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侯爵様の好敵手  作者: えんとつ そーじ
四章 彼から見た真実
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 4

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 ウォルターからカレンとの繋がりやエステルを貶めた経緯について聴取した後、カイルは残された僅かな理性で憤り制して客観的事実の収集に乗り出した。

 全てを――洗いざらい、小さなきっかけから大きなきっかけまで全てを知りたかったのだ。



 メイナード子爵家は、ウィクリフ伯爵家に圧力をかけられた。メイナード子爵家は元々特別裕福というわけではなかったが、なんらかの圧倒的な外圧を加えられなければ存続させるに困らない程度に財はあった。

 そも、圧力をかけたウィクリフ伯爵家は新興伯爵家。同じ爵位であってもいかに古い家かが家格にも影響する貴族社会で、身分は伯爵より低くとも、ウィクリフ伯爵家よりよほど歴史のあるメイナード子爵家が屈したという事実はどこか不可解だった。さらに、メイナード子爵家は歴史、血統、権力を誇るハーシェル侯爵家と繋がりがある。おいそれと手を出すことなどできるだろうか。

 カイルは思考する。

 ――裏に、まだ何かあるのではないか、と。


 執務机の引き出しから、便箋を取り出す。便箋は、ジョエルに宛てて手紙を書く為である。

 文字を連ねながら、親友を脳裏に浮かべる。小麦色の髪を持つ、公爵家末子の青年はかつて言った。


『――カイル君、僕を、使っていいよ』


 エステルと婚約する為に、利用してしまった親友。幾度も後悔し葛藤を繰り返し、心の中で謝罪した。心の中で・・・・というのは、もし面と向かって謝ったとして、彼は困った顔をすることが安易に予想できたから。そして、深く感謝した。

 カイルはジョエルを信頼するからこそ、公爵家末弟かれに手紙を認める。

 内容は、ウィクリフ伯爵家に関する情報を集めてほしい、というものだ。様々な者が集まる王宮で騎士をしているジョエルならば、幅広く情報を収集できるし、公爵家の伝手もある。彼に頼まない手はない。

 この頃には既に、カイルはウィクリフ伯爵がいかに悪名高い人物が把握していた。

 蘇るのは、ウィルターの言葉。


『私は……あの方が、伯爵のもとにいて、幸せだとは思えないのです』


 ――まさにその通りだ、とカイルは思う。あんな男のもとにいて、幸せになれる女性などいるのだろうか、と。

 中年で、容姿とて見るも無残な姿。噂では、体型は欲深さを表し、球を二つあわせたかのようにずんぐりしているという。そこに清潔感など欠片も感じられない。それだけならば未だしも、好色で女ならば幼女から花盛りの娘、さらに娼婦まで金と権力に物を言わせ抱いてゆく。

