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侯爵様の好敵手  作者: えんとつ そーじ
五章 必死に、手を伸ばす
27/33

 3

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 男爵の執務室を辞しての帰り道――道とはいっても、まだ男爵邸内であるが――。

 前方から歩いてきた、顔に皴の刻まれた女中とすれ違う。カイルがエステルに会う為通っていた頃にはいなかっただろう、見覚えのない彼女。恐らく四、五十程の年齢だろうか。

 不意に、密偵からの手紙にあった”マーサ”という女中が脳裏を過り、すれ違いざまに女中の姿を横目で見送る。

 けれど、脳裏を過った存在は消えることなく頭の片隅に引っ掛かり、疼いた感情に足を止めた。

 女中へと振り返る。

「引き留めてすまない。訊きたいことがある」

 声をかければ、女中は最初、自分に声がかけられたのか自信がなかったのか周囲を見まわした。ついで、他に人がいないことを確認するとカイルへと正面を向ける。

 礼を執り、「はい、なんでもお訊ねください」と答えた女中。肌の皴から若くはないだろう彼女が”マーサ”とは限らないが、装いは侍女ではなく女中であるから、少なくとも職務上マーサを知っているだろうとあたりをつけた。

「”マーサ”という女中を知っているか? できれば、会って話してみたい」

 女中は目をわずかに大きくした。

 それから、首を傾げながら「はい……少々お待ちください」と残して速足で去っていった。


 しばらくして、”マーサ”は現れる。

 密偵からの手紙にあった通り、年嵩の、女中服を着た女性であった。歳は若くないものの、年相応の落ち着き、そして整えられた髪や服から清潔感がある。

 優しい、けれど社交的な顔立ちの彼女は、カイルへと丁寧な礼を執った。

「お呼びでしょうか、カイル様」

 感情を読ませぬ微笑に、カイルは品定めするように目を細める。

「ああ。突然呼び出してすまない。訊きたいことがある」

 言えば、マーサは首を捻る。

 カイルはマーサの一挙一動を見逃さないよう見つめながら、続けた。

「エステルが臥せって部屋にいる間、傍にいたと聞いた。……エステルの様子がどうであったのか知りたい」

「エステル様の……」

 独り言ちたマーサ。

 カイルはマーサの口が少しでも軽くなるよう、「邸を出る直前の様子でかまわない」と、男爵からエステルがこの邸にはいないことを既に聞いているのだと遠まわしに伝える。

 マーサは一度目を伏せた後、カイルを見上げた。やはり感情を見せない瞳。むしろカイルこそを見定めんとしているようだ。

 居心地の悪さを感じながらマーサの言葉を待てば、彼女はようやっと口を開く。

「出立前のエステル様は……体調は改善しましたし、食欲も少しずつ戻りました」

 客観的事実のみを言葉にする彼女。焦れたカイルは促した。

「そうか。では、心理面ではどうだ?」

「さて……エステル様の御心は、エステル様にしかわかりませんので……」

 困ったような仕草を見せるが、その実エステルの詳細を語りたくないのではないか――カイルに知られたくないのではないか――、マーサの言動はカイルにそう思わせた。

 それは、エステルが臥せっている間、唯一彼女の味方であったといえるマーサが、今もエステルを慮ってか、それとも他に理由があるのか。

 カイルは思考しながら、次の質問を口にした。

「マーサ、といったな。お前の出身は?」

 わずかに、マーサの眉が動くのをカイルは見逃さなかった。

「……マクラレン伯爵領、でございます」

「マクラレン……」

(ウォーレスの実家の領地か)

 そうして、ウォーレスの関係筋を思い浮かべた。

 例えば、マーサが言った出身地が嘘だとする。もしマクラレン伯爵家とまったく関係がなかったなら、カイルが伝手を使って調べればその嘘など簡単に発覚するだろう。とすれば、愚かではない限り彼女は誤魔化せる嘘をつくだろう。――つまり、嘘であったとして、”マクラレン伯爵家”ならば誤魔化せる関係性。

 例えば、マーサが言った出身地が真実だとする。カイルは”マーサ”という女中を知らない。つまり、昔からクラーク男爵邸で働いてはいないということだ。ならば、年齢も考慮すれば、女中としてクラーク男爵家に雇ってもらうにあたり、どこかからの推薦状が必要になる。その推薦状がマクラレン伯爵家のもの、という可能性もないではない。若い領地の娘は、領主の邸で行儀見習いとして雇ってもらうことも少なくないのだ。年老いてから推薦状をもらって他の邸へ移ることもある。

 ――どちらにしても、彼女はマクラレン伯爵家と関係があると考えてもよい。

(ウォーレスは、セシルと親しかった)

