優花《ゆうはな》
いつも安全な恋をしてきた。今までに付き合った男の子は三人。いつも、自分に好意を抱いていると確信できる相手しか好きにならなかった。どうして今頃になって、こんなに苦しい思いをしなきゃいけないんだろう。
すぐ近くで甘ったるい笑い声がはじけた。でも私は意地でも顔をあげない。開いたままのテキストをただひたすら睨みつけた。何が悲しくて、好きな子が他の女の子と仲良くしているところを見なきゃいけないのか。
時計はすでに約束の二十一時を過ぎていた。二十一時に授業が終わるから、そのあとに補習をしてほしい。そう言ったのは、あの子だったから。
見つめた先のテキストの文字が、ほんの少しだけ淡く揺らいだ。
私は今まで、生徒と恋愛をする講師を内心軽蔑してきた。自分は関係ないと思っていた。生徒に恋をするのはもちろん、生徒に恋愛感情を持たれることも教育者としては失格だと考えていた。それなのに。
「高遠」
あの子に名前を呼ばれるだけで、なんでこんなに嬉しくなるんだろう。指先がかすかに震えた。同時にぎゅうっと胸が苦しくなった。私の心を強く、強く、押しつぶすもの。それは、こぼれそうなくらいの幸福感と。見ないふりをしても、確かに紛れている罪悪感。――
こんなにも胸が切なく切なく痛むほどの感情は、あの子にしかもらえないのは動かしがたい事実だった。やっぱり私は、あの子のことがたまらなく好きなのだ。
顔を上げると、夕路くんはすぐ隣に立っていた。手にはプリントを持って。私はなにげないふうを装って、プリントに手を伸ばす。
「今からやっていいの」
声が弾んだりしないよう、抑えながら私は尋ねる。
「ヨロシク」
一瞬ふれた指先から、静かなぬくもりが広がった。
そのぬくもりが、いとおしかった。離したくなかった。いつまでもふれていたかった。甘くにじむやさしさを逃がしたくなくて、指をからめようと思った。でも、それはゆるされないことだ。永遠のような一瞬の俊巡のあと、ひそやかに、そして名残を惜しむように指先だけを重ねた。ゆっくりと離す。哀しくもう一度指先が追いかけてきて、ふれた。そしてもう一度、ゆっくりと離す。
「難しかったよ、問題」
何事もなかったように、さらりと夕路くんは言葉を滑らせる。本当、と言いながら笑って、瞳をのぞいた。その奥でかすかにゆらめく切なさは、私の表情をうつしているからなのか。
「遅くなって悪かった。今やろう」
――たった一言で私をしあわせにしてくれるひと。ずっと、一緒にいたい。だれもがきっと願うこと。
私があなたにもらったように、たくさんのしあわせが、あなたのもとにもおとずれますように。――