1 それはほんの些細な出来事だった
「――今、なんて言った?」
ついさっき耳に入って来た言葉は、久しぶりのゆったりとしたティータイムをぶち壊すのぐらいのものだった。
そのおかげで、口元まで運んでいたフォークが止まっている。
大好きな苺の甘酸っぱい香りが食欲を誘うが、今はそれどころじゃない。
今問題なのは、さっきテーブル越しに座っている婚約者がしゃべった内容だ。
「美咲は余の話を聞いておらんかったのか?」
そう言って優雅に紅茶を啜っているのは、この魔界きっての魔力の持ち主でこの魔界の王。
つまりは魔王様。
彼は私の婚約者。ちょうど一年前、私はこの魔界に召喚されてきた。
理由はただこの魔王を部屋から引きずり出すため。
その時いろいろあって、女神補欠になり魔王の婚約者となったのだ。
「ちゃんと人の話は聞かねばならぬぞ?」
紫色の瞳が優しく私を見つめている。
魔族特有の整った顔立ちに人間界の大抵の子は、落ちるだろう。
だがこいつら魔族は顔だけだ。
だってこいつら魔族はデリカシーがないのだから。
友達がイケメンになら何されても良いって言ってたけど、あれ嘘だね。
この魔界暮らしで何度血管が切れそうになったことか。
ぶん殴ってやりたくなった事も、一度や二度じゃない。
だけど一年も経つとちょっと感覚が麻痺してくるから、最初ほどでは無くなったかも。
「聞いてたよ。もうすぐ魔王の誕生日パーティーなんでしょ。違うくて、その前。プレゼントのリクエスト内容のこと」
「あぁその前か。余は美咲の裸エプロンが見たいと言ったのだ」
さわやかにエロ発言すんな。
周りみろよ。人いるだろうが。人が。
テーブルの傍にはワゴンが置かれてあり、メイドが紅茶のおかわりをいれてくれている。
もちろん、このメイドさんも美人さん。
「お前は変態か」
裸エプロンだって?魔王はおっさんかよ!!
言うまでもないが、しない。する筈がない。
大体シリウスとかのだったら見応えあるけどさ。
私?あ~、無理無理。んな大層な体じゃないですって。
「絶対嫌」
「なぜだ!?美咲!!」
んなもん聞くまでもないだろ。却下だ。却下。
ったく魔界にそんな単語あるのか?もしかして人間界で知ったとか?
どちらにせよ、この話は強制的に終わりにして闇に葬り去るからいいや。
……と思ったんだけど、あの男がそうはさせてくれなかった。
「おい」
「何よ?」
めんどいな~。私はため息を吐くと後ろを振り返る。
そこには空と同じ色の髪をした男が立っていた。
耳がちょうど隠れるぐらいの髪の長さに、甲冑と腰にある大剣。
まぁ、明らかに職業騎士。
彼の名はラムセ。一応ここで私の護衛を務めている。
魔王は臣下からの信頼も厚い。
一部の間では心酔されているんだけど、まぁラムセも残念ながらその一人。
だから――
「御心が広い魔王様がお前のような貧相な体でも良いって言って下さっているんだぞ!!ありがたく申し出を受けろ」
……だから完全に魔王の肩を持つ。
しかも魔族らしく、失礼な発言を平気で言う。
やっかいな事に、こいつら自分が失礼な発言をしたとは思ってない。
もうカルチャーショックどころじゃねぇし。
「貧相っていうな!!貧相って!!」
椅子が倒れるかもしれないというぐらい、後ろ向きになって椅子から身を乗り出して指を指す。
人に指を指してはいけません。
そう小さい頃教えられたが、今はその教え忘れる事にする。
「ラムセ私の裸見たことないでしょ!!これでも凹凸はあるんだっうの。……一応だけど」
最後が小声なのは気にするな。
でも嘘はついてないよ。だって実際私にだってあるもん。
まぁ、シリウスとは比較にならないけど。
「見たことあるわけないだろうが。見たくもない」
「ほら!!ねぇ、魔王言ってやってよ!!ちゃんと凹凸あるって!!」
なんか自分で言ってて悲しくなってきた。
「ラムセ。余は美咲の胸が小さくても好いておる。それにもし美咲の容姿が整っていれば、美咲という感じがせぬではないか。街に溶け込んでこそ美咲なのだぞ」
「さすが魔王様です」
ラムセは魔王の微笑みに対し、目を輝かせた。
おい。おかしだろ。なぜそうなる?
「人の事さんざんコケにしやがって、お前ら何様のつもりだ?」
この調子だと、たまに口が悪くなるのもしょうがない。
まぁ、わかってたけど。魔王がフォローなんてしない事ぐらいさ。
でも少しはなんか別の言い方あるでしょうが。
「――お茶の席中失礼いたします。魔王様」
突然艶のある声が聞こえてきたため、私達は話を止めその場所に全員視線を移す。
するとそこには今話題になっている裸エプロンが似合いそうな、プロポーションを持った妖艶な美女が立っていた。
その美女は私をここに召喚した魔女・シリウス。
毎度の事ながら、歩くたびに揺れ動く胸に目が言ってしまう。
あ~っ!!なんでおっさんっぽいの私!?もしかして変態は私かっ!?
「これを」
シリウスはテーブルの上に何か紙で包まれた物を置く。
すると魔王はそれを見て顔を顰めると、手で弾いてしまった。
「飲まぬ」
「魔王様!!」
なんだろう?
私はその包みを見て首を傾げる。
「ねぇ、シリウス。それ何?」
「薬草煎じた物よ。魔王様喉が痛いそうなの。おそらく風邪だと思うわ」
「えっ!?大丈夫なの?」
というか、魔族でも風邪って引くんだ……
あ。そう言えば怪我とかなら治癒魔法で治せるけど、病気とかなら治せないって聞いたことあるっけ。
「平気だ。薬は飲まぬ。苦いから好きではない」
子供かっ!!大体、あんた2546歳でしょ?
良い年した大人なのに。
「ちょっと~、子供じゃないんだからさ」
「嫌な物は嫌じゃ」
「――あ」
そう叫んだ時には魔王の姿はなかった。
あいつ転移魔法で逃げやがったな。
「シリウス」
「無理ね。魔力を隠してるわ」
まったく。あの魔王め。
もすうぐ自分の誕生日パーティーなのに。
酷くなっても知らないんだからね。
――この時の私達は誰も知らなかった。
こんな些細な出来事が、のちにあんな騒動に発展するなんて事を。