道場破り
自分の力を試したい、自分の実力はどの程度なのだろうか。
こんな事を考えながら田舎道を歩く青年の姿あり。
そこへ、少年たちが竹刀に防具を担ぎ近づいてくる姿に、
「ふむ、こんな田舎にもかかわらず、剣術を習っている少年達がいるのだなぁ」
と、考えている内に、少年たちは自分の前を通りすぎていたが、構うことなく話しかける。
「やぁ、君たち」
「えっ?・・・・・・」声を掛けられた少年たちは戸惑い隠せない。
少し躊躇しながらも確認するため振り返る。
見たことのない顔に、首を傾げる。
やがて視線は下へ移っていくと腰の物に目が留まると表情が一変。
疑いの目は消え去り、好奇の眼差しへと変化していく。
「えっと、少し、聞いても、良いかな?」
「は、はい・・・」と答える少年の顔に緊張という文字が、
描かれていても可笑しくないと思えた。
「君たちの習っている。流派を教えてもらってもいいかい?」
少年達は互いの顔を見合う。
私に聞こえないようにするためなのか、何やら小声で、
譲り合いや、肘どうしで小突き合いをしていた。
話し合いがついたのだろう。1人の少年が、一歩前へ出ると、
背筋を伸ばす。そして。大きな声で、ハッキリと答えた。
「天然理心流です!」と言い終えた少年の満足そうな顔と、
自信に満ち溢れた表情を浮かべている。
実際聞いたこともない流派なのだが、自慢げに答えた、
少年たちにたいして、知らぬ存ぜぬでは通らない。
しかし、いくら考えても、知らないものは知らないのだ。
天然理心流など、聞いたこともない流派なのだ・・・。
少年たちは、どこか不安げな表情を向けている。
それもそうだろう。私の言葉を待っているのだから・・・。
これ以上待たせると、誤解されそうだな・・・。
よし、これなら差し障りないだろう。
「では、道場主を、教えてもらっても良いかい?」
「近藤周助大先生です!」
「ほぉ、大先生かね、近藤周助大先生は、強いのかい?」
「えっ・・・・・・」三人の少年たちは、困惑しているように見えた。
「ん? なに、どうした? なぜ、黙っているんだい」
「だって、わかんないんだよ・・・」
「わかんないとは? もう少し、詳しく教えてもらっても、良いかい?」
「大先生には、教わってもないし、教えるところも見たこと無いから、
分かりません・・・」
「そうか、正直者なんだな・・・」
と、思う一方で、あぁ、なるほど。そういう事か・・・。と納得している、
もう一人の私が存在していた。大先生と言う者は、大体そうと決まっているのだ。
しかし、昔は強かった。だが、今は歳を重ねていき、老体というわけだ。
まぁ、そのうち、私も言われるようになるのだろうよ。
「それでは、改めて聞くけど、誰が一番強いのか、教えてもらえるかい?」
「沖田宗次郎先生です」
「そうか、ありがとう。時間取らせて悪かったな」と、青年は深々と頭を下げて、
少年たちと別れたはずなのにもかかわらず、少年たちへ駆け寄っていく姿があった。
「お〜〜い、すまん、すまん。忘れておった」
と少年たちに追いつくと、着物の衿に手を入れると手の中には奇麗な手拭いを握りしめていた。
少年たちは、首を傾げながら青年の行動を眺めている。
手ぬぐいを開いていくと、紙に包まれた物を取り出した。
「まぁ、楽しみにしてなさい」と青年の声に興味津々の少年たち。
青年が、紙を開くと、色とりどりの金平糖が姿を表す。
「白、赤、青、黄とある。どれでも好きなものを取りなさい」
少年たちは顔を見合わせる。金平糖を始めてみるのだろう。
少年たちは、目を輝かせている。
そして、1人の少年が、手を伸ばして、黄色の金平糖を掴みとると、
続けて、白、青を取り終えると、青年が、残りの色の赤を取る。
少年たちは、余りの綺麗さに、太陽にかざしていた。
太陽の光により、キラキラと輝きに、自然と笑みが溢れる。
「見てないで、食べてご覧」
「えっ・・・」
少年達は食べる物とは思って居らず。青年の顔をまじまじと見つめる。
「大丈夫、美味しいんだぞ、見てろよ」と、青年は赤い金平糖を口の中に放り込んだ。
ころんころん音を鳴らし、金平糖を口の中で転がしている。
「う〜ん。甘くて美味しいぞ」
それを見ていた一人の少年が金平糖を口の中へ入れた。
他のものも片付を飲んで見守っていたが、
当の本人は、口の中で金平糖をころんころんと転がしているのは、
もちろん青年の真似をしているからである。