 差し迫るような、焦り。見えないなにかの輪郭を捉えたような気がした。

 最後に、もう一つ、マーサに尋ねる。

「……お前は、エステルのことを信じているか?」

「もちろんです」

 まっすぐに射抜くような視線で問うたなら、マーサも瞳を揺らすことなく答える。確信すら抱いていると物語る瞳。――それは、なぜ。

「エステルの噂が、使用人の間で訂正されていると聞いた。その発信源はどこだ?」

「さて……わたくしも他の者から聞きましたので」

 ほんの一瞬、揺れた瞳。それをカイルが見逃す筈もない。

「お前から――ということは?」

「わたくし……ですか?」

 少しだけ強張った顔を見てとり、カイルはその反応で満足した。

 緊張感を解くように肩を竦めて見せる。

「いや、すまない。お前がエステルの傍にいてくれたことを、心から感謝している」

 カイルは笑んで見せた。


 ――マーサのことは、調べればわかる。

 そう判じて、詰問することはやめた。




***   ***   ***




 かたかたと揺れる馬車の中。

 窓はカーテンによって外界と隔たりができているが、隙間から少しだけ橙を帯びた色の光が差し込む。夕暮れにはまだ早いが、太陽が傾き始めているらしい。

 座席は柔らかなクッションといえど、揺れはある。そんな集中するに向かない場所であっても、カイルは思考をめぐらしていた。

 ――マーサは、知りすぎている。

 ――だが、決してエステルの敵というわけではない。

 誰もが――エステルの実の両親すらも娘を疑う中で、ただ一人エステルを信じ、傍にいた人物。エステルの不貞の真実を流した可能性の高い人物。

 ただの女中が、なぜエステルの不貞の真実を知り得たのか。カイルとて、情報収集を入念に行って手に入れた真実。女中が邸にいて、簡単にたどり着くとは思えない。

 ユーフェミアに関することを男爵が知らなかったということは、恐らくカイル側でありエステル寄りの人間が流したわけではないだろう。カレン側の人間が、真実を流して得をするとも思えない。

 ならば――姿を見せないエステルの味方は、誰なのか。

 ――まさか、と思う。

 カイルは拳をかたく握り、顎にあてる。灰青の瞳は、睫毛の影で暗く色づく。

 ――現在、キング侯爵領にいるというエステル。

(なんの用があって、行ったのか)

「セシルとエステルは、会ったことなどない筈……」

(……本当に?)

 どくりと、心臓が大きく跳ねる。胸騒ぎが、する。

 自分の知らないところで、物事が大きく動き出しているような気配を感じるのは、なぜだろうか。




***   ***   ***




 焦燥に駆られながら、邸に戻る。

 カイルは素早く馬車から降りると、駆けるようにハーシェル侯爵邸の扉を開けた。

「カイル様、お帰りなさいませ」

 恭しく出迎えた執事に、カイルは歩調を緩めることなく問う。

「父上は?」

「執務室に」

 執事は決して無駄なことは答えず、カイルの傍をつかず離れず歩む。

「わかった。お前は仕事に戻れ」

 カイルはそれだけ告げ、足を止めた執事を残し、侯爵の執務室へと向かった。


 汗が滲み、艶やかな髪が頬にはりつく。汗を拭うと共に、邪魔な髪を後ろへ掻きやった。

 カイルの早足に、廊下を歩んでいた使用人は誰もが頭を垂れて道を譲る。

 ただひたすらにカイルは歩きながら、頭の中でセシルの周辺情報を手繰り寄せる。しかし、カイルはセシルを好敵手として見ていたが、敵視しているわけではなかった。ゆえに、細々とした情報を最新のものまで有してはいない。

 では、誰がその情報を持っているか。

 答えは簡単だ。ハーシェル侯爵一族である。

 例えば父侯爵は、キング侯爵家の情報を常に漁っている。というのも、キング侯爵家とハーシェル侯爵家は同じく王太子を支持しているが、革新派と保守派というように考えが異なる。従って、昔から対立関係にあるのだ。どちらが王太子のより側近となれるか――それによって、今後の有利も不利も決まる。

 だからハーシェル侯爵一族はキング侯爵家に対し神経質になる。派閥の異なるキング侯爵家に汚点があれば、そこを掬い勢いを削ごうとしているが、もし自らに汚点があればこちらこそが足元を掬われるから。

 つまり、キング家の情報はカイルよりも父侯爵の方が多く入手している。それが表面的なものであったとしても、最新情報であるならばカイルが従騎士をしていた頃に見聞きした情報よりも格段にましだろう。


 カイルは侯爵執務室前に着くと、扉を叩いた。

「父上、カイルです」

 名を告げると、「入れ」という短い返答が聞こえた。

「失礼します」

 扉を開く。

 父侯爵は執務机で仕事をしていたらしい。手に書類を持って座っている。カイルが入室しても、視線は書類に落とされたままだ。

(さすがに、夜中でもないのに侍女に手は出していなかったか)

