桜5 “*****”
綺麗に映える夜桜。
その根元に小さな少女が座りこんで、嗚咽も漏らさず泣いていた。
俺はその姿を茫然と眺めながら、少女が言った意味を、少女が泣く理由を、唐突のことに固まった頭を必死に回し考えていた。
一言。彼女は存在意義を失ったと言っていた。
どういう事なのか全くわからない。
存在意義。
そんな言葉は滅多に使うことはない。目の前で告げられ、初めて本当の意味を考える。
存在する意味……。
少女は俺に伝えたことで、彼女の存在する意味がなくなった言った。
……そんなはずはない、人が生まれてきた以上は存在する意味があるはずだ。そして、それはけして終わるはずがない。
人と人とは互いを求め合い、助け合う。それは繋がりであり、必ず人なら持っているものである。
この繋がりがあることで存在する意味を持つはずだ。
そこまで考えて、俺はあることを思いだす。
この少女は記憶を失っている。つまりは少女の中では求める人も、助け合える人もおらず、この世界の枠組みから切り離されているのだ。
だとしても、この少女は俺のことだけは知っていた。だとすれば……。
桜の木にもたれて座り込む少女の顔にはもう未来がないような、暗い目を、悲しい顔を浮かべて俺を見上げていた。
記憶喪失でここまでなるだろうか?
「私、どうしたらいいかな?」
少女の声は静かに、そして落ち着いた声で呟くように言った。独り言だったのかもしれない、俺に助けを求めているのかもしれない、どちらにせよ俺は一瞬の疑問を掻き消してしまうほどの印象を与えられていた。
まだ涙がこぼれ落ちる顔をあげて、もう一度、小さな声で言った。
「私、どうしたらいいのかな……?」
少女は俺に訊いていた。
「…………」
状況に整理が着いても答えはでない。どうしたらいい、なんて俺が訊きたいことだ。だけど、感じとれたものはあった。このまま放っておくことは出来ない。いや、してはいけないのだと直感的に悟った。
今の彼女が見ている先には間違いなく死がある。
……嫌だ。
彼女の死を悟った瞬間、俺はそう思った。
俺が関わった人間が理不尽な理由で死を迎えるのはもう、こりごりなのだ。たとえ、これがわがままであっても、俺の弱さであっても、それだけは曲げたくはない。だから、彼女の存在意義を失ったのだとしても、彼女には生きてほしい。なんとしてもだ。
だから、俺のやることは決まっていた。
「……君は、自分の存在意義を失っていると思っているかもしれないが、俺はそうだと思わない……。たとえ、君がすべてを忘れて失ったとしても、周りが君を必要としている限り、君には存在意義があると俺は考えたんだ。少なくとも俺は君を必要だと思った。だから──」
「本当に、そう……?」
少女は静かに言葉を遮り、訊ねた。
「私が気づいたときにはもう一人だった……。親類も友達も誰一人としていなかった……。あったのはさっき言った三つのことだけ、でも、それももう終わったこと……。そんな、なにもない私を君は本当に必要としているの? どうして、私が必要なの?」
「…………」
返せなかった。
きっとそれは、彼女のことを何も知らないから。何もわからないから。
必要としているなんて……本当は俺が勝手についた嘘だから……。
自然と握りしめた拳こぶしに力が入る。
「……やっぱり、君は優しいよ」
まだ、涙は止まらない少女が俺を見上げながら、俺の心を見透かしてわかっているように呟く。
違う……。
そう言われてさらに強く握る。
「君は、いつも助けようとしてくれる」
その顔は今にも消えそうな、暖かい微笑みを浮かべて……。
違う!
