天然理心流、試衛館道場
宗次郎は姉ミツに手を引かれると、
天然理心流・試衛館に訪れていた。
宗次郎は憧れの試衛館内へ上がると、
夢にまで見た近藤周作先生が座っていると思うだけで、
天にも昇るような気持ちを抑えるのに必死だった。
宗次郎の考えとは違い姉ミツの考えていることと言えば、
「こんな場所に、宗次郎を預けて大丈夫なのだろうか・・・」
汚くて狭い道場内を隈なく見回しているから
近藤周作の言葉も耳に入ってこないだろう。
そしてミツの視線の先には天井に張巡らせている
蜘蛛の巣の中央で、獲物が来るのを、
今か今かと待ち構えている蜘蛛の姿にほくそ笑む。
「ガタッ・ガタ・ガタ」
その音のする方を振り返ると、どうやら引き戸を開けている音のようだった。
門下生が入ってくるなり、近藤周作にたいし深々と一礼を済ましている
姿に礼を重んじる姿に感銘をうけ共感を覚えていた。
ミツの目には草鞋を並べている姿を微笑ましく思う。
立て付けの悪い引き戸の障子紙に少年の姿が映るのが
目に入り込むと、苦労する門弟の姿を楽しみにしていたが、
音を立てずに開けた少年に驚いた。
その少年の背格好は、宗次郎より少しだけ大きいようにみえた。
閉めるときに、少年は手慣れていることに気が付かされた。
戸を斜めに持ち上げて締め終わると、振り返りざまにミツと目が合う。
少年は一礼を済ませると、ミツの隣に座っている少年には目礼で済ませた。
新参者とわかっていたのだろう・・・。
その少年は近藤周作へ深々と一礼を済ませると、
一目散に道場へ向かおうとしたが
近藤周作によって出鼻をくじかれる。
「勝太!こちらに来て、座りなさい」
「はい!」
と返事をすると、周作にいわれたとおりに、
ミツの隣へと腰を下ろす勝太の姿だったが、なにか言われるのかと思っているのか、
どこか落ち着かない様子だったが、自分の事を紹介されている事に
気づき少し落ち着きを取り戻すと、近藤周作からの言葉がかかるのを待っていた。
近藤周作は勝太の事を紹介している。
「こいつは、宮川勝太です」
宮川勝太はミツにたいして深々と頭を下げる。
「勝太、こちらは沖田宗次郎くんだ。今日から内弟子として迎える事になった
仲良くしてあげなさい」
といわれた宮川勝太は、宗次郎にたいして軽く会釈を済ませるが、
沖田宗次郎はというと、両手を添えて深々とお辞儀をする。
「よろしくお願いします」
「良いかい宗次郎くん、勝太から色々と教えてもらいなさい。
兄が出来たと思えば暮らしもしやすかろう」
「勝太、ここでの生活の仕方を教えてあげなさい」
宗次郎は兄の言葉に嬉しさを隠せず勝太の事をみている。
初めて出来た兄の姿に、頼もしさを感じ、
「先生、勝太さん、よろしくおねがいします!」
宗次郎は周作と勝太にたいして深々とお辞儀すると、
勝太もお辞儀を返した。
「こちらこそ、よろしくお願い致します」
「いいか勝太、宗次郎くんを弟と思って指導してあげなさい」
「はい、承知いたしました!」
宮川勝太も喜びの表情を浮かべていた。
弟が出来からか喜びを言葉に変換したような大きな声で返事をしていた。
「よし、では、ふたりとも行きなさい」
「はい」二人は答えたが、宗次郎にはどうしたらいいのか、
勝手がわからずあたふたしている。
それに見かねたのか、最初からそのつもりだったのかは分からないが、
勝太は、宗次郎にたいし優しく肩に触れると、立ち上がるように仕向ける。
それを見た宗次郎も立ち上がると、すでに勝太の事を兄として慕っているのか、
勝太の隣に寄り添っている。