 嘲りに近い感心をしながら、執務机の前まで歩み寄った。

「お前がここに来るとは、珍しいな。なんの用だ」

 ようやく書類から視線を上げ、手にしていたそれを机に置いた父侯爵。ついで彼は背もたれに身を委ねた。まるで「早くしろ」と言わんばかりの態度である。

 カイルはそんな父を見下ろしながら言う。こちらとて、用が済めばそれでよい。

「キング侯爵家について、教えて欲しいのです」

 こればかりは、ジョエルよりも父侯爵の方が詳しい。ジョエルの父親である公爵ならばハーシェル侯爵家が知らないキング侯爵家の情報を持っていてもおかしくないけれど、それを公爵がむやみに零すとも思えない。公爵はよくも悪くもキング侯爵家、ハーシェル侯爵家に対して平等だ。恐らく、公爵はこの二家についてジョエルにも情報を漏らさない。

 ならば、キング侯爵家を敵視している分父侯爵こそが適任といえる。

 父侯爵は、カイルの言葉に少しだけ目を見開いた。興味を示したのか、身を起こし、執務机の上に手を組んで身を乗り出す。

 そして傲岸に笑った。

「お前がキング侯爵家を気にするとは珍しいな」

 その言葉に、カイルは表情を変えることなく悠然と頷いて見せる。

「そうですね。ですが、ハーシェル侯爵家を継ぐにあたり、知っておくべきかと思いまして」

 ほぉ、と笑みを深くした父侯爵。

 カイルは自分の言葉を頭の中で転がして、咀嚼した。

 ――今言ったことは決して嘘ではないが、今すぐに知りたい理由というわけでもない。が、父侯爵はカイルの思惑に気づくことはないだろう。

 ――異常なまでのエステルへの依存や執着を、彼は知らないのだから。

 ちなみにキング侯爵家について、カイルはなにも知らないわけではない。

 肥沃な大地、四季のある気候。冬春はハーシェル侯爵領よりも幾分寒いが、資源は豊富である。ハーシェル侯爵家と歴史も財も地位も同等であるからこその天敵に位置している。さらに、先々代まではハーシェル侯爵家と同じように権力に固執し、暗躍することもあったという。しかし、後継ぎとされた三人の息子が亡くなり、末娘夫妻が継いでからは一族の気風までも変わったといわれている。

「キング侯爵家は今、どのようになっているのですか?」

 カイルの疑問に、父侯爵は机を人差し指で打った。

「今……か」

 カイルの内心を見極めるように上目で射抜く父侯爵に、カイルは視線を逸らすことなく「今、です」と肯定した。

 しばし考える様子を見せた父侯爵はやがて、眉宇を顰めながら語る。

「……不思議と、不確かな情報が多い。噂では、現キング侯爵の縁談の為、次々と年頃の若い娘が邸に迎えられているそうだ。それが末端貴族から平民まで幅広いというから、”縁談”の為というのは嘘ではないか、とも言われている」

 それはつまり、娼婦代わりとして邸に招いている――と父侯爵は言いたいのだろうか。

 カイルは父侯爵の言葉をじっくり熟考する。

 ――父侯爵の言葉を信じるならば、”年若い娘”としてエステルがキング侯爵邸へ向かった理由も納得できる。だが、おかしいのは、娼婦代わりとしてエステルがキング侯爵邸へ向かうこと。カイルの知る彼女が娼婦になるとは思えない。さらに、彼女が身分を隠す理由はなんなのか。

 ――王宮を辞してから、会ったことのなかった好敵手。

 華やかな容姿をしていながら、彼は従騎士時代、女性に対して一線引いていた。違う部隊に配属されてはいたが、娼館へ行ったことがないからと共に先輩騎士らに呼び出されたこともあった。それを拒否した時も、共に。

 そんなセシルが、娘達を娼婦代わりに己の周囲にはべらせるとは思えない。

(……セシルは、潔癖ともいえた)

 ――それは、カイル以上に。

 セシルとカイルはよく似ている。酷似している。

 だが、相違点も確かにあった。

(セシルは、俺やジョエルよりも汚い現実を知らない。いや……頭の中では理解しながら、けれどそんな世界と隔離された環境にいたからこそ、穏やかな笑みの下で嘲笑していた)

 ――きっと、その事実を知る者はかなり少ない。

 セシルは誰よりも理想主義者だった。騎士道という理想に染まり、仲睦まじいと言われるキング侯爵家で育ったがゆえに、汚い世界を身近に感じることもなかった。

 そんな彼は自我が確立してからカイルが知る穢れた世界に接してしまったから、己の心を守るため、いつも微笑という仮面をはりつけた。

 その事実は、カイルがセシルを好敵手として捉えるようになってから気づいたこと。接触は少なかったが、彼を気にするようになって、違和感を抱いたから。

 ――そんな彼が、もし。

(もし、セシルがエステルと出逢ったら……?)

 ――もし。

(もし、どこかで二人が既に出逢っていたら――?)

 じわりと汗が滲む。背筋に冷たいものが走った。

 ――胸騒ぎが、おさまらない。

 動揺、焦燥、切迫。

(時間が、ない)

 そう思った。わずかたりとも猶予はない、と。


 そうして、その日のうちにカイルは男爵に宛てて手紙を出す。

 エステルを帰還させるよう願い、男爵から許可がおり次第、すぐさま自身も男爵家へ向けて出立する旨を記して。



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