 そこまでして、悪評にならない筈がない。夜会で少しウィクリフ伯爵について訊けば、簡単に喜々として貴族の口からつらつらと黒い噂は出てくる。

 とんだ下種だ。カイルが最も嫌悪する種類の男。

 ――そんな男は、かつてクラーク男爵家とメイナード子爵家に圧力をかけたことがあった。エステルとカレンを手中におさめる為だけに。

 結果、カイルは男爵を説得し、エステルと婚約することでクラーク男爵家は守られた。他方、メイナード子爵家は自力でなんとか持ちこたえた。

 けれど、カレンが伯爵に嫁いだのを見るに、伯爵はカレンを諦めなかったようだ。度重なる外圧に、ついに子爵家は屈してしまった。

 まるで蛇のように執念深い男。

 カイルは顔を歪め、ジョエルへの手紙を書き終えた。


 そうして、カイル自身も情報を集める為、夜会へ赴く準備を始める。

 彼はすべてを他人に任せることはせず、自身も陰謀渦巻くがゆえに嫌いな夜会へ積極的に参加した。




***   ***   ***




 情報収集は思いのほか時間を要し、気づけば季節は再び春を迎えていた。



 緻密な壁画の描かれた夜会会場は熱気に包まれる。連なる真珠で装飾されたシャンデリアが、暖かみのある夕日のような明かりで会場を照らす。

 ここぞとばかりに着飾った者達が集うそこに、カイルの姿もあった。

 ある目的ゆえこの夜会に参加したカイルだが、最初は両親と挨拶まわりをしなければならない。夜会の序盤には仕方のないことだ。

「カイル殿」

 背後から呼び止められ、カイルは振り返る。同じく足を止めた両親は、相手を認めると人好きのする笑みを浮かべた。

「殿下」

 カイルが言葉にする前に、口を開いたのは父侯爵であった。

「お久しぶりです、殿下」と声を弾ませる父侯爵の一歩後ろで、母とカイルが礼を執る。

「楽にするがよい」

 ”殿下”と呼ばれた男は、そう笑って返した。彼の隣には華やかな装いのユーフェミアが、恥ずかしそうにドレスを摘んで礼を執っている。

 ”殿下”というのは、ユーフェミアの父で、白金の髪が父娘よく似ている。ちなみに、身分は現王の弟、つまり王弟だ。しかし、王宮内では影で”愚か者”と囁かれることからもわかるように、多くの反対意見から爵位はまだ正式に与えられてはいない。それでも、王からは家族として愛されているし、彼の母は有力貴族出身で先王二人目の寵妃であったから、後ろ盾には十分。

 ゆえに、父侯爵は下手に出るのだ。

 父が王弟に媚びへつらう様を心中冷笑するのを横目に、カイルは視線を彷徨わせる。

 探し人がいた。今日、この夜会に参加した理由もその人物と接触する為だった。

 人垣を越え、壁を伝って窓辺へと視線を走らせる。すると、バルコニー前の硝子窓近くに、目的の人物はいた。――ジョエルだ。

 ジョエルは王宮で騎士をしているが、休日、王都に程なく近い場所で催される夜会に参加することが稀にある。そんな時、カイルはジョエルと示し合わせ、決まって会う約束をしていた。

 ジョエルがカイルに気づくと、にやりと口角を上げる。

 くい、とバルコニーを親指で指した彼にカイルは一度頷くと、父と王弟の会話が一端切れるのを待つことにした。

「あの、カイル様っ」

 ユーフェミアに呼ばれ、カイルはジョエルから視線を外す。関心が逸れていたとして、王族を無視するわけにはいかない。無闇やたらと敵をつくっては不利に働くばかりだ。

 ゆえに、両親を真似するように、好感を持てる笑みを浮かべて見せた。

「お久しぶりです、ユーフェミア様」

「あ、お久しぶりです……」

 顔を赤くさせ、ユーフェミアは俯く。

「……お元気そうで、よかったです」

 ぽつりと呟く彼女に、カイルは苦笑した。ユーフェミアには、そう見えるらしい。

 カイルにとって、エステルと婚約破棄してから、心が晴れたことなど一度もない。それでも、平然を装ってきた。弱味など、見せない――そう心がけてきた自分が少しだけ報われた気がした。

