第八話 魔法使いの思惑
ライドウがアリアに出会ったのは偶然だった。
ローエン大森林で人間が生活するにあたって問題となるのが魔獣による危険性と、食料だ。
魔力の吹き溜まりでは動植物の生態が異常になるのは一般的に広く知られているが、神話の時代から登場する霊峰カルディストアの麓であるローエン大森林では特にそれが顕著だ。動物は凶悪に、植物は歪に変化する。
そのため、農作物の生産活動が困難になる。栽培ができないわけではないのだが、どんな風に変化するのか予測がつかないのだ。強力な毒性や幻覚作用など有毒な性質を持つようになったりもする。
しかし、麓のローエン大森林が魔力の濃度が定まらず、混沌とした状況になっているのに対して、霊峰カルディストアでは魔力の流れが一定であるため、その環境に適応した動物や植物が根付いている。ローエン大森林が、魔界なら、カルディストアは楽園と呼べるほど豊富に、だ。
ただ、カルディストアは霊峰の民の領域なので、あまり長居はできない。
霊峰の民とは、太古の歴史の保存と知識を追い求める、カルディストアと共に歩んできた民族である。
大地震、津波、火山の噴火、異常な量の豪雨、雷雨、隕石の衝突、魔力の大規模暴走、魔獣の大量発生、度重なり襲う天災で大陸の人口が三分の一にまで減り、文明が一度滅亡した『神の裁き』。今では伝説にその残滓をわずかに残すのみとなった、「魔王」「勇者」「邪神」「聖女」「賢者」「剣聖」「盗賊王」などの超常的な存在達の激突が繰り広げられた『神魔大戦』。英雄的な王が乱立させた国が長い間衝突を繰り返した『暗黒時代』。
国単位での滅亡が頻繁に起こったため、散文的な文献しか残らないそれらを正確に記録に残した霊峰の民は、『神の裁き』当時、最も強大だった帝国の生き残りの子孫達であるともいわれ、強力な戦闘能力、数々の遺物、失われた知識を持っている。
寛容さを持ち、穏やかな気質なので、ライドウがきちんと手順を踏み、長と謁見し、騒ぎを起こさないと約束し、対価を支払えば、カルディストアへの立ち入りを許可してくれたが、しかし、それでも、俗世と、隠匿し隔絶した霊峰の民での棲み分けというものはある。
霊峰の民は、自分達の重要性を理解していないわけではない。広まれば世を混乱に陥れ、騒乱の種となる知識が大量に保管されているのだから。
だから、ライドウは食料のストックが尽きかけると、自分の家とカルディストアを往復するのが習慣だった。
食料を入れるための大きなずた袋を担ぎ、普段と変わらない、辛うじて草を踏みしめた後の残る道を、ライドウが歩いていると、ふと、鉄くさい香りが漂っているのを感じた。
それだけならば別にいい。死んだ動物の血の匂いなど、珍しくも無い。
問題なのは、その香りが辺り一帯にむせ返るほど充満していることだ。血に釣られて獣が寄ってくる、ではなく、警戒して逃げ帰るレベルだ。
気になる。
魔術師というのは大抵好奇心が旺盛だ。それはライドウも例外ではない。おまけにライドウには力がある。そこらの魔獣ならば遅れは取らない。竜ですら屠ったこともあるのだから。ならば、何がいるのか確かめたいと思うのは道理だった。
「さて、鬼が出るか蛇が出るか。」
人との関わりを断って久しいとはいえ、刺激があることがわずらわしいわけではない。
うきうきしながら匂いの元を辿ったライドウは、だからこそ、目の前に広がった光景に驚いた。
そこにあったのは、肉塊になったオオカミたち。赤で塗りつぶされた地面。木々に飛び散る臓腑と肉片。
そして、その中心で膝を着き、手をダランとぶらさげ、それでも口にくわえた短剣を離さずに顔を上げた、女騎士だった。
顔を血で赤く染めながらも失われない美貌、意識があるのか、生きているかすら怪しいというのに、決して短剣を離さない意志。切り裂かれた衣服から覗く、白い絹のような肌。
血なまぐさいのに、どことなく神聖さを感じさせる姿。
芸術画のようなその姿にライドウはしばし、目を奪われ、その後、あわてて駆け寄った。
「おい、大丈夫か!!」
返事は無かったが、近づいてみると、鎧越しに胸がかすかに上下しているのが分かった。
しかし、この女騎士の全身に付着している血はおそらく返り血だけではない。
『奇跡の力をこの手に宿す。』
すばやく、光を帯びた右手の中指と人差し指を走らせる。
