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侯爵様の好敵手  作者: えんとつ そーじ
五章 必死に、手を伸ばす
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 4

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 時々、馬車ががたりと揺れる。

 街中は石畳みで舗装されているが、都市部を抜ければ小石の転がる土の道なのだから仕方ない。

 カイルはカーテンを手で避け、隙間の窓から外の景色を見やった。

 そこは木々が立ち並ぶ森。道を除いて地面には草が生い茂る。現在は日中であり、晴天だから葉と葉の隙間からは木漏れ日が差し込んでいた。

 それでも木々が密集し薄暗い森は、獣がいつ現れてもおかしくない。が、そんな場所にも関わらずカイルが優雅に馬車に乗っていられるのは、自身の剣の腕と護衛がいるから、そしてハーシェル侯爵領とクラーク男爵領には比較的凶暴な獣は多くなく、村と森が程よく共存しているから人のいる場所に獣が現れることは少ないという理由ゆえである。

 やがて鬱蒼とした森から景色が開けてくる。

 前方には、民家が点々と見えてきた。そのまばらな民家を過ぎれば村が現れる。

(あと一時いっときもすれば男爵邸に着く、か)

 状況を把握し満足したカイルは、カーテンを閉める。

 背もたれに身を委ねながら、目を瞑った。

 思惟するのは、カイルに届いた二通の手紙。

 近頃、手紙のやり取りが圧倒的に増えたな、と思う。これまではエステルと交わすばかりであったが、この頃は密偵や男爵相手ばかりで華がない。

 そんな風に自嘲しながら、手紙について振り返る。

 一通は男爵からだった。少し前にカイルは男爵に男爵邸への滞留を願い出たが、その返事が来たのだ。便箋には、エステルにすぐ帰還するよう文を出したことも記されていた。

 ゆえに、現在、カイルは男爵邸に向かっているわけだ。

 もう一通は、ジョエルの父である公爵からで、毎年開催される夜会の招待状であった。

 多くの貴族が毎年夜会を催す。その夜会において、ハーシェル侯爵家とキング侯爵家は互いの参加が被らないよう計らうことが常だ。主催者が暗黙の了解で計らうこともあって、昔から恒例なのだと聞く。というのも、血なまぐさい時代には色々あったそうである。

 貴族相手の場合は奇数年偶数年で入れ替わりに欠席することもあるのだが、王家や王族に連なる公爵相手ではそうもいかない。そういった場合は、参加日をずらして参加するよう計らわれる。

 ――しかし、今年はそのつもりもない。

 カイルはキング侯爵家と参加日が被ることを覚悟で、むしろ牽制のつもりで公爵家の夜会に参加するつもりなのだ。だから、既に連れ合いはエステルなのだと招待状の返信に記し、参加の旨を示した。

 渦巻く不安は、心の底で静かに沈殿している。目の当りにしていないからこそ、もどかしく。けれど切迫されていないからこそ、心の内で恐慌状態寸前の感情も露わにせずいられる。

 堪らないほどの胸騒ぎは、忙しなく動くことで蓋をするしかない。


 上着のポケットに仕舞われた睡眠導入剤と中和剤に触れる。睡眠導入剤はカイルが婚約破棄をしてから、眠れない時に少量ずつ飲んでいたもの。

 なにか役に立てば、と持ってきた。持ってきたけれど、一体なんの役に立つというのか。一体なんの役に立たせるというのか。

 カイルは自分に向けて冷笑を刻む。

 ――本当はこんなもの、使いたくはない。

 卑怯な真似は大嫌いだった。こんなものを用いれば、その瞬間にカイルが嫌忌してきたハーシェル一族の一員にずっと守り通してきた――エステルによって守られてきた心までもがなり下がってしまう。一族の為ならばどんな手段も選ばないハーシェル家に自ら染まるようなものなのだ。

