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侯爵様の好敵手  作者: えんとつ そーじ
三章 そうして、手放した
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 7

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「いかがなさいましたか?」

 カイルは男に声をかける。

 顔だけ振り向いた男は、不機嫌を隠そうともせず「お前には関係ない」と答えた。

 そうして彼の意識がカレンから逸れたこともあり、拘束が弱まった娘は男の腕を抜け出す。

 一瞬のうちの出来事に、舌打ちしながらカレンの腕に手を伸ばした男。

 それを制して、カイルはカレンを背後に隠し、肩を竦めて見せた。

「連れに無粋な真似はおやめください。今宵は無礼講。皆、自由に開放感を味わうことのできる夜です。彼女にも、その権利がある」

 威嚇するように目を眇め、口端は若干持ち上げる。その様が傲岸に見えると言ったのは、従騎士時代を共に過ごした親友だっただろうか。

 だが、この場で舐められれば足元を見られる。

 男の特徴から、敬うべき年上ではあるものの、装いや振る舞いからは明らかな格上相手でもないことなど見て取れた。正式な格調高い場ではないここでならば、少しくらい威圧した方がいいはずだ。

 男はカイルの視線を受け、不満気に眉を顰める。

 しばし対峙することになった。

 カイルが身を引かず、徐々に見世物のように参加者の注目が集まりつつあると気づいた男は、しばらくの後に「興がそがれた!」と苛立たしげに吐き捨て、踵を返した。

 カイルは溜息まじりに男の去り行く様を見送る。自分の両親とはまた違う種の貴族。しかし、両親と同じく虫唾の走る対象。本当に、どこにでもいる、と呆れながら思う。

 背後にいたカレンがほっと息を吐いた気配がした。

 こうべを回らし、問う。

「大丈夫だったか?」

「……はい。ありがとうございます」

 眉尻を下げながら、カレンは苦い笑みを浮かべた。

 カイルも同様の笑みを返す。

 それで落着だと、笑みをおさめようとした時。

 不意に声をかけられた。聞き憶えのない、女のもの。

「災難でしたわね」

 カイルとカレンは、声の主へと振り返った。

 視線の先にいる女は、まだ若い。彼女は、ぎりぎりまで胸元の開いた真紅のドレスを纏う。首を飾る連なった真珠は、中心の装飾部が胸の谷間に落ちる。強調するように、男を煽る装いをしながら、娘は困った風に笑って赤い唇を歪めた。

 まるで、カレンに同情するようだが、目元を覆う仮面の向こうにある目はぎらついている。内心では表情のままの心情ではないのだろう。

 ただの会話の糸口。そうわかっているカイルは、流すように同意の言葉を返す。

 適当にあしらうつもりだった。

 けれど思惑とは裏腹に、それをきっかけとして若い男までも幾人か集い、新たな輪をつくる。

 抜け出したくとも取り囲まれ、溜息を呑み込んだ。一刻も早くエステルの元に戻りたいが、無礼講の場とはいえ礼儀くらいは存在する。

 ほんの少しだけ付き合うか、とカイルは諦めの境地に達して、会場の壁際へと目を向けた。

 エステルと約束した”いつもの場所”とは、庭園の、会場から一番近い東屋である。そこで毎度彼女は温かい紅茶を飲んで、カイルを待つのだ。会場には、さまざまな種の酒が揃えられているものの、冷めてしまう飲み物は用意されていない。酒精アルコールの入っていない飲み物があるとすれば、果物の絞りジュースくらいだ。

 ゆえに、エステルは毎度、会場の隅に控える侍女に紅茶の用意を頼む。今回も、そうしているはずだった。

 話しかけられながら、話半分に相槌に打って壁を視線で追う。

 庭園側の窓の近くに、エステルはいた。壁の花をしている彼女は、銅色の髪に触れ、睫毛を伏せている。

 どことなく、元気のない様子が気にかかった。けれど、ふと顔を上げた彼女は、すぐさまカイルの視線に気づくと、暗い表情を払拭させた。

 目を瞬くエステル。カイルは歩み寄りたい気持ちを抑えて、困ったように目を細める。

 とりあえず、今は集まる男女に囲まれたカレンを一人にすることは危ない。ゆえに、手振りで『もう少しかかりそうだ。ごめん』と表現した。

 ――通じただろうか。

 カイルがおまけとばかりに片目を瞑る。

 エステルは苦笑して頷いた。




***   ***   ***




 思いのほか、新たに集った男女での会話は長引いた。

 カイルがカレンへと目で合図し、ようやっと抜け出すことができたのは、彼女を助けてから十分ほど経過した頃。


 二人でそそくさと、身を潜めるように輪から抜け、向かった先はやはり目立たない壁際。

 仮面舞踏会は、開始直後こそ初参加の娘が壁際で様子を窺うものの、すぐに声がかかる。その後、夜会の中盤ともなれば壁の花はほとんど存在しない。そも、この会の目的が”出会い”であるのだ。

