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侯爵様の好敵手  作者: えんとつ そーじ
三章 そうして、手放した
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 ――エステルを守るために、強くなる。


 それが、カイルの目標であり願いだった。

 カイルのいる世界は、エステルとは違う。その事実について、身をもって思い知ったのは、エステルと、彼女の両親とともに過ごした時だった。

 エステルの両親である男爵と夫人は、カイルの両親とはまるで異なる。

 幼い娘を慈しむように見守り、微笑む。貴族としての在り方ではなく、親としての親愛に満ちていた。

 貴族としての矜持と、貴族の純血ともいえる一族を存続させることしか考えていない、カイルの両親とは似ても似つかない。

 カイルにとって、憧れの場所だった。その一員になれることを夢みつつも、カイルにその選択肢はない。侯爵家嫡男として、ハーシェル家を継がねばならないのだ。

 そして、その醜い世界に、エステルを引き込んでしまった。


 何度、後悔と罪悪感に苛まれただろう。

 それでも、カイルにとって、エステルはなければならない存在だった。

 エステルはカイルが身を置く世界を――ハーシェル一族の醜態を知らない。

 エステルが貴族の世界を好ましく想っていないことを、カイルも察している。けれど、それでも手放せなかった。

 ――いつか、エステルは壊されてしまうのだろうか。

 不安が過ぎる度、必ずエステルを守り抜こうと誓った。

 そのために、騎士になる道を選んだ。王宮で伝手をつくる。自分で身につけた味方と力は、きっとエステルを守るための手段になる。そう信じて。


 エステルの身体だけではなく、心も守るのだ。彼女がハーシェル一族に、貴族に、刃を向ける誰にも傷つけられないように。




***   ***   ***




 寒さが和らぎ、花が綻ぶ季節。

 齢二十になったカイルは、正式な騎士として国に登録された。


 騎士叙任式を経て、新人騎士らは各々の道を歩んでいく。




 城門の裏口には、多くの豪奢な馬車が並ぶ。

 それらは皆、騎士となった後、領地へ帰る者らの迎えだ。その証拠に、馬車にはさまざまな紋章が記されている。

 しかし、馬車のほとんどは城門から去ることはしておらず、現在待機中。

 城の騎士として残る同期らとの別れを惜しんでいるから。


「帰るのか……。なんか寂しいな」

 苦笑しながら頬を掻くジョエル。騎士見習いの衣服から真新しい正式な騎士のものに装いを切り替えた彼は、服がまだ身体に馴染んでいないようだ。

 帰還のために、紋章色である紅の外衣を纏ったカイルは、そんなジョエルに笑みを返す。

「ありがとう、ジョエル。楽しかった」

 微風が吹き、カイルの黒髪を揺らす。拍子に、灰青の瞳がはっきりと覗いた。

 そこにわずかな寂しさと、確かな希望が垣間見える。

 ジョエルはカイルの幸せそうな表情に、目を細めた。そうして、吐息をつきながら口端を上げる。困ったような、安堵したような笑みだった。

「幸せそうだね」

 思わぬ言葉に、カイルは目を丸くする。

 帰還できることに喜びはないが、エステルとの未来が近づいていることに、胸が高鳴るほどの期待を、希望を寄せている。それがまさか傍目にわかるとは思わなかったのだ。

 見抜かれるほど共にいた、親友。気づけば、そんな存在になっていた。

 気分が清々しい。王宮にきてよかったと、心から思った。

 ゆえに、カイルは表情に嬉しさを滲ませる。

「ああ。……ジョエルに逢えて、よかったと思う。心から」

 今度はジョエルが目を見開く番だった。彼は、それまでの表情を改め、無を顔に浮かべる。呆気にとられているようだ。

「ありがとう。――元気で」

 カイルが右手を差し出した。

 我に返ったジョエルは、真っ直ぐカイルを見つめる。

「……君を、王宮騎士にと惜しむ声はたくさんある。いつでも戻っておいで――って言うつもりだった」

 ついでジョエルが浮かべたのは、完敗を示す笑み。

「必ず会いに行くよ。その時は、エステル嬢と共に出迎えてくれ」

 交わす握手は、力強いものだった。出逢った当初は、まだ子どもの手だった二人の手のひら。初めて握手した際も、それは細くか弱いもの。だが今は、互いに剣だこで硬くなり、大きさも大人の男のものとなった。