『解析せよ、我が力よ。』
体の状態を確かめるために解析の魔法を発動する。
一気に情報が流れ込んでくる。
右腕、左腕、右足、左足に噛み傷。わき腹に裂傷。首筋の腱に軽微の断裂。背中に打撲痕。そして、
「何だ、これは。」
解析不能な力がひとつ。女騎士の全身を巡っていた。
「詠唱や魔法陣を用いた魔法ではないな、大気中の魔力とは大きく性質が異なる。強化魔法?いや、それにしては魔力の純度が高い。」
魔力であるのは分かった。が、それ以上は、金獅子の魔術師として、最先端と自負できる知識を持っているライドウの解析魔法ですら、その正体が掴めない。
「後回しにするか。」
気になる。気にはなるが、この女騎士はほうっておけば、確実に出血多量で死ぬ。というか、現時点でも確実に血が足りていない。傷口から病原菌が感染している恐れもある。すぐに治療の必要がある。
こんな僻地にいる理由も気になるし、ここで死なれると、それも聞けない。
ライドウは女騎士を地面に横たえると、手早く剣帯と鞘をはずし、鎧と服を剥いだ。
艶のある、引き締められた肢体が、下着越しにあらわになる。
しかし、別に邪な目的ではない。傷口を確認するためだ。
『奇跡の力をこの手に宿す。』
ライドウはもう一度唱えると、左手にも光を宿した。
『浄化せよ、我が力よ。』
『治療せよ、我が力よ。』
二重魔法陣。
同時に魔法陣を描き、発動する技術。銀狼の魔術師ですら手が届かない高度な技術。
それを、あっさり成功させると、ライドウは、女騎士の傷口を消毒し、治療するという行程を繰り返す。
魔法陣から発せられた光に触れると、体中の汚れが取り除かれ、傷が塞がっていった。
「応急処置、終了。」
ざっと体の傷が残っていないことを確認すると、ライドウは自分が着ていた金獅子の刺繍がされた黒のロングコートを女騎士にかぶせ、ボロボロになっている鎧や衣服を食料を入れるためのずた袋に放り込んだ。
ライドウはそこで、鞘があっても剣がないことに気づいた。周囲を見回すと、オオカミの口に剣が突き刺さっている。近づいて剣の柄を握ると、足で死骸を押さえながら、一気に引き抜いた。剣身に血肉がこびりついているので、少し迷ったが、上に着ていたシャツの裾で拭う。そして、鞘に入れようとすると、刃こぼれはしていても、歪んではいないのか、すんなり収まった。そのまま、剣帯と一緒に、これもずた袋に放り込む。
ライドウがしたのは、あくまで応急処置だ。血の補完をするにしても、感染症の有無を調べるにしても、本格的な治療のためには、一度家に戻る必要がある。
ずた袋を肩に担ぐと、女騎士の膝の裏と、背中の裏に手をいれ、抱えあげる。
いわいる、お姫様抱っこだ。
「ああ、なんつーか。」
ライドウは長身だが、女騎士も女性としては背は高い方だろう。ライドウは鍛えているほうだが、女騎士も、騎士らしく、鍛えているのだろう。
つまり、重くもないが、軽くも無い。
「ここは軽い、というべきなのか。」
以前、ある女性を抱えたとき、重いと言って、物理的に叩きのめされた経験がライドウにはある。そのときは、小一時間ほど、女性に対する体重の話題がいかにタブーであるか、どれだけライドウがデリカシーのない言動をしたのかを語り、叱られた。
「嫌なこと思い出した。」
そのときの折檻は、いまだにライドウのトラウマとなっている。
ライドウは一度、ブルッと身震いすると、来た道を引き返していった。
ライドウは、家に着くと、まず女騎士を客室のベッドに寝かし、ずた袋を置いた。そして、荷物置き場から、女騎士の着替えに、サイズが合わなくて使っていなかった寝巻きを取ってくる。ついでに包帯も。
ライドウは治癒魔術が苦手なので、女騎士の傷は表面を塞いでいるだけだ。きちんと処置をすべきだと思ったのだ。ライドウの家には自分が怪我をしたときのことも考えて、医薬品類も充実している。
手際良く、綺麗に患部に包帯を巻いた後、金属の包帯止めで固定した。
『浮遊させよ、我が力よ。』
魔法で女騎士を浮かせ、着替えを着せ、ベッドに再び寝かせる。
ライドウは顎に手を当てて、ふむ、と少し考え込んだ後、ずた袋から取り出した剣を壁に立てかけ、女騎士の騎士服を畳み、剣帯、鎧と一緒に置いておいた。
武器は取り上げるべきかとも思ったのだが、ライドウは女騎士から話が聞きたいのだ。あまり物騒な雰囲気にはしたくない。