勝太はミツと周作に一礼を済ませると、
宗次郎の手を握りながらその場を立ち去っていく。
ミツは宗次郎が振り返ることを期待していたが、
その期待は泡のように消えていく。
宗次郎は姉ミツとの挨拶することさえ忘れていた。
今日からは今までどおりには、会えなくなるはずなのに・・・。
悲しんでいないわけではなく、現に先ほどまでは、
一人で暮らしていくことに、泣きそうになっていたぐらいなのだ。
姉ミツと離れ離れになることを悲しんでいくらいなのだ。
だが宗次郎にはそのような考えは消えていた。
いや、今の宗次郎には消えていたといえよう。
それは兄が出来たお陰なのかも知れない。
ただそれだけの事で、宗次郎の置かれた状況は変わり、
気持ちまで変化していく。
そして悲しみよりも強くなれるという野望に燃えている。
宗次郎はというと、勝太に手を握られると、
竹刀のぶつかる音が次第に大きくなるにつれて、
道場へ向かっている事に気付かされた。
すると勝田は止まる。
あと一歩、足を前へと出せば道場の中へ入れるというとこで止まっている。
勝太はお辞儀する。何処にお辞儀をしていたかというと、
神棚に向かってお辞儀をしていた。
「良いか、宗次郎。道場内に入る場合は、必ず神棚に向かって
一礼を済ませるのだぞ」
「なぜですか?・・・・・・」
「この道場を守ってもらっている神様が祀られているからだ」
「守ってもらう?神様が祀られている?」
「あぁ、そうだ、神様に道場の発展や、俺らが怪我をしないように
見守っていただいているのだ。
だから道場を使わせてもらいますと、礼を重んじるのだ。
絶対に礼を忘れてはならない・・・。
もし神棚にたいして、礼を忘れたりすると・・・」
「・・・もし、わすれたら?」
「・・・とても恐ろしい祟りがあるかもしれん・・・」
と聞かされると、慌てて礼を済ませた宗次郎と、
してやったりの勝太の姿が微笑ましかった。
「いいか宗次郎、俺らは血の繋がりはないが、今日から一緒に暮らしていくの
だから勝太と呼べ、おれもお前の事を宗次郎と呼ぶ。俺の事を兄と思っていいからな。
俺もお前の事を、本当の弟だと思って暮らして行くつもりだ」
「勝太さん、よろいくおねがいします」
そして宗次郎の視線が勝太から離れると、
次は道場内に熱い視線が注がれていた。
その視線の先には、気合の声を上げ、
激しく竹刀を振るう道場生たちの姿に視線を奪われると、
皆一応に必死になり、もくもくと修行に励む姿に、
宗次郎の瞳は釘付けになっていた。
「どうだ、すごいだろ、すごい迫力だろ?お前もやってみたいか」
「・・・・・・・・・えぇ」
「どうした、返事が弱々しいが、怖いか?」
「・・・・・・はい」
「そうか、怖いか・・・、怖いだろうな。宗次郎は正直だな」
勝太は宗次郎の髪を掴む、優しく左右に揺すりながら続けた。
「宗次郎、安心しろ・俺も怖かった。最初は泣きそうなくらい恐ろしかった。
だが俺には目標があった。強くなりたいと思ったから。
試衛館に入門したのだと思い、修行に励んでいる。自分に負けられないからな・・・」
「とこで、お前は何故この試衛館に入門したのだ?」
「僕も強くなりたくて、入門しました」
「そうか、俺と同じだな」といって勝太は笑った。
勝太の豪快に笑う姿に、宗次郎も釣られると笑った。
この道場に来て、初めて見せる笑顔といえた。
「勝太さん、土方さんは、何処にいるのですか?」
「土方さんって、歳三のか?」
「はい、土方歳三さんです」
「なんで、お前が歳の事を知っているのか?
