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侯爵様の好敵手  作者: えんとつ そーじ
三章 そうして、手放した
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 4

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 ――宝物は、誰にも奪われないように、傷つけられないように……自分しか知らない場所に仕舞いたい。

 その感情は、独占欲といっていいだろう。

 しかし、カイルの宝物はエステルだった。

 物ではないから、仕舞いたくとも仕舞えない。どの道、”笑っていてほしい”と願うカイルには、そうできなかったけれど。

 ――大切だった。

 ――だから、どれだけでも甘やかしたいし、守りたいと思った。

 ――誰からも、何からも。自らの手を血に染めたとしても、身が地獄に堕ちたとしても、守りたいと願った。

 ――傷つけるものが、たとえば自分だというならば。

 カイルは、自分自身からも守りたかった。




***   ***   ***




 外は夜の帳がおり、すっかり闇色に染まっているのに、そこは光を放っていた。

 社交と享楽のための場所は、水面下で欲望と権力闘争が渦巻いている。

 舞踏会場は主催者の趣味趣向が表れるが、どうやら今回の舞踏会主催者は芸術品を好むのか、会場や回廊は絵画や宝飾品で溢れる。

 会場まで続く回廊の壁には油絵が飾られ、ところどころに昔使われていた骨董品の鎧や宝石の埋め込まれた剣が展示されていた。

 そうして目を奪われながら舞踏会場へと歩を進める。

 目的地に着けば、今度は過度な豪奢さはない、けれど円蓋の天井には宗教画が描かれた神々しささえ覚える会場の煌びやかさに目が眩んだ。

 その絵を見上げる。技法のせいか、まるで描かれた空が本物で、どこまでも空間が続くような、地に立っている自分の平衡感覚を失うような、そんな感覚に襲われる。

 呑まれそうな雰囲気に一息つくことで心を宥め、正面を見据えた。美しい会場ではあるけれど、ここは心理戦渦巻く戦場とも言えるのだ。気を引き締めねば、あっという間に食われてしまう。

 ぐっと拳に力を入れ心を決めると、昼間と見紛うばかりの光の中へと婚約者を伴ったカイルは一歩踏み出した。


 カイルの腕にそっと手を添えるエステルは、緊張しているのか、笑みがどこかぎこちない。

 ちらりと視線だけで見下ろせば、うっかり笑いそうになって、カイルは空いている手で口元を抑えた。

「……どうしたの?」

 上目で見つめるエステルは不思議そうに首を傾げる。それにカイルは、「いや」とだけ答え、肩を震わせ続けた。

 おそらく、本当のことを言えば、エステルは膨れるかもしれない。

 淑女として成長した彼女の、けれど子どもらしい内面が貴族社会の汚れた部分を拒絶するのだろう。そしてそんなエステルだからこそ、ずっと変わらず待っていてくれたのだと、カイルに安心感を与える。ただ、そのせいで、彼女が貴族社会に馴染むことは難しいだろうが。

 紅のカイルの外衣は、ハーシェル家の紋章色。隣に並ぶエステルのドレスは、淡紅。一目で二人が関係者であるとわかるよう、そう取り計らった。

 そうして、二人でハーシェル一族やクラーク家の親族、ハーシェル家と思想を同じくする貴族らに挨拶まわりをする。

「カイル殿、お久しぶりです」

 そう声をかけてきたのは、ハーシェル一族を支持する伯爵だった。

 カイルは愛想笑いを浮かべて礼をとる。

「お久しぶりです、伯爵。お元気そうでよかった」

 伯爵と会ったのは、カイルの父に招かれた彼がハーシェル侯爵家へ訪れた時以来だったか。それはカイルが従騎士として城へあがる前だから、十年以上前のことだ。

 思い起こせば、記憶の片隅にある伯爵の姿よりも少しばかりふくよかになっている気がした。

 恰幅のよい伯爵の傍には、白に一滴程度赤を落としたような、エステルの着るドレスよりも淡い色合いのドレスを着た娘が控える。

 伯爵は娘の背を押すようにして、カイルの前に立たせた。

 頬を染め、俯き気味の娘。まだ幼さが残る彼女は、窺うように上目遣いでカイルを見つめながら、栗色の髪を揺らしてドレスをつまんだ。貴族として躾られた、しなやかな動きだった。