「うわーーー、あっまーい!」
「そうだろう、あまいだろう」
青年は満更でもない顔で、その場を後にすると、
「ありがとう」の声にたして後ろを振り返らず、
右手を上げて挨拶を返すと、
少年たちの声が途端に大きくなる。
金平糖の美味しさなのかは知る由もないが、
そのような事を気にすることはなく先へと歩いていく。
すると、どのくらい歩いただろうか、
剣術道場特有の、竹刀が防具を打つ音と共に、
気合の声が耳に入ってくる。
「ふぅ、やっと着いたか・・・」
青年は金平糖を口にいれると、甘い味覚は、疲れた体に効果を生み出す。
そして青年は、剣術師範の姿を思い描く・・・。
無精髭を生やし放題で、仏頂面の中年を浮かんできた。
そして顎の辺りを、ポリポリと掻いている、何処にでもいそうな剣術師範の姿を想像してほくそ笑む。
「まぁ、だいたい、こんな所だろう」青年は玄関を開ける。
しかし開かない・・・。はじめは気を使って静かに開けようとしていたが、
次第に、維持になる。引き戸に手をかけると、力強く引く。
ガタガタ、と音を立てるばかりで、一向に開く気配すら感じられない引き戸に、
もう少しで暴言を吐きそうになりかけていた。
「お待ち下さい、こちらから開けますので、少し下がってお待ち下さい」
「・・・・・・・・・申し訳ない」
青年は言わるまま、一歩後ろへと下がると、引き戸は開いた。
あれほど苦労しても開くことが無かった引き戸が、
簡単に開いていく姿と共に、姿を表した少年は尋ねる。
「あの・・・何か、御用でしょうか?」
「ここの先生に、お話をしたことがあるのだが、
合わしてもらえないだろうか?」
少年は青年の顔を、まじまじと見つめると、
「はい、分かりました。少々お待ちください」
「ありがとう・・・」と青年は玄関先で立ち尽くしていると、
「すいません、どうぞ、中へ入って、お待ちください」
「すまない・・・」青年は土間へと入り込むと、
草鞋を揃え、道場内に足を踏み入れる。
青年は少し中へ進み正座をして、声が掛かるのを待っている。
少年は、突如現れた者を、大先生に伝えるために、
草鞋を揃えるのを忘れる程に焦っていた・・・のではなく、嬉しくて仕方なかったのだ。
そして少年は、近藤周作に耳打ちする。
「先生、道場破りが、来ました」どことなく嬉しそうに語る少年に、
「どうだ、相手は強そうか?」
「えぇ、間違えなく、強いと思います」と答える少年こそが、
いまや塾頭の沖田宗次郎その人である。
「ふむ。そうか・・・」と少し考えこむ近藤周作の姿に、
宗次郎は少し期待していたのかも知れない。
「よし宗次郎、他の道場に助けを求めたほうが良いか?」
「はっ?・・・・・・いえ、私で大丈夫と思います」
「宗次郎、勝太を連れて来なさい」
「わかりました・・・」
近藤周作には意見など出来るわけもなく、
「はっ」宗次郎は立ち上がると、部屋から出るなり、
私で大丈夫なのに・・・と心で思いながら、渋々、勝太を呼びに行く。
島崎勝太は、部屋へ向かっている最中に
正座をしている青年と視線が交わる。
すれ違いざまとはいえ、両者は目礼を済ませる。
そして勝太は宗次郎へ囁く。
「あいつは、強そうだな」
「ええ、強そうですね」
宗次郎は勝太と共に中へ入るが、青年の世話役として側に居ることを命じられると、
宗次郎は仕方なく青年の元へと近づいて行く。
「もう少々お待ち下さい」宗次郎は青年の隣に腰を下ろすと同じく正座をした。
「どうぞ、足を崩して、楽にして下さい」
「ふぅ・・・有難い、有難い。実の所、私は正座が苦手でのぉ」
青年は宗次郎に微笑みかけると、何かを思い出したように、
「あっ、そうだ、そうだ」と、青年は宗次郎の手のひらに金平糖を乗せる。
「どうぞ、食べてみなさい」
「えっ、良いのですか、こんな高価な物を?」
「構わぬ構わぬ、遠慮せずに食べなさい」
「では、遠慮なく頂きます」
「おいしいかい?」
「えぇ、とっても、とても甘くて美味しいです」
「食べてる最中に悪いのだが、貴殿は、この道場で修行して何年目になりますか?」
「・・・今年で、三年目になります」
「三年ですか・・・そうですか。不躾ながら、段位の方は」
宗次郎は、この問の答えを口にするのが嫌いだった。
しかし、尋ねられているのだから、さすがに答えないわけにもいかず、
頭をポリポリと掻きながら答える。
金平糖を口の中で転がしながら・・・・・・。
