ふゆむしなつくさ
ガンジス杯企画参加作品です。
どうせならお話を書いて参加したいと思いました。
お祭り好きな私は、ただ、ただ、楽しそう! だけの参加です。
前座余興作品として楽しんでいただけたら! よろしくお願いします。
以前の僕には、決して裏切る事が出来ない、生涯共に歩もうと心に決めた人がいました。
僕はいつもその人の後ろに、べったりとくっついて、過ごしていたものです。その人は、僕の憧れであり、道標であり、尊敬に値する存在でした。
あの頃の僕は自信がなく、いつもその人の言葉、考え、意思で動いていました。僕が持つものは全てその人のものでした。それを疑問に思うこともなく、僕たちはいつも影を並べて歩き、繰り返される季節を過ごしました。なぜなら、その人が指し示す道筋は常に正しく、僕という存在が生かされていたからです。僕にとってその在りようはしごく当然な状態だったのです。
いつの頃からか三つ目の影が、僕たちと一緒に歩くようになりました。初めは三つ目の影を疎ましく感じましたが、いつしか三つの影を並べて歩くのが、当たり前になっていきました。
影が三つになってから僕は変わりました。人との付き合い方について考えるようになったのです。
僕とその人。
僕と三つ目の影。
その人と三つ目の影。
――笑って泣いて、喧嘩をして、恋もして……僕が一番輝いていた時代です。
やがて影は二つと一つに別れたり、それぞれが気ままに歩いたり。
僕が自分の意思で歩き出すと、僕を囲む人の輪が広がっていきました。一人で歩く時が増えるにつれ、周囲を眺める余裕も生まれました。
瞳に飛び込んでくる景色の中に、混じって映る人々の生きる姿。僕はその姿に様々な思いを馳せたものです。
そして僕が尊敬してやまない影は、臨機になると、僕たちを必ずその両隣に呼び寄せました。長い人生の中で離れ離れになっても、必ず再会し影を並べて歩く事を繰り返す。僕はそれだけで十分満足でした。
生涯通して認めあい必要とされる相手って、そうそう居るものじゃありません。いつしか僕にとって二つの影は、なくてはならない存在になっていたのです。
――地上から一つの影が永遠に消えたあの日までは。
僕が慕い憧れた影はある日突然に消えました。
僕に会いに来る旅の途中、乗っていた飛行機が、空中で大爆発を起こしたのです。
あの時の僕は、人という器の脆さを知るには、まだ若かったのでしょう。
僕の視界は一瞬で喪失という深い闇に覆われました。僕は事実を認めることが出来ませんでした。
荒れもせず、怒りもせず、泣くこともせず、ただ認めないことに妄執しました。
認めなければ事実は消える――事実が消えればその影は帰って来る――そんな非合理な思考の淵へ落下していったのです。
以来、耳を塞ぎ、目を瞑り、全てに対し心を完全に閉ざし。そうして僕は食べ、眠り、寡黙な日々を生きるようになりました。
僕たちは器にとり憑き生きる影です。
見極めた器の影へ忍び寄り、一歩で踏み入り、徐々に影を重ね、足元から全身へ侵入し、器に根づきます。器の生気を吸収し、思考を融合させ、その人格を支配し、器の持つ権力や富、知識を引き継ぎ生きるのです。
僕が尊敬してやまなかったその影は、良知良能に秀でた器を選別する力に長けていました。
常にそれ以上はないというターゲットを見定め、仕留め、その器を時代の先駆者へと押し上げたものです。
世界を動かす力を手にしたために、器が命を落とす事態にも何度か遇いながら、その度一瞬で傍の器へとり憑いて、次の器を息を潜めて見極める。そんな不敵な離れ業を僕たちに見せつけました。
その影は、いつも選んだ器の力を使って歴史を動かし、共に時代を動かす器を僕たちに示し言ったものです。
「器を依り代に生きるなら、その時代を生きる人々のために最良な選択を行い、常に時代の光明と成れ」
そうして僕たち三つの影は、長い時を駆けながら生きてきました。しかし、全ての災厄を防ぐ力を持っているわけではありません。
空中爆発した飛行機の中に、その影がとり憑ける安全な器は一体もなかったでしょう。その影は永遠に消えるしかなかったのです。
あの時僕は、とり憑いた器を御しきれず、道標としてやまない影に助けを求めていました。三つ目の影は近くにいましたが、僕がその影でなければと我を張ったのです。その影は僕の許へ来るために、遠い国からこの地に向かい、事故に遭ってしまいました。僕が会いたいと言いさえしなければ――僕はその影が消えた元凶である自分を責め、現実を認める事が出来なかっただけでした。
ですが、もうその現実を受け入れる時期になったと認めましょう。僕には僕を見守るもう一つの影が寄り添っていて、二つの影ですべき事を成す時だと、やっと気づく事が出来たのですから。
