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太陽は肌に刺さる強い光から少しだけ黄金色を含んだ光へと、また風は涼しく変化した。
裏庭の木々は、鮮やかな緑から黄や紅へと秋らしく移ろう。それはまるで、太陽の黄味帯びた光を吸収するようだった。
そんな静かな、しんみりとした空気を裂くのは、金属同士がぶつかる音。
カイルがハーシェル家の騎士と、刃を潰した剣で対戦しているのだ。
カン、と剣が光を受けながら弾き飛ばされ、地に突き刺さる。同時に、「それまで!」という勝敗を告げる野太い声が響いた。
息荒く、地に手をつく騎士。彼は騎士団の中でも剣技の腕前は優れた方だ。だが、対峙したカイルも、王宮の近衛騎士団の中では残留が望まれる程には強かった。
審判を務めた白髪交じりの、大柄で屈強な体躯の男は、カイルへと顔を向ける。
「カイル様、本当に強くなられましたな」
目元を和ませた彼の目尻に、歳相応の皺が刻まれた。孫を見守るような眼差しで。彼はそれこそ、カイルが生まれた時、既にハーシェル侯爵家に仕えていた騎士であった。ゆえに、幼いカイルのこともよく知っている。
「……団長のおまえにそう言ってもらえると、嬉しいよ」
眉尻を下げて笑んだカイルの表情には、言葉通りの喜色と、それに反する苦味が綯い交ぜとなった色が浮かぶ。
そうして、剣を団長に差し出した。
「邪魔して悪かった。演習を続けてくれ」
団長が剣を受け取ると、カイルは踵を返す。その後ろ姿は、どこか憂いを纏っていた。
咄嗟に団長は、引き留めるようにカイルの背中へと声をかける。
「カイル様!」
足を止め、上半身だけで振り返ったカイルに、団長は目を細めて言葉を継ぐ。
「また、いつでもいらして下さい。団員皆、カイル様がいらしてくださったことを喜んでおります」
カイルは一瞬目を丸くし、次いではにかんで笑う。しかし、再び団長に背を向け、歩き出した。
それでも、団長は続ける。言わなければならないと思ったのだ。脆く、今にも崩れそうな青年に。”貴方を気にかける人はいる”のだと。
「……どうか、無理はせぬよう」
その言葉に、カイルが答えることはなかった。
*** *** ***
水浴びをし、汗を洗い流したカイルは執務室へ向かう。
堅苦しい格好が苦手なわけではないが、息苦しく感じる時がある。そんな時は、シャツの首元を緩める。これだけでも、呼吸は大分楽になるものだ。
ある意味カイルにとって、服装は心の表れでもあった。貴族が集まる場では、心の鎧と共に正装を纏う。それはもしかしたら、カイルだけではないかもしれないが。
自室に独り佇む。
不意に窓へと視線をやれば、外は秋らしく色づいていた。
(もう、秋か)
差し込む光が眩しくて、光を遮る為、手を翳しながら目を眇める。
光を遮る、剣だこの出来た手のひら。剣だこは、王宮で伝手を作ることを目的に、騎士団へ入団したから。すべては、エステルと結婚する為だった。剣だこは、望む幸せをこの手に掴む為にできた証だった。
けれど今、騎士団で得たもの――剣術と剣だこ――はエステルとの婚姻の為ではなく、憂さ晴らしの道具となっている。婚約を破棄してから、頻繁に執務の合間を縫って剣を振るうようになったからだ。
そうしていなければ、エステルのことが頭から離れなかった。
エステルに救いを求めて会いに行ったのは、一年前のこと。あの時の彼女は、どんな顔をしていただろう、どんな表情を見せてくれただろう、と記憶を掘り起こす。
考えども、思い出せない。最後に見た、必死に泣き縋る顔しか――。
自嘲する。
これで、エステルへの愛執は終わると思っていた。関係を断ってしまえば、それで解放されるのだと思っていた。
カイルにとって、エステルは世界の中心だった。カレンから不貞の話を聞いた時から、その事実が恐ろしくなった。
誰よりも守りたい娘。彼女との未来の為だけに、身体的能力も、知識も、権力も、伝手も求めてきた。目的は、いつも一つだった。
だが、カレンの言葉を聞いた時、悟ってしまった。いつか、裏切られる時が来たなら。自分はきっと、無理心中を図るだろうと。誰よりも守りたい娘を、自分が殺してしまうだろうと。
そんな想いから、解放、されたかった。
嗤いが止まらない。婚約破棄することで、解放されると思っていた自分があまりに滑稽で。
――無理に、決まっている。
狂う程に愛する存在だったからこそ、苦しいのだ。呼吸もできないくらい。失うことなどできないから、もがき続けたというのに。もう、疾うに手放すことなどできなくなっていたのだと――どうして、気づけなかったのか。
執務机に座り、天井を仰いで目を瞑る。
思い出す、最後に見たエステルの姿。
エステルは確かに、縋ってくれた。泣きながら。それほどまでに、彼女は自分を愛してくれていた。
そんなことに、今更、気がついた。
胸に満ちる幸福感。一方で、心には空洞が空き、喪失感ゆえに疼く。
溜息と共に、目を開ける。
カイルにとって、エステルの父である男爵は、実父以上に父らしい人だった。
カイルにとって、カレンは二人しかいない幼馴染で、大切な女の信頼できる親友だった。
少なくとも、エステルに及ばなくとも、二人はカイルにとって信用できる人物という立ち位置にいた。だから、二人の言葉に心揺れてしまった。
――エステルの言葉を、全否定しているわけではない。
――男爵とカレンの言葉を、そのまま鵜呑みにして信じているわけではない。
カイルが恐れたのは――婚約破棄するに至ったのは、自分のエステルに向ける想いが狂愛だと気づいたから。それは、いつか彼女を傷つける可能性に繋がる。
怖かった。そして、今でも怖い。
――それでも。
頭を起こし、一息吐いてから信用できる従者を呼ぶ。
どの道、もうエステルを手放すことはできないと思い知ったのだ。ならば、客観的な事実を知ろうと思った。その上で、エステルと向き合おう、と。
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