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侯爵様の好敵手  作者: えんとつ そーじ
『侯爵様の好敵手』終了後番外編
32/33

侯爵様と王太子殿下

.



 歩く度にカツン、カツンと音を奏でる硬質な床は、光景さえも反射するほど磨きぬかれている。白亜の壁は、積極的な採光により目が眩むほどに浮き立っていた。至る所に装飾がなされながらも過度な贅沢さを感じさせない柱や梁には、それを見慣れた彼も感心せざるを得なかった。

 現在歩いているこの回廊を初めてセシルが歩いた時は、芸術性に心が震えたのをおぼえている。

 けれど、当時ほどの感動も今やない。従騎士として長年そこに出入りしていたがゆえに。

 そこ――”白亜の王宮”と呼ばれる宮城に、久々に訪れたセシルは、官吏や女官から向けられる視線を受け流しながら目的地へと歩を進めた。


 騎士叙任式を無事終え、正式に騎士となったセシルはその後すぐ侯爵に就任し、キング侯爵領へと帰還した。現在では、一年に一度催される王宮での夜会参加以外でこの場へ来ることもない。

 そして今、年に一度の夜会参加のために王都へと入り、先駆けて王宮に馳せ参じた理由は、王太子に挨拶をしようと思ったからに他ならない。


 目的地である部屋の扉の前に立つと、セシルは門番のごとく扉を守る騎士二人に自らの紋章を呈示した。

「キング侯爵、セシル・ラフェーエル・キングだ。お目通り願う」

 用件のみ告げると、騎士二人は頷き、扉を叩く。

 するとすぐに「入室を許す」という声が室内から届いた。おそらく、セシルの声が室内にいる部屋の主まで届いていたのだろう。

 ――騎士が扉を開いた拍子にセシルの翠の瞳に映し出されたのは、優雅に卓で茶を飲む同世代の青年。

 彼はやや長い白金の髪をうなじで纏めるという髪型に、琥珀色の瞳をしている。眼鏡をかけた彼の容姿は美形とは言いがたいが、爽やかに笑んだ表情には好感が持てる。

 しかし、セシルは知っている。彼は、表情のままの青年ではないことを。彼の真意は表に表れないのだ。

「よく来てくれたね、キング侯爵」

 向けられた言葉に、セシルも人好きのする笑みで答えた。

「お久しぶりです。――王太子殿下」




***   ***   ***




 卓に用意された茶は王太子一人分しかなかったため、セシルの分もすぐさま用意された。

 女官が古いティーポットを新しいものへと換え、熱い茶を注いだティーカップをセシルの席に置く。

「ありがとう」とセシルが微笑めば、女官の顔は紅潮した。

「い、いいえっ。あの……お茶菓子も……」

 そう言って彼女が茶菓子を卓の中心に置くと、今度は王太子がにこやかに話しかけた。

「いつもおいしい茶をありがとう。菓子を作ってくれた者にも伝えておいてほしい」

「は、はいっ。では失礼いたします!」

 がくがくと頷いた女官は、足早に扉の向こうへと消えた。


 女官が体質すると同時に、室内に響く笑声。

「……なんですか、殿下」

 肩を小刻みに震わせる王太子にセシルが問う。

問われた彼はなんとか笑いをおさめようと口元を押さえた。

「いや。本当に君は見本になるよ」

 決して褒め言葉ではないだろう、とセシルは眉根を寄せる。

「……見本、ですか。ちなみに、なんの見本でしょうか?」

 ようやく笑いの波が去った王太子は、口尻を上げて答えた。

「ああ、王宮にいた頃の君は、気品を持った好青年と評判だったんだ。ここでは、悪評は命取りだろう? だから、僕も君を見習っているのだよ。――結果、今では丁寧親切な王太子呼ばわりだ。ぜひとも君に礼を言わねば」

 セシルは苦虫を噛み潰した顔をしつつ、熱い茶を啜ろうとする王太子を横目で睨んだ。

「……それは、どういたしまして。殿下は相変わらずのようですね。従騎士として長く王宮にいましたが、表はともかく裏はまったく変わっておられない。……眼鏡、くもっていますよ?」