 なんとか脱出できたことに息を吐く。そして、カレンに告げた。

「そろそろ、俺は帰る。カレンはどうする?」

 カレンを見下ろす。彼女の視線は、カイルではない、どこか遠くへ一途に向けられていた。

「……カレン?」

 返事がないため、再度名を呼んだ。

 カレンは柳眉を顰め、金茶の瞳をただ一点に向け続ける。

 ――なにか、あったのだろうか。

 そう思ったカイルが、カレンの視線の先を追う。

 そして見つけたのは――男といる、エステルの姿だった。


 栗色の髪をした男だった。

 仮面をつけ、黒い正装、立ち居振る舞いは貴族のもの。そこから、彼もこの色に塗れた催しの参加者であることがわかる。

 男とエステルは、なにかを話している。

 けれどカイルが睨むように見つめるのは、男の手元だった。

 男はなぜか、エステルの手を掴んでいる。

 不快感に、カイルの顔が歪む。ぎり、と奥歯を噛み締めた。

 エステルは、決して楽しげではない。だが、エステルが男の手を拒まないことに、苛立ちが募る。男がエステルに触れていることに、殺意が芽生える。

 カイルが憤りのままに一歩足を踏み出せば、カレンが「待ってください!」と彼の腕に縋りついた。

「放してくれ」

 振り払うように腕を動かす。それでも、カレンはカイルを解放しなかった。

 苛立たしげに舌打ちし、カイルは再びエステルへと視線をやる。

 そして――瞠目した。


 男は、エステルの肩を抱くように腕をまわした。

 そのまま、二人は庭園へと歩んでいくのだ。

 夜の、睦言を交わす場へと。


 カイルは呆然と、硬直したかのごとく佇む。

 目の前の出来事が信じられなかった。

 心臓がドクリ、と大きく鼓動を刻み、締め付けられるような痛みを伴う。咄嗟の動揺に息を呑んだが、すぐさまそれを押し隠し、白紙状態の頭に思考を回らした。

(――いや)

 誤解、だろう。なにか、理由があったのだろう。

 カイルはそう自分を納得させようと、心の中で自問自答する。

 ――エステルだから。

 そう思える。納得できるのだ。彼女はなにも後ろめたいことなどしない、と。

 ――納得、できるのに。

 胸の奥で、なにかが蠢く気配がした。今まで気づかないふりをしていた感情。

 優しさや庇護で覆って、目隠ししていた存在。

 カイルはその感情の気配に、今度こそ動揺した。押し込めようと、口元を手で覆って。

 冷や汗が背筋を伝う。

 ――気づきたく、なかった。

 ――気づかなければ、よかった。

 心が荒れ狂う。呼吸が苦しい。

 灰青の瞳が、揺れた。

 その様子を見て、カレンは言う。

「……わたし、知ってたんです。この夜会で、エステルが男と逢瀬するって。……エステルの侍女に、相談されたんです。掃除していたら、カイル様じゃない男性からの手紙を見つけたって……」

 金茶の瞳は、伏せられた睫毛に隠された。そうして、少しの間に違和感を感じたのか、彼女は無言を貫くカイルをちらりと上目で見やった。

 灰青の瞳は、エステルと男が消えた庭園へと向けられたまま。

「……カイル、様?」

 反応を示さないカイルを、カレンが呼ぶ。

「誤解じゃ、ないか?」

 自分に確かめるように、カイルが答えた。

 カレンは口を開いたが、向けられることのないカイルの視線に諦めたのか、紅の唇を噛んだ。


 カイルは、自分の言葉が嘘だとは思っていない。

 なにか誤解があるのだろうと、本気で思っている。

 けれど――。

 知らなければ幸せなことがある。

 ずっと知らなければ、ずっと幸せでいられること。

 ――エステルを信じていれば、それだけでいいのだと、思っていた。幸せになれると、信じていた。

 ――知らなければ、幸せでいられたのに。

 カイルは、気づいてしまったのだ。



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