桜11〝*
ピピピ、ピピピと俺の頭上にあるデジタル時計がアラームを鳴らした。
いつもなら遅刻を防いでくれる頼もしい奴だが、今日に限っては安眠を妨害する鬱陶しい奴でしかなかった。と言うのも、今日が土曜日だからだ。
学校がない休日、ゆっくりと寝ていられるこの至福の時間を目覚まし時計の機械音によって妨害されるというのは、なんとも不快な気持ちになってしまう。
「ん〜」
俺は唸うなりながら少し体勢を変え、目を瞑つむったままの状態で、いまだ鳴り止まぬデジタル時計の頂点に手刀を繰り出した。
俺が放った手刀は見事にデジタル時計の頭上に直撃したようで、デジタル時計は息の根が止まったようにアラーム音をピタリと止ませる。
これでまた至福の時間が戻ってくる。そう思いながら、抜刀した手刀を布団の鞘さやに戻すため、デジタル時計の頭上からするりと滑り落ちるように離れようとした。その時、俺の手にサラリとした何かを触った。
普通、デジタル時計から落ちた俺の手は柔らかい布団に落ちるのが当然だ。しかし、俺がいま感じているのは、さらりとした……糸のような……感触だった。
人の髪の毛か? でも一体誰の?
昨夜、誰かと添い寝して寝た覚えなんかない。
触れていた髪をさすってやると俺の髪よりもふわふわ、さらさらしていて気持ちいい。
「んぅ〜、んん………」
髪を撫でられた髪の持ち主は、頭を少し動かした小さくぐずついた声を漏もらす。
この声には聞き覚えがある。
重たい瞼まぶたも少し引き上げて、ぼやけた視線を胸にひっつくものに向けた。
「──やっぱり、舞か……」
数秒、俺はその場所から体勢も変えることが出来ずにすやすやと眠る舞を眺めた。
いつもなら、なんで舞が寝てるんだ! とベッドから飛び起きている頃合いだが、今日に限ってはそんな慌ただしい起き方ではなく、ゆったりとした気持ちいい起き方で起きたかった。とは言っても、もう半分は起きてしまっているようなものだが、ここで飛び起きて台無しにしてしまうような朝にはしたくはなかった。
俺は再び舞の髪をゆっくりと撫なでながら舞の目覚めを促うながした。
「ん……想真にぃ…………?」
舞は少しゴソゴソと動くとゆっくりと目を覚まし、見上げるように俺を見た。
その様子はまるでうっすらとしか目を開けれない子猫が必死に見上げてくるようで愛らしい。
「おはよう、舞」
そう囁ささやくように優しく言うと、舞は少し驚いたのか俺を不思議そうに見ていた。しかし、それは数秒のことで、その後はいつもの通りの舞がそこにいた。
「うん、おはよう想真にぃ」
そう言って、からだ全体を擦り合わせるように密着させて、ほっぺたをスリスリと俺の胸に擦りつけてくる。
「朝からお前は甘えん坊だな」
「だって今の想真にぃ、なんか優しいから………。今のうちに甘えられるだけ甘えないとね」
見上げてくる子猫のような舞を見ると、つい可愛くて頭を撫でてしまう。
俺はいつからこんなにも仮の妹に溺愛するようになったんだか……。
でも、たまにはいいかと適当に自分を納得させ、朝の区切りをつけるため改めて挨拶を交わした。
「おはよう、舞」
「うん、おはよう想真にぃ」
〜*****〜
朝からいい走り出しを見せ、このまま安定した走りで一日が進んでくれるのか! と思いきや、すぐさま壁のように高いハードルが俺の目の前に立ち塞がった。
「なぁ……舞。これは一体なんだ……?」
「え? なにって朝ごはんだよ、朝ごはん」
「いや、それはわかってるけど……でも、これは……」
目の前に置かれていたのは真っ黒とした料理達。もはや、なにを作ったのかわからない。いや、そもそもこれを料理と言っていいものなのか、どうなのか……。
無論、これらを作り上げたのは俺の母ではなく舞だ。
ベットから起きた舞はご機嫌で「今日の朝ごはんは私が作ってあげる」と妙に自信ありげな笑顔で言ってきたのだ。俺は舞の不幸な申し出を断ることも出来ず、いまこうして食卓の上には真っ黒な料理が置かれてある。
トースト、ハムエッグ、サラダ、そう彼女は言っていた。しかし、どれも黒く見分けがつかない。
俺は一つの皿の中を覗き見た。舞がサラダと言っていた料理だ。中には真っ黒とした物体が添えられて……ってこれじゃサラダじゃなくて、炒め物じゃないのか……?