それとも宗次郎は、歳と仲が良いのか?」
「いえ、助けてもらったのです」と答えた。
「助けられた、歳に?」
「はい・・・袋叩きの所を救ってもらいました・・・」
「袋叩きの所を助けたのか、歳は」
「えぇ、あやうく殺される所でした」
「そうかい、そうかい、あいつらしいな」
「僕は、強くなりたい」
「そうだな、歳が出てきて驚いたが、そう焦らず、一緒に強くなろうや」
「はい・・・・・・・・・」
「良いか、強い男というものは、たとえ痛くても泣かない。
だが、泣かないわけでもない。泣かない者がいるのなら、
そいつは薄情者だ。だから泣くなとはいはない。
泣くときは大いに泣け。だが泣いている所は、
他人に見せるな。
泣く時は、ひとり隠れて泣け。それが男というものだ。
思いっきり泣いて、忘れたら、次へ進めば良いのだ」
「・・・・・・・・・はい」
そして勝太は宗次郎を道場へ引き入れる。
宗次郎の目に映る道場は汚いように見られたが、
道場の床だけ綺麗に磨かれとても輝いて見えていた。
勝太は自分の防具を着け終わると、
宗次郎の防具の装着を手伝っているが、
体が震えている宗次郎の姿に、
「だいじょうぶだ、怖いのは最初だけだ」
震えている宗次郎は勝太の言葉に笑顔を見せているつもりだろうが、
頬が引きつり、見ているこちらが辛くなっていくが、
勝太は自分の幼い頃の思い出が脳裏をかすめる。
だが自分の記憶とは違う表情を浮かべる宗次郎の姿から、
恐怖という文字が消え去ったのか、そのような感覚を覚えた。
あれだけ震えていた宗次郎の体から消えると、
男の顔に変わっていく姿をみて、勝太は立ち上がり声をかける。
「よし、宗次郎、はじめるぞ!」
「はい、よろしくおねがいします!」
神前に礼を済ませた二人は向かい合う。
打って来い!と叫ぶ勝太にたいして宗次郎はというと、
思ったように足を前へと踏み出せないでいる。
その様子に固唾を飲んで見守っているのは、道場生たちのすがた。
道場内全員の視線は二人に注がれている。
見よう見まねの宗次郎は、正眼に構えると、
おぼつかない足取りで間合いをつめると竹刀を振り下ろした。
「パ~ン!」と勝太の面を撃ちぬく良い音が響き渡った。
その音が響き終える頃には、
罵声が飛び交う元の道場の姿へと戻っていた。
今春、9歳を迎えた沖田宗次郎は、
初めて竹刀と言う物に触れると、初めて竹刀と言う物を振るう。
強さを求めて。その頼もしい後ろ姿に目をして、
背を向ける姉ミツは、弟に頼もしさを感じると、
一言も声をかけることなく道場を後にする。
今一度、近藤周平にたいして深々とお辞儀をすませて、
試衛館から一歩外へと踏み出すと、ミツの頬に冷たい風が突き刺さる。
さらに襟足に風が迷い込み、寒さから体を守るため
着物の襟を正して一歩一歩先へと歩を進めると、
普段なら見逃すような、一本の木が、ミツの瞳の中へ飛び込んできた。
どこにでもあるような裸の木が、桜の木だと気づく。
そしてよくよく観察してみると小さな芽を出していた。
今は小さな芽だが、今から綺麗な花を咲かせようと頑張っているかも知れない。
そう思うと、私も頑張らないと笑われる。と思う。
そんな思いからかなのか、桜の芽に語りかけてるミツの姿あり。
「誰もが皆、頑張っている。だから貴方も負けないで頑張りなさい。
私も負けないように頑張るから・・・」と誰に向けてなのか微笑みかけている
姉ミツの姿が試衛館から遠ざかるにつれて、
やがて見えなくなっていったが、
試衛館道場内は、熱き者たちによって熱気を帯びていた。