第七話 魔法使い7
先手を取ったのはアリアだった。
いくら動きが鈍っているといってもアリアの方がアレクセイよりはるかに軽装だし、鎧が無くともアリアの方がおそらく速い。
ただし、それは移動速度の話であり、アレクセイの剣が遅いということではない。
まず正攻法で。
アレクセイに正面から突っ込み、肩から肘へ、肘から手首へ、両腕の力をできる限り最大限に伝達させると、アリアはぐっと握った槍を捻りを加えながら、力を爆発させた。最初にアレクセイに斬りかかられたときに、穂先は斬り飛ばされているので、ただ突きを放ったのでは、致命傷を与えられない。大きく踏み込み、アリアはわずかに残った穂先の根元にあった刃を使って、アレクセイの鎧の隙間の首を狙い、えぐるような一撃を叩き込む。
しかし、加速したアリアの速度と合わさった岩をも砕きそうな刺突は、アレクセイの大剣にあっさり防がれた。
アレクセイは巨大な大剣を軽々と扱い、剣の腹にアリアの槍を滑らせ、上方向に誘導する。
体勢を崩されそうになるアリアだったが、もとより一撃で倒せるとは思っていない。
すぐさま槍を引き戻し、次は足の鎧の間接を狙うが、アレクセイは大剣で逸らす。
次は下からの攻撃を防いだことによってさらされた腕の鎧の間接を突こうとするが、下から跳ね上がってきた大剣で弾かれた。
アリアはあきらめず、宙に泳いだ槍を薙ぐようにして、皮に覆われているが他の金属部分よりは薄い鎧の肩の稼動部を切り裂こうとする。これも、再び大剣に弾かれた。
今度は兜に覆われていない顔の下半分に突きを放つが、左腕の篭手で逸らされた上、アレクセイは右腕で大剣を振りぬいてきた。
片手なので速度は遅い、などということはなく、大剣の重量を利用した斬撃は唸りを上げてアリアに襲い掛かる。
斜めの剣線なので、半身になってかわそうとしたら、胴体が真っ二つになる。
アリアはそう判断し、いったん後ろに跳ぶ。目の前を大剣の切っ先が通り過ぎ、髪が数本飛んだ。
間合いを測り間違えていたら死んでいた。
一瞬ひやりとしたアリアだったが、怯まずに再度アレクセイに跳びかかる。
威力ではなく手数と速度を重視して。
目、口、首、右肩、左肩、わき腹、下腹部、右膝、左膝。
上からなぞるようにして連続で突きを放つ。
さすがに全てに対応するのは無理だと思ったのか、アレクセイは体の前に大剣を構えると致命傷になりやすい箇所の多い体の中心を守ると、他への攻撃は無視した。他は大したダメージにならないと踏んだのだろう。
事実それは正しく、アリアの攻撃はアレクセイの鎧にわずかに傷をつけるだけで終わった。
だが、今の攻撃は牽制の意味合いが強い。
そして次が本命だ。
最初の数合で分かったが、正面からの打ち合いは分が悪い。長引いてもアリアの方が体力が少ないだろうから、不利になるだけだ。
ならば、短期決戦。
アリアは更に踏み込むと、アレクセイの体の前に構えられた大剣の刃に体を密着させた。
端から見たら正気の沙汰ではないが、アリアの行動は理にかなっている。
大剣はその重量で叩き切るものだ。なので、切れ味はそこまで良くない。つまり、密着した状態から大剣を押しても引いても、相手を切れない。
それはアレクセイも理解している。密着したアリアに膝蹴りを叩き込もうとするが、それよりも速くアリアの掌低がアレクセイのこめかみに炸裂した。
騎士である以上アリアは体術も修める。
強化されたアリアの腕力で放たれた掌低は、しっかりと威力を発揮し、アレクセイの兜を吹き飛ばした。
だが、敵もさる者。アレクセイは頭に攻撃をくらいながらも、膝蹴りをアリアのみぞおちに命中させる。
吹き飛ばされ浮遊した後、アリアは仰向けに地面をスライディングさせられた。
ずっしりとした痛みがみぞおちから伝わってくる。だが、隙は見せられない。
アリアは痛みに耐えながら立ち上がった。
傷が完治していないのにもらった一撃はごっそりと体力を持っていた。ふらふらしながら相手を見ると、相手もかなりの痛手を負ったようだった。アレクセイは片手で頭を押さえながら、吐き気をこらえるように顔をしかめていた。
そこで、始めてアリアはアレクセイの素顔を見た。
貴族に多いアリアと同じさらさらした金の髪。新緑のようなエメラルドの瞳。女性的に整っているのに、男らしさを感じさせる顔立ち。ライドウよりも多少年上に見えるアレクセイは、まるで御伽噺の王子のような貴公子然とした美形だった。
ふむ、騎士なのに王子とはこれいかに。
アレクセイの顔を見て浮かんだアリアの感想は、下らないことだったが。
まあ、殺し合いの相手の顔に感想を抱く暇があるならばさっさと殺す。
アリアは槍を構え直し、再びアレクセイに跳びかかった。
頭を押さえていたアレクセイは、迫るアリアに気づくと、大剣を再び両手で持ち直し迎撃した。