味を考えるだけで、鳥肌が立った。
しかし、これらはすべて舞が初めて一人で作ってくれたものであり。一生懸命、俺のために作ってくれた料理だ。そんな料理達をけして無下にする訳にはいかない。
「はぁ〜……よしっ」
覚悟を決めて、とりあえずトーストらしい黒い物体を手にとり口に運ぶ。
「どう? どう?」
舞の目が期待で輝いている。
あまりの期待の眼差しに体をそむけたくなってしまうほどだ。
しかし、残念ながらその期待に答えれるような感想は言えそうもないのが現実。
今は心を鬼にして感想を言おう。そう心に決めて、感想を述べる。
「すいません……苦いです……」
料理の味に関して、これ以上適切な言葉は見つからなかった。
気持ち切り替えて、残り2品にも手を付けていく。
「ごめんなさい……どれも苦いです……」
どれを取ってもこの感想以外思いつくことは出来ず、また感じることもできなかった。
「うぅ……」
しょんぼりとした顔を見せる舞。
俺は舞に美味しいと言ってあげれなかったが、ちゃんと最後までありがたく頂こう。
そう覚悟して皿を持つ手が震えるのを抑えながら、黒い物体を口にぶち込むように掻かき込んだ。
「うグッ……」
味を感じると、吐き出したくなる。でも、その前に押し込むように飲み込んでいく。
「想真にぃ、駄目だよ! そんなもの食べたらお腹壊しちゃんだよ!」
わかってるならあんな目を向けて来るなよ、と心の中でツッコミながら黒い物体を放り込んで──。
「ご、ごちそうさまでした……」
食べ切った………。
あの黒い物体を食べきったんだ……。
俺は力を抜いて椅子いすの背もたれにだらしなくもたれた。
「も〜想真にぃは……」
嬉しさ半分呆れたように見てくる舞。俺はその小さな頭に手を置き撫でる。
「これは……料理の勉強が、必要だな……」
今後の舞のためにも、俺の命のためにも……。
「うん……」
しょげる舞を励ますように撫でて続けながら、空いた片手でスマホをいじりとある人に連絡とる。
「──あっ、もしもし、俺なんだけど。今日ちょっと行けるか?」
〜*****〜
「ねぇ、想真にぃこれからどこに行くの?」
外行きに着替え、髪をこの前買ってきた桜の花びらがついたヘアピンで前髪を止めていた舞がワクワクといった様子で訊いてきた。
「ん? それは後のお楽しみってやつだ」
「そうなんだ。それじゃあ楽しみにしておくね♪」
「ああ……」
運良く相手の了承を得ることができた俺達は、桜の髪飾りをつけた舞と二人、手を繋つなぎながらいつもの桜坂を登っていた。
こうして、ちらちらと舞い落ちる桜の花びらはいつもより多く、繋いでいない手を開ければ、手の上にはたくさんの桜の花びらが積もってしまう。
どうやら、ここの桜はそろそろ見納めのようだ。
この桜坂の桜は散った分だけ桜の蕾つぼみをつけて花を咲かせ、春が終わるまで満開に近い状態を維持してしまう、そんな不思議な木々達。だけど、それもさっき言ったように春まで。春が終わりを迎えるとこの木々はその他の桜の木と何も変わらない。ただ、満開が長いだけの桜の木。
そんな桜の木が、花びらを多く散らせているところを見ると、どうしても感じてしまうことがある。
「もうすぐ春の終わりか……」
何気なく呟いた言葉に、突然、繋がっていた華奢な手に引っ張られ、俺は足を止めた。どうしたのかと慌てて振り返って見ると舞が立ち止まっていた。
「……どうした、舞?」
舞は顔を落として、なにやら悲しい顔をしている。
このままだと一向に答えてくれないような気がするので、俺は舞と目線が合うぐらいに体を落としてもう一度尋ねた。
「舞、どうかしたのか……?」
舞は、目の前にいる俺の存在に気づいて、驚いたように一歩下がる。
「えっ? ……想真にぃ……?」
舞は驚いた顔していて、なぜ、俺がこうしているのかわからないといった様子だった。
「もう一回聞くけど、なんかあったのか? さっきの舞、悲しいそうな顔をしてたけど……」
そう言うと、何かを感じたように舞はまた少し悲しそうな顔をしたが、顔を左右に振って答えた。