「・・・・・・免許皆伝です」
「は?・・・・・・・・・いや、いやいや、これは失礼しました」
いや、待てよ? この道場には子供用の段位が存在しているのかも知れないぞ?そんな事を考えていると、
「すみません、私のような者が、お恥ずかしい限りです」
「なになに、謙遜なされるな。素晴らしいことですぞ。
ところで貴殿のお名前は・・・」
「わたしですか、わたしは沖田宗次郎と申します」
「なんと・・・あなたが塾頭を勤められている、沖田宗次郎さんですか」
と、目を丸くする青年に首を傾げながら確かめる。
「何処かで、お会いしましたか?」
「いやいや、ここに来る途中で、少年達に聞いておったのです」
「あぁ、そうですか、納得いたしました。あ、あの、貴方様のお名前を教えていただけますか?」
「あっ!これは申し遅れました、
私は山南敬助と申します。以後、お見知り置きを・・・」と、
深々と頭を下げると、宗次郎も頭を下げた。二人は金平糖を口の中で転がしている。
そして、お声がかかるのを、今か今かと待ちこがれていた。
「宗次郎、お客様を、こちらまで、お連れしなさい」
「はい!」宗次郎は素早く立ち上がると、
「山南さん、先生が話があるそうです、一緒に来て下さいますか?」
「こちらこそ、願ってもないことです」
「さぁ、さぁ、どうぞ、中へお入り下さい」と、宗次郎は山南を部屋の中へと
招き入れた。
「お初にお目にかかります、私は天然理心流、試衛館3代目宗家、
近藤周助と申す」
所で、貴殿は、我が道場には、
何用でお出でに成りましたのか?」
「私は山南敬助と申し上げます。訳あって、剣術修行の旅をしておる者です。
出来れば、先生に1つ稽古をつけて、いただけないでしょうか」
と、山南の言う事に、嘘が見え隠れしている事ぐらい、皆が気づいていた。
簡単にいうと腕だめし、本当の所、道場破りのくちなのだろう。
「山南さん、すまないが、私は歳を取りすぎた。で、どうじゃろう」
周助は勝太を側に寄せて
「この者に、稽古をつけていただけないでしょうか」
山南は口に出しては言わなかったが、
体裁よく逃げられたな・・・と思っていた。
まぁ、天然理心流という、田舎剣術を肌で感じるのも悪くないだろう。
「それは願ってもいない事です。お心遣い感謝しております」
と、口に出していながら、心のなかでは、
「さて、田舎剣術の実力とは楽しみだな。しかし、私の腕に驚くがいい。
尻尾を巻いて逃げる者を相手にするのは慣れている。
そんな思いからだろうか、山南の表情には笑が浮かんでいるように見えた。
その一方で、宗次郎の頬は剥れている。
決して金平糖を含んでいるからではなく、
何故、自分では駄目なのだろうか、
何故、私は闘わせてもらえないのだろうかと、腹立たしく思っていた宗次郎だったが、
道場へと向かう勝太の隣に寄り添うように歩いている。
宗次郎が口何か言おうとして口を開こうとすると、
勝太は宗次郎の肩をポンポンと優しく叩かれた事により宗次郎は口をつぐむ。
嶋崎勝太と山南敬助は、道場の入り口で止まると神前に向かって礼をする。
近藤周助と宗次郎も神前に礼を行い後に続いていく。
混同周助は、山南に問いかける。
「竹刀で稽古されますか、それとも木刀で稽古されますか?」
「こちらの稽古でお願いします」
宗次郎は振るえた。武者震いではなく怖さから震えていた。
「では、木刀で稽古に入りますぞ、勝太、木刀の準備をしなさい」
「はっ」
勝太は周助に言われるがまま、木刀の品定めをはじめると、
ある思いが脳裏をよぎる。
「彼は余程腕に自身があるのだろう。だが私は負けない。
いや負ける訳にはいかないのだ。天然理心流を継ぐものとして、
他流になぞ決して負ける事は許されないのだ」と、
勝太は木刀の中から自分へ呼びかけている2本掴みとっていた。
そして、木刀を見つめている勝太の眼の色が次第に変化していく。
勝太の両手には木刀を持っている姿を見ると道場内の空気の流れが変わっていく。
木刀の真剣勝負だ・・・。と、囁く程度の声だったが、
静まり返っている道場内には、普通に話しているような感じに聞こえた。
道場内では滅多に見ることができない真剣勝負・・・
いや他流試合の勝敗を固唾をのんで見守っていた。勝太は1本の木刀を山南に手渡すと、
山南は驚愕の表情を浮かべた。
なんだこの太くて重い木刀は・・・・・・。こんなの振れるのか?
