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侯爵様の好敵手  作者: えんとつ そーじ
三章 そうして、手放した
14/33

 3

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 足音がした。徐々に近づいてくる音に顔を上げ、カイルは扉へと視線をやる。

「カイル様?」

 エステルの問う声に、返答した。

「足音が近づいてくる。誰か見舞いに来たのかもな」

 ――”誰か”。

 そういいながら、粗方の予想はついている。エステルは交友関係の幅が広くはない。貴族社会が苦手な彼女は、カイルに伴って舞踏会へ参加はするが、その華やかな世界に積極的に飛び込むことはなかった。

 そも、エステルが舞踏会に参加する娘たちと話題が合うことは少ない。土いじりと菓子づくりが趣味という彼女。他方、社交界の乙女たちの興味は、いかに美しさを磨き、口説くか、口説かれるか。あの男性は素敵だった、という品評。購入した宝飾品や新調したドレスについて、会話の花を咲かせるのだ。

 ともすれば、来客は想像するに容易い。

 エステルが少し身体を起こして、扉を見つめると、それは叩かれた。ついで、開かれ現れたのは、カイルの予想した人物であった。

 鮮やかな赤い薔薇色の髪を持つ、艶やかな友人 カレン。

「エステル、体調はどう?」

 彼女は金茶の瞳に心配の色を浮かべ、首を傾げた。

 カレンも、カイルの記憶する姿よりも遥かに成長していた。多くの異性が好むだろう豊満な胸と細い腰、しみ一つない白い肌。肉食動物のようにしなやかで妖艶な姿は、誰が見ても彼女を美しいと評するだろう。

 そんなカレンであるが、カイルとエステルにとっては姉や妹のような存在だった。

 エステルの枕元に置かれた椅子に座るカイルに並んだ彼女は、硝子皿を青年に渡す。

 手にしたそれを見下ろした彼は、確認するように呟いた。

「……すりおろしリンゴか」

 再びカイルがカレンへと視線を戻せば、カレンはドレスをつまんで礼をとる。貴族然とした、軽やかできれいな所作だった。

「お久しぶりです、カイル様。エステルのお見舞いですか?」

「ああ、久しぶりだな、カレン。畏まらなくていい」

 なんとはなしにそう答えると、なぜかカレンは呆れたかのように嘆息した。

「相変わらずですねぇ」

 皮肉のような、どこか悪戯めいた笑いを浮かべるカレンに、カイルは顔を顰める。

 言葉の意味がわからずカレンを見据える。

 すると、カレンはぼんやりとしていたエステルの首に腕を絡ませ、嫣然とした笑みを見せた。

「カイル様の甘い微笑はエステル限定ですもの。ねぇエステル、わたしも友達よ。仲間はずれにしちゃダメってカイル様を叱ってやって。――て……あら、眉間に深い皺が刻まれてますよ? カイル様。ふふ、うらやましいんでしょう」

 苛っとした拍子に、カイルの片眉がピクリと動く。文句を言うほど幼くはないが、正直おもしろくない。が、それを口にするのはなんとなく悔しいため、別の言葉を告げた。

「エステルは熱があるんだ。放してやれ」

 カレンは目を丸くしながら「え? 熱??」とエステルを見下ろす。

 知らなかったのか、と怪訝に思ったカイルに、しかしカレンが訊いた。

「木から落ちて捻挫したのでしょう?」

「は?」

 今度はカイルが首を捻る。どういうことだろうか、とエステルへと首を回らせば、彼女は居心地悪そうに視線を彷徨わせた。

「エステル?」

 思わずエステルの名を呼べば、それはカレンの声と重なる。

 まるで問い詰めるような形になり、エステルはついに俯いた。その顔にはありありと「気まずい」と書かれている。

 ついに沈黙に耐え切れなくなったのか、エステルは白状した。

「えーっと……カイル様が帰ってくるから、リンゴを差し入れようと思って」

「それで、なんです?」

 カレンが促す。

「庭園のリンゴの木に登ってリンゴをとってたら」

「なぜそこで登るんだ。使用人に頼めばいいだろう」

 カイルが突っ込む。エステルは口の中でもごもごと言い訳を続けた。

「それは……自分でとりたかったから……」

 尻すぼみになっていく言葉に、カイルは長い溜息を吐く。エステルの発言は、カイルのための行動、ともとれるから、嬉しい。――嬉しい、が。手放しで喜べるものではなかった。

