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古木のホラー短編集

肉食男子

作者: 古木花園
掲載日:2026/05/18

 大和やまとは現在、職探し中のフリーターだ。

 ひと昔前、女性とのゴタゴタで世にも恐ろしい目に遭い、彼は大事な「陰茎」を失った。手術で形こそなんとかなったものの、もう立って小便をすることは不可能。それ以来、女性に対して強いトラウマを抱えるようになった。

 だが、元来の女好きという因果な性格は、そのトラウマを強引にねじ伏せるほどの生命力を持っていた。

「あ、日渡さん、ここやっとくよ!」

「ありがとうございます!」

 深夜の牛丼屋でバイトをしながら過ごす毎日のなかで、同僚の日渡茜ひわたりあかねは大和にとって太陽のような存在だった。

 高校生ながら家にお金を入れるために働いているらしい。昔の自分なら間違いなく口説きまくっていただろう。だが、今の男としての機能を失った大和にとっては、ただただ尊いものを応援する「兄のような気持ち」に近かった。

 ピンポーン。

 卓上ベルが鳴る。大和がレジ打ちをしている真っ最中だったため、日渡さんが注文を聞きに向かった。

 お客様にほんのり笑顔でレジ対応しつつ、大和は横目で彼女の様子を伺う。すると、対応している30代後半ほどの痩せたメガネの男が、日渡さんに何やらイチャモンをつけているのが見えた。目の下にどす黒いクマを浮かべた、神経質そうな男だ。

 レジを終えた大和が駆けつけようとした時には、日渡さんはすっかり落ち込んだ様子で戻ってきた。

「どうしたの?」とさり気なく聞くと、「ネギ(タマネギ)が少ない」というクレームだった。

 丼一杯のタマネギの量が完璧に同じということはない。炊きたての肉を穴あきお玉でまんべんなくすくっているのだから、極端に少ないはずはなかったが、男は執拗に責め立ててきたらしい。

「よし、俺に任せて」

 大和はスタスタと男の元へ行き、愛想笑いを浮かべながら深く詫びた。「すぐにネギを足してまいりますね」。

「おう」とぶっきらぼうに吐き捨てる男から丼を下げ、厨房でネギを増量する。こういう時は、大げさなほど申し訳なさそうな態度を見せるのが二次クレームを防ぐコツだ。

「すごいですね!私、まだあんな風に機転がきかなくて……」

 戻ってきた大和を、日渡さんが尊敬の眼差しで見つめる。

「ま、今度はこうやって対応したら大丈夫だから。さ、休憩行ってきな」

「はい!休憩入ります」

 彼女が裏に入るのを見送りながら、大和は店内の状況を確認した。

 周囲の居酒屋街もすっかり閑散としており、客足は完全に途絶えている。深夜とはいえ、不気味なほど静かだった。

「日渡さん、客も少ないし、今のうちに3時間くらい長めに休憩行っていいよ」

 そう奥の休憩室に声をかけ、大和は一人で店内に残った。

 静寂が店を包み込む。

 ――カランカラン、ピンポーン。

 突然、入店チャイムが鳴り響いた。

「いらっしゃいませ!」

 大和は声を張り上げながら厨房から出ていった。しかし、扉の前に人の姿はない。自動ドアの誤作動かと思い、首を傾げながら持ち場に戻る。

 ――ピンポーン。

 再びチャイムが鳴る。

「いらっしゃいませ!」

 反射的に飛び出したが、やはり誰もいない。悪質な悪戯かと思い、自動ドアを出て外を見回してみたが、深夜の通りには人っ子一人、通り過ぎた気配すら残っていなかった。

「……なんだよ、気味の悪い」

 不審に思いながら店内を歩いていると、誰もいないはずの客席の奥から、かすかな声が聞こえてきた。

「……ぁ……ぅう……」

 低く湿った、うめき声のような音。

 大和の背筋に冷たいものが走った。かつて、怪異とも化け物ともつかない狂った女に遭遇し、モノをちょん切られたあの夜の恐怖がフラッシュバックする。

(まさか、また『アレ』の類か……!?)