「知っている」

 王太子は得意気だった表情をセシルと同じものに変え、眼鏡を胸のポケットにおさめた。


「噂は聞いているよ」と王太子が口を開いた。

 彼の言う”噂”がどのようなものなのか計り兼ねたセシルは、首を傾げる。

「なんの噂でしょう?」

「君が奥方を溺愛している、という噂だ。知らないのか?」

「…………そういえば、ジョエルから聞きましたね、そのようなことを」

 セシルが溜息をこぼす。その顔は渋面だ。

王太子は喉で笑い、後に寂しそうに睫毛を伏せた。

「……正直、最初はなんの冗談かと思ったよ」

 セシルは彼の言葉を耳にしながら、ティーカップに口をつける。

「――君は、僕と同じだと思っていたから」

 静かに響く小さな呟きに、セシルはカップから顔を上げないまま王太子を上目で見つめた。彼は、セシルから向けられた瞳にこたえるように言葉をつむぐ。

「――君が侯爵になっておよそ一年ひととせに流れた噂を耳にした時、まず驚いた。騎士道に染まっていた君が、まさか女性関係が華やかになっているという内容だったからね。――でも、思ったんだ。君は、自分の役目を理解していた。……歴史を守り、家を守り、反映させるための手段で最も主流なものは婚姻だ。従騎士の頃からその美貌で女性の目を引いていた君は、引く手数多だろう? だから……きっと、縁戚拡大のために愛のない結婚も迷わずするだろう、と」

 静かな声に、セシルはティーカップから顔を上げた。

 そうして、自嘲する。

「……そうするだろうと、私自身も思っていました。でも、私は彼女に出逢いましたから」

 柔らかな雰囲気で目を細めるセシルに、王太子は彼の言う”彼女”が誰なのか察する。

「奥方、か。……カイル・セドリック・ハーシェルの、元婚約者だったね。……君は、たったひとつの恋で変わったと?」

 訝るような視線に、セシルは肩を竦めた。

「……私が変わったとするならば、その理由が恋かどうかは――複雑なところなので、こたえ兼ねます。ですが、今の私は、エステルとの恋が成就したから在ると断言できます」

 穏やかな瞳の色で微笑むセシルと相対し、王太子は切なく笑むことしかできなかった。

「…………そうか。僕は、君がうらやましいよ」

 ――役目から解放された君が。

 続けられた言葉は、咽頭で消えた。

 そんな王太子の様子にセシルは力なく溜息をつき、確認することにした。

「――だから、ジョエルを私のところへ寄越したのですね?」

 王太子は数拍ためらいながらも頷く。

「……ああ、そうだ。どうしてわかった?」

「侯爵領と王宮では行き来に月日がかかります。王宮の一騎士が元同僚への祝いというだけで、長期休暇をいただけるとは思えませんから」

「――君は賢しいな。正直に言おう。僕は……噂の真相を、知りたかったんだ」

 呟かれた王太子の言葉。そこには彼が抱える孤独が秘められていた。

それに気づきながらも、セシルは苦笑するに止める。

「ジョエルはなんと報告しましたか?」

「耳が腐り落ちるくらいの惚気話を聞かされ、奥方に近づく雑菌扱いをされた、と。異論はあるかな?」

 ジョエルの報告に柳眉を顰めながらも、セシルは自身の行動を思い起こした。そして――だんまりを決め込んだ。

 そんなセシルに、王太子は噴出し爆笑する。王太子はジョエルの報告を半信半疑で聞いていたが、この瞬間、真実であることが証明されたのだ。


 一通り笑うと、王太子は俯いて目を閉じ――真摯な表情を作って顔を上げた。

 カツン、と卓を指で叩き、視線をセシルに向ける。

「セシル、ウィクリフ伯爵家の件を聞いたか?」

 先刻までの声と打って変わり、彼の声は重く部屋に反響する。

 セシルが「はい」と短く答えると、王太子は前髪をかき上げた。

「公では、かの家はハーシェル現侯爵によって罪を暴かれたとされている」

 刹那、セシルは目を細める。

 王太子は言葉をついだ。

「だが、真実は――カイルが伯爵に撒き餌を投じ、食いついた伯爵を叩きつぶした。それも、徹底的に。……さすがの僕も、今回ばかりはカイルの冷酷さに寒気がしたよ。……でも、カイルに落ち度はない。表に出ていないが、ウィクリフ伯爵に苦しめられた者は少なくなかった。だからこそ、私怨をもってカイル側についた貴族もいる。――セシル。今、カイルの王宮での立場は確固たるものになろうとしているよ」