 また、いつかの再会を信じ、二人は手を離す。

 そしてカイルは衣を翻し、馬車へと向かう。

 途中、好敵手ともいえるセシルを見かけ、彼とその友人の別れに、(セシルも王宮に残らないのか)と頭の片隅で思った。


 この時はまだ、カイルはジョエルとの約束が果たせると、信じて疑わなかった。

 セシルと好敵手ではなく、天敵になるとも――まだ、知るよしもなかった。




***   ***   ***




 カイルが領地に着いた時、既に白詰草は花を咲かせ、最盛期を迎えていた。

 ハーシェル侯爵邸までの道のり、カイルは馬車の窓から外を眺める。道端には、白詰草が咲き誇り、道をささやかながらも華やかにしていた。

 ほっと肩の力を抜き、目を閉じれば、瞼の裏にはエステルと見た花を思い出す。

 白詰草は、カイルとエステルの思い出の花だ。

 白い草原、と呼ばれる野原でエステルと出逢い、約束を交わした。その、誓いの証。

(出逢ったのも、今の季節だったな……)

 まどろむように、薄く目を開け、白く彩られた道を懐かしみ眺めた。



 それから、一刻もしないうちに邸へと到着する。

 出迎える使用人。

 軽く挨拶を交わしながら、父侯爵の部屋へと向かう。

 回廊で出会った母。久しぶりの再会だった。

 母とは長らく顔を合わせていなかったが、相変わらずのようだ。

 歳の割りに老け込むことなく、目尻に皺をつくりながらも清楚で可憐な容姿。

 しかし、カイルはその本性を知っている。

「おかえりなさい、カイル」

 そう言った子想いの母は、夜になれば魔女のように若い男を誘惑する。その紅の唇を妖艶に歪ませる様を、カイルはいまだに忘れることはない。

 冷える心。

 無意識に目を眇め、「ただいま戻りました」と素っ気ない言葉を告げて、母子の会話を終わらせた。

 母の驚く表情に、嘲りたくなる。今までカイルが、言うことのきく、できた息子を演じていたのだと、今この時に――今更気づいたのだろう。

 しかし、カイルはもう、容赦するつもりはない。

 エステルに牙をむく可能性があるものは、排除していく。エステルが邸に来る前に、獣らの牙を抜く必要がある。そのためには、戦意を喪失させることくらい他愛もない。これまで築き上げた理想の息子像も、木っ端微塵にする。

 母にどう想われようと、カイルにはどうでもよいことだった。彼女の存在は、現在のカイルにとって、それくらいの存在価値でしかないのだから。


 足早に進み、父侯爵の部屋の前に立つ。

 気持ちを落ち着かせるため、一度だけ深呼吸して、扉の向こうを見据えた。

 ついで、扉を叩く。

「入れ」という声は、カイルのよく知る父のものだ。

 扉を開け、一歩中に入る。

「お久しぶりです」と、挑むように父の灰青の瞳を見つめた。

 扉を閉め、まっすぐ執務机の前まで歩む。

 執務机に向かう父は、険しい表情でカイルを見上げた。

「……戻ったか」

「はい。その報告に参りました。これから、結婚の準備に入ります。そのおつもりで」

 傲岸に笑んで見せた。自らが格上だと示すように。――これは、下克上だ。

 ともすれば、父侯爵は苛立ちに眉根を寄せながら、重く告げた。

「……好きにしろ」

 言葉を確かに聞き届け、カイルは深く一礼する。その顔には――会心の笑みが浮かんでいた。


 その後すぐ、カイルはエステルと男爵へと手紙を送る。

 無事、帰還したこと、挨拶に行きたいという旨をしたため送った文の返事が届いたのは、それから半月後のことだった。

 返事には、二人からの了承と、楽しみにしている、という内容が記されている。

 白詰草が終わる季節、カイルはエステルとの再会に、こぼれるような満面の笑みを浮かべた。



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2012.8.23 誤字修正(「紋章色である群青の外衣」→「紋章色である紅の外衣」)

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