首を狙った初撃に大剣を合わせるが、その動きは精彩を欠いていた。
アレクセイに誤算だったのは、アリアの体術が予想以上に優れていたことだ。
頭にくらえば多少のダメージがあるとは思っていたが、脳をここまで揺らされるとは思っていなかった。平衡感覚が怪しい。
しかし、騎士になってからアレクセイはさまざまな戦場を経験している。
賊の討伐。国境の小競り合い。領内の街の治安維持。その経験があるから、この程度で焦ったりしない。
アレクセイもダメージはあるが、アリアも膝蹴りは体の芯まで響いたはずだ。長期戦になればそれは無視できない。
だから、脳の揺れが収まるまで耐える。
アレクセイがそう考えることはアリアにも分かっていた。このまま回復されると負けるのはアリアだ。だからこそ、死に物狂いで攻撃を続けた。
初撃を大剣で弾かれても、防御を無視して突貫する。
弾かれた槍を引いて突く。逸らされた槍を引いて突く。受け止められた槍を引いて突く。わずかにかわされた槍を引いて突く。鎧に傷をつけた槍を引いて突く。
引いて突く。引いて突く。引いて突く。引いて突く。引いて突く。引いて突く。引いて突く。引いて突く。引いて突く。引いて突く。引いて突く。引いて突く。引いて突く。引いて突く。引いて突く。引いて突く。引いて突く。引いて突く。引いて突く。引いて突く。引いて突く。引いて突く。引いて突く。引いて突く。引いて突く。引いて突く。引いて突く。引いて突く。引いて突く。引いて突く。引いて突く。引いて突く。引いて突く。引いて突く。
嵐のような攻撃を前に、アレクセイは成すすべなく棒打ちになり、細かい傷を無数に作っている。
しかし、アリアは致命傷を与えられない。それに、だんだん攻撃への対応速度が上がってきている。おそらく脳の揺れが収まってきたのだろう。
引いて突く。引いて突く。引いて突く。引いて突く。引いて突く。引いて突く。引いて突く。引いて突く。引いて突く。引いて突く。引いて突く。引いて突く。引いて突く。引いて突く。引いて突く。引いて突く。引いて突く。引いて突く。引いて突く。引いて突く。引いて突く。引いて突く。引いて突く。引いて突く。引いて突く。引いて突く。引いて突く。引いて突く。引いて突く。引いて突く。引いて突く。引いて突く。引いて突く。引いて突く。
おまけに、後先考えずに突貫したせいで息が上がってきた。疲労も蓄積し、槍の速度が落ちてきている。
このままではまずい。
だが、このまま続けるしかない。
引いて突く。引いて突く。引いて突く。引いて突く。引いて突く。引いて突く。引いて突く。引いて突く。引いて突く。引いて突く。引いて突く。引いて突く。引いて突く。引いて突く。引いて突く。引いて突く。引いて突く。引いて突く。引いて突く。引いて突く。引いて突く。引いて突ーー、
そして、ついに、恐れていたことが起きる。
蓄積した疲労。体に響くダメージ。単調になってきた攻撃。回復してきた相手。
その結果。
カキンッ。
甲高い音がして、アリアの槍が弾き飛ばされた。
「くっ。」
思わず振り返ると、槍はくるくると旋回しながらアリアの後方に飛んでいっていた。
視線をすぐに前に戻す。
そこには、大きく大剣を振りかぶり、アリアを決殺せんとするアレクセイの姿があった。
死ぬのか?ここで?私は?
迫る大剣をやけにはっきりと視界に映しながら、アリアは一瞬が何倍にも引き伸ばされたように感じていた。
剣線は、私を縦に両断するコース。避けるのは間に合わない。
諦めかけた、そのとき、アリアの脳裏に爆発的に記憶がめぐった。
おそらく、走馬灯。
物心ついたときには困窮していた実家。
父方の祖父は代々続く伯爵家だったらしいが、曽祖父の代に、続く不作により財政が傾き、祖父の代に破産。たくさんの借金を抱えたらしい。残ったのは何もないだだっ広い屋敷だけだった。父方の祖父と祖母はそのときに心労で死亡したらしい。
毎日が苦しい生活だった。
父はそれでも、家族を守ろうと必死に働いた。庶民の出だった母も、没落しても父を見限らずに付き添い、一緒に働いた。二つ下の弟は、両親の前ではいつも笑っていた。裏で寂しさから泣くこともあったというのに。
母方の祖父と祖母も、私達を援助してくれ、父と母が仕事をしている間、私の面倒を見てくれた。優しい祖母は、私に勉学を、厳しい祖父は、今は鍛冶師だが、昔は傭兵だったらしく、剣の基礎を教えてくれた。
苦しいが、恵まれているとアリアは感じていた。愛情を持って接してくれる家族達。
その家族に、アリアは恩返しがしたいと思った。だから、騎士になった。
騎士になると言ったとき、家族には猛反発された。