 セシルの瞳に鋭い光が過ぎった。それを見て、王太子は天を仰ぐ。

「カイルはこれまでも向上心があったけれど、地位や権力を必死に追い求めることはなかった。それが今、どうしてこんなに求めているのか……」

「――殿下、私とカイルを、どう思いますか?」

 突然王太子の言葉を遮り、セシルは問う。

 向けられた質問の脈絡のなさに、王太子は眉間に皺をつくった。

「は? なんだ、急に」

 しかし、セシルは問いかけ続ける。

「私とカイルは、似ていると思いますか?」

 ようやくセシルの問いの意味を理解した王太子は、眉を上げた。

「……いや。むしろ正反対だろう。君とカイルを知っている者ならば、皆そう答えると思う。そうだな……カイルは月で、セシルは太陽、といったところか」

 答えると、セシルは首を横に振った。

「殿下――真実は、カイルが鏡に映された月だとするならば、私は水鏡に映された月なのです」

 王太子は目を点にする。彼がなにを言いたいのか、さっぱりわからなかったがゆえに。

「なんだ? 急に詩人になったね」

「……。とにかく、本質は同じ、ということです」

 セシルが答えれば、王太子はこめかみを揉んで続く言葉を促した。

「つまり?」

「私とカイルはとてもよく似ている。だから、わかるのです。彼が、なにを考えているのか」

 目を眇めたセシルに王太子が「カイルは、なにを望んでいるんだ?」と首を捻る。

 セシルは冷笑した。

「――かつて、私が望んだ未来を」

 あまりに婉曲な表現。

溜息をついた王太子は理解することを諦めた。もし王家に害が及ぶようなことならば、セシルは口にするだろう。けれどしなかった。そういうことだ。

「セシルにとっては油断禁物、ということだね? ……まぁ、もし君が没落してすべてを失ったとしても、騎士としてなら雇おう。外回りになるとは思うが」

「それはありがとうございます。安心しました」

 王太子は幾分軽くなった空気に安堵し、静かに深呼吸してから軽口をつく。

「だが、奥方の心までは繋ぎとめられないよ。それは気持ちの問題だ。……貴族の娘に、貧しい生活が耐えられるかどうかまではね」

 すると、セシルはへらりと笑った。まるで惚気ているような笑みだ。今までの深刻な表情が幻覚としか思えない。

 目をこすりながら、王太子は口を開くセシルを凝視した。

「それならば問題ありません。それについては、彼女と話したことがありますから」

 王太子はいまだ続く、背後に花をとばすセシルをじっと見つめた。

「ほ、ほう。……奥方はなんと言っていた?」

 セシルは一度こほん、と咳払いした。ついで、とろけるような笑みで語り始める。

「『没落したら、キング邸と使用人ごと引き取ってくださる方を探さなくてはなりませんね。で、私とセシル様は、とりあえず伝手を頼ってみましょう。私は女中として稼げる自信ありますし、あわよくば食品室女中を目指します! セシル様は……騎士なんていかがですか?』と言っていました。没落くらいなら、なんの問題もありません」

 口調をおそらく奥方に真似ているだろうセシルは、実に奇怪だった。

色々な意味で身震いした王太子であったが、頭の中で彼の言葉を反芻すると口をあんぐりと開けて呆けた。

「殿下?」とセシルが声をかければ、王太子は意識を取り戻したかのように意味もなく頷いてみせる。

「それは……心強い奥方だね」

 取り繕うようにティーカップの茶を飲み干す。

セシルも同じように茶を飲み干した。



「さて、お茶がちょうどなくなりましたね。では殿下、私はそろそろ失礼致します」

「もうか」

 つまらなそうに王太子が呟く。

セシルは苦笑してみせた。

「お呼びくだされば、すぐ馳せ参じますゆえ、本日はご容赦を。王都の別邸にまだ不慣れな新妻が私を待っておりますから」

「仕方ない。――夜会で会おう」

 退室を許す王太子の言葉に、セシルは腰を上げた。


 扉へと歩むセシルの後ろ姿を眺めながら、王太子は不意によぎった質問を向ける。

「君は、カイルをどう思っている?」

 セシルは上体だけ振り返り、答えた。

「――そうですね、一人の人間として、認めています」

「では、一人の男として……一権力者としては?」

 続けられた問いに、セシルは一瞬表情を消した。

 ついで浮かべたのは――見た者が瞬時で凍りつくような、凄絶な笑みだった。




***   ***   ***




 セシルにとって、今やカイルは脅威の対象である。

 もし、エステルという存在がなかったなら、セシルとカイルの関係はどうなっていただろうか。――愚問だ。エステルは現に存在しているのだから。

 ただ。もし、そうだとしたのならば。

 セシルとカイルは二人共に世界と距離を置き、役目のためだけに生きただろう。その時は無二の親友になったかもしれない。

 けれどそれも、可能性でしかない。



 セシルは回廊を歩きながら、思考を巡らす。


(カイルは、王宮での立場を磐石のものにしつつある)

 その理由を、セシルは気づいている。

 理由――それは、カイルがエステルを求めているからだ。どんな形でも、エステルと繋がりを持つために、カイルはキング侯爵家を圧する力を求めている。

(没落でエステルを失うことは、ない。――だが、何か質にとられた場合は?)


 セシルは拳に力をこめる。


(そうならないように、私も力を持たねばならない)

 家の繁栄のためではなく、守りたいもののために。

ふと、王太子の”油断禁物”という言葉を思い出せば、セシルは目を眇める。

「油断なんて、できる筈がない」


 ――セシルにとって、カイルは脅威であり、宿敵であるのだから。


 セシルは翠の瞳を細め、冴え冴えとした笑みを浮かべた。



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