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侯爵様の好敵手  作者: えんとつ そーじ
二章 幸せな記憶、崩壊の種
10/33

 9 (2011.9.6)




 カイルはそれまで読んでいた便箋を、ぐしゃりと丸めた。

 机に向かい、父侯爵から届く赤い印が押された手紙を読むのは何度目だろうか。カイルが王族の令嬢との縁談を拒んでから、幾度もそれは届けられた。そしてその度にカイルは毎度拒絶の返答を示す。

 いい加減、諦めればいい。双方の望みも思考も違うのだから、不毛なやりとりでしかないのだ。

 そうは思うのに手紙を返すのは、父侯爵の承諾がどんな形でもなければエステルと婚約できないからだった。

 ――もしくは、父侯爵から爵位を奪いとるか。

(……いや、駄目だ)

 カイルは首を振り、悪夢のような誘惑を払拭しようとする。

 丸めた便箋は、封筒と共に屑籠へ投げ捨てた。

 溜息を零しながら、机に伏せるようにして目元を両手で覆う。

「あと、少しだ。あと少しで、夢は叶うんだ……」

 エステルの手をとり、共に歩む未来を脳裏に描く。――正式な騎士として登録されたら、領地へ戻って、エステルと婚約し、すぐにでも結婚しよう。結婚と同時に爵位を継いで。

 それでも、王宮で過ごす間に状況が変われば、カイルの願いは叶わないだろう。あと、二年。

 やるせない思いを心の根底に沈めようとすれば、拍子に目元にある手は漆黒の髪を乱すように握り締めていた。


 そうして頑として折れることのなかったカイルに痺れを切らせ、父侯爵が王宮へ来たのは、数日後のことだった。




***   ***   ***




 王宮内にある談話室では出入りする人が多いためか、父侯爵は小さな応接室を用意させていた。

 公爵よりも地位の低い侯爵であるが、ハーシェル家は古く、国でもそれなりの権力を有している。それこそ、底辺公爵よりもよっぽどである。ゆえに、血の継承にこそ重きを置く、由緒正しき家柄だった。

 カイルは部屋に入り、静かに扉を閉める。正面に立っている父侯爵の後ろ姿を目にした途端、思わず溜息と苦笑を零しそうになった。

 カイルと同じ黒髪を後ろに撫でつけた父侯爵は、久しぶりの息子との再会にも拘らず、振り返ることすらない。きっと、笑みの一つも浮かべることはないのだろう。常より眉間に深い皺を刻み、鋭い視線で重たい空気を生み出している父の姿を想像したカイルは、睫毛を伏せるように目を閉じる。

 父侯爵に歩み寄る前に、この応接室へと向かう前に自室で交わしたジョエルとの言葉を心中で反芻はんすうさせた。



 ――ジョエルは、心配していた。

 同室であるため、カイルに頻繁に届く文がハーシェル家から届けられていることを知っているからだ。そして、公爵家の情報網に、王族の姫君からカイルの元へ縁談の話があったことも。

 いつも軽い調子の親友は、けれどその時真摯な瞳をカイルに向け、言った。

「――カイル君、僕を、使っていいよ」

 大切な親友の一言に、カイルは目を瞠った。言葉を失って佇んでいると、彼は言葉をつぐ。

「だから、君が心から大切にする女の子と会わせてくれたまえ」

 楽しみで仕方ないんだ、そう続けたジョエルは、穏やかに微笑んだ。



(……ありがとう、ジョエル)

 心の中で唱え、ゆっくりと目を開く。強い意志を宿した灰青の瞳が現れると同時に、顎を上げて前を見据えた。

 父侯爵から少し離れた場所まで歩を進め、「父上」と呼ぶ。

 そうして、カイルの存在に気づいていたものの振り返ることのなかった父侯爵は、ようやく身体を反転させ、カイルへと視線を向けた。

 予想通り、父侯爵は視線だけで圧力プレッシャーをかけてきたが、カイルが萎縮することはない。

「お久しぶりです」と挨拶を口にして、わずかな余裕に口角を上げて対峙した。

 それに目を眇めた父侯爵は、挨拶の応酬をすることはなかった。「そんなことはいい」と鬱陶しい蝿を追い払うように手を振り、かわりに紡がれたのは、本題。

「私がどうしてここに来たのか、わかっているな」

 疑問符のつかぬ言葉に、カイルは目を細める。

「私が何を言いたいのか、わかっているな」

 どこか怒気を含む声音にも、カイルが表情を変えることはなかった。

 反応がないことに我慢ならなくなったのか、父侯爵は言葉を連ねた。

「男爵家の娘は諦め、王族の娘と婚約しろ。手紙に何度書けば理解する? 王族の娘とお前の縁談が決まれば、我がハーシェル家は安泰だ! たった二人の娘の犠牲だけで、すべてはまるく納まる。――いや、圧力をかけてきたのは新興伯爵家だ。子爵家はなんとか持ちこたえるかもしれん。ならば、男爵家の娘の犠牲だけで解決する。お前が諦めれば、ハーシェル家はなんの痛手もない。どうしてそれをわかろうとしない!」