「ユーフェミア様も」

 にこりと笑む。

 途端、さらにユーフェミアは顔を紅潮させた。

「カイル殿はそういえば婚約を破棄したのだとか」

 突然、王弟は爆弾を落とした。和やかな空気に水を注すような言葉は慎むべきだというのに、悪意など一切みせず発言した。相手の心など見ようともしない。

 カイルは彼が王宮で愚かだと言われた所以を見た気がした。

 黒い感情が疼いたが、なんとか抑え込んで笑みを崩さないよう保つ。

 一方、父侯爵はわずかに眉宇を顰め、カイルへと視線をやる。ここで、エステルを諦めていないカイルがどんな発言をするかと危惧しているのだろう。

 しかし、王弟はカイルや侯爵の変化に一切気づくことなく、続けた。

「ならば、うちのユーフェミアなどどうだろう?」

 なにが楽しいのか、笑声をあげる王弟。「お、お父様!」と窘める娘の声。

 それでも無神経に娘をカイルに薦め様と、娘自慢を始めていく。

 ――不愉快だった。

 ぐじゅぐじゅと化膿する傷口を刃物で広げられたような、そんな気分。今すぐこの場を去りたい。そうでなければ、いつ声を荒げてしまっても不思議ではない。

 カイルは深呼吸することで噴出そうとする黒い感情をなんとか宥める。苛立ちは拳に力を込めることで封じた。

 そうして、口元に笑みを刻みながら、冷めた目で王弟を見つめた。

 王弟が娘 ユーフェミアを溺愛しているということなど、一目瞭然だった。目尻を垂らして、何歳から楽器を弾きこなし、純粋に美しく育ってきたかを語られれば、わからない方がおかしい。

 そういえば、と不意に思う。

(……父は、以前からユーフェミア様との縁談が持ちかけられていたと言っていた)

 ――なにか、頭の中で糸が繋がりそうな気がした。

 クラーク男爵家とメイナード子爵家に圧力をかけたウィクリフ伯爵。なぜ、圧力をかけたところでなんの得もなさそうなこの二家に、伯爵は手を出そうと思ったのか。本当に若い娘を欲しただけだろうか。

 新興伯爵家なのに、なぜ、かの家より歴史の長い子爵家を脅かすほどの力を有しているのか。

 なぜ、悪い噂が絶えないウィクリフ伯爵家が取り潰されないのか。

(……まさか)

 ある可能性が頭に過ぎるも、確信が持てない。その答えは、恐らくジョエルが持っている。

 カイルは唾を呑み、ついで母に不調を理由に外の空気を吸う旨を伝えて踵を返した。 ユーフェミアの縋るような視線には、気づかないふりをして。

 一刻も早く、ジョエルと接触したかったのだ。





***   ***   ***




「ジョエル」

 親友の名を呼ぶ。

 バルコニーで涼んでいたジョエルは、隣に並んだカイルを横目で見た。

「お疲れ様、カイル君」

 からかうように笑うジョエル。

 カイルは溜息をこぼす。

「……場所を変えよう」

 そう伝え、二人は移動した。


 見つからないよう、庭園の奥へと進んで行く。

 男女の密会が多いそこだが、密談とて交わされている。

 ぎりぎり会場の明かりが届く薔薇垣に隠れる。ついで周囲を見回し人気がないことを確認したジョエルは、カイルに懐から出した十枚程度の紙束――報告書を渡した。

「ありがとう、ジョエル。助かる」

 受け取ったカイルは、報告書に連ねられた文字を目で追った。

 徐々に険しくなっていくカイルの表情。

 ジョエルはカイルの心境を察して、空を見上げた。輝く数多の星。月は欠けている。綺麗な空の筈なのに、暗闇は侵食するように心を重くした。

「……まさか、ここまでするとは、ね」

 小さく溢したジョエルの声は、空気に溶けていく。

 顔をカイルへと向け、ジョエルはどこか心配そうに問うた。

「カイル君、大丈夫かい……?」

 カイルの報告書を握る手に力が入り、くしゃりと音がなる。静かな庭園ゆえに、吸い込まれていくように音が消えていった。

 やがて彼は、く、という笑いを喉の奥から発する。

「……嗤うしか、ないな」

 カイルが俯く。拍子に、黒髪が目元を隠した。

 ――報告書には、カイルの予想した答えがあった。

 やはり、ウィクリフ伯爵と王弟は繋がっていたのだ。

「……憶えているかい? ユーフェミア様は、よく僕たちが鍛錬する中庭にいたこと。彼女は、カイル君のことが好きだったからいつもあそこにいたんだね。……君が王宮にいる時、ユーフェミア様の様子を見て、なんとなく気づいていたんだ。ごめん、カイル君……っ」