「初めまして、カイル様」

 娘の小さな声の直後、伯爵が苦笑しながら代弁する。

「娘のアイリーンです。この通り、恥かしがり屋でして……申し訳ありません」

「いえ、お気になさらず。かわいらしいと思いますよ」

 その言葉に、エステルがカイルを見上げたが、彼の表情は外向けの笑みに他ならない。それは、エステルがいつも目にするものとは全くの別物であった。

 エステルの視線に気づいたカイルは横目で彼女を見やると、腰に腕をまわした。拍子に、ビクリ、とエステルが身を震わせるのがわかる。

 初心な反応すら愉しむように、カイルは表情を嬉しそうなものに変えた。

「伯爵、アイリーン嬢、ご紹介します。婚約者のエステルです」

 そして伯爵と娘は、視線をエステルに向ける。その顔は、驚きと怪訝に満ちていた。

 やがて困惑するように、二人は視線をカイルへと戻す。

「……あの……」

 眉を顰めた伯爵に、カイルはエステルの拘束をとく。

 彼の意図を読んだエステルは、呆然とする二人へと、礼をとった。

「初めまして。エステル・コーネリア・クラークと申します」

 照れるように微笑んだエステルだったが、突如としてアイリーンは紅を塗った唇を噛む。

 その理由を、カイルは察している。ハーシェル家に取り入ろうとする貴族たちは皆、年頃の娘がいればカイルの妻に、と考えていたのだ。

 おそらく、娘もそのための教育を受け、いずれカイルの妻になるのだと洗脳のように教え込まれたのだろう。

 他に考えられるのは、アイリーンの家格である伯爵家よりも、クラーク男爵家の家格の方が低かったことに、矜持が傷つけられた可能性も捨て切れない。

 もしかしたら、そのどちらも、かもしれないが。

 アイリーンはにこりとエステルに微笑みかけたが、その瞳が凍てつくように冷たいことが、少なくともカイルの推測のどちらかには当てはまっていると証明していた。

「エステルともども、よろしくお願いします」

 カイルの声に気を取り直した伯爵は、口髭をいじりながら口角を上げる。それは、試すような厭らしさを含む。

「こちらこそ。それにしても、カイル殿に仲睦まじいお嬢さんがいたとは知りませんでした。――もう、夜明けを共にしたのですか?」

 卑俗な言葉を吐いた伯爵の視線は、エステルに向けられていた。彼女に対して、なのだろう。貶める言葉は、エステルが是とも非とも答えたとして、平然と対応すればまるで売女のように噂され、しかし意味が通じなければ、閨についても学ぶ淑女としては教育不十分、学のないつまらない小娘だと蔑まれる意味合いを持つ。

 馬鹿馬鹿しいほどに卑しいやり口は、伯爵が娘を想ってのことだとも思うが、カイルにとっては気にいらない。

 目を眇め、口を開こうとした時。エステルの言葉がカイルのそれを遮った。

「いえ、あのっ。……そういったことは、誓いをたててからでなければ……」

 言葉は尻つぼみになっていった。が、その意味はカイルも、伯爵もアイリーンにも通じただろう。

 顔を真っ赤にして、紫の瞳を潤ませながら必死に答えた発言は、正直なところ、場の空気を読んではいない。

 しかし、それでよかったと、カイルは思う。

 つい噴出したカイルを咎めるように、エステルは勢いよく振り向く。非難する視線をカイルに浴びせながら、けれどエステルは人前ということもあって眉宇を顰めただけで済ませた。

 一瞬にして空気が変わり、これ以上皮肉を口にすれば己の立場が危ういと察した伯爵は軽く溜息をつく。呆れのような、諦めのような色が溜息には含まれていた。

 ついで、恭しく礼をとる。

「それではカイル殿、まだ挨拶が終わってはおりませんので、私はこれで失礼します。アイリーン」

 踵を返した父伯爵に続き、アイリーンも衣を翻した。

 去っていく後姿を見届ける。

 すると、エステルがぽつりと呟いた。

「……怒らせちゃったかしら」

 どうやら少し落ち込んでいるらしい。自分でも発言の失敗に気づいているようだが、カイルはエステルの頭を軽く叩いて慰めた。

「……カイル様?」

 不安そうに見上げるエステル。カイルは悪戯に成功した子どものように口端を上げた。

 目を丸くした彼女に、目を細める。

「よくできました」

「え?」

「先に不躾な質問をしたのはあちらだ。気にすることはない」

 ――それに、ハーシェル家の力にあの伯爵が刃向かえるはずもない。

 続く言葉は、心の中で囁く。

 そも、伯爵は娘をつかってでもハーシェル家の力がほしかったのだ。古い血統と、王族や上位貴族からの信頼、そして財と権力。それらを取り込むには、婚姻によって密接な関係になるのが一番容易い。

 エステルのように。

 彼女は、ハーシェル家に取り入ろうとはしていない。だが結論として、ハーシェル家に嫁ぐことによってクラーク男爵家は資金において援助され、立場においてもこれまでより遥かに優遇されるようになるだろう。

