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侯爵様の好敵手  作者: えんとつ そーじ
二章 幸せな記憶、崩壊の種
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 8 (2011.8.24)




 季節は廻り、秋が訪れていた。

 この季節の月は夏のそれとは違い、どこか物悲しい空気を纏う。


 王主催の舞踏会に参加し、エステルへの恋を自覚してからの日々は、カイルにとって瞬く間に過ぎ去った。というのも、明確な目的を持って実行していたからである。

 その頃になると、カイルは王宮での生活にもすっかり慣れ、弟分のような新人の騎士見習いたちの指導にもあたっていた。

 けれど、目的を見失うことなく――エステルとの婚約のため、本格的に繋がりを求めた。その甲斐もあってか、驚くほど順調に有効なる伝手を手に入れることが叶った。その要因の一つは、同室仲間のジョエルの存在だ。彼は、公爵家の末息子だった。ゆえに、彼との伝手を持とうと近寄ってきた上位貴族を、むしろジョエルに紹介してもらう形で友好な関係を築くことができた。

 もちろん理由はそれだけではない。カイル自身、日々の生活で騎士や兄貴分と接する際に伝手を掴むこともあるし、弟分の世話を焼くことで慕われることもある。

 決して敵がいないわけではない。

 カイルの身分や才能を羨む者、妬む者など当たり前にいる。万人に受ける者など、この世に存在しないのだ。それでも、それを表立って行動できぬよう圧する実力が彼にはあった。

 ――使えるものは使う。それがエステルに顔向けできないようなことでない限り。かつて邪魔だとすら思っていた権力でさえ、今は有効なる武器であるのだ。


 カイルは扉の前に立ち、もう長いこと過ごした、よく馴染んだ自室を見渡す。

 古い木で出来た、黒茶色の机。実家にあるものとは比べ物にならないくらい質素な寝台。それらは同部屋仲間の分とで二つずつ配置されている。

(あと、何年ここで過ごすのだろう)

 その日が待ち侘しくもあり、しかし心のどこかで寂しさも覚えた。

 わずかな郷愁と、エステルへの恋慕と、仲間との別れ。

 過ごしてきた十年以上の月日は、確かにカイルの一部を形成していた。

「しんみりして、どうしたんだい? カイル君」

 扉が開けられると同時に現れた背後の気配に、カイルは振り返る。

「ジョエルか」

 そう口にし、「別になんでもない」と答えようとしたが――やめた。なぜか、そんな気分だった。仲間と気持ちを分かち合いたい、そんな、び。

「……あと二年か三年なんだな、と思ったんだ」

 ジョエルはカイルの言葉に眉を上げる。やがて彼の意に気づいたのか、「そうだね」と呟いた。

 従騎士たちは、二十から二十一歳になると騎士叙任式を迎え、正式な騎士として登録される。それが、暗黙の了解である。

 だから、ジョエルとカイルが同室で過ごすのも、あと二、三年のこと。ずっと共に過ごしていたから、今では兄弟のような友のような、複雑な感情すら抱いている。

 苦笑するようにカイルが「長いようで短かったようにも思える」と言えば、ジョエルが「最初は君、ピリピリしてたから腫れ物にでも触るような気分だったよ。おっかないやつと同室になっちゃったなぁ、と思ったし」と茶化すように反駁した。