「ううんううん、なんでも無い……。なんでも無いよ。それよりも行こうよ想真にぃ」
再び元気な表情を浮かべる舞は早く早くと俺の前に出て手を引く。しかし、今度は俺が動かなかった。
「舞、本当に何もないんだよな……」
「本当だって想真にぃ〜。もう心配性だな〜」
舞の表情を見て、これ以上聞いても答えてはくれないと諦める。
「……わかった。何もないならいいんだ」
そう呟いて立ち上がろうとした時だった。後ろから軽い体重がもたれかかり、誰かの手が俺の首に回された。
俺は驚いて、一旦、立ち上がることをやめてその場で停止した。
首に巻かれた腕や手が、まだ幼くか細い腕と手だったのでだいたいの見当がつく。
「──舞?」
「うん、そう。あのね、想真にぃ。ひとつだけお願いしてもいいかな?」
いつもと何か違う舞の声に俺は少し躊躇ためらった。
「そこは内容によるけど、大抵たいていのことなら……まあいい」
舞は考えるように少し黙ると、途切れ途切れゆっくりとお願い事を言った。
「それじゃあ……このまま……そう、このまま、おんぶしてほしいかな」
首に回してホールドしている手はガッチリと自分の両方の腕を持っている。どうやら、お願いを断っても離す気はないようだ。
それにしても、お願いがおんぶとは意外な答えだった。舞の声色から、内心ではとんでもない事をお願いされるんじゃ無いだろうかと思っていた。でも、それは俺の杞憂でしかなかったようだ。
「それならいい。しっかり捕まっていろよ」
「うん、ありがと想真にぃ……」
舞を背中に持ち上げながら立ち上がり、ゆっくりと坂を登る。
舞は俺の温もりを求めるように、肌が触れ合わないところがないぐらいに身を寄せていた。
そんなふうにされるとやっぱりなにかあったんじゃないかと心配になる気持ちが出てくる。しかし、男としてこの状態が気になってしょうがない。
普通に歩いているだけなのに、背中に押し当てられている胸とか首筋にかけられる甘い吐息とか、妙に意識してしまって目的地まで保つ気がしない。
「はぁ〜」
「どうしたの、想真にぃ?」
舞が肩から身を乗り出して俺の顔を覗き込む。
だから、またそういうことすると………。
「いやな、ほんと舞は成長するのが早いんだな〜と思っただけだよ」
遠回しに言ってみたが、冷静に考えるとわかるはずもない。
「成長が……早い?」
舞は意味がわからないといったようで繰り返して、言葉の意味を考えていた。すると、舞の視線が下を向いたかと思うと急に赤くなり始めた。
もしかして、気づいたのか……。
「も、もしかして想真にぃ、私が眠っている間にバスト測ったの?」
「けして、そんなことはしていない!」
けど、近い!
「じゃあどうしてそんなこと言ったの?」
執拗までに聞いてくる舞に俺は、それは……と少し口ごもる。
遠回しに言ったはずが、いつの間にかその意味を自分で言わないといけないなんて……なんか、恥ずかしい。
「胸が、胸が当たってることを気づかせるためだよ……」
恥ずかしくて顔を逸らすように下に俯うつむく。
「なんだそんなことだったんだね〜」
軽い感じで言う舞。
そんな軽く済ましていいのか? 俺にとっては大問題な気がするが……。それじゃあ、さっきはなんで……。
「なあ舞、なんでさっき赤くなったんだ?」
しつこく聞かれた分、こちらも仕返しに鋭いところを聞いてやる。
「そ、それは…………」
舞は少し俯くと、真っ赤な顔をしてさっきの俺みたいに口ごもった。
「……わた、私が寝てる間に……私が寝てる間に想真にぃが私の胸を揉んで大きくしてくれてるのかなとか思っちゃっただけだよっ!」
「そんなことしてねぇっ!」
つい、舞に合わせてしまいツッコミを入れてしまう。
「だから、思っちゃっただけで……いや、本当にしたいなら今日の夜でも……」
「いやいや、しないから」
流れで言ってしまったが、揉みたい気持ちも……いや、ない!
「むぅ〜〜」
ふてくされたような唸うなり声を上げる舞。
なんか最近、舞が母に毒されてきている気がする……。なぜそっち方面へと進みたがるんだろうか? 本当に……。