 恐怖で心臓が早鐘を打つ。今すぐこの店を飛び出して逃げ出したかった。しかし、奥の休憩室には何も知らない日渡さんが眠っている。彼女を置いて一人で逃げるわけにはいかない。

 大和は震える足を叱咤し、音の正体を突き止めるべく、ゆっくりと歩を進めた。

 ――うめき声は、店の奥にあるトイレから聞こえていた。

 一歩、また一歩と近づくにつれ、それがただのうめき声ではなく、「会話」であることに気づく。途切れ途切れだが、妙に早口な英語のようだ。

(不法侵入か……? それともやっぱり、幽霊か何かか?)

「誰か入ってるのか!?」

 恐怖をかき消すように、大和はトイレの扉を勢いよく叩いた。

 ガチャリ、と鍵が開く。

 狭い個室の扉が開き、中から這い出てきたのは――幽霊でも女の怪異でもなく、二人の大柄な黒人男性だった。彼らの手には、怪しげな「白い粉の入った小さな袋」が握られている。

(ヤク中だ……!)

 大和はすぐさまスマホを取り出し、カタコトの英語で叫んだ。


「ポリス! アイ・コール・ポリス! ステイ・ヒア(警察呼ぶからそこを動くな)!」


 しかし、男たちの目は完全に座っており、正気ではなかった。一人の男が凶暴な雄叫びをあげ、大和の貧弱な体へと飛びかかってきた。


「ガッ……!?」


 凄まじい力で首を絞め上げられ、大和の体が宙に浮く。

 呼吸ができない。視界が急速に狭くなり、火花が散る。今度こそ本当に死ぬ――そう確信したその時だった。

 ――ピンポーン。

 間の抜けたチャイム音が、店内に響き渡る。


「あら。いい男じゃない」


 突如として、粘りつくような野太い声が鼓膜を震わせた。

 大和が薄れゆく意識のなかで目を向けると、そこには、信じられないほどの爆発的な筋肉をまとった巨漢が立っていた。

 しかし、その男――いや、「オカマ」は、スーパーモデルのように激しくお尻をクネクネと振りながら、異様なキャットウォークでこちらへ歩いてくる。場にそぐわないほど嫌に綺麗なブロンドヘアが、照明を浴びてサラサラと揺れていた。


「私の好みど真ん中ね」


 オカマは言うが早いか、大和の首を絞めていた黒人の巨体を、まるで仔犬でも扱うかのようにひょいと片手で掴み上げた。


「ガハッ!?」


 そのまま、もう一人の黒人の首も同時に鷲掴みにし、圧倒的な筋力で二人をまとめて締め上げる。あまりの規格外のパワーとシュールな光景に、床にへたり込んだ大和は声も出ず、ただ呆然とそれを見つめることしかできなかった。

 数秒の後、白目を剥いて失神した二人の黒人を両脇に抱え、オカマは大和を見下ろした。


「あ、あの……ありがとう、ございます……助かりました……」


 大和が蚊の鳴くような声で礼を言うと、ブロンドの巨漢はフンと鼻を鳴らし、嫌に綺麗な髪をなびかせた。


「勘違いしないで頂戴。あなたは全然、私の好みじゃないわ。……もっと自分を磨きなさい。そしたら、お相手してあげるから」


 パチン、と強烈なウィンクを一つ残し、オカマは両脇に100キロ近い黒人を一人ずつぶら下げたまま、軽やかな足取りで店を出て行った。

 ――カランカラン。

 再び訪れた静寂のなか、大和は首を押さえながら、ただただ夜の自動ドアを見つめ続けていた。女の怪異、薬物中毒者、そして最強のオカマ。この世で本当に恐ろしいのは何なのか、彼にはもう分からなくなっていた。

(日渡さん…早く帰ってきてくれ……)

と、自分で3時間と言っておきながら早くと願わずには居られなかった。


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