタポタと落ちる雨はあがらない。でも、曇っていた雲色は少し明るくなった気がする。


 「本当に悪い。でも、これは、これだけは舞が自分自身で決めていかないといけないことなんだ……。だから、わかって欲しい」


 正面に見える少女は涙をこぼしながら、ぎこちない微笑みを浮かべていた。


 「うん、わかってる……。想真にぃの気持ちはわかってるよ……。でもね、私にはまだ答えが出なくて、息が出来ないぐらい苦しいから、想真にぃには少し責任を取ってもらうよ──」


 責任? っと思った時には俺の唇には舞の唇が重なり合っていた。

 甘い匂い。

 柔らかい唇の感触。 

 でも、どれも寂しそうな孤独の儚さを感じて。


 「今は、これで許してあげる……」


 そっと顔を離して、そのまま離れていこうとする舞に、俺は手を伸ばしその小さな体を包んでいた。


 「想真……にぃ……?」


 俺はいま舞の体を抱いているはずなのに、舞の体は消えしまいそうなくらい儚くて、そして、冷たくて。そこにいることが嘘に感じてしまうほど舞という存在が薄く、小さく感じてしまっていた。


 「大丈夫、大丈夫だ舞。俺はずっとお前のそばにいる。だから、安心して進めばいい。もし、間違えたとしても必ず俺が助けるから」


 舞の背中をさすりながらそう言うと、舞はクスと笑った。 


 「その言葉は、本当は私が言わないと、って思ってたことなんだけどね……ありがとう想真にぃ、私はもう大丈夫だよ」


 その言葉の通り、涙の雨もやみ、精神的にも落ち着いたのだろう。


 「そうか……。それじゃあ、気分転換にもう一回、お風呂入ってこい」

 「えっ?」


 驚いた舞の表情は近くで見ると面白い。目を丸くしたという表現があるが、今の舞は本当にそのとおりだ。


 「このままだと風引くだろ。ほら、体冷たくなってるし。早くお風呂で温まってこいって」

 「でも、お湯は?」

 「大丈夫だよ。まだ、お湯は残してあるから。それに温めておいたよ」


 そう言って入ってきたのはリュアナだ。

 舞はその声に驚き、俺の腹に座ってリュアナがいる扉の方を見た。俺も舞と同じように見ようとしたのだが舞の姿を見て目を手で覆おおった。


 「リュアナねぇ……あっ、こ、これはね。えっーとえっーと、ほら、ちょっとした事故っていうか……」


 ここまで焦った舞は聞いたことがないな〜。あわあわしている舞を見れないのがすごい残念だ。


 「大丈夫だよ。事情は聞いてたし、舞ちゃんの気持ちもわかっているから。だから、早く入っておいでよ、ね」

 「うん、ありがとうリュアナねぇ」


 舞がそう言うと俺のお腹に乗っていた軽い重みが無くなって、走っていく音が聞こえて、バタンという音が聞こえた。

 舞がお風呂場に行ったのだろう。

 俺は目にかぶせていた手をどけると、そこにはカジュアルな服を着たリュアナが立っていた。


 「大変でしたね。想真くん」


 仁王立ちでニコニコと笑っているリュアナ。だけど、目は笑っていなかった。


 「あはは……そうですね」


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