肉食男子
大和は現在、職探し中のフリーターだ。
ひと昔前、女性とのゴタゴタで世にも恐ろしい目に遭い、彼は大事な「陰茎」を失った。手術で形こそなんとかなったものの、もう立って小便をすることは不可能。それ以来、女性に対して強いトラウマを抱えるようになった。
だが、元来の女好きという因果な性格は、そのトラウマを強引にねじ伏せるほどの生命力を持っていた。
「あ、日渡さん、ここやっとくよ!」
「ありがとうございます!」
深夜の牛丼屋でバイトをしながら過ごす毎日のなかで、同僚の日渡茜は大和にとって太陽のような存在だった。
高校生ながら家にお金を入れるために働いているらしい。昔の自分なら間違いなく口説きまくっていただろう。だが、今の男としての機能を失った大和にとっては、ただただ尊いものを応援する「兄のような気持ち」に近かった。
ピンポーン。
卓上ベルが鳴る。大和がレジ打ちをしている真っ最中だったため、日渡さんが注文を聞きに向かった。
お客様にほんのり笑顔でレジ対応しつつ、大和は横目で彼女の様子を伺う。すると、対応している30代後半ほどの痩せたメガネの男が、日渡さんに何やらイチャモンをつけているのが見えた。目の下にどす黒いクマを浮かべた、神経質そうな男だ。
レジを終えた大和が駆けつけようとした時には、日渡さんはすっかり落ち込んだ様子で戻ってきた。
「どうしたの?」とさり気なく聞くと、「ネギ(タマネギ)が少ない」というクレームだった。
丼一杯のタマネギの量が完璧に同じということはない。炊きたての肉を穴あきお玉でまんべんなくすくっているのだから、極端に少ないはずはなかったが、男は執拗に責め立ててきたらしい。
「よし、俺に任せて」
大和はスタスタと男の元へ行き、愛想笑いを浮かべながら深く詫びた。「すぐにネギを足してまいりますね」。
「おう」とぶっきらぼうに吐き捨てる男から丼を下げ、厨房でネギを増量する。こういう時は、大げさなほど申し訳なさそうな態度を見せるのが二次クレームを防ぐコツだ。
「すごいですね!私、まだあんな風に機転がきかなくて……」
戻ってきた大和を、日渡さんが尊敬の眼差しで見つめる。
「ま、今度はこうやって対応したら大丈夫だから。さ、休憩行ってきな」
「はい!休憩入ります」
彼女が裏に入るのを見送りながら、大和は店内の状況を確認した。
周囲の居酒屋街もすっかり閑散としており、客足は完全に途絶えている。深夜とはいえ、不気味なほど静かだった。
「日渡さん、客も少ないし、今のうちに3時間くらい長めに休憩行っていいよ」
そう奥の休憩室に声をかけ、大和は一人で店内に残った。
静寂が店を包み込む。
――カランカラン、ピンポーン。
突然、入店チャイムが鳴り響いた。
「いらっしゃいませ!」
大和は声を張り上げながら厨房から出ていった。しかし、扉の前に人の姿はない。自動ドアの誤作動かと思い、首を傾げながら持ち場に戻る。
――ピンポーン。
再びチャイムが鳴る。
「いらっしゃいませ!」
反射的に飛び出したが、やはり誰もいない。悪質な悪戯かと思い、自動ドアを出て外を見回してみたが、深夜の通りには人っ子一人、通り過ぎた気配すら残っていなかった。
「……なんだよ、気味の悪い」
不審に思いながら店内を歩いていると、誰もいないはずの客席の奥から、かすかな声が聞こえてきた。
「……ぁ……ぅう……」
低く湿った、うめき声のような音。
大和の背筋に冷たいものが走った。かつて、怪異とも化け物ともつかない狂った女に遭遇し、モノをちょん切られたあの夜の恐怖がフラッシュバックする。
(まさか、また『アレ』の類か……!?)
恐怖で心臓が早鐘を打つ。今すぐこの店を飛び出して逃げ出したかった。しかし、奥の休憩室には何も知らない日渡さんが眠っている。彼女を置いて一人で逃げるわけにはいかない。
大和は震える足を叱咤し、音の正体を突き止めるべく、ゆっくりと歩を進めた。
――うめき声は、店の奥にあるトイレから聞こえていた。
一歩、また一歩と近づくにつれ、それがただのうめき声ではなく、「会話」であることに気づく。途切れ途切れだが、妙に早口な英語のようだ。
(不法侵入か……? それともやっぱり、幽霊か何かか?)
「誰か入ってるのか!?」
恐怖をかき消すように、大和はトイレの扉を勢いよく叩いた。
ガチャリ、と鍵が開く。
狭い個室の扉が開き、中から這い出てきたのは――幽霊でも女の怪異でもなく、二人の大柄な黒人男性だった。彼らの手には、怪しげな「白い粉の入った小さな袋」が握られている。
(ヤク中だ……!)
大和はすぐさまスマホを取り出し、カタコトの英語で叫んだ。
「ポリス! アイ・コール・ポリス! ステイ・ヒア(警察呼ぶからそこを動くな)!」
しかし、男たちの目は完全に座っており、正気ではなかった。一人の男が凶暴な雄叫びをあげ、大和の貧弱な体へと飛びかかってきた。
「ガッ……!?」
凄まじい力で首を絞め上げられ、大和の体が宙に浮く。
呼吸ができない。視界が急速に狭くなり、火花が散る。今度こそ本当に死ぬ――そう確信したその時だった。
――ピンポーン。
間の抜けたチャイム音が、店内に響き渡る。
「あら。いい男じゃない」
突如として、粘りつくような野太い声が鼓膜を震わせた。
大和が薄れゆく意識のなかで目を向けると、そこには、信じられないほどの爆発的な筋肉をまとった巨漢が立っていた。
しかし、その男――いや、「オカマ」は、スーパーモデルのように激しくお尻をクネクネと振りながら、異様なキャットウォークでこちらへ歩いてくる。場にそぐわないほど嫌に綺麗なブロンドヘアが、照明を浴びてサラサラと揺れていた。
「私の好みど真ん中ね」
オカマは言うが早いか、大和の首を絞めていた黒人の巨体を、まるで仔犬でも扱うかのようにひょいと片手で掴み上げた。
「ガハッ!?」
そのまま、もう一人の黒人の首も同時に鷲掴みにし、圧倒的な筋力で二人をまとめて締め上げる。あまりの規格外のパワーとシュールな光景に、床にへたり込んだ大和は声も出ず、ただ呆然とそれを見つめることしかできなかった。
数秒の後、白目を剥いて失神した二人の黒人を両脇に抱え、オカマは大和を見下ろした。
「あ、あの……ありがとう、ございます……助かりました……」
大和が蚊の鳴くような声で礼を言うと、ブロンドの巨漢はフンと鼻を鳴らし、嫌に綺麗な髪をなびかせた。
「勘違いしないで頂戴。あなたは全然、私の好みじゃないわ。……もっと自分を磨きなさい。そしたら、お相手してあげるから」
パチン、と強烈なウィンクを一つ残し、オカマは両脇に100キロ近い黒人を一人ずつぶら下げたまま、軽やかな足取りで店を出て行った。
――カランカラン。
再び訪れた静寂のなか、大和は首を押さえながら、ただただ夜の自動ドアを見つめ続けていた。女の怪異、薬物中毒者、そして最強のオカマ。この世で本当に恐ろしいのは何なのか、彼にはもう分からなくなっていた。
(日渡さん…早く帰ってきてくれ……)
と、自分で3時間と言っておきながら早くと願わずには居られなかった。