「で、落ちて怪我して、熱がでたってことか」

 確認するように問うと、エステルはこくりと頷いた。

「心配かけて、ごめんなさい……」

 どうやら、自分の落ち度だとは気づいているらしい。

 これ以上詰め寄るのも、病人にはいけないだろう。カイルは苦く笑って受け流すことにした。男爵に挨拶した際、エステルに対して少し呆れ気味だったわけがようやくわかった。

「今後気をつけるのよ」

 カレンが姉のように叱れば。

「頼むから、自分を大切にしてくれ」

 カイルは願った。

「はい。以後気をつけます」

 眉尻をさげて弱弱しく笑んだエステルを見届け、さて、とカイルは手に持っている硝子皿のスプーンを取り上げる。そのスプーンですりおろしリンゴを掬って、エステルの口元へ運んだ。

「エステル、口をあけろ」

 それまで、しゅん、と落ち込んだ素振りを見せていたエステルが、途端に顔を赤く染めた。熱のために朱がさす顔が、さらに真っ赤なリンゴように色づいた。

 しばらく無言だったエステルが、下から覗きこむようにカイルの顔を上目づかいでみやる。

「えぇと、あの、自分で……」

「ダメだ。病人には任せられない」

「私、そこまで悪く……」

 恥ずかしいのか、エステルは固辞する。

 カイルからしてみれば、ずっと離れていたのだから、少しは甘えてほしかった。寄り添う時間がほしかった。依存してほしかった。

 本当に婚約者の存在を渇望しているのは、カイルなのかもしれない。

 なんとなく、そう思ったから――必要としてほしかった。

 カイルが寂しそうに笑む。

 焦ったようにエステルがカイルの名を口にした瞬間。その唇の隙間から、スプーンを入れた。

 驚きに首を竦めたエステルだったが、次第に口元を綻ばせる。その様子に、カイルは蕩けるように微笑んだ。

 無理やりだったとわかっている。それでも、エステルを構いたくて仕方なかった。

 余計な世話かもしれないけれど、自身の行動で好きな人が笑えば、たまらずカイル自身も嬉しくなる。胸が疼くような感覚。幸せを実感する瞬間。

「エステル、もっと頼ってくれていい。これからは傍にいるから。今までいられなかった分も」

 そう言ったが、本当は、カイルこそが頼られたかった。傍にいたかった。――今までいられなかった分、もっと。

 それを口にできなくて、遠まわしに伝えた言葉。

 だが、エステルは口をひき結んだ後、涙を零す。手で拭おうとした彼女自身の手を制し、カレンが手巾で拭いながら言った。

「エステルの負けね。さ、カイル様の手ずからたべさせてもらいなさい」

 涙を拭き終えたカレンが身を引くのを待って、カイルは再度リンゴののったスプーンを差し出す。

 今度は抵抗することなく、頬を染めてエステルは口に含む。

 そうして彼女が満面の笑みで紡いだ言葉は、「ありがとう、大好き」というものだった。




***   ***   ***




 しばらくして、エステルが眠りについた頃、カレンは「お先に」と退室した。

 彼女に用事があったのか、二人きりにさせようという気遣いなのかはわからないが、カイルはただ頷いた。


 エステルの額の手巾を、もう一度洗面器につけ、よく冷やしてから再びのせる。

 幸せそうに眠る彼女は、無防備だった。

 カイルは枕に流れる銅色の髪を、指に絡める。さらさらと指の隙間をすり抜け、その様に寂しさを覚えた。

 エステルも、カイルのもとをすり抜けて行ってしまうのではないか。そんな不安から、今度は頬に触れる。しっとりと吸い付くような肌は、熱い。その感覚に、今、本物のエステルが目の前にいるのだと実感がわく。

