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侯爵様の好敵手  作者: えんとつ そーじ
四章 彼から見た真実
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 3

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 冬将軍の気配を間近に覚える季節が到来した。

 窓の外を見やれば木々の葉は茶色く色づき、はらはらと散ってゆく。空は淡い青に薄っすらと雲が張る。

 この季節が過ぎれば、ようやくエステルと婚約破棄して一年となる。

 想い馳せ、窓辺でぼんやりと凍える寒さの世界を眺めていると、馬蹄が耳に届いた。

(……来たか)

 カイルが執務の手を止めていた理由。来訪者の予定があったのだ。

 窓辺から離れ、執務机の椅子に座る。これから対峙する来訪者に、自分こそが格上なのだと意識に刻ませる為、優雅な仕草で以って。

 しばらくすると、待ち人の来訪を知らせる、扉が叩かれる音が部屋に響く。

「カイル様、ウォルター・ローウェル様がいらっしゃいました」

 従僕の声に、カイルは短く「入れ」とだけ告げた。


 扉が開く。

 現れたのは、庶民らしい簡素な服を纏う青年。しかし報告書通り、茶髪と青い瞳を持つ、爽やかな容姿であった。怠惰によってぶくぶくと太った貴族より、よほど彼の方が上品だ。

 カイルの執務机の前まで歩んだ青年は、カイルの灰青の瞳を真っ直ぐ見下ろす。そこには、”よく笑う、明るい青年”には相応しくない、剣呑な色が浮かぶ。

 ウォルターは無表情を崩さなかった。

 一方、カイルも傲慢なほどに、立場の差を知らしめるべく高圧的に見据えた。

 緊張孕む、張り詰めた糸を張り巡らした空間が出来上がる。

 そんな空気の中、口火を切ったのは、片頬を上げたカイル。彼は目の前の青年を灰青の視線で射貫く。

「――お前の後ろにいる貴族は、誰だ」

 カイルにとって、ウォルターの背後に貴族がいることは既に決定事項であった。だが、ウォルターはそこまで調べがついていると思っていなかったのか、ピクリと眉を動かす。

「……なんの、ことでしょう」

 あくまで平静装うウォルターを嘲笑うようにして、カイルは続けた。

「お前は父親を内科医に診せた筈だ。裏に貴族がいると見るのは当たり前だろう?」

「……」

「クラーク男爵家ではエステルとお前の噂が出回っているのに、目撃者は誰もいない。お前は自分も不利になるというのに、エステルと関係があったと告白した。……いや、目撃者は、カレン一人といったところか」

 言葉にしてみて、カイルの中で推測だった事柄がどんどん形を成し、確信に変わってゆくのがわかった。

 ――裏にいるのは、カレンの可能性もあるのだと。

 どうしてもっと早く考える事をしなかったのだろう。苦さが胸を過ぎる。けれどそんな感情に蓋をし、今は目の前の、すべてを知っているだろう青年に意識を集中させた。

 ウォルターはどこか躊躇いを見せる。それまで変わらなかった表情が、少しずつ崩壊していく。そうして目を伏せ、唇を引き結んだ。

 彼の変化は、何かを隠している――そうカイルに思わせるに十分だった。そして、隠している誰かを、守ろうとしている。

 ――誰だ。

 彼に、もう家族はいない。両親も弟も、亡くなってしまった。恋人の存在も報告にはなかった。つまり、報告の必要がないということだ。ならば、誰だというのか。

 カイルは探るため、自分の知る事実の欠片を語る。

「……今更だが、お前とエステルが関係を結んだとして、目撃者がいないのはおかしい。使用人の階に――お前の部屋にエステルを招いたならば、客人であるカレンが使用人の階に行かない限り二人の逢引を目撃することはない。だが、エステルがお前を部屋に招き、関係を持ったならば、行為の残骸を侍女が目にしていておかしくない。まさか我が身を犠牲にして、情を交わしていない逢瀬を密通と過大な表現したと言うには矛盾が生じる。……お前が守っている者は、誰だ」

 断言するように、告げる。

 問いながらも、カイルの脳裏には一人の、赤髪の幼馴染が浮かんでいた。エステルを妹のように可愛がっていた、気の強い娘。

 長いつき合いゆえに、信用していた。耳を貸すほどには。

 でも、カイルはカレン以上にエステルを信じていた筈なのに、その信頼は揺らいでしまった。未来のことを盲目に信じることができなかった。男爵と、幼馴染と――信用する二人の言葉に、強烈な不安を抱いてしまった。自分の狂愛を悟ったが為に。

 自嘲しそうになるのを抑え、確信の人物の名を口にする。

「――カレン、だな?」

 自信を持って訊けば、ウォルターは顔を歪めて俯いた。少しの間の後、勢いよく顔を上げ、カイルを睨めつける。

「貴方は、エステル様しか見えていない! まるで世界には二人しかいないかのように」

 その通りだ、とカイルは思う。カイルにとって、いつだって世界には二人きり。他は脇役にすぎない。

「でも、貴方は愛している人のすべてを受け入れられなかった」

 ウォルターの言葉にカイルは眉宇を顰める。

「……それは、お前の愛の形だ。俺とは違う」

 苦々しい気持ちが胸中で広がってゆく。けれど、カイルにとって、彼の言葉こそ真実だった。

 愛する人には自分だけを見て欲しい。自分だけを受け入れて欲しい。それができないのなら、共に死のうと望む程の、狂気孕む愛情を向けてしまった。

 不意に、両親を思い出す。カイルに次期侯爵としての在り方のみを求め、自分は使用人の女と関係を持つ父、愛人の男を夜中に招く母。

 ――両親のように、なれない。カイルには。結婚と恋愛は別だと、割り切ることができない。

 ウォルターは喘ぐように言葉を紡いだ。

「貴方は、守る力を持っているのに……」

 消え入りそうな呟き。

 それに、カイルは答えた。

「……お前の守りたい者は、カレン、か」

 今のカイルに浮かぶ貴族は、彼女だけ。カレンならば、男爵邸でウォルターと接触もできる。例えばウォルターの守りたい存在がエステルならば、彼はエステルを貶める告白をする筈がない。

