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侯爵様の好敵手  作者: えんとつ そーじ
二章 幸せな記憶、崩壊の種
4/33

 3 (2010.9.8)




 両親と子爵、男爵が馬車の近くで言葉を交わしているのを横目で捉えながら、カイルはカレンとエステルと共に遊ぶ。

 追いかけっこをしたり、四葉を探したり。そのどれもが子どもの遊びだったのに、一度も体験したことがなかったのだと、この時はじめて気づいた。

「みつけた!」

 カレンの歓声に、エステルは駆け寄る。

「わぁ、ほんとうに四つはっぱがついてるね」

 カレンの見つけた四葉を一心に見つめるエステル。その光景に、なぜかカイルの心に靄がかかった。

(……おれにも、あんなふうに笑いかけてくれないかな)

 思って数拍後。突如カイルは赤面する。

(な、なに考えてるんだ、おれはっ。~~エステルは男爵家のひとりむすめなんだから……)

 侯爵家嫡男であるカイルが、花嫁として迎えることは難しい。恋をすべきでは、ない。

 いつものような貴族としての思考。そこから導き出された答えに、胸が捩れるような感覚がした。

 四葉をさがすことも忘れて、呆然と座りこんだ。


「カイルさま、みつけた?」

 声と共に、カイルの視界が陰った。陰の正体がエステルだと気づいたカイルは、思考から意識を戻し、愛想笑いを浮かべる。

「まだ見つかってない。エステルは?」

 訊けば、エステルは頬を膨らませてカイルの頬をつねった。

「にゃ、にゃんでつねりゅんだ」

「だって、カイルさまったら笑ってごまかしてるんだもん」

 直後、カイルの目は見開かれる。

(だれにも、バレたことが、ないのに……)


『笑ってごまかしてる』


 その一言に、心が絡めとられた。

 瞬きも忘れて「どうしてごまかしてるって思った?」と問う。

 エステルは目を何度も瞬いた後、口角をあげて笑った。

「そうおもったから」

「…………は?」

 まるで答えになっていないエステルの答えに、カイルは呆気にとられた。

「いや、思ったのがなんでってことなんだけど……」

「……うーん、おもったからおもったし、わかったからわかったの。カイルさま、そんなことより、四葉さがししましょ!」

 やはり答えになっていないエステルの答え。けれど、なぜかカイルはそれが嬉しかった。

 理由があったら、むしろカイルが困ったのだ。

「目が笑っていなかったから」

「声が笑っていなかったから」

 もしそう答えていたら、それはただの洞察力。だが、エステルは直感だった。それは深く考えていない証拠。

 カイルが滲み出るように心からの笑みを浮かべると、エステルが腕を引っ張って、いっしょに四葉をさがそう、と誘った。

「カイルさま、カレンのところでいっしょにさがしてみましょ?」

 エステルの指の先には、紅の髪の少女の、ドレスが汚れることを気にしながら座っている姿があった。

 そんなカレンを見て、貴族としての自分を思い出す。つい、エステルと一緒にいるとただの子どもに戻ってしまうが、自分は、侯爵家嫡男なのだ。

 もしかしたら、エステルの無邪気な表情は演技で、カイルを誘うのも次期侯爵に取り入るためかもしれない、と脳裏に過ぎる。

 考えた瞬間、頭の中で吟味する前に口から出ていた。

「――エステルは、おれが次期侯爵だからさそうのか?」

 そして、言ったそばから後悔する。慌てて口を塞ぐが、エステルは足をとめ、振り返っていた。

 ……射貫くような紫の瞳が怖かった。

 彼女が怒っているわけでも、憤っているわけでもないとわかるのに――秘められた感情に恐怖をおぼえる。

 桃色の唇から紡がれる言葉を聞きたくなくて、「やっぱりなんでもない」と言おうとした。

 が、エステルが口を開く方が早かった。

「じきこうしゃく? それって、次のこうしゃくさまってことよね? さっきカレンがいってたもの、こうしゃくさまはえらいって。でも……どれくらいえらいの?」

「…………え?」

 きょとん、と小首を傾げ、それからエステルは瞑目して唸りだす。眉間には何本もの皺が刻まれていた。

 きっと彼女は、まだ淑女としての教育を受けていないのだろう。

(そりゃ、男爵、子爵、伯爵よりは爵位は上だけど……)