「ジョエルのせいじゃない。……俺が、もっと早く気づくべきだったんだ」

 ――自分の幸せを壊す存在に。

 奥歯を噛み締める。髪に隠されたその表情は、怒りに染まっていることだろう。

 ――ようやっと、全ての真実が揃った。

 再び、報告書へと視線を落とす。

 ――ジョエルからの報告書には、これだけの情報があった。

 一つ、王弟はウィクリフ伯爵に物事を依頼する度に、取引として様々な事柄を融通していた。

 二つ、ウィクリフ伯爵は、カイルがエステルと婚約した年にクラーク男爵家とメイナード子爵家に圧力をかけている。

 三つ、エステルとカイルが婚約している最中にあっても、幾度となく王弟はハーシェル侯爵家にカイルとユーフェミアの縁談を打診していた。――娘の望みだと言って。

 四つ、ウィクリフ伯爵はこれまで美しい娘を手当たり次第、強引な手を使って手中におさめてきた。その中でも、なかなか手に入らなかった娘がカレンであったこと。従って、度々圧力をかけていた。

 それだけの情報があれば、簡単に物事は推測できる。

 カイルに恋をしたユーフェミア。

 しかし、当時既に、カイルはエステルと結婚の約束をしていた。それは婚約という正式なものではなかったけれど、カイルにはそれで十分だった。ゆえにカイルは、愛する存在をユーフェミアに示唆してしまった。

 恋が叶わないと悟ったユーフェミアは、父である王弟におねだりをしたのだろう。カイルとの縁談というおねだりを。

 思えば、ユーフェミアにカイルは言ってしまっていた。大切な女がいること。それが幼馴染の女の子だということ。そしてそれを、ユーフェミアは父である王弟にすべて話していたのだろう。

 愛する娘の幸せの為、恐らく王弟はウィクリフ伯爵を使ってクラーク男爵家とメイナード子爵家に圧力をかけた。王弟が直接手を出さなかったのは、いざユーフェミアとカイルが婚約する際に、事実がカイルに知られれば婚約破棄もあると考えたからだろう。それはその通りだ。そんなことをされて、カイルが黙っている筈がない。

 そうして邪魔だった幼馴染を消したつもりだったが、生憎カイルとエステルはそれを期に正式な婚約を交わした。メイナード子爵家は、なんとか自力で持ちこたえた。

 やがて、数年が経ち――メイナード子爵家はついにウィクリフ伯爵家に屈する。王弟からの依頼でメイナード子爵家に圧力をかけたとはいえ、ウィクリフ伯爵は本当にカレンを気に入ってしまったのだ。皮肉にも、彼女の生まれ持った美しい容姿が仇となってしまった。

 そして、後はカイルの知る通り。カレンとウィルターは手を組み、エステルとカイルを罠にかける。二人は見事その罠にかかり、婚約破棄に至る。

 ――嗤うことしか、できない。

(……エステル)

 カイルは心中、独り言。

 彼女はいつだって裏切ったことなどなかった。彼女の言葉に嘘はなかった。未来を信じられなかったのは、カイルに他ならない。

 胸がエステルへの気持ちで熱くなる。後悔で心が揺れる。激しい痛みが胸を襲う。

 彼女に一刻も早く会って、謝りたい。叶うことならば、もう一度彼女と――。

 思い出せるエステルの姿は、涙を流し、絶望する様ばかり。最後に会った、彼女しか描けない。あんなによく笑う娘だったのに。優しく、穏やかに。けれど、今のカイルにはどうしても思い出せない。

「――エステル、俺は……」

 ――他方で。

 黒髪の隙間から覗く灰青の瞳は、絶対零度。見た者を凍てつかせるような、底知れない憎悪が秘められる。その灰青の瞳は、夜会会場へと向けられた。

「カイル、君……」

 力のないジョエルの声音。彼はきっと、正確にカイルの気持ちを読んでいる。

 カイルは自嘲しながら、頭を抱えるように前髪を鷲掴む。黒く渦巻く感情は、決壊寸前だった。殺意も、憎悪も嫌悪も、負の感情が綯い交ぜとなって喉から競りあがろうとする。それをなんとか押し止めるのは、最後の理性。そうしなければ、人を殺してしまいそうだったから。そんなことを容易にすれば、二度とエステルに逢えない。

 ――それでも。

「……ジョエル、俺は、許せそうにない」

 囁きながら――心が凍てつくのがわかった。



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