人生にはいくつかの岐路があるのだと思います。
僕が慕ったその影と歩き出した時。
二つの影が三つになった時。
影の一つが永遠に消えた時。
残された二つの影が殴り合いをした時――。
先日僕は三つ目の影に殴られました。
いつまで消えた影を追い続けるのだと罵られ、そろそろ次の器を探し選べと責められ――それでも頑なに黙り込む僕を、三つ目の影は殴りつけました。殴られて喚き叫ぶ僕は、まるで道化師さながらで、滑稽だったろうと今更ですが笑えます。
僕は三つ目の影に感謝しつつ、本音は少し恨めしく思っています。
今の僕は、ごくごく平凡な普通の人生を過ごし、安全面では最適な日々を送っています。ただ、大分くたびれ、肉体、精神とも弱りはじめ、遠からず朽ち果ててもおかしくない風情です。このまま僕が器ともども永遠に消えても、不思議ではなかったでしょう。僕は自分が無意識にそれを望んでいる事を、三つ目の影に指摘されるまで気づけませんでした。
確かに当時の僕は誰が何を言っても、納得出来る状態ではなかったでしょう。でも今は、もっと早く気づいていればと悔やまれるのです。
僕はあの刹那の時を、現実の出来事として受け入れるまで、長い時間をかけてしまいました。ただ臆病に生き続けただけでした。僕は時を漫然と無駄に過ごし、消えた影の意思を引き継ぐ事を、疎かにしていたのです。
その生き様をあれほど長く傍で見ていたというのに――。
僕はとり憑く器に 『最大の敬意を払うように』 とも教えられました。僕なりに今の器が安全な日々を過ごせるように気遣ってきましたが、器の持つ可能性を生かす努力を怠っていた事は否めません。とても申し訳ない人生を送らせてしまいました。
今の器は大きな権力を持っていません。しかし幸いに友や趣味、仕事と住処はあります。最後に出来るのは、今後も穏やかに生き続けられる生気を返して、離れることぐらいです。
――僕は自分に最適な次の器を、見つけてしまったのですから。
今、僕に向かってとても魅力的な、生気に満ち溢れた若い女性が歩いて来ます。夕日を背に長い影を揺らし颯爽と――その透き影さえもが美しいのです。とても勇ましい見識と感性を持ち合わせ、前向きに生きている姿に惹かれました。僕は、橋の袂でその女性の影を踏まんと、待ち構えているところです。
これから僕は彼女になって生きようと思います。僕と器の彼女が悲しまない人生を送る覚悟を決めました。自由奔放で豊かな未来を生きるために、一切の躊躇いは捨てました。
器が彼女の影に一歩踏み込んだ瞬間、意識が陽炎のように揺らぎ――流れ込んで……僕は……彼女に……静かに――確実に――根づい……て……いく……。
「でっ……なんで、そうなるんだよ!」
わたしはなぜ叱られているのでしょう……?
「だって、この器が一番魅力的だったんだも―ん」
「なんだ、そりゃ―?!」
三つ目の影は両手を戦慄かせ、怒り心頭のご様子です。
「女の子になってみたかったからよ! わたしはこの器で生きるって決めたの。文句は言わないで!」
首元から微かに覗く鎖骨からの曲線、適度に括れたウエスト、形の良い膝頭とバランスよく伸びる二枝……。
清楚にも、優美にも、華麗にも――どんな出で立ちも可能でしょう? 面長で色白な整った面立ちが、満ち溢れんばかりの生気を発し、若さを存分に見せつけているじゃないの! 何より大きく輝く二つの瞳光が、わたしの気高い内面を如実に物語っているわ。素晴らしい器じゃないですか。
今この器に一番必要なものは、なんたって男よ! お・と・こ!
女の幸せは男次第っていうけど、いい男が輝く条件は、最高のパートナーがいるってことだと思うの。
わたしは男の器にもう飽き飽きしちゃったの。権力と財力を武器に世を統べたって、男は女の魅力に勝てないって気づいたのよ。自分が直に操るより、そんな男を裏で操る女になる方がずっと賢いでしょう? それこそ最高の醍醐味じゃないですか! 男が世を統べるには女子力が絶対に不可欠じゃない。
なのに開口一番、どうして叱られなくちゃいけないのかしら。
あなたもわたしも、今まで何度も結婚や子作りをしてきたわよね? あなたは女性の器にとり憑いたこともあったけど、わたしはいつも男の子ばかりで――お世継ぎ様と呼ばれたり、桜の木を切るなんておいたをしたり……。
尊敬するあの影は、わたしにはいつも男の子を指定したわ。それに素直に従ってきたわ。だから男の子や父親になった事はあったけど、女として生きるのは初めてなのよ、わたし。
「初めて一人でした選択なの! わたしはこの器を最大限生かしたいの!」
そう、わたしが泣き喚いたら、三つ目の影が唐突に叫んで――だから……なんで叱るの?