 思ったが、なぜか言葉にするのは躊躇われた。どうせそのうちに知ることだとわかっていたのに。

 悩ましげに顎に人差し指を添えるエステルに、カイルは声をかける。

「え、エステル?」

 答えるべきだろうか、と考えた時。

「それって、神さまよりえらい?」

「……………………えらくない」

 咄嗟にカイルはそう答えていた。

 王ですら神より偉いとは言いがたいだろう。

 ついカイルはへなへなと脱力すると、眉尻を下げた。

「どうして神さま基準なんだ?」

 ここは、もっと際どいものと比べるのが駆け引きだろうに。

「だって、神さまは雨をふらせて、ホウサクにしてくれるの。とってもすごいでしょ?」

 自慢気に胸をはるエステルに、笑いが込みあげた。

「う、うん。すごいな……」

 拍子に、お腹を抱えるように腰を折り、身体を小刻みに震わせる。間違いなく、ここで笑ったらエステルは怒るだろう。

 しかし、エステルはそんなカイルに気づかず首を捻った。

「ふふー、すごいでしょ! ……でも、ホウサクってなに?」

 ぶっ!

 ついにカイルは噴き出す。

 我慢できなかった。

 笑いがとまらない。腹筋が痛い。目尻に涙が溜まる。今まで縛り付けていた何かが、解き放たれた気がした。

「え、なんでカイルさま、わらうの!?」

 わけがわからない、とでも言うように腕を組むエステルに、異変を感じたカレンが駆け寄ってくる。

「エステル、なんでカイルさまは笑っているの?」

 尋ねるカレンに、エステルは「なんでだろう?」と眉を顰めた。


 しばらくして、カイルはなんとか笑いをおさめた。

 ついで、カイルを不思議そうに見つめていたエステルの髪を一房手にとり、口づける。

 口をあんぐりと開けるカレンとエステルをそのままに、カイルは表現できない嬉しさに困ったように、眉尻をさげて笑った。

「――ありがとう」

 そう、一言囁く。




 その日を境に、カイルの世界は鮮やかに色づいた。


 帰りの馬車の中で、カイルは思う。

 カイルを”カイル”として見てくれるエステルが、大切だと。

 一方で、はじめての感情に戸惑う自分がいた。

 それでも、彼女を失えば、”カイル”はこの世からいなくなってしまう。だから、絶対に手放せない。傍に、いてほしい。

 別れたばかりなのに、すぐに会いたくなった。渇望していた心がエステルを求める。

 思い出すだけで心があたたかくなり、胸が高鳴った。

 陽だまりのような笑みがみたい。誰かではなく、その笑みは自分に向けてほしい。

 ――優しくしたいと、思った。

 でも、優しくされたことがないから、その術がわからない。

 ――笑いかけてほしいと、思った。

 でも、どうしたら喜んでくれるのかわからない。


 大人たちの考えはわかっていた。

 エステルとの邂逅は、将来のための顔合わせ。むしろ、カイルがエステルを娶りたいと言えば、面倒なことになりかねない。一線ひくべきだと、わかっていた。

 ――筈なのに。

 一度目を固く閉じ――やがて決意を秘めた灰青の瞳を覗かせた。

 そうしてカイルは最初で最後の我侭を自分に許す。

”次期侯爵”としての自分ではなく、”カイル”としての願いを通すことを。

 どうか、エステルのことだけは許してほしかった。たとえ、他の誰かが善しとしなくとも、自分が自分に許す、”カイル”の存在を認めるたった一つの希望。

(父上――あなたの望む”次期侯爵”になるから)

 お願いします。

(神さま―だから、どうか、奪わないで)

 お願いします。

(――残された一縷の望みなんです)

 懇願するように、祈った。

 決壊してしまった感情は、もう、もとには戻らない。

 気がつけば、エステルのことが好きで好きでたまらなかった。愛しくて――自分だけのものにしたかった。




 だから。




「エステル、大きくなったらケッコンしよう?」


 後に、カイルは初めて出逢った白い草原でエステルに結婚を申し込む。

「うん、けっこんする」

 エステルから得られた答えに、頬を染めてカイルは満足げに笑う。

「ありがとう、おれのお姫さま」

 やさしく、慈しむようにエステルを腕で包みこんだ。


 ――それは、幼い約束。


 ゆえに、大人たちの誰一人として気づかなかったのだ。

 ただの子どもの口約束が――実はカイルにとって、すべてを懸けた誓いであることに。




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