山南がそう思う矢先、ぶん!ぶん!と唸りを上げる音が耳に入ってくる。
木刀を降る人物が島崎勝太と分かると。
心を入れ替えなければ死ぬかも知れない。そう思うと山南の瞳も次第に据わっていく姿に、
二人の鬼の姿を目にする。以前の宗次郎だと震えて縮こまっていただろう。
だが、この日の宗次郎は震えるどころか微動だにしない。
ただ、ただ2人の鬼を黙って見つめている宗次郎。
しかし、勝太の形相を初めて目にするのだろう、門弟の中には怯える者や、
震えが治まらない者達が、自らの肩を抱きしめている者達の姿が、
チラホラと見て取れる。
「神前に礼!」道場内に周助の声が響き渡ると、
嶋崎勝太と山南敬助は神前へと深々と礼を済ます。
近藤周作は両者にたいして助言を述べる
「良いか、決して、何が起ころうとも正々堂々と闘うことを誓いなさい」
と聞かされた二人は周助に礼をすると、お互いに礼をすますと自らの決戦場所へ歩を進めると2人の鼓動は早まる。
「負けられないのだ」と二人は同じ言葉をはくと蹲踞の体制で
初めて2人は対峙すると、静かに立ち上がると開始線で睨みを効かせる両者に声が掛かる。
「はじめ!!」
両者とも正眼に構えている。
だが、山南の木刀の切先が小刻みに震えていた。
震えているといっても決して恐れからではなく、これこそが北辰一刀流の剣である。
両者一歩も動かなかった。両者の額からは汗が噴き出している。
汗は床に落ち、蒸気を発生させる。
動いていない様に見えていたが、両者は距離は少しづつではあるが、
近づいている様に見て取れた。
そして遂に、両者の切先が擦れる距離まで縮まっていた。
こすれ合っていた切先は次第に当たり始める。
コツ、コツからゴリゴリへと変わると、
カン!カン!と甲高い音を立てていた。
近づいていた両者だったが、何故か後ろへと下がっていく。
恐れをなしたのか? だが両者の表情には恐れという文字は浮かんでなどなく、
あるといえば、殺るか殺られるかの、2つしか無い。
そんな文字から溢れ落ちる冷たい汗が頬を伝う。
嶋崎勝太は正眼から、上段へと木刀の位置を変えていく。
山南敬助は打ってくるはずだ。間違えなく、彼は私を殺すつもりなのだ。
その考えが、鬼の表情から一歩先へと変貌させる。
顔色が赤く染まっていくと赤鬼にと変わる姿をみて、
宗次郎は興奮したのだろうか、口の中の金平糖を噛み砕いていた。
砕け散ると共に、
「カチッ!」と乾いた音が道場内に響き渡る。
まるで、その音が合図かの様に嶋崎勝太は床を蹴っていた。
山南の右腕めがけて、木刀を振り下ろす。
だが、山南の木刀は鈍い音を立てると、
勝太の攻撃を見事に払いのけて見せた姿に道場内がざわついた。
しかも、これだけでは終わらなかった。
山南は木刀を払いのけた瞬間に出来た、僅かばかりの隙を見逃さなかった。
「とぉりゃ〜〜!」腹部目掛けて、容赦なく叩き付けに行くから末恐ろしい。
この攻撃が当たれば骨が折れる、もしくは砕けるだろう。
だが、勝太も負けてはいない。軽やかとはいえないが、
豪快な動きで手首を切り返すと、
「おりゃ〜〜!」木刀を下から振り上げるような動作で、
山南の木刀を受け止めた。
ギシギシギシ、と、重なりあった木刀同士は唸りを上げる。
自分の間合いに持って行きたいのは誰の目にも明らかだ。
だから、両者とも力を抜くつもりもないし、引くつもりはない。
互角の力勝負に勝敗を見いだせないと分かると、同時に後ろに飛び退いてみせた。
仕切り直しを行う両者の状況は、
嶋崎勝太は肩で息をしてはいるが、
眼光は鋭く山南の一挙手一投足を見逃すまいと睨みを利かしている。
山南はというと、普通の2倍の重さはある木刀のため、
腕の筋肉は疲れ果てているのだろう。しかもこのように重い木刀は初めてだろうから、
腕全体が上下に揺れているのが見て取れた。
ジリジリと、間合いを詰めていく両者の足元には。
汗で出来あがった水溜りが出来ており、少しでも力を抜くと
滑りそうな危険な状態になっていた。