いくらなんでもいきなり襲い掛かってくることは無いだろう、と思いたい。
「とりあえず、こんなもんでいいか。後は、目を覚ますのを待つだけかな。・・・寝るか。」
外を見ると、日が暮れてきている。
一通りやることをやったライドウは、自分の寝室へ向かうのだった。
ライドウは自炊がまともにできる。
それは単純に料理の腕がそれなりなのもあるが、材料がきちんとそろっているからだ。
カルディストアでは、肉、野菜、魚、卵、牛乳、等々、霊峰の民が生態系を少々いじっているので、手に入れようと思ったら何でも手に入る。しかも、全部が全部かなりおいしい。
朝起きたライドウは、女騎士が寝ていることを確認すると、朝食を作るために台所に向かった。
「材料は、っと。」
昨日出かけた目的は食料を取りに行くことだったのだが、不測の事態を想定しているので、一ヶ月分くらいはまだ残っている。ライドウは、自作の食料保存用冷凍魔具を開きながら、使えるものを確認すると、鍋を取り出し、水を入れてこれまた自作の調理用魔具で火にかけ始めるのだった。
しばらくライドウが鍋でグツグツやったり、パンを焼いたりしていると、後ろに気配を感じた。女騎士が起きたのだろう。
ライドウが振り返ると、ドアを開け、こちらを見ていた女騎士と目が合った。
「ああ、起きたのか。そこ、無理しないで座ってて。1日眠ってたんだ。腹減ったろ、もうすぐ昼飯もできる。」
ライドウのその言葉に反応し、女騎士は無表情にこちらを見回したあと、口を開こうとした。
ライドウは女騎士が何か言う前にに更に言葉を重ねる。
「言いたいことはあると思うけど、まずは飯ね。話はそれからで。」
「わかりました。」
無表情であっても、無愛想ではないらしい。ライドウは振り返ると、再び鍋をかき回し始めた。
朝食を食べ終わった後の話で、ライドウは、女騎士の名前がアリアだということが分かった。事情も聞いた。なかなかに悲惨だ。
だが、そこまで悲観しているように見えない。ライドウがそう聞くと、アリアは始めて表情らしい表情を浮かべて言った。
「隊長の教えでな、仲間が死んだら泣くな、前を向け、そして笑え、と言われているんだ。戦場じゃ人は簡単に死ぬ。だから、仲間との記憶は、楽しいことだけ覚えてろ、それ以外は余分だ、だとさ。」
苦笑するアリアに、ライドウも苦笑を返す。
強いな、とライドウは思ったが、思い直す。アリアの瞳の奥にちらつく絶望を、ライドウは感じたからだ。
違うな、強く在ろうとしているのか。
「まあ、君、あんまり笑わないけどね、今始めて笑い顔、見たよ。」
「こればっかりは性分だ。気にしないでくれ。」
からかいながらも、そのとき、ライドウは、アリアのことを美しいと思った。
容姿ではなく、心の在り様が、だ。
絶望があっても俯かないで、悲しみと立ち向かい、輝きを失わないその目が、前を向こうとしているその姿勢が、アリアに、鍛えられた剣のような、筋の通った力強い美しさを与えていた。
傷つき、刃こぼれしても、決して折れない剣。
そういえば、アリアの使っていた剣も、酷使した様子だったのに、折れも歪みもしていなかった。
面白い。
紅茶に口をつけたライドウは、薄く笑いながら思案する。
アリーシア=リィ=マルセリスという人間に興味がわいた。応急処置のときに感じた正体不明の力も気になる。
しかし、この女騎士はライドウを自分の事情に巻き込むまいとしている。
どうしようか悩んでいると、家の周りの熱感知結界に反応があった。
周囲が見えるように設置してある遠視結界を起動する。
魔獣ではなく、人間だ。それも、完全武装した兵士が数十人。
ちょうど良い。
存分に巻き込ませてもらおうか。
ライドウは、自身の幸運に感謝した。
そして、部隊を追い払い、対峙した騎士、アレクセイを吹き飛ばしたアリアの右手を見て、ライドウは、柄にもなく、運命を感じた。今なら、信じてもいない神の狂信者になれる気分だった。
なぜなら、
「賢者」の再来と謳われたライドウや霊峰の民ですら再現ができず、伝承による概要でしか知らなかった『神魔大戦』時代の魔法。
その力を使えば、地を裂き天を割り、万の軍勢を叩き潰すといわれる幻の魔法の一つ。
最強の一角、「剣聖」が用いたとされる伝説の属性。
『黄金』の属性持ちと出会うことができたのだから。