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侯爵様の好敵手  作者: えんとつ そーじ
三章 そうして、手放した
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 5

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 エステルと心癒すように一服した後、カイルは東屋に婚約者を残して会場に戻った。

 光の届く場所ゆえに、なにかあれば誰か――カイルが気づくことができるだろう。一人にすることに多少不安はあれど、共に行く事で魑魅魍魎の跋扈する中にエステルを放り込みたくはない。

「婚約者なのに」と気を遣う彼女に、「怪我をしているから」と制して、一人を選んだ。


 会場に入れば、暗闇から戻った明暗の差から、太陽を直接見た時のごとく目がチカチカと痛んで星が散る。光を遮ろうと、カイルは目を眇めた。

 会場の隅。壁の花と呼ばれる乙女たちがぽつり、ぽつりと佇む場所。

 その場所に、貴族の中でも血統古く、侯爵家の跡取りであり、見目好しの青年が立っていればおのずと視線も集まる。

 従騎士をしていたこともあって、人の気配や視線に敏感なカイルは心に重みを感じた。同時に、肩にも圧し掛かる重圧に竦めることでやり過ごす。

 そうして、エステルを一人にする時間が長引くばかりだと思いなおし、会場の中心へと一歩足を踏み出した――その時。

「カイル様」

 名を、呼ばれた。

 大きくも小さくもない、若い女の声。

 高くはないしっとりとしたその声は、カイルのよく知る声だった。

(ああ、来ていたのか)と頭の片隅で思いながら、振り返る。そこに、予想通りの人物がいた。


「カレン、来ていたのか」

 そう言うと、カレンは優雅にドレスを摘んで膝を曲げる。

「ごきげんよう、カイル様」

 どうやら、今日のカレンは余所行きのようだ。”こんばんは”や”こんにちは”ではなく、”ごきげんよう”と口にしたことがその証。

 ならば、とカイルも淑女に向け、胸に手をあてて一礼する。

「ごきげんよう、カレン嬢」

 顔を上げたカイルに、カレンは苦笑を滲ませた。

 カレンは人目を引く容姿をしている。生まれ持った華やかな顔立ちと色相、努力の末の体型ゆえに。

 今は纏め上げている紅の髪。そこから余った解れ髪が首から胸元に流れ、えも言われぬ艶かしさが演出される。纏う菫色のドレスが、透けるように白い肌を際立たせた。

 髪よりも控えめな薔薇色の唇が、うっすらと開かれる。

「……カイル様、少し、よろしいでしょうか?」

 彼女の伏せられた目は、躊躇いがちな口調のままだった。

 カイルは眉根を寄せ、頷いた。



 人の少ない、バルコニーの手すりに沿って二人並ぶ。

 一見恋人同士のようで、よく見れば青年の様子は異性との逢瀬を感じさせないものだった。

 バルコニーまで来たはいいが、カレンはずっと唇を引き結んだまま俯いていた。

 いつものしっかりとした彼女からは想像つかない姿に、カイルはますます眉間の皺を深くする。

「……カレン?」

 口火を切るように幼馴染の名を呼ぶ。

 本来ならば、時間の許す限りで、彼女の時機タイミングで話してもらうべきだろうが、今はエステルを待たせている。彼女になにかあるとも限らないと思えば、心は焦れる。申し訳なさを心に抱きつつ、視線をやった。

 カレンは静かに顔を上げ、まっすぐ庭園を見つめる。どこか心を決めたような目をしていた。

「あ」と、カイルはピリピリと感じる緊張感を解こうと、試みる。

「この会場から一番近い――庭園の東屋に、エステルが待っているんだ。会っていかないか?」

 張りつめた空気を払拭するために言ったつもりだった。

 しかし、カレンの体はビクリと震えた。彼女の欄干に置かれた手が、ぎゅっと握られる。

「エステルの、こと……なんです」

 カレンは、語り部のように言葉を紡ぐ。

「……エステル?」

 目を丸くして、カイルが庭園に向けていた視線をカレンに移す。

 頷いた彼女の表情は、無といっていいものに変わっていた。

「……エステルの家で――クラーク男爵邸で、見たんです」

「なにを?」

 不吉な予感に、カイルの声は硬質なものに変わる。その変化に、カレンは戸惑いと共に視線を落としたが、すぐ戻した。

「エステルが、従僕と一緒に……個室から出てきたところを」

 恐る恐るといった風に、カイルへと首を回らす。おそらく、彼女はカイルが絶句しているか、憤怒の色に顔を染めていると思ったのだろう。

 けれど、カイルはカレンの予想を裏切った。

「見間違いか、なにか用事があったんだろう」

 あっけらかんと、青年は答えた。そこには、婚約者への信頼が窺える。

 カレンはわずかに柳眉を寄せる。

「……従僕は、エステルの腰に腕をまわしていました」

 どこかきつい物言いに変えて。

 だが、一瞬にしてカレンは口を噤んだ。

「――カレン、なにが言いたい?」

 訝るような、苛立たしげな、威圧的な灰青の瞳がカレンを射貫く。声は、地を這うように低かった。

 怒りよりも、表情のないその様がカレンに異様な恐怖を抱かせる。彼女は強い視線に耐え切れず、目を逸らして呟いた。

「……そうね。エステルは、そんなじゃないわね」

 続けて、取り繕うようなおどけた笑みを浮かべ、「ごめんなさい。きっと勘違いだわ」

と謝罪を口にする。

 けれどカレンは、直後に眉尻を下げた。泣くように歪められた表情は、それでも苦さの残る微笑。悲しさだけではないなにかが混じるのに、カイルにはそれがなにかは判じられない。

「――でも、わたしにとって、エステルだけじゃなくカイル様も大切な幼馴染なの」

 その言葉を残し、カレンは踵を返した。

 カイルはただ、顔を顰めて後ろ姿を見送った。

 覚えたのは、違和感。エステルが熱を出して寝込んだ日、抱いたのと同じ感覚。

 気づいたけれど、どうしたらいいのかわからなかった。エステルを信じているのだから、それでいいと思った。

 ゆえに、カレンへの違和感や不信感を心の片隅へと追いやってしまった。

 ――それでも、今この時、エステルの様子が気になるのは、どうしてだろうか。

 疑問を抱きながら、カイルはエステルの待つ東屋へとそのままの足で向かう。疑っているわけではない。けれど、駆けていた。


 どんどん暗くなっていく庭園。会場の光が、少しずつ減っていく。

 草の上を走る音。身を潜めるような人影。壁のような生垣。進めば進むほど、花の香りが強くなっていく。

 そうして、新たな明かりの灯る場所に抜けた。

「――カイル様、お疲れ様」

 足音に気づいたエステルが、椅子から立ちあがって出迎える。

 淡い光に包まれた東屋が、まるで別世界のように感じた。

 カイルは心にやすらぎを感じる。彼女の、目を細めて穏やかに笑む姿に、カレンの言葉はすべて誤解だと確信した。

「カイル様?」

 カイルの様子に首を傾げたエステルに、青年は安堵しながら口元を綻ばせる。

「ただいま、エステル」

 そう口にして、東屋へと足を踏み入れた。



 それで、すべて終わったと思っていた。

 自分が信じていれば、なんの問題もないと――この時は思っていた。




***   ***   ***




 しかし――その舞踏会から少しの時が経った頃。

 ハーシェル侯爵家に、一通の手紙が届く。カイルに宛てられた、カレンからの手紙。


 それは、エステルが不貞を犯している、というものだった。



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