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この作品には 〔ボーイズラブ要素〕が含まれています。

薄幸の下僕は冷酷な主の歪んだ寵愛から逃げられない

作者: 早桃 氷魚
掲載日:2026/03/07

『菫は可憐だが、雑草だ。踏みつけられるが宿命だろう』

残酷なその言葉を吐いたのは、すみれの唯一の主だった――。


四十にして大手企業の専務に上り詰めた東郷は、さらなる権力を求め、あるレセプションへ足を踏み入れる。

そこで出会ったのは、名門・御門家当主の愛人である美しい青年、菫。

だが、主人である御門の態度は一貫して冷ややかだった。

東郷の胸はざわめき、菫に手を差し伸べようとするが……。

「……わたくしは、旦那様のものですから」

儚く微笑むその瞳に宿るのは、従順か、諦観か。それとも――。


※二十世紀後半の日本を舞台にしたお話です。

-------


本作は、上記Kindle作品『しもべに与えられた幸福』の配信記念SSです。

本編プロローグに繋がるSSとなります。

本編を知らなくても読めます。

シリアス・耽美BLとなり、今までとまったくテイストが違うため、苦手な方はご注意ください。


※Kindle本編は性描写あり。支配や束縛、鞭打ち、辱めを受ける描写がございます。過激な表現が苦手な方はご注意ください。

ハッピーエンドです。


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 幼いころ、与えられた部屋は、小さな座敷だった。

 小窓は高い位置にあり、鉄の格子がはめられている。背が伸びても、きっと届かない。外へは出られないのだと、いつのまにか分かっていた。

 扉は外から鍵をかけられる。

 部屋を出るときは、いつも大人と一緒だった。

 扉の上には、四角い窓がある。

 こちらから見ると、ただの黒い板のようだ。けれど向こう側からは、この部屋の中がよく見えるのだと教えられた。だから、いつも誰かが見ている。

 あのころは、それが当たり前だった。

 疑問に思うことも、許されなかった。

「……さむい」

 畳の上で、小さな身体を丸める。

 腰まで伸びた栗色の髪が、素肌にふわりとかかる。

 服を着ることは許されていない。

 もう少し大きくなったら、お姉さんたちみたいに、土色の服を一枚もらえる。

 もっと大きくなると、もっとたくさんもらえる。

 でも、覚えることもたくさんになる。そう言っていた。

 くるしい、と呟いていたお姉さんは、いつの間にかいなくなっていた。

『あなたは、本当に可愛らしいわね』

 やさしく頭をなでてくれるから、好きだったのに。 

 大人は、屋敷の外へ出るときだけ着物を着せてくれる。それが、ひそかな楽しみだった。

 花を散らした子ども用の振袖は、鮮やかな色で、袖が長くて、歩くたびに揺れる。

 「お客様」はそれを喜び、大人たちはよく褒めてくれた。

 自分は男の子だから、そのことは知られてはいけない。

 そう教えられた。

 だから、教えられた通りに笑い、教えられた通りに振る舞う。

 ときには、男の子だと知っていて、それがいいと言う人もいる。

 そのときも、やっぱり教えられた通りにする。

 ピィ……ピィッ。

 小窓の向こうで、鳥が鳴いている。

 青い羽が、きらりと光った。

「……いいな」

 小さくつぶやく。

 あの鳥は、外を知っている。

 自由に、どこへでも飛んでいける。

 うらやましい、とは言わない。

 大人たちに聞かれたら、悪い子になる。

 悪い子は、痛い思いをする。

「ん……さむい」

 部屋の隅に置かれた上等な綿入りの掛け布を引き寄せ、その中に潜り込む。

 室内は暖かいはずなのに、指先と足先だけが冷たい。

 はぁ、と息を吹きかける。

 風邪をひいてはいけない。

 使えない子は、いらない子だから。

 まぶたが、重くなる。

 柔らかな布が、素肌にやさしい。

「……いい子に、してる」

 



+ + +




 あの頃から、ずいぶんと年月が過ぎていった。

 成長した体を感じながら、姿見の前で一糸まとわぬ姿になる。

 肩まで落ちる柔らかな栗色の髪が、白い肌をやさしく覆う。

 女性と見間違うほどの麗しい面差しと、穏やかな微笑み。見る者の心を奪うような、あでやかな容貌。

 光を帯びた肌は、まるで薄い磁器のように滑らかだ。

 くびれた腰と華奢な肢体は、中性的な美しさを見せる。

 この体を愛でるのは、ただ一人。

「旦那様……」

 その名を呼ぶとき、唇がほころんだ。

 あの屋敷から、連れ出してくれた。

 外の世界を、初めて見せてくれた。

 他に生き方を知らなかった自分に、道を与えてくれた。

 ……決めたのは、わたくし。

 新しい名を賜ったあの日。

 すべてを捧げると、己で決めた。

 用意された衣装を手に取り、袖を通す。

 かつては許されなかった布が、今は自由に肌を包む。

 それだけで、十分だった。

 幸せだった。

 ……けれど。

 細い首に嵌められた、黒いチョーカー。継ぎ目の見えぬそれは、喉元にぴたりと沿う。

 鎖骨のくぼみで鈍く光る、金のプレート。

 そこには、スミレの花が刻まれている。

『菫は可憐だが、雑草だ。踏みつけられるが宿命だろう』

 戯れのように告げられた言葉が、菫の耳に蘇った。




(終)




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