父は絶対にだめだと怒り、弟は両親の前で始めて号泣し、祖母は考え直してと懇願し、祖父は俺が剣を教えたせいか、と悔いた。それでも私の意志が固いことが分かると、ずっと黙っていた母が口を開いた。本当にそれでいいの?、と。
私が頷くと母は他の家族を説得した。でも、私は知っている。母が常々、祖母に、私には、結婚して家庭に入って、幸せに暮らしてほしい。と言っていたことを。
努力して努力して騎士になってからは、苦難の連続だった。容姿の目立つ私は、騎士団の貴族の三男坊などに絡まれ、平民上がりの騎士からは、元貴族であるという立場から疎まれた。
しかし、味方もいた。王国内で暗躍していた組織の討伐の際に、組織の頭を捕らえた私は、女王陛下の目に留まり、近衛騎士に取り立てて頂いた。
急な出世への嫉妬にさらされた私をかばってくれたのは所属の第3大隊のガイエス隊長だった。
人付き合いが苦手だった私に付きまとい、周りとの橋渡しをしてくれたのは、年の近い、アッシュ、ロイド、カイル。
始めて戦場に立ち、敵を斬って、斬って、斬って、斬って、斬って、斬って。戦場の空気に当てられて、帰った後も悪夢にうなされる私の相談に乗ってくれたのは、隊の先輩たちだった。
気のいい人たちの揃った近衛第3大隊は、でも、もうない。
それは、なぜ?私の身代わりになったからだ。
敵をなで斬りにしながら突き進み、最後には串刺しになったガイエス隊長と先輩達を私は見た。森の入り口で足止めをしたアッシュ、ロイド、カイルのこちらを振り返りながら言った、生きろよ、という台詞を私は覚えている。ローエン大森林を進む中、背後で聞こえた断末魔と、その後に響いた大勢の嘲笑を、私はしっかりと聞いた。
ライドウにあんまり悲しんで見えないけど、と言われたときに、私は答えたほど割り切った考えはしていなかった。
仲間が死んだことに、どう反応すればいいのかわからなくて、なにも考えられていなかっただけだった。
今ならわかる。
悲しくないわけがない。悔しくないわけがない。怒らなかったわけがない。
隊長達が死んだとき、胸にぽっかりと穴が開いたような喪失感を感じた。アッシュ達が足止めをすると言ったとき、女だからと守られた自分と、何もできず、何もしなかった自分が、悔しくてたまらなかった。隊長達を殺した敵が憎くてたまらなかった。森で嘲笑を聞いたときは、取って返して的を八つ裂きにしてやろうかと思った。
それでも、ただ自分が生き残るために逃げたのは、部隊の皆に生きろ、と言われたからだ。
アレクセイと一対一で対峙したのは、意地汚く生きて騎士の自分が死ぬことを嫌ったからだ。
仲間に誇れるような騎士道を貫こうとしたからだ。
そのことに後悔は無い。
誇れる生き方をして、誇れる死に方をする。それが、『近衛騎士団第3大隊』アリーシア・リィ・マルセリスの仲間の命と引き換えに生き残ったことによって負った責務だ。
だが、今自分はどうした?絶望して、諦めかけた?
最善を尽くして、死ぬのはいい。それならば、誇って死ねる。
じゃあ、諦めて死ぬのは?
いいわけが、無い。
「アアアアァァァァーーーー!!」
アリアの見る景色が、徐々に動きを取り戻していく。
その中でアリアは思考を加速させていった。
どうする?
手元に武器は無い。
大剣を避けるのは間に合わない。
斬り付けられれば致命傷は確実。
だったら、
そして、全ての動きが元に戻る。
大剣を振り下ろし、必殺を確信したアレクセイの表情、それが、はっきりと驚愕に変わった。
アレクセイが見たもの、それは、両手で大剣を白刃取りした、アリアの姿だった。
「な、に。」
絶対に殺ったと思った。今の一撃は地面すら割れると感じたほどだ。それ以前に、武器を使うならともかく、素手でこの剣速を止められるわけがない。
何故?どうやって?どうしたらそんなことができる?
混乱するアレクセイ。しかし、斬れなかくてもこのまま押し込む。腕力はこちらが、勝っているはずだ。
そう思い、力を込める。だが、大剣はピクリとも動かなかった。
「は?」
理解の範疇を超えている。さっきまでアリアの腕力は低くはないが、アレクセイよりは圧倒的に非力だった。
そして、更に信じられないことが起きる。
ビキッ、ビキッ、ビキキッ。
それは大剣から聞こえてくる。
音がした方をアレクセイは見た。
今度こそ、アレクセイは絶句した。
アリアの手からくもの巣状に、大剣にひびが入っていたのだ。
バキッ、バッキーン。
砕けた大剣。
そして、アリアは右拳を握り締めて振りかぶった。
『何か』がアリアの手に集まる。
次の瞬間、ドゴッ、という音と共に、腹に衝撃を感じ、アレクセイは派手に吹き飛んだ。
何が起こったのか全く分からなかったアレクセイが、最後に見たのは、黄金に輝く右腕を振りぬいたアリアだった。
何だ、あれは?
頭の中に沢山の疑問を浮かべながら、そこで、アレクセイの意識は途切れた。