 顔を赤くさせて熱弁を振るう。それがどんなにカイルの心を荒れ狂わせているのか、気づきもせず。

 ギリリ、とカイルは奥歯を噛み締め、顔を歪める。

 ――父侯爵は、エステルのことを”男爵家の娘”と何度も言った。

 カイルのことを、ハーシェル家の嫡男としてしか見ていないのだから、当然のことだろう。しかし、カイルには許せなかった。爵位の高くない男爵家の娘という理由だけで、父侯爵は犠牲になれと告げているのだ。……その、男爵家の娘を恋い慕う、彼の眼前で。

「……あなたは、いつもそうだ」

 恨み辛みを吐き出すように、小さく呟く。

 カイルの声がはっきりと聞こえなかったのか、父侯爵は訝るように息子を見つめる。

 カイルは睨みつけるように、その視線に応じた。

「エステルが犠牲となるのなら、俺がエステルを娶ります。そう、約束しました」

 反射するように、父侯爵は激昂し怒鳴る。

「そんな昔の約束が有効だと思うのか! いつまでも夢現ゆめうつつでおらず、現実を見ろ。どうせあの娘はそんな約束信じていない。忘れているに決まっている。他に男を――」

「あなた達と一緒にしないでいただきたい!!」

 反駁したカイルは、感情の昂りに身体が熱を上げたのを感じた。このまま怒りに身を任せて声を荒げれば、きっと論は破綻し、感情ばかりが先走る言葉を羅列することだろう。

 ――冷静にならなければ、嗤われて終わる。

 呼吸を沈めるようにそっと深呼吸し、憤りは拳に力を込めることで抑え込んだ。かたく目を瞑り、感情が静まるまで口を引き結ぶ。その間、父侯爵は何も言葉を発することはなかった。


『――カイル君、僕を、使っていいよ』


 ジョエルの言葉。公爵家の力を利用していいと、自ら言ってくれた、親友。

 親友としてのジョエルを、カイルは公爵家の息子として捉えたことはなかった。彼がもし侯爵よりも低い爵位だったとしても、親友になった。彼のもとに訪れた、公爵との繋がりを求める面々には、自分にとって有利になるよう結びつきを求めた。けれど――ジョエルを利用しようなど、思っていなかった。

(……ごめん……ごめん、ジョエル)

 自分の不甲斐なさに喉が鈍く痛み、目頭が熱くなった気がした。それでも、父侯爵がいるこの空間では気を引き締めねばならない。

 努めて表情を消したカイルは、瞼を押し上げ、低い声で続けた。

「――父上、俺を嘗めないでください。俺は、エステルと婚約する。それが気に入らないというのなら、絶縁すればいい。でも、忘れないでください。……そうすれば、あなたが望む王族からの縁談はもちろんなくなる。まぁ、それはどのみち叶わぬものですが。しかし、男爵家と子爵家を見捨てる行為は、ひいてはハーシェル家もついえることになるでしょう。いつかの日に、俺が言った言葉を覚えていますか?」

 カイルが蔑むような目つきで笑めば、父侯爵は憤怒の形相でカイルを睨めつけた。苛立ちに震える姿は、カイルの言いたいことを察してのことだろう。

「直系が俺だけだとしても、ハーシェル家の血をひくのは俺だけではないでしょう? 俺の望みを否定するのなら、あなたの意のままに動く者を次期当主に据えればいい。――ただ、ハーシェル家に血を連ねる者達がそれに理解を示すとは思えませんが。皮肉なものですね。あなたと同じ思考のハーシェル一族が、あなたによって破滅する。血筋と家格ばかり気にする一族が、母より身分の低い女の子どもを当主にするとは思えない。きっと……分裂するでしょうね。”卑しい者に継がせるならば、我らの方がマシだ”と。そうして内輪もめをして、滅びるんです。きっかけは、あなたと俺。しかし、爵位を継ぐための妥協案を、俺は示しました。次はあなたです」

「……っ」

 徐々に赤黒くなっていく顔色の父侯爵を見受け、カイルは最後の一押しとばかりに告げた。

「そういえば……父上は、俺をなぜ王宮へ送り込んだのかお忘れのようだ」

「――カイルっ!」

 ついに怒髪天を衝いた父侯爵は、カイルに掴みかかるように手を伸ばす。

 だが、従騎士として身体を鍛えているカイルが、その手を交わすことなどわけない。幾分年老いた手を避け、むしろカイルが父侯爵の胸ぐらを掴んで真っ向から憎々しげに睨んだ。

「俺が、王宮で何もしていないと思いましたか? かつて父上は、伝手をつくるために俺を送り込んだ。そして俺はその通りに伝手をつくった。――ハーシェル家を生かすも殺すもあなた次第だ。でも、あなたが俺のたった一つの願いをきいてくれるのなら、俺は全力でハーシェル家の繁栄に身を捧げましょう」

 いつだって高圧的だった父侯爵の瞳に、動揺の色が宿っていることをカイルは見て取った。どこか怯えが含まれたそれに、父の存在が矮小に感じる。

 重い沈黙が続いた。

 それを破ったのは、やがて紡がれた、父侯爵の承諾の言葉だった。


 思えば、カレンのことはどこか二の次になっていた。そのことに、当時のカイルが気づくことはなかった。




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