 静かにエステルの寝息を耳にしながら、そうして見つめていたが、それだけでは足りない、という欲望が胸を渦巻いていた。

 ずっと、気づかないようにしていた。

 抱きしめたい、自分だけのものにしたい、という欲求。

 視線は、紅に色づいた唇に吸い寄せられる。

(……口づけたい)

 思わず喉が鳴りそうになって、視線を逸らすことでやり過ごす。

 目元を手で覆い、欲情を沈めようと瞑目した。

 大切な大切な婚約者。欲望は募るが、それ以上に――大切にしたかった。

 だから、銅色の髪を一束掬い、口づけを落とす。

 熱のこもった灰青の瞳がエステルの唇に再び向けられた時。

 運がいいのか悪いのか、扉が叩かれる音が室内に響いた。

 拍子に、カイルの肩はびくりと震える。やましいことはしていないが、心の内を咎められたかのような気がしたのだ。

「どうぞ」

 エステルのかわりに入室を促す。現れたのは侍女だった。洗面器を持っている、ということは、水の取替えに来たのだろう。

 カイルはそれをいいことに、しばらくエステルの世話を侍女に頼むことにした。

 色欲に塗れた状態で、眠るエステルを前に大人しくしていられる自信がなかったのだ。

「庭園に降りてくる」と言い訳して、気分転換をはかろうと部屋を後にした。




***   ***   ***




 カイルが庭園につながる廊下を歩いていると、人影が窓の前に立っていた。

 横顔と紅の髪から、遠目でもそれがカレンだとわかる。

 窓辺で外をじっと眺める彼女は、思いつめるような暗い雰囲気を漂わせていた。

「――カレン?」

 声をかける。

 驚いたのか、身体をびくりと揺らし、反射的にカイルへと振り返った。目を見開いた顔は、なぜか、その日見た、カレンの素の表情にも感じる。

 訝りながら歩み寄る。

 カレンはいつものように優雅に笑んで、身体ごとカイルと向かい合った。

「――カイル様」

 なにかを口にしようと、紅の塗った唇を動かしたカレンであったが、躊躇うように口を閉じた。

 カレンは、はっきりと物言いする性格である。貴族としての教育はされているため、無作法では決してない。しかし、自分の思ったことは失礼にならない程度には言葉にする。淑女の中でも、気の強い方だろう。

 そんな彼女が言葉を詰まらせるのは珍しい。

 カイルが見守っていると、カレンはまた窓の外を見やった。普段、人の目を見て話すカレン。どうも様子がおかしい、とカイルは内心首を捻る。

 どこか遠くを眺めながら、カレンは言葉を紡いだ。

「……幸せって、複雑なものね。ある人の幸せは、愛。でも、またある人は名誉や財。互いに価値観が合わないと、幸せになるのは難しいんです」

 カイルは眉根を寄せた。カレンの言葉に、違和感を覚える。

 それでも、彼女が続ける言葉に、黙って耳を傾け続けた。

「でも、カイル様とエステルは、見事合致した。二人が幸せだって、わたしにも伝わってくるわ」

 目を伏せながら、口端を上げたカレンだったが、その表情は物悲しさが滲んでいる。

 さすがに様子がおかしい、と確信したカイルは、問いかけた。

「なにかあったのか?」

 けれど、カレンはふふ、と苦笑を返す。

「なんとなく、そう思っただけよ?」

 次の瞬間には、それまでの影を嘘のように払拭して、カレンが艶やかに笑って礼をとる。

「じゃあ、わたしはこれで失礼します」

 そう言い残し、彼女は踵を返した。

 カイルはただ訝りながら、その後姿を見送った。




 ――違和感を覚えつつも、カイルはそれを見過ごしてしまった。

 つきとめようともしなかった。

 それは、小さな波紋だった。

 だが、やがて大きな渦になることを、この時はまだ、気づいていなかった。



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