 ――それでも。

 ――なにをしても、どんなことをしてでも、手に入れたいものがある。

 幼い頃から抱き続けた願いを叶える為に。

 脳裏に、ぼんやりと幼い頃の姿が浮かぶ。無邪気に笑うカイルとエステル。白詰草の草原でのことだった。

 切ないくらいに愛おしく、大切な記憶。あの時がなければ、今この世に”カイル”は存在しなかった。

 カイルは手を組み、額にあてて俯く。

(願いが、ある)

 それでもどうか、そんな方法を使わなくても良いといい――そう願った。




***   ***   ***




 クラーク男爵邸で再会した男爵は、困ったような、弱りきった顔でカイルを迎えた。

 挨拶を交わし、カイルは客用の寝室に通される。

 赤い絨毯は柔らかく、靴音を吸収する。調度品はすべて一級品が揃えられ、大切な客人をもてなす為、邸の住人の部屋と比べれば金がかけられていることがわかる。花瓶には、季節の名も知らぬ白い花が活けられていた。

「男爵、この部屋は?」

 見回しながら問う。

 男爵は睫毛を伏せて微笑んだ。

「……エステルは一日二日でこちらに着くことはないでしょう。ゆえ、到着までこちらにお泊りください」

 それに、カイルは軽く目を見開く。招かざる客であろう自分に、ここまでよくしてくれるとは思っていなかったのだ。

 男爵の言葉は、男爵邸の近くに宿をとろうと思っていたカイルにはありがたい申し出だった。男爵家周辺には貴族が宿泊するような良質の宿はない。それでも従騎士時代に野宿を経験したこともあるから、多少質が悪くても仕方ないと思っていた。

「……男爵」

「あなたになにかあっては大変だ。貴族は守るべきものを守る為に民から税を徴収する。そうして生きてきたのに、軽率な行動で死んでしまってはあまりに無責任です」

 突き放された言葉。しかし、男爵の言葉は最もであり、カイルにはどこか言外の優しさすら感じた。

「はい。ありがとうございます」

 そう言って相好を崩し、窓辺へと歩む。

 窓からは、庭園が見渡せた。鮮やかな緑の中、点々と白や薄紅の花が咲く。どこかにあるかもしれないエステルの痕跡を求めて、視線を左右に巡らす。

 そんなカイルの背に、男爵は言葉を投げかけた。

「カイル殿……この男爵領は、決して恵まれた領地ではありません」

 カイルは男爵へと振り返る。そこには、静かで穏やかな、けれど硬さを残した顔の男爵が立っていた。

「ハーシェル侯爵家の助けがなくては、クラーク男爵家は立ち行かなくなりましょう。……民への税を増やさずして治めるには、それしか方法がありません。そして、民を守る為に私ども貴族は望まぬこともせねばならない」

「あなたのような人が領主で、きっと領民も幸せでしょう」

 慰めではなく、本音だった。が、男爵は苦笑を零す。

「エステルにも、そう教えてきたつもりです。ゆえに、あの娘は恐らく、あなたの望みに頷くでしょう。――ですが」

 男爵の瞳がまっすぐカイルへと向けられる。普段、優柔不断さを漂わせる男爵が滅多に見せない強い瞳。

 カイルはそれを真摯に受けとめた。

 男爵は言葉を続ける。

「私は決して娘に不幸になってほしいわけではない。カイル殿、どうかそれだけはお忘れなきようお願い致します」

 そうして、深々と頭を下げた。

 カイルはなにかを返さなければ、と思ったが、喉まで出かかった言葉はどれも建前になるかもしれない言葉ばかり。そんな言葉を伝えれば、たちまち男爵はカイルへと不信を向けることだろうと、呑みこんだ。

 ――もちろん、カイルはエステルを不幸にするつもりなどない。

 だが、結局、カイルがエステルに復縁を迫る行為はエステルの希望ではなく、カイルの望みでしかない。今もエステルがカイルを想ってくれているという保証などどこにもない。恐らく、今、エステルの心がどこにあるのかは彼女本人しか知らないのだ。

 つまり、これはカイルの為の行為に他ならない。

 ――幸せにしたいと思う。自分の手で。

 卑怯にもエステルを絡めとるような策を用いたとしても、それは不幸を願ってのことではない。手放すことなどできなかった――それが理由。

 ――笑ってほしい。

 ただただそう願っているのに。どこで歯車は狂ってしまったのか。

 カイルは笑もうとしたが、失敗した。どこか泣きそうに顔を歪めて、それでも口元を和ませる。それが精いっぱいだった。

「……俺も、エステルには笑っていてほしいと、願っています」

 心が揺れた。

 ――あなたは、必ずエステルを幸せにできますか?

