20**年 4月
朝7時頃に登校して、生徒玄関の扉を見つめる。正確には、扉に貼ってある紙を見つめる。そこには、新しいクラス表が書いてあった。それを穴が空きそうなほど見つめる。
自分の名前が見つからないんじゃない、気に食わないからだ。
こんなに早く登校してきたのにも特に意味はない。
ただ、いつもよりも早く目覚めてしまったし、折角だから早く登校して勉強でもしていようかと思って来ただけだ。
それでも、あまり新しい教室に行く気にはなれなかった。だからクラス表を眺め続けていた。
もうどれくらいそれを見ていただろう、って頃だった。
「わあ、早起きだね。そんなに気になったの?」
ひょい、と私の横に誰かが立って、そんな風に言った。右側から突然聞こえてきた声にぎょっとして、思わず後ろに3歩ほど下がった。
その誰かは、そんな私を見て笑いかけてきた。
「久しぶり」
「は?」
私にかけられた言葉に、思わず間が抜けた声が出た。気づいて咄嗟に片手で口元を隠すけれど、もう出て行った言葉は戻ってこない。怒られる、かな。おそるおそる、声をかけてきた男の子を見る。彼は面白そうに笑っていた。
「やっぱり覚えてないかー」
「え・・・・・・っと?私たちは初対面じゃ・・・・・・?」
「人は忘れる生き物だからね。そうだね、覚えていなくても無理はない。でもそんなにわたしと話したということは、忘れるほど印象が薄いものだったかな?わたしは、自分の印象の濃さは理解しているつもりだったんだけど」
なんなんだこの人、わけがわからない。そう思って引っかかった。
“わけがわからない”?
前に、確かにそんな感覚を覚えたような出来事があった気がする。それはなんだったんだろう。記憶の糸を手繰り寄せる私に、彼が続けて声をかけた。
「3月の始めくらいだった。あの日は、そうだね、前日の大雨が嘘のように晴れていた。寒かったけれどね。君は一人教室に残って数学の問題を解いていた。理系に進むんだと言っていたかな」
「ああっ!?」
その言葉で一気に思い出した。
彼の顔をまじまじと観察する。あの時のわけがわからない男の子に違いないだろう。若干、髪を切ったのかあの時の男の子だとわからなかった。言われてみれば確かに彼だろう。
彼は私の反応に満足したのか、頷いた。
「久しぶり」
「久し、ぶり」
こうして改めて彼の姿を見ると、変な感じがする。一応同級生のはずなんだけど、どうしても年上のような印象を受けてしまう。大人っぽいというか、雰囲気が高校生ではないような気がするのだ。だから緊張する。
彼は私からクラス表に視線を移して、暫くそれを眺めていた。そして自分の名前を見つけたのか、ふうん、と一言こぼして頷いた。
「何組だったの?」
気になって、そうきいた。
これで私と同じクラスだったら、少なくとも一年間は仲良くしていかなきゃいけない。あとは単純な興味だった。
彼はクラス表からこちらにまた視線を戻した。そして私の問いに一言だけ、違うクラスだろう、と返した。
「なんで私が自分のクラスを言う前に、そんなことがわかるのよ」
「わかるよ」
「それじゃあ、文系なの?」
「違うけれど」
「じゃあどうして」
彼は肩をすくめた。それに少し苛立つ。
「エスパーか何かな訳?」
「だといいんだけどね」
「は、あ?」
噛み付くように、若干の嫌味も込めて言った言葉は予想もしていない返され方をされた。
予想の斜め上すぎたその回答に、私はまた間抜けな声を出した。
彼は少し思案する素振りを見せたあと、笑顔で言った。
「3組だよ」
それは私と違うクラスだった。それよりも、3組ということは彼も理系だ。いや、文系じゃないと言われた時点でそうなんだろうとは思っていたけれど、どうも信用しきれなかったからだ。
私はもごもごと自分のクラスを言った。彼は、やっぱりねえと言って笑った。
「まあ、別にクラスが違うということはそこまで気に留めるものではないだろうし」
「そんなもの?」
「うん。あ、前にも言ったけれど、わたしと話すときは難しく考えたりしちゃ駄目だよ。勿論、額面通りに受け止めるのもいけないからね。感じたまま、で会話をしてほしい」
その言葉に面食らった。
思わず、ゆっくりと瞬きをしてしまった。
ぱちぱち。
世界は何も変わらなかった。現実らしい。
とりあえず、彼の言葉をゆっくり咀嚼して、そして考える。そしてまさか、と思って彼の顔色を伺った。彼は至って楽しそうに、ニコニコと笑っていた。
おそるおそる口を開く。
「それって、これから先、私と喋るってこと?」
「というより、友達になりたいかな」
返ってきた言葉に愕然とする。
何で、ほとんど初対面のようなこんな不思議な男の子と友達にならなきゃいけないんだ。自然と顔がこわばった。口元が引きつった。
彼は笑った。
「まあ、突然友達に、なんてことは無理だろうからさ。ゆっくり友達になりたいと思うよ。これからよろしくね。ああ、それじゃあ。わたしはもう行くね」
彼は言いたいだけ言って、さっさと中に入っていってしまった。
その場に取り残された私はというと、今自分に起こった出来事に理解が追いついていなかった。
すると、誰かに肩を叩かれた。
びっくりしてその方向を見ると、去年一緒のクラスだった友達と呼べる女の子がいた。
「おはよう!ぼーっとしてどうしたの?」
「あ、ううん。なんでもない。ちょっとね」
「ふーん、そう。あっ、ねえねえ、今年もクラス一緒だった?」
「あっ!ごめん・・・・・・私、自分の名前しか見てない」
「えーっ!もう、ちゃんと見ておいてよねー」
「あ、はは・・・・・・」
彼女と会話しながら、彼の先ほどの言葉を思い出していた。
友達に?この子みたいに、彼と仲良く喋る?
想像して、心の中で苦い顔をした。
あの、電波系とやらにも等しい意味不明なことを言われ続けるんじゃないだろうか。
絶対無理。
まだ桜もまばらな4月の初めに、私はそう思っていた。