歩を進めて行くたび、静まり返った道場内に、
キュッキュッと、水を含ませた音が鳴り響く。
勝敗が付くのは早い。誰もが思った瞬間、両者同時に攻めの姿勢に入る。
勝太は木刀を右に担ぐと、胴を狙いを定め叩き下ろす。
山南もまた、木刀を右に担ぎあげると、胴めがけて振り下ろす。
山南の振り下ろす方が早いと思えたが、
勝太の木刀の軌道が変わったと思った時には既に遅く、
勝太は木刀を振り上げると、山南の木刀は弾け飛んでいく。
続けざま、勝太は担ぎ胴の体制で打ち込む。
山南はやられると思った。だが、まいった!など口に出すつもりはなく、
私は道場破りなのだ・・・ここでやられるのも本望だ。
山南は死を悟ると、我が人生に悔いなし。と、目をつぶる。
しかし、信じられない言葉が耳に入ってきた。
「勝負あり!」近藤周助の声がかかると、
「何故だ、なぜ止めた!」と山南は審判ではなく嶋崎勝太を睨みつける。
しかし勝太は既に腰を下ろすと、手拭で汗を拭く姿が目に飛び込んで来たので、
驚きというよりは呆れて声を出すことが出来ずにいた。
山南は理由が分からず勝太に近づいていくと、
真相を聞こうと小声で語りかける
「なぜ止めた。何故、私を殺さなかった?」
と、問われた勝太は汗を拭いながら、
「何故、俺が山南さんを殺さないと行けないのだ?」
「なぜって、わたしが・・・・・・」
「ふぅ・・・山南さん何か勘違いされているようだが、
私は稽古をつけて頂いただけですよ」
「それは建前上の話でしょう・・・・・・」
「本音も建前も無いでしょうよ、反則でもしたのなら、
わたしも卑怯な手に出るかもしれないが、お互い正々堂々と勝負という形での稽古です。
だから山南さんも正々堂々と勝負を挑んだのでしょう?
それに、これから日本を背負って立つ人物を殺して何の特がありますか?」
と、勝太は山南に微笑みかける。
「勉強させていただきました」と頭を下げる山南は、勝太の人柄に惚れ込む。
男が男を好きになって何が悪い。
衆動ではないのだ。勝太さんの心の大きさに惚れたのだ。文句あるか?
と自分の気持ちを確かめるように心で唱える。
「山南さんさえ良かったら、私と共に天然理心流を学び、
一緒に汗をかき、一緒に技を磨きませんか?」と山南に呼びかけると、
勝太は照れくさそうに汗を拭っている。
「ぐっ・・・・・・・・・」声にならない言葉を吐き出すと山南は、
一目憚らず涙をこぼす。
「宗次郎!熱くて、熱くて汗が引かぬ!手拭をこちらに投げろ!」
「はい!」宗次郎は急いで手拭を持って行こうと立ち上がると、
「来なくて良い、良いから投げろ!」
と言われた宗次郎は、手拭を丸め勝太目掛けて投げ放つ。
綺麗な放物線を描くと、自分の手元に手ぬぐいが収まるのを見て、
勝太は宗次郎に目配せを送る。少し嬉しそうに頭を掻いている宗次郎から
視線を山南にむけ、
「熱いですな・・・これを使って下さい」
勝太は視線を合わせまいと手ぬぐいだけを山南の方に向ける。
「くっ・・・・・・かたじけない」山南は一言礼を述べると、
汗と涙で濡れに濡れた顔を拭い去ると深々と頭を下げた。
「こちらこそ、願ってもいない言葉を頂き、
感謝と共に、宜しくご教授の程お願い申し上げます」
二人は固い握手を結ぶ。ここに天然理心流・試衛館に、山南敬助が加わる。
天然理心流に新鮮な風と息吹が吹き込まれた。
そして門弟として新たな鬼が加わる。
他の流派を極めた者を仲間に加え、新たなる進化を遂げて行く事だろう。
そして、又一歩、武士の道へと近づいて行くのだろう。
山南敬助(『やまなみ・けいすけ』もしくは『さんなん・けいすけ』)
一般的には、やまなみなのだが、最近の調べでは、さんなんさん、と呼ばれた
可能性が高いとの事なので、わたしは、さんなん・けいすけで書こうと
思っております。
さて、この山南敬助とは何者か。
天保4年(1833年)に陸奥国にて、生まれ育ち
仙台藩出身で小野流派一刀流の免許皆伝、そして北辰一刀流でも免許皆伝の
腕前である。