 そう問われた気がした。

(幸せにしたい。必ず幸せにするから――傍にいて、ほしい)

 けれどそれすらも、カイルの願いに他ならないのだ。




***   ***   ***




 カイルは数日をクラーク男爵邸で過ごすこととなった。

 幼い頃に何度も訪れたことのある邸ではあるが、従騎士時代は王宮で十数年を過ごしていたから、久々である。

 ハーシェル侯爵邸でさえ慣れるまでにしばしかかったのだから、想いを寄せる娘の実家ともなれば緊張を伴うものだ。

 他方で、エステルが過ごした場所で生活すること、さらに彼女が吸った空気を吸うことに一抹の幸福も覚える。この場所で彼女はなにを思い、悩み、喜んだのだろうと過ごせば、暇である筈の時間も退屈ではなかった。

 ハーシェル侯爵邸と比べ、心の糸を緩ませるようにのんびりと過ごす。

 食事は男爵夫妻ととり、彼らはどこまでも優しくカイルに接した。それは次期ハーシェル侯爵だからというよりも、男爵夫妻の人柄であろうとカイルは思う。


 コンコン、と扉が叩かれた。

 用意された一室で寛いでいたカイルは立ち上がり、扉を開ける。本来ならば客人であるカイルが扉を開けずとも返事をすればよいのだが、他人の邸をむやみやたらとうろつくわけにもいかず、部屋に籠ることが多くなって身体が鈍っていたから丁度よかった。

「マーサか」

 カイルは開いた扉の向こうに立つ年嵩の女中を見下ろした。

「紅茶をお持ち致しました」

「ああ、入ってくれ」

 ティーカートを押したマーサが入室する。

 カイルがクラーク男爵邸に滞在するようになってから、必要な世話は男性使用人かマーサにするようお願いしていた。男性使用人を指名したのは自身の父侯爵を思い出し、変な疑いをかけられたく気持ちゆえであったが、マーサを指名したのは彼女の観察する為だった。

 そんな理由から、マーサが茶を持ってきたのだろう。

 マーサは蒸らされた紅茶をカップへと注ぐと、部屋中央に設置された卓にそれを置いた。

 カイルは用意された紅茶を飲もうと、ソファに腰掛ける。

「それでは、わたくしは失礼致します」

 綺麗にお辞儀をして退室しようとするマーサを、カイルは引き留める。

「待ってくれ」

 上目で表情を変えないマーサを見やりながら、悪戯っこのように口角を上げた。

「少しだけ、話さないか」

 すると、マーサはゆっくりと目を瞬かせる。相手が素を見せても構わない人物であったなら、彼女は傍からもわかるくらい怪訝な表情を浮かべたことだろう。王宮で過ごした日々や父侯爵を相手にしていたがゆえに、カイルはマーサの瞳の奥に宿る感情を精確に読み取った。

「一言、二言でかまわない」

 客人に逆らうこともできないマーサはカイルへと向き直る。

 カイルは諾とも否とも答えないマーサに話しかけた。

「エステルは、お前にとってどんな人物だった?」

「……エステル様は、お優しい方だと思います」

 その答えに、カイルは嬉しそうに微笑んだ。

「……そうか。そうだな。では、例えばエステルが俺に嫁いだとして、お前はついてくるか? お前はエステルが辛い時、傍にいた。エステルにとって、お前はこの邸で一番信頼できる人物である可能性が高い」

「……」

 マーサの言葉が詰まる。彼女の瞳がわずかに揺れた。

(ああ、やはり)とカイルは思う。恐らく、彼女はエステルの味方である誰か・・の命令でここにいるのだろう。マーサがエステルの傍にいて支えたことを知る男爵ならば、マーサをエステルの傍につかせると予想できる。