「なんだってお前はあいつにそこまで似るんだよ!」
それはあまりなお言葉じゃないかしら。わたし達いつも一緒だったんだもの。似ていて当然……え?
「それって……あの方も女性だったことがあったの?」
「そうだよ! あいつが紫式部だった時、突然、影の子を生んでみてぇなんてほざくから……おっおっおれは――男の器をとっかえひっかえさせられて……源氏物語はな、そっから生まれた、あいつの男遍歴録みてぇなもんなんだ!」
「……影の子?」
「あ……つっつまり――お前は俺とあいつの子どもだ! 言いたくなかったがな!」
「えっ? え―っ!」
彼が話した真相は、影がとり憑いた器同士からしか影は生まれない――でした。
二つの影がそれをずっと教えてくれなかったのが不思議だわ。
だって……今更そんなことって――。
青天の霹靂じゃないですか!
「俺が乳母にとり憑いて、お前をせっせと育てるのを尻目に、あんな、なげ~話を筆書きしてたんだよ! あいつは……。俺が必死こいて育てたっていうのに、なんだってお前はあいつばっか慕うんだ! 少しは俺の気持も察しろ! はぁ……」
そそそっ……そうだったのですね――。わたしが敬愛してやまないあの影は、元を正せば……そういう存在だったのですね。そして目の前で、天を仰いでいるこの人は、わたしの……。
「あ……ああぁぅうっ――! おとおさまぁ~~!」
長い刻を巡り巡って、今、明かされた人生最大の真実! これを感動と呼ばずしてなんとしよう! 目を潤ませ、感極まったわたしは渾身の力を振り絞ぼって、彼の両腕にダイビング抱っこで飛び乗りました。
そしてはたと気づいてしまった可能性……。
だったら――それなら……わ た し に も か の う ?!
「すぐ結婚しましょ! 影作りしましょ! もうこれは運命以外のなにものでもないわ!」
「おっまえ……そんなとこまで、あいつに似ちまいやがって!」
それから時を経て、二つだった影が四つになりました。
いや……さすがに双子が生まれた時はちょっと――ビビリましたが……。どうしましょっ?! と、慌てましたが、三つ目の影だったあいつがいろいろ――手と知恵を貸してくれました。
二つの影がどうして、たくさんの影を生まなかったのか――今はその理由も理解できます。
えっと……実は僕……二度と生みの苦しみを味わいたくなかったので、また僕になりました。
僕を育てた経験が存分に生かされたようです。あいつが慈しんでくれたので、二つの影は真っ直ぐ育ってくれました。
それなのに影たちは、なぜかあいつより僕に懐いています。僕を慕う影たちは、何ものにも変え難い宝物です。
二つの影は僕の後ろに、べったりとくっついて歩きながら、少しずつ何か考えているようです。僕は二つの影に男女を固定し器を示しています。それぞれ大物になる兆しを見せ始めており、頼もしい自慢の影です。
最近の影たちはあいつを疎ましがり、あいつはちょっといじけ気味ですが。その反動なのか、今、絶対に爆発しないエンジンと、惑星移動型ロケットの開発に勤しんでいます。
そして時々影たちに会いに来ては、満足そうに一緒の時間を過ごします。
思えば僕もかつて二つの影に、こうして成長を見守られていたのでしょう。
僕は、道標として目指し、慕いやまなかったその影のように、影たちを導く影になり、あいつと共に二つの影を見守り続けていきます。
僕たちはこれから一緒に歴史を動かし、時に酒を飲み交わしながら、器を依り代にして生き続けていくのですから。
進化した科学の恩恵で、ドーム型の屋根は音声スイッチに従い開きます。
昨夜、影たちは満天に広がる星空の下、どうやって世界を救う光明の影になるか、それは真剣な面持ちで、白熱した議論を繰り広げました。
そんな影たちを見ながら、僕は感慨深くあいつに言ったのです。
「地上に僕たちの器が一つも存在しない――そんな未来は考えない事にする。地球がブラックホールに飲み込まれたり、大爆発でも起こさない限り、僕たち影は永遠に生き続けるんだから」
ほろ酔い加減のあいつは答えました。
「なあ――爆発の後、空に鳥一羽飛んでねえってどーよ?」
「んっ?」
「一瞬で飛ぶ鳥やハエ一匹、見逃すような奴じゃねえだろ? 今頃一足先に別な星へ移住していても、不思議じゃねえよな~?」
その言葉に、僕は思わず天上に輝く、光年離れた星々を見上げてしまったのです――。
(おしまい)
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
変身から冬虫夏草が浮かび、後は思いつくままに、だだだ――っと書き散らかした段階で、参加表明をしてしまいました。
散文のまま予約投稿し、その後は、試行錯誤で一進一退し――その過程全てがとても楽しかったです。
拙作にも関わらず、この企画に加えて頂けたこと、とても感謝しています。本当にありがとうございました。