カミカゼとなった人々へ
8杯め
今年もまたその日を迎えた。
夫婦は正午過ぎの長崎の平和公園近くのカフェバーにきていた。毎年この時期になると彼らは休暇をとり、長崎で数日を過ごすようになって8年になる。手元のオールドファッショングラスがカラリと鳴った。男は会計を済ませ二人は店をでた。まだ酔うには早すぎる。
エスカレーターに乗って公園内に入り、ゆっくり散策する。平和記念像を眺めた。青銅製のパーツ表面に石膏が直付けされたその巨大な像は、右手は天に上げ原爆の脅威を、左手は肩と水平に伸ばし平和を、そして閉じた瞼は戦争犠牲者への冥福を表現している。好都合にも晴天なのはありがたいが、午前中から気温はぐんぐんと上がり、容赦ない日差しが彼らを照りつけた。次は原爆資料館へと向かう。被爆の惨状をあらわした展示の数々が改めて夫婦の胸をしめつけた。それに見慣れるということはない。
路面電車に乗って移動し、ロープウェイで稲佐山公園へアクセスし、展望台へと向かった。設置された望遠鏡を使って、標高333メートルから長崎市街地を一望した。こうしてみると、長崎の繁華街はすり鉢状の下面に広がり、それを囲むように家々が建っている。坂道の町だと改めて感じた。
男は被爆3世。母方のおばあさんが長崎市内の出身で、被爆地の松山町から数キロの山の上に住んでいたがこの原爆の影響で視力をほとんど失ったと聞いた。祖母の兄弟姉妹の子どもたちが、ここ長崎に住んでいるはずだが顔を合わせたことは一度もない。
長崎へ落とされたものがプルトニウムで、広島がウラニウム。どちらも原子爆弾に変わりなく、爆発の中心温度は摂氏100万度。ちなみに太陽の中心温度が1600万度で表面は6400度だ。いかなる理由があろうと、これは絶対に人間が扱ってはいけないもので、神の配剤といわざるをえない。
夜のネオンがそこここで光放ちはじめたころになって、夫婦は宿泊先のホテルをでた。女があらかじめ調べ予約を入れていた卓袱料理を出す店で舌鼓をうった。くるくる回る円卓もユニークだ。
その後静かに飲めるバーをさがして、思案橋という電停そばの店に腰を落ち着けた。長崎市内の繁華街はこの辺りのようだ。
彼らは日中にはいった店でもそうだったように、ここでもカミカゼを頼んだ。
カミカゼはウォッカとホワイトキュラソー、ライムジュースをシェイクして氷が入ったオールドファッショングラスで提供されるのが一般的で、アメリカ生まれのカクテルだ。考案の経緯は戦時中の神風特攻隊に由来しているが、当初は”シンプウ”と呼ばれていたのが、時を経て、この戦争を扱った映画や書物でカミカゼと表記されたのが広がったとされている。
カウンター席でグラスを合わせた二人の声を聞いて、初老のバーテンダーがグラスを拭きながら彼らの前に立った。
「失礼ですが、いま、なんとおっしゃいました?」
おどろいて男が少し身をひいた。「いや、献杯といったんですが、それが何か」
「献杯なんて言葉、よくご存じですね」
それを聞いて二人は顔を見合わせ、はははと表情をくずした。「ぼくたちが日本人じゃないからですか」金色の髪を指先でねじりながら男がいった。
「それに日本語のほうもずいぶん流暢でいらっしゃる。今日はどちらから?」
男は指先で頬をぽりぽり掻いたその指で、カミカゼのグラスの縁をトントンとたたいた。「ここです」
バーテンダーは二人の顔とグラスを交互に見たあと、「ははぁ・・・そういうことですか。それで、献杯とおっしゃるからには、関係者の方が?」
男は祖母のことを話した。彼女の6人いる子どもの次女とアメリカ人の父親が恋仲となり伴侶となる過程やその後の紆余曲折はたいへんなものであったらしく、彼もその詳細は教えられていない。夫婦は現在マイアミに住んでいるが、年に一度、この長崎に感謝と懺悔の想いを祈りにきていた。
「今年は少し休暇に余裕があるので、彼女には悪いが広島にも行ってみるつもりです」男はいった。
「あら、わたしもまったくの無関係じゃないんだよ。それに歴史を知るってすごく大切なことじゃない。現地の匂いと人を感じながら見聞きするのは、ネット検索だけでは見えないものがあるもの」
女はそういって空になったグラスを振った。男のグラスも氷だけになっている。「あなた、どうする?」
バーテンダーがフリーザーからキンと冷えたウォッカを取り出した。
「よろしければもう一杯いかがですか?これはわたしからです。お話を聞いて感銘をうけました。わたしは生まれも育ちもこの町の2世なんですが、あなたがたの意思は後世にずっと繋いでいってください。人があってはならない過ちを二度と繰り返さないために」
カウンターの妻の手に夫がそっと手を重ねた。