 カイルの視線を受けたウォルターは、泣きそうに顔を歪めて再び俯く。それから、小さく何度か呼吸をし、ぽつりぽつりと話始めた。

「……カレン様の様子がおかしいと気づいたのは、昨年の春頃でした。エステル様に会いに来られた帰り際、カレン様は廊下の窓辺で蹲っていらっしゃった」

「……昨年の、春」

 繰り返したカイルは、記憶から昨年のことを手繰り寄せる。蘇ったのは、確かに見せていた、カレンの違和感。彼女は睫毛を伏せ、口端を上げて微笑していた。


『……幸せって、複雑なものね。ある人の幸せは、愛。でも、またある人は名誉や財。互いに価値観が合わないと、幸せになるのは難しいんです』


 すっかり忘却の彼方へと追いやっていた記憶。それが、カレンの異変だったのだ。

 カイルが言葉を失う中、ウォルターは言葉をつぐ。

「カレン様のご実家メイナード子爵家は、その頃既に伯爵家から圧力をかけられていました。伯爵家はじわじわとメイナード家を追い込んでいった。そしてついに屈した子爵家は、伯爵が望む通り、カレン様を差し出し、事なきを得た。……彼女はっ」

 ウォルターは悲しそうに、そして悔しそうに歯を食いしばる。直立した彼の横に垂れる両腕は小刻みに震えており、拳からは血が滲むほどに力が込められていた。

「カレン様は、純潔を奪われた。結婚前にっ。あの男によって! ……そんなカレン様が哀れだった。ずっと私は……彼女に焦がれていました。手が届かなくともかまわなかった。けれど――彼女が苦しんでいる目の前で、貴方とエステル様は幸せそうに微笑み合っていて。それが、私には許せなかった! 何故、なにも気づかないのかと。私にとってカレン様は、気高く美しいひとだった。三人で笑う姿を、ずっと眺めてきた。もう一度、彼女に笑ってほしかった……」

 おらぶようにして言ったウォルターは、自嘲してカイルを見つめる。

「――カイル様、貴方ならば、カレン様を救えると思った。その力がある。だから私は、カレン様の嫉妬と葛藤につけこんだ。……私の病身の父に内科医をつけるかわりに、私はエステル様との不貞を証言する。それが、取引です」

 ウォルターの言葉に、同情する余地は幾分かあるのかもしれない。

 しかし、カイルは怒りに震え、今にも殴りこみそうな自分を抑えることで精一杯だった。そこに、哀れに思う心の余裕など欠片もない。

 そんなカイルを一瞥し、ウォルターは続ける。

「カレン様は、どうしてエステル様だけが幸せになれるのか、と呟いた。……たった一度です。――カレン様の憧れだったカイル様。私はカレン様を売った子爵家も、カレン様の異変に気づかない貴方もエステル様も憎いと思いました。エステル様は、ご自分がどれだけ守られていたのかも知らない」

「お前、は……っ」

 カイルは呼吸が乱れるほど、身体の血液が激しく巡るのを自覚する。ウォルターを殺してやりたいとすら思う。

 ウォルターのしたことは、正当化できることではない。そこに加害者が被害者であった真実があったとしても、被害者とて加害者になって良い訳ではない。救いを求めるならば、もっと他に方法があった筈。

 結局彼は、憎しみをそのままにぶつけたのだ。カレンも同じ。

 鋭く睨むカイルを、ウォルターは嘲笑う。

「私は、カレン様が幸せになるのならそれでよかった。カレン様しか見えていなかった。でも――それは、貴方も同じでしょう?」

 カイルは目を細める。すると、ウォルターの笑みは濃くなった。

「貴方も、エステル様とご自身しか見えてはいない」

 まるで、カイルの全てをわかっているというように。ウォルターの言葉はカイルの心を抉る。だが、ウォルターはカイルと自分を重ねる事で、自分を正当化している――それが、カイルには許せなかった。

 突如、我慢が限界に達したカイルは勢いよく席を立つ。

 他方、カイルを恐れることなく、ウォルターは尚も問う。

「もう一度、お尋ねします。愛しているのなら! どうしてエステル様を信じ抜かなかったのですか? どうして――彼女を守り抜かなかったのですか!?」

 声を荒げた青年。もうそこには、貴族と平民という身分差は見つけられない。互いが憎悪をぶつけ合っていた。

 カイルは奥歯に力を込め、拳で机を力の限り叩きつけた。

 次いで、自分を落ち着けようと深呼吸し、怒りで震える声をウォルターにかける。

「……どうして、すべてを話す気になった? カレンを、守りたいのだろう?」

 ウォルターは目を瞠る。それまでの激情は少しずつ陰を潜め、やがて弱弱しい動きで目元を手のひらで覆った。

「婚約を破棄してからも、貴方はカレン様を求めることはありませんでした。そしてあの方の運命はなにも変わらなかった」

 空気にとけるほど力を失った声で、ウォルターは囁いた。

「私は……あの方が、伯爵のもとにいて、幸せだとは思えないのです」



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