 では、なぜ彼女が言葉を詰まらせたのか。

 つまり、エステルや男爵家に仕えているわけではないから、男爵家の命令で嫁ぎ先までついていくことはできない。もし、命じている誰かがそう指示すれば話は別だが。そういうことだろう。

 カイルは紅茶を一口飲む。香り高い紅茶の風味が鼻をぬけた。

 ひと心地ついてから紡いだ言葉は、マーサにとって意地の悪いものに聞こえたかもしれない。

「マーサ、ハーシェル家に仕える気はないか?」

「わたくしは忠義をもって主に仕えております」

 即答だ。

 真剣なマーサの表情に、カイルは内心の感心を押し隠し、表情を廃して反駁する。

「――それは、誰に対してだ?」

 空気が凍りついた気配がした。

 マーサの纏う普段柔らかな空気も、緊張によって糸が張り巡らされたかのように変わる。

 灰青の瞳がマーサを鋭く射貫く。しかし、マーサは身じろぎひとつせず、踏ん張りを見せた。

(……良い使用人だ)

 心の中で褒めながら、どうせ答えないことを把握し手で払うように指示を出す。

「下がっていい」

 余裕を見せようと、できる限り穏やかな声で言った。


 瞬時に極度の緊張状態から解かれたマーサは、頭を下げ、退室した。

(厄介な伏兵がいたものだ)

 溜息をつく。これまで、ウォルターやカレン、ユーフェミアの真実を暴くだけでも苦労したというのに、まだ蠢いている影がある。

 その影を脳裏に浮かべながら、もう一度深い溜息をついた。

 懐から、今朝方に届いた密偵からの文を取り出す。

 そこには、エステルを迎えに行った馬車がキング侯爵邸近くの店に待機させられたことが記されている。さらに、エステルがキング侯爵邸を出入りしていたという情報も。

 密偵の手紙は裏道を使い、早馬によって届けられる。従って、カイルは舗装された安全な道を通る馬車よりも早く情報を得ることができる。

(……セシル・ラフェーエル・キング)

 好敵手の名前を心中呟く。

 ――胸騒ぎの正体が明確になった瞬間だった。




***   ***   ***




 エステルが男爵邸に帰還したのは、それからさらに数日後のこと。


 丁度、男爵の執務室で部屋の主とカイルが話をしていた時だった。

 和やかな会話の最中、扉を叩いて現れた執事が告げる。

「旦那様、カイル様。エステル様が御帰還されました」

 その報告にカイルは会心の笑みを浮かべ、彼女に会う為扉へと歩き出す。男爵も彼に続いた。

 執事は一旦閉めた扉を再び開け、扉を押さえて脇に控える。

 道を譲った執事とすれ違い、一歩廊下に出たカイルは視線の先に目的の人物を見つけて微笑んだ。柔らかく、穏やかに。

 久しぶりに会う彼女。記憶の中のエステルよりも、幾分大人びて見えた。様々な経験を経た彼女は、幾分憂いを纏い、深みを見せる。

 ――銅色の髪と紫の瞳を持つ彼女に、再び会いたいとどんなに切願していたことか。

 その喜びに胸が弾む。心が震え、頬が緩むのを抑えられなかった。

 けれど、エステルはカイルの心情とは違うのだろう。絶句するように目を丸くして佇んでいるから。

 そんな彼女に、カイルは語りかける。

「久しぶりだな、エステル」

 エステルは身体を小さく震わせた。表情には驚愕を浮かべたまま。

「――カイル、様」

 声までも震えていたが、カイルには名を呼ばれたことがなによりも嬉しかった。彼女の声で呼ばれたのだ。他の誰でもない自分の名を。それは、幻覚でもなんでもない、本物のエステルがカイルの目の前にいる証拠。

 ――胸騒ぎの正体をつぶし、彼女の隣に再び立つ為ここにいる。その未来へと、一歩一歩近づいているのだと実感する。

 そして彼は、エステルの瞳を見つめ、笑みの色を濃くした。



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