 でも、とジョエルは続ける。

「――でも、今生の別れじゃない。いつでも会える……いや、会おう」

 カイルは目を丸くした。言葉で示してくれた友情に、泣きそうな笑みを浮かべるように顔を歪めた。

「ああ、必ず」

 そうして、お互いの拳と拳をこつん、とぶつけた。

「君が近衛騎士になって王宮に残ったら、良い相棒になるんだけどね」

「……そうできたら、よかったんだけどな」

 既にジョエルもカイルの事情を知っていたがゆえに、二人は苦笑を浮かべた。

 もし、カイルがハーシェル家直系嫡男ではなかったら。もし、カイルがエステルを娶りたいと思わなければ。もし、もし……。

 たられば論など意味がない。もし、カイルがそうではなかったら、きっと彼は従騎士となるために王宮には来なかったのだから。

 だから、カイルもジョエルも、今、彼らが選んだ状況が最良であり最善だと信じた。そうであってほしいと願いながら。


 拳をおろしたジョエルは、寝台に向かおうとし――ふと何かを思いだしたかのごとく動きを止めた。

「……そういえばさ」

 小さな囁きに、今度はカイルが寝る支度をする手を止める。

「どうした、ジョエル?」

 どこか躊躇うようなジョエルの様子に、カイルは違和感を覚える。

「……ジョエル?」

「ああ、その……カイル君は、ユーフェミア様がよく僕たちが鍛錬する中庭にいるって、知っているかい? いつも花を手に」

 カイルは数拍考え込んだ。”ユーフェミア”という名を、すぐに思い出すことができなかった。そしてようやく思いだすと、「いや?」と首を振る。

 ジョエルがどこか戸惑う理由が、わからなかった。

 記憶が正しければ、春先に会った、王族の姫の名。

 ジョエルはカイルをそっと窺うように首を回らす。その瞳にどこか緊張感の色が見えた。

「……カイル君は…………いや、なんでもない」

 彼がその後、言葉をつぐことはなかった。




***   ***   ***




 翌日、空は見事な秋晴れに恵まれた。

 棒術の練習のため、カイルは中庭に向けて歩を進める。

 途中、一迅の風が吹き、カイルの漆黒の髪が靡く。その風に乗って、目の前を色鮮やかなものが過ぎった。

 カイルは歩みを止めてそれが地面に落ちるのを待つ。ついで彩なそれを拾いあげ、確認するように独りちた。

「……花びら?」

 淡紅の花弁。

 もしかしたら、エステルならば花の名前を知っているかもしれないと思う。彼女は香草を育てていると、手紙にあったから。

 ふと、この花をエステルに贈ったら、彼女は喜ぶだろうかと、ひらめいた。

 ――赤は、ハーシェル家の紋章の色。

 ――いつか、この花弁のような色のドレスを、エステルが身に纏うことを願って。

(……エステルと出逢ってから、祈ることが多くなったな)

 くすりと、苦虫を噛み潰したような笑みを口元に刻む。かつての自分は、神などまったく信じていなかったし、存在すら認めていなかったのだ。

 エステルの存在は、確かにカイルに変化を促した。

 そうして、花を探すために風が吹いた方へと目を向けると。


「カイル様、ごきげんよう」

 たくさんの花を抱えたユーフェミアがそこにいた。

 カイルは目を瞬きながら礼をとる。

「お久しぶりです、ユーフェミア様」

 言いながら、疑問を抱いて言葉にする。

「どうしてこんなところに?」

 そもそも、使用人用の中庭は殺風景で、王族の姫君が来るような場所ではない。春には白詰草で彩られるが、それも貴族たちには雑草の類であり、華美な花々は庭園に植えられているのだ。ちなみに秋である現在は、ここに花など咲いていない。

 カイルの視線を受け、ユーフェミアは花々に顔を埋めるようにして小さく答えた。

「……あの、花冠を作ろうと思ったんです」

 以前会った彼女よりも幾分しおらしい様子に首を傾げながら、カイルは言葉を紡ぐ。

「ならばここよりも庭園の方が、ふさわしい花が――」

「いえっ、花はあるからいいの! ……そうではなくて……花冠を何度も作ろうとしているのに、どうしてもうまくいかなくて……」

 頬を染めながら、ユーフェミアは上目でカイルを見上げた。

「だから、その……見本がほしいのです。カイル様、作ってくれませんか?」

 彼女の、花を抱える手が小刻みに震えている様を、カイルは視界の端で捉える。

 ――けれど。

「――申し訳ありません」

 カイルは目を伏せる。

 花冠の作り方を指導することはできても、カイルは自身が作ったそれをユーフェミアに贈ることはできなかった。カイルにとって、花で作った贈り物は、エステルのためだけに作ると決めていたのだ。彼にとってそれらは、幼い約束をした、思い入れのあるものだから。

「……なぜ?」と問う弱々しい声音に、カイルは正直な言葉を伝える。

「花冠は、大切なひとのためだけに捧げると、決めているのです」

「――……大切な、ひと? ……お母様、ですか……?」

 ユーフェミアは、どこか願望を言葉にしているような、縋る言葉を口にした。

 しかし、カイルは首を横に振る。

「いいえ。幼馴染の女の子です」

 カイルはユーフェミアの腕の中の花を見て、エステルを思い描く。

 ユーフェミアはカイルの視線を受け、なにかを察したのか、動揺するかのごとく顔色を変えた。

「……そう、ですか」

 小さな言葉を残し、そのまま彼女は硬直した足取りで衣を翻して走り去る。


 結局、カイルは非番の日に街で購入した花をエステルに贈った。




***   ***   ***




 それから数ヶ月と経たないうちに、カレンとエステルの実家は圧力をかけられた。


 その旨をカイルが知ったのは、父からの手紙によってである。

 カレンの実家 メイナード子爵家と、エステルの実家 クラーク男爵家に舞い込む、中年伯爵からの縁談。……縁談とはいっても、正妻にではもちろんない。愛人として。中年伯爵は、幼い彼女らを手に入れるため、その権力で圧力をかけたのだ。

 そしてもう一つ、手紙に書かれていたのは。


 ――王族から、縁談の話が来ている、という内容だった。


 父侯爵の反応は、カイルの予想を裏切らなかった。

 エステルのことは諦め、王族との縁組の了承を強く求めた文面。そうすれば、子爵家と男爵家になにがあろうと侯爵家に大きな痛手はないこと。もしかしたら、カレンとエステル、二人の少女の犠牲だけで子爵家、男爵家は守れるかもしれないこと。


 ――なに一つ、父侯爵の反応は、カイルの予想を裏切らなかった。




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