 カイルがエステルを溺愛していることを思えば、エステルが目論めばハーシェル侯爵家を思うように動かせる可能性すらある。

 それが、貴族の世界なのだ。

 ――知っている。知っているが、カイルにとって価値観が重なるエステルの存在が救いだった。

 貴族の世界を知ってなお、自らの身を落とすことなく、傍観する彼女。

「ありがとう、エステル」

 婚約者の耳元で囁きながら、抱き寄せる。

 息を詰めたエステルの気配がしたけれど、やがて彼女はカイルに身を任せた。

 カイルは目を閉じる。

 本来は面倒でしかない挨拶まわりだった。舞踏会への参加すらも、できることなら拒みたい。だが――今のカイルにとって、それらさえも夢見ていたことだった。

 隣に並ぶ権利。夢見ることも許されていなかったカイルにとって、ずっと求めていた願い。

 自然と頬が緩む。

 エステルは知らないだろう。カイルが”カイル”でいるには、エステルが必要であることを。ただ一人、世界とカイルを繋ぎとめた存在であることを、彼女がきっと知る事はない。

 再び瞼を押し上げる。

 そこに覗いたのは、力強い眼差しの灰青の瞳。

 ――ハーシェル家の名を知らしめ、伝手をつくる。

 そのために、カイルは騎士となり、夜会に参加した。その目的の達成も、もうすぐだ。

 銅色の髪に顔を埋めて口付けた彼は、会心の笑みを浮かべた。




***   ***   ***




 一通り挨拶が終わり、カイルは控えていた給仕に声をかける。

 頼んだのは、屋外でも飲めるよう紅茶の用意だ。

 そうして、エステルを伴って庭園におりた。

 舞踏会場からの光が届く、そうは離れていない東屋。庭園の至るところに明かりが灯されているため、夜でも咲く花を愛でることができる。

 しかし、夜の庭園は、夜の闇に身を潜める隠秘と背徳感、日中とは違う、花が魅せる妖艶さに紛れての色事に溺れる場でもある。

 ゆえに、奥までは行かず、皆の避ける人目のつく東屋を選ぶ。


 ふと気を許せば、静かな暗闇の世界に浮かぶ光と薔薇の香り、その雰囲気に呑み込まれそうになる。酒は口にしていないが、空気に酔ったのかもしれない。

 東屋は石造りで、座ると布越しでも冷たさをわずかに感じさせた。

 そこでしばらく、軽く会話をしながら給仕を待つ。

「疲れただろう?」

 向かい席に座るエステルを眺めながら問う。

 エステルはさっと視線を逸らして、首を横に振った。

「いいえ、まだ大丈夫です」

 そうは言ったが、挨拶まわり終盤の彼女はどこか歩き方がぎこちなかった。疲労の色も顔になんとなく表れている。

 カイルは「へぇ」と片眉を上げ、立ち上がった。

 そんなカイルを見守っていたエステルは、やがて自分の隣に膝をつく彼を見下ろす。

「……カイル様?」

「エステル、ちょっと失礼する」

 どことなく硬い口調のまま、カイルはドレスの裾から覗く、細い足首まで手を伸ばす。エステルが「え」と呆気にとられているうちに、彼は足首を自身の目線まで引き寄せた。

 あわてたエステルは顔を紅潮させながら体の向きをかえる。そのままでいたとするならば、脚を大きく開いた状態になってしまうからだ。

「かっ、カイル様!?」

 エステルは驚きながら体を強張らせた。

 一方、カイルは事もなげにエステルの靴を脱がす。そうして、顔を顰めた。

「やっぱり」

 目を泳がせたエステルは、気まずそうにそっぽ向いた。

 カイルは咎めるようにエステルを見上げる。

「靴擦れしてる。結構酷いな……。なんで言わなかったんだ」

「別に、我慢してたとかじゃなくて……」

 口ごもらせるエステルに、カイルは溜息を吐く。拍子に、エステルは肩を震わせ、カイルの顔を窺い見た。まるで、子が親の顔色を窺う様な、怯える小動物のような顔で。

「ごめんなさい」

 謝ったエステルに、「怒ってるわけじゃない」と、苦笑する。事実、怒っているわけではなかった。ただ、もっと早く気づけなかった自分を不甲斐なく思っただけだ。

 足首を親指の腹でなぞれば、エステルはビクリと体を震わせた。

「カイル様っ?」

 そんな初心さがほほえましい一方で、どこかもどかしさも覚える。

 二人きりで庭園にいる現実は、欲望に駆られそうになった。

 手触りのいい、しっとりとした肌。その温かさは、エステルが幻ではないのだと教えてくれる。

 従騎士時代、何度夢みたことだろうか。こうして、肌に触れたいと。

 溜息を再度吐きそうになり、今度は呑み込んだ。

 ついで睫毛を伏せ、ぎりぎり許されるだろう行為に身を任せる。それは、足首に唇を寄せ、所有痕を残す行為。

 エステルの視線からは、おそらくよく見えないだろう。それで、いい。

 ちゅ、と吸い付く音が夜の空気に溶ける。

 驚愕に、エステルは硬直し、戦慄く。

 カイルが唇を離せば、そこは赤く色づいた。ハーシェル家と同じ赤。そして、カイルが刻み付けた独占欲。

 それに満足して、エステルを上目で見つめながら満足気に口角を上げれば、彼女は口を開けたまま耳まで真っ赤に染まってた。



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