20**年 5月
「あっつ・・・・・・」
まだ五月なのに、もう暑い。年々酷くなっているそれに思わず眉が寄った。
今日は体育大会だ。
入学したての去年は、もう体育大会をするなんて随分早いなあ、と思っていたけれど、進級した今は少しわかる気がする。
この大きな行事は、新しいクラスの結束を高めるという役割を担っているのかもしれないと思ったから。
今は昼休憩というやつだ。
午前の部が全て終了し、それぞれが自分のクラスでご飯を食べながら、午後一番の応援合戦に向けて最終確認とかをする。私のクラスもそうだけれど、私はそこにいけそうもなかった。
生徒玄関の下駄箱の隅のほう、影ができているそこに私はしゃがみこんでいた。ほかの人たちはクラスにいるのか、人の気配がない。あと、ここは死角になっているのか人が来ても誰も私に気づかなかった。
それをいいことに、私はしばらくこうしてしゃがみこんでいた。
理由は簡単だ。気持ち悪い。吐き気がする。多分、熱中症だと思う。
これでもこまめに水分をとっていたつもりだったんだけど、それはつもりで終わっていたようだ。現に私は吐き気を催している。
あーあ、失敗したなあ。
自然と自嘲気味に笑ってしまった。自分がいないことを気にしているであろうクラスメイトたちの顔を想像していたら、自然と笑えてきた。ていうか、笑わないとやっていけないかも。
そんな時、足音が聞こえてきた。それはこっちに段々近づいてきているようだった。
そして、足音が私の近くで止まった。
「おはよう、日光浴?」
この意味不明な言葉と、のんびりとした口調に当てはまる人を、私は一人しか知らない。
つい鬱陶しく感じて、それを全面に出しながら見上げれば、こちらを見下ろす男の子と目があった。
先月、突然私に『友達になろう』宣言をした彼は、グロッキーな顔をする私を見て笑った。
「そんなわけないか。熱中症のようだね。きちんと水分補給をしていない証拠だ」
「こまめに、水分、とってたん、だけど」
気持ち悪くて、何か言ったらついでに胃の中のものも吐いてしまいそうだったから、それをこらえながら切れ切れに反論した。
すると、彼は首をかしげる。
「にしては気持ちが悪そうだ。やっぱり熱中症だよ。人間、思い込みっていうものは怖いからね。きっと、ちゃんととっていた、自分は大丈夫だって思い込んでいたんだろう。身体は自然の摂理に則って自己防衛反応を起こしたようだけれど」
その声は真剣で、途中から、彼の顔も無表情に見えた。
それで、なんとなく、これは遠まわしにお説教されてるのかもしれないと思った。
でも、それを口に出すことはできない。したら吐きそう。
彼は一度肩をすくめて、私に手を差し伸べた。
私は、その行動が理解できなかった。
「・・・・・・え?」
「先生のところに連れて行くよ。ここにいても治らないからね。わたしは人一人を抱え上げるほど身体を鍛えているわけではないから、せめて肩をかそうかとも思ったのだけど。君はきっとそれを嫌がるだろうから、手を引くことにするよ」
「・・・・・・そう」
私はそれ以上、彼に何も言えなかった。
彼も先ほどの言葉以上は何も言わず、ただ私に手を差し伸べたまま笑っていた。
私はほぼ無意識に、彼のその手をとった。彼は私を引き上げてくれて、そのまま引っ張った。
歩きながら、彼がこちらを見ないで言う。まるで独り言のように。実際、独り言かもしれない。でも、私は自然とそれに反応していた。その続きを促すように相槌をうっていた。
「一人じゃ生きていけないって言うよね。わたしはそれにある意味賛成で、ある意味反対だなあ」
「なん、で?」
「一人では生きていけないよ。必ず他者がいる。人間だと養ってくれる人や食べ物を生産してくれる人、ほかにもたくさんいるだろう。自然界の動物においても、彼らはほかの動物を犠牲にすることで生きている。だから一人じゃ生きていけない。生きていけるわけがない」
「っ、そうだね」
「でも必ず一人で生きなきゃいけない時があると思うんだ。生きる、というよりは立つ、のほうがいいかもしれないね。一人で立つ。自立。自分に関係する問題は自分でなんとかしなきゃいけないというのがわたしの考えだ。その時は、他者に頼るというカードも手札に入っているけれど、決断するのは自分だ。ポーカーでどのカードを捨てるのか、残すのか。それを他人に言われる筋合いはないだろう?」
「わかん、ない、な」
「わからないのが普通だよ。他人の考えていることなんかわかるわけがない。わかる人がいたら気持ち悪いね。わたしはそう思うなあ。わからないからこそこの世界は成り立っているんだから」
こんな話をしながら、ずっと歩いていた。
先生のもとに着いた時、私は相当参っていたようで、意識が朦朧としていたらしく、何を話しかけても微妙な返事しかこなかったということをあとで知った。午後の部が参加不可能となったことも。
その時のことで記憶にあるのは、横に寝かされ水を飲まされ、冷たいものをあてられたということと、救急車を呼ぶと言われたような気がすること。
あと、彼に何かを言われたような気がするけれど思い出せない。
あの時、横に寝かされた私は、彼が笑顔で何かを言っているのを見ていたけれどそれを聞いていなかった。ただ、見ているうちにどんどん彼の姿がぼやけて、まぶたが重くなって、意識が遠くなって。寝てしまったということに気づいたのは随分あとになってからだ。
彼はそんなに絡みにくい人じゃないのかもしれない、と病院で目覚めた時に思った。
友達になれるかもしれない、なんて考えちゃったのは、きっと頭がぼんやりしてたからだ。もしくは五月病だ。そうに違いない。
だって、彼と会うのは、これがまだ3回目でしかないのだから。