手に出来た爪痕から血が出そうなほどに握りしめる。
「だから、君には──?」
「違うっ!!!」
気がつけば、少女の顔が目と鼻の先まで近くにあり、少女のもたれかかる桜の木を殴っていた。
「……違うんだ……。俺はただ……」
力を失った拳こぶしは、ほどけて落ちるように少女の肩に触れ、その小さな背中に手をまわし抱き寄せた。
「俺はただ、わがままなだけなんだ……。もう、俺に関わった人がいなくなるのも失うのもイヤだから、俺は優しいふりをしてたんだ……」
弱々しく紡がれた言葉は紛れもない俺の本心だった。
「……そっか……君はわがままだったんだ……。でも、私と君が会って数分しかたっていないけど……それでも、死んじゃうのは嫌なの……?」
細々しい声に、一層、その華奢な体を抱き締める。
「ああ、嫌だ。嫌なんだっ! だから、頼む。頼むよ……死なないでくれ……」
「…………」
人形のように力の抜け黙り込む。
胸に抱く少女から伝わる温かさが、まだ生きていることを証明していた。
「……そっかぁ……。こんな、私でも生きてほしいんだね……」
耳元で、小さく呟く少女は表情が見えないものの嬉しそうにしている気がする。
「ああ……」
そう返事をする俺に少女は決心するように俺の背中に手を回した。
「わかったよ……。君がそこまで言うなら、私を、生かして、よ……」
少女の力が一気に抜け落ちた。背中に回していた手は背中から地面に滑り落ち、だらんと垂れている。
「おい、どうしたんだよ。おいっ!」
焦って少女の体を揺する、しかし少女は目を覚ますことはなく、ただ人形のように揺さぶられるだけだった。
「どういうことなんだよ! 生きてくれるって言ったじゃないか……どうして、どうして、こうなるんだよ……」
動かなくなった少女を抱き締めた。まだ残っている温かさを感じたかったのかも安心したかったのかもしれない、ただ裏切られた悲しみの痛みを和らぎたかったのかもしれない、俺は胸に抱きしめる彼女を強く、強く……。
「──痛いっ!? 痛いよ痛いよ、痛いんだよっ!!!」
「へっ!?」
抱きしめていた少女から出た声だった。先までとは比べ物にならない大きな声に思わず頓狂な声を出してしまう。
もがき、俺の腕から逃れると、抱きしめられたところを擦りながら、呆れたように俺を見た。
「もう〜そんなに簡単に、死なないよ〜」
向き直った少女は眠たそうに目を擦っていた。
「……え? もしかして……今の寝てた訳?」
「……もう、そうだよ〜」
そうしている間にも、またこっくりこっくりと頭が落ち始める。
「ごめん、私もう、限界、みたい……それじゃあ、わたしを、よろしくね…………………」
そう言うとまた、眠りについたのか動かなくなる。
「本当に寝てるだけなのか……?」
顔を近づけてみるとすぅ~すぅ~と寝息が聞こえてきた。どうやら、本当に寝たようだ。
さっきまでのことは一体なんだったんだ……? そう思うと重い息が止まらない。
「まったく、人騒がせなやつだ……」
今までの出来事がすごい速さで駆け抜けていった気がする。そして、今は平凡な生活の速度へと落とし、やっと安心できる速度だ。
──ああ、大変だった。
安心して眠っている少女の顔を見る。
死を目にしていた少女をここまで進路変更することができたのだ。自分でもお疲れさまとかけてあげたいところだ。
でも、いま本当に思っているのは、ただ、よかったという思いだった。
木にもれながら寝てしまった少女を横に抱き抱え、月明かりが差し込む桜坂をくだっていく……。
そういえば、よろしくとか言われて、家に連れて帰ろうとしてるけど、この子なんて言って連れて帰ればいいんだろうか?
足を止めて軽い少女を少し浮かばせ、体勢を整えて、また歩きだす。
「ふぅ〜……まったく世話のかかるやつだよ。まったく……」
〜*****〜
「ただいま……」
家まで辿り着くと、母が出迎えてくれた。
「想真お帰りなさいってその子どうしたの?」
「まあ、ちょっとその辺で拾って……」
嘘でもない適当な言い訳をすると、母はチラチラと交互に見る。そして、訝しそうな顔になって、
「もしかして、リュアナさんとの子供……?」
「そんなわけ無いだろ!」
母の驚き発言に思わず、玄関でツッコミを入れてしまう。その声に促されたように腕に収まる少女が身じろく。
「ちょっと、大声出しすぎたか? お母さん、ちょっと、布団敷いてくれる?」
「想真の部屋でいいかしら?」
「お母さん、俺にどうして欲しいわけ?」
「でも、場所は無いし……」
「わかった。もう、いい。俺の部屋でいい。出るだけ早くお願いします」
「はいはい」
母は簡単に返事を返すと二階へと上がっていく。
「さてと……」
玄関の段差に腕に少女を抱えながら腰をかけ、靴の紐をほどき脱ぎやすくしておく。それと、この子の靴も……。少女を落ちないようにしっかりと体に抱き寄せ、あいた手で少女の靴を脱がせた。
立ち上がって靴を擦り合わせ脱ぎ、家に入った。
階段の上の母が布団の準備ができた、と二階から声をかけられ、二階へ上がる。
俺の部屋には、ベットの隣に綺麗に敷かれた布団がおいてある。なぜ、隣にあるんだと気になるところだが今はこの子をおろすのが先だ。
布団にゆっくりと少女をおろすと、少女は眠ったまま寝返りをうった。どうやらこれで、ひと安心と言ったところだ。
「うんうん、ちゃんと眠ってるわね……」
そっと母は言って、少女の前髪を掻き分け、撫でた。
「さて、想真。ちゃんと説明してもらうからね」
立ち上がりながらにこやかに笑う母。さて、これからどう説明したら良いものか